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2話:引き継ぎ

「サワちゃん。午後の寺田さんのお茶出し、佐藤くんと一緒にやって」

「よろしくお願いします、沢村さん」

「わかりました」


 引き継ぐ仕事がないわたしでも、社内外のお茶は全部出していたのだからと。

 来月からは佐藤さんがお茶を出す係になると、今日も大きい声の部長が話していった。




 五つ下の佐藤さんは、この会社に入ってまだ三年目だ。

 それでも営業のスケジュール管理に手伝いと、なかなかの仕事っぷりで重宝されている。


 そんな佐藤さんを連れだって給湯室に向かうのは、なんだかキチンとした仕事を任されている気分になるなあ。


「これからいらっしゃる寺田さんは、林さんという部下と一緒だと聞いています」


 メモを見ながらハキハキと言う佐藤さんは、それだけで仕事がデキル人だということがわかる。

 来客について話したら、ペンを持ち直してわたしを見上げる表情は真剣だ。


「……」

「?」


 何を待たれているんだろうか。


 面白いことでも言えばいいのかと身構えたら、お茶を用意しないのかと首を傾げられた。


 あ、そうですね。


 でも面白いことを言えないことと一緒で、メモるほどのことはないはずだ。

 だってお茶を淹れたら、お茶菓子と一緒に運ぶだけだもん。


 それでも、じいっと真剣な視線を感じながらも。寺田さんと林さん、一緒に話す部長と岸さんのお茶を用意することにした。




「何をしているんですか?」

「……お茶を淹れておりますが」


 しばらく静かに見ていた佐藤さんが、わたしの手元を指差しながら「何してんの?」とつっこんできた。

 急須でお茶を淹れることに初めて突っ込まれ、わたしも思わず動きを止める。


「普通は均等になるようにと淹れますよね?」

「ああ」


 なるほど。


 湯のみの中を均一にするのなら、最初から同じ量と同じ濃さのお茶を順番に注ぐことが普通だろう。


 けれどわたしは沸騰手前のヤカンを止めて、ひとさじ弱の茶葉のお茶を手前二つの湯飲みにだけ淹れたら。もう一杯の茶葉を急須に足した上で、今度は沸騰させた熱々のお湯で残りの二つを完成させたのだ。


 これは理由を言わないと、意味がわからない行動か。


 怪訝な顔をしたままの佐藤さんに見えるよう、濃さと熱さの違う湯のみを交互に指差しながら説明することにした。


「林さんと岸さんは、薄めのぬるめが好きなんです。寺田さんと部長は逆なので、こういう淹れ方をしました」

「そうなんですか……」


 曖昧に頷いた佐藤さんは、それでも熱心に指を動かしていく。真面目だなあ。

 これもメモるのかと横目に見つつ、お茶菓子は煎餅だったと袋をつかんで慌てて戻す。……危ない、危ない。


 お客様が取る手前には、梅味の茎ワカメと季節限定の抹茶チョコレート。部長と岸さん側の後ろには、ダイエットチョコとノーマル茎ワカメを差し込んでいく。


 よし、これなら大丈夫だろう。


 満足そうにしているわたしの横で、やっぱり佐藤さんは自分の書いたはずのメモとわたしを交互に見ながら変な顔をしている。


 尋ねないならいいかと給湯室から出て、目当ての部屋へと歩き出すことにする。




 ココンと控えめにノックをしたら、「どうぞ」とすぐに返ってきた。「失礼いたします」と静かに入ったら、佐藤さんを後ろに控えさせながら並べ始める。


 茶菓子の入ったお皿をテーブルに置く途中で、寺田さんの顔が歪んでいった。

 一瞬で空気が変わった部屋の中を一掃するように、いつもより笑顔を深めて説明することにしよう。


「先日いらした時に、まだ歯の治療が終わっていないとおっしゃっていたでしょう?ここでいつもの堅焼きお煎餅を出して治療が延びたら困りますので、歯応えのある茎ワカメにしました。もちろん梅味です」

「ん?むぅ……それなら、まあ」


 硬い物をバリバリと食べることが好きな寺田さんは、煎餅でないことにガッカリしたけれど。梅味だと言ったら表情を緩ませて、布袋のような雰囲気に早変わりしていった。


 軽く頷いて今度は手前に身体を向けたら、林さんにも伝えることを忘れずに。


「すでに召し上がっているかと思いますが、林さんにはこちらの新商品をどうぞ。昇進、おめでとうございます」

「どうもありがとう。これはまだ口にしていないんですよ、いやあ楽しみだ」


 早速お菓子に手を伸ばした二人が微笑んで、部屋がなごやかな雰囲気に変わってくれた。


 立ち上がりついでに待ちきれずに手を伸ばしている反対側の部長には、くれぐれも食い過ぎるなと睨んでおくのを忘れずに。隣りの岸さんには、頼むような視線を向けたらテーブルの下で合図をしてくれた。


「次からは、こちらの佐藤がお持ちいたします」

「佐藤と申します。よろしくお願いいたします」


 クビになったとは言わずに頭を下げたまま、後ろ手でノブを回してスルリと廊下へ出る。静かに扉を閉めたら、わたしよりも佐藤さんがやっぱりホッとしていた。


 お茶出しが初めてなら、緊張もするか。


 ……とりあえず、外の人にも挨拶終了っと。




 すでに片付け終えている給湯室に戻り、せっかくだからと言われて佐藤さんには他の人の好みを伝えることになった。


 本当に勉強熱心だな。そのメモ帳は何冊目なんだろうかと訊いてみたくなる。


「寺田さんはとにかく歯応えがある物が好きで、堅焼き煎餅の梅味が一番好きなんです」


 そう言いながら、お菓子のストックが入っている引き出しを開けて説明を始める。


「一緒に来ていた林さんは抹茶味に目がない人です。今日みたいに個包装じゃない新商品があったら、お茶菓子と一緒には出さないようにしてください」

「その場合はどうするんですか?」


 はいっと律儀に手を挙げて、まるで先生と生徒のようだ。

 ふむ、いい質問だね、佐藤君。


 感心しながら別な引き出しを開けたら、今度は渡す方法を話そうじゃないか。


「一段目の引き出しの、この袋に入れて、お茶を出す時に湯のみの脇に添えてあげてください。二個で十分だけど、『こちらの新商品は手が汚れるのですが、召し上がって欲しくて』とか、『珍しい物があったので、ぜひ』って言うといいかな」

「わかりました」

「目の前のお皿には、別な物を入れてくださいね」


 何だかホステスのようだけど、さっきの寺田さんたちは月に二回は来る、昔からのお付き合いがある大事な取引先の一つだ。


 こういうところで気を使うことが大事なのだと、前にお茶出しをしていた先輩に言われた言葉も伝えていく。


 ああ、これが引き継ぎになるのかあ。……でもやっぱり仕事ではないな、うん。




 そのまま次は向かいに座っていた、部長と岸さんの話に移る。


 お、ページを変えた。こういう細かいところで間違いとか見やすさとかも変わるんだよね。


 佐藤君、わかっているじゃないか。


「部長はいつも検査に引っ掛かってる肥満体型だから、甘いものは渡さないように。でもお客様がチョコの時は、このダイエットチョコを出してあげてください」

「低カロリーお菓子は他にもありますよね?」

「前にチョコ以外を出したら、ものすごくネチネチ言われたの」

「……わかりました」


 人のものが美味しく見えるのは仕方がないとしても、食い意地が張っていて脂肪たっぷりの身体になった部長だ。


 控えろと言っても聞かないんだから、せめて代わりを出してやるしかない。


「岸さんはお酒のつまみみたいな、しょっぱいものなら何でも食べるよ。ただし、余計な味がついているのは好きじゃないです」

「それで同じ梅味じゃなくて、塩味だったんですか?」

「うん、そう」


 別にお菓子は出さなくてもいいんだろうけど、こういうところで遠慮をしては腹を割った話はできない。……というのが食いしん坊の部長の言だ。

 これは絶対に、自分が食べたいからだろうけど。


 何度か頷きながらメモを整理していた佐藤さんが、チラッと後ろを振り返る。


「あの様子だと事業を縮小するウチとも、変わらないお付き合いをしてくれそうですね」

「そうだといいんだけど……」


 いつもなら煎餅を出すところを、茎ワカメで誤魔化したのだ。好みを知っているのに何たることだと怒られても仕方がない。

 肩をすくめたわたしに、佐藤さんが不思議そうな顔で尋ねてきた。


「沢村さんは妙なところで自信がないんですね」

「自信があったら解雇を受け入れないでしょ」


 というか、ただのお茶くみに自信なぞないことが普通だろう。


 変な顔をしながらも意欲満々の佐藤さんには、部署のみんなの好みも伝えていこうか。




 わたしから引き継ぐ仕事はないなら、辞める日まで同じ仕事をするんだと思っていたけれど。

 お茶を教えたら、残りの仕事ってコピーくらいか。


「ありがとうございました。岸さんからはコピーも聞けと言われているので、明日はそちらをお願いします」

「おぅ……わかりました」


 明日は唯一の仕事のコピーまでが、佐藤さんの仕事になってしまうらしい。


 でもコピーなんて、それこそわたしが教えることかな。


「他には何か言われたの?」


 そもそも岸さんからって、どういう意味なんだ。


 さすがに来客へのお茶出しは、誰かがしないと困るけど。

 わたしがお茶とコピーを中心にしていたことも、それが引き継ぐような内容じゃないことも知っているはずだ。


 そんなわたしの疑問には、やっぱりハキハキと答えてくれた。


「ただのお茶出しやコピーだと思うなと、絶対に細かく訊いておくようにと言われました。その通りだと先ほどわかりましたので、明日も頑張りますね!」

「は?」


 「ご指導、よろしくお願いします」と最敬礼をした佐藤さんは、書いたばかりのメモを見ながら机に戻っていった。


「お茶とコピーだよ?」


 何を言ってんのとつっこんで、もしかして最後にキチンと仕事をしたという実感を与えようとしてくれたのかと思い直した。


 ……ないな。そもそも、仕事とは言えない内容だし。


 お茶はお茶だし、コピーはコピーのはずだ。


 それでも必要ないと思っていた、部署のみんなと、よく来る取引相手のデータをまとめようかとパソコンを起動させることにした。


 いらなかったら、捨てればいいだけだもんね。


 用紙とインクを無駄にするなと怒られるかもしれないけれど、その時にわたしはいないのだ。


 まあいいかと表を作って、それぞれの人を思い浮かべながらデータを打ちこんでいく。




 プリンターから飛び出した用紙を見直して、思わず頭を抱えた。


「……」


 名前、部署、年齢、家族構成などの誰でも知っている個人情報から。

 お茶とおやつとコピーの好みを書いた一覧表を見やる。


 ……必要ないんじゃないかなあと思ったら、終業の鐘が鳴り響いた。


 明日、とりあえず佐藤さんに見せてみよう。

 優しい彼女はきっと、顔を引きつらせながらも受け取ってくれるだろう。


 帰りに資料を入れるファイルでも買おうかと立ち上がって、今日も定時にタイムカードを押していく。


「お先に失礼します」


 さあて、帰ったらあったかい夕飯を食べようっと。


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