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1話:午前中の仕事

 クビを宣告されようが、朝は普通にやってくる。


「……そりゃそうだ」


 少し肌寒くなってきた十一月。

 いつも通りの時間に目覚め、いつも通りに支度をしていくわたし。




「んー、今日は目玉焼きの気分」


 カカンと勢いよく殻を割ったら、熱っしたフライパンにポトリと落とす。

 すぐさまジュッと白身が焼けて、かぐわしい香りが広がっていった。


「ハムの賞味期限が近かったかな」


 ついでにこっちも焼いたら、納豆をテーブルに並べていく。


「野菜が足りないな……」


 まだ途中の味噌汁の鍋のフタを開けて、カブの葉っぱとネギを刻んで足すことにしよう。

 わかめと豆腐を入れた後だから、かなり具だくさんになっちゃった。


「緑と白か、まあいいや。いただきます」


 クビが決まってもお腹はすくし、生活を整えることはとても大切だ。

 特に食事と睡眠をおろそかにするとどうなるか、身をもって知っているわたしは今日も変わらずにしっかり食べる。


「ごちそうさまでした」


 帰りにリンゴを買って、足りないフルーツ分を補おう。




「先輩、辞めるんですよね?」


 社長直々に呼び出された内容が、クビだとは誰も思わなかったらしい。

 戻ったわたしが「来月で会社を辞めます」と言ったら、なんで社長からなのかと質問攻めにあった。


 そんなの、わたしの方が知りたいよ。


 先にクビを言い渡された一回り年上の人は、直属の上司から言われている。

 わたしが社長に呼び出されたことで、てっきり他の部署に移動か昇進するのかと恨めしい視線を向けていたのだ。


「来月で辞めるなんて、ずいぶん急なんですね」

「辞めるっていうか、辞めさせられたっていうか……」


 社長に呼ばれたこともあり、わたしの退職は瞬く間に会社中に広まった。

 まあ内線取った部長が「サワちゃん、社長からの呼び出しだぞ!」なんて大声で言えば、そりゃ広まるか。


 こうして掃除やらお茶くみやらでわたしが一人になったところを狙って、なぜか次々と確認される毎日が続いている。

 だてに十年以上、勤めていないってことか。


 こんなに知り合いがいたのかと、わたしの方が驚いているくらいだ。




 今は別な部署に行った、ちょっとだけ後輩だった子がわたしの隣りで髪をいじりながら呟くように尋ねてきた。


 カチャカチャと部署の人たちの湯飲みを用意しながらも、そういえばこの子には仕事と言える仕事は特に教えてないなあとか、それなのに『先輩』とわたしを呼ぶのに体育会系じゃないなあとか。


 今までのことをぼんやり思い出しながらも、お湯を順番に入れて湯飲みを温めていく。


「……いいですよね、辞めさせられるって」

「どこらへんが?」


 来月から無職なんだよ?

 わたしの年齢を知っているだろうと見上げても、こっちを見ないでカールされた髪をいじっている。


 それでもからかうような馬鹿にするような口調じゃなくて。

 ちょっとだけ羨ましいというものが含まれている声色なことが引っかかった。


「わたしって縁故採用だから、こういう時に絶対落とされないんですよね」

「ああ」


 おかげで就職難でも、ブランクなしで正社員になれて良かったって聞いたことがあったね。

 ツテやコネが羨ましいと思っていたけれど、入りやすい会社は出にくいらしい。それは困るな。


「自分から辞めると退職金は出ないし、失業手当も精々三ヶ月出ればいい方だとも聞くと、到底辞められませんよ」

「うん、社長も言ってた」


 わたしの場合は、会社の都合で辞めてもらうことになるからと。

 退職金は給料の三か月分で、さらに非課税にしてもらえたので全額いただける。失業手当も半年で、その割合もなかなかの好条件という契約書だったから、あまり考えずに判を押しちゃったのだ。


 それでもクビにならない方が、いいとは思うけれど。




「これから、どうするんですか?」

「まだ何も決めてないよ。……でもまあ、せっかくだから旅行には行こうかな?」


 土曜日の半分と、日祝休み。

 有給は使ったことがないから、カレンダー通りの連休しか取ったことがない。


「時間がないと行けないヨーロッパとかがいいかな」

「地続きだから、パスポートさえあれば五か国制覇とか簡単ですしね」


 先輩らしいと小さく笑って、ようやくこっちに視線を向けてきた。


「でもそれ、誰と行くんですか?」

「一人だけど?」


 ぷらっと思い立ったら行く予定だ。

 クビ宣告を受けた時は「海外なんて、それより節約!」と思ったけれど。


 見方を変えれば、思いがけない無期限の長期休暇ということになる。

 往復のチケットだけ取ったら、気ままに回るのもいいんじゃない。


「十万あれば楽しめそうだし、寝台列車にも乗ってみたいかな。そもそもわたしが行きたいところは王道な場所じゃないから、ツアーもなさそうだし。誰も一緒になんて行きたがらないでしょ」


 せっかく自分の好きにできる時間が手に入ったのに、日本以外の知らない場所で他人に気なんて使いたくない。使うのは金だ。

 旅行に行けるくらいに余裕があるのかは、わからないんだけど。




 湯飲みにお茶を淹れながら話すわたしに、後輩ちゃんが怪訝な顔を向けてきた。


「日本語以外の言葉、話せましたっけ?」

「いやあ、全然」


 高校卒業で家を出て、いくつかのアルバイトを経て二十歳でここの会社に入ったわたし。

 英語?知らんわ。日本にいるなら日本語で十分。


「ヨーロッパはスリとか多発しているらしいですよ」

「痴漢にもあったことがないから、空気みたいにスルーしてくれるでしょ」


 これはわたしの、とても地味な見た目のせいが大半だろうけど。

 独り暮らしが長いからか、隙がないと言われることは数少ない自慢だ。


 途中でお湯を足していく手元を見やりながら大丈夫かと心配する後輩ちゃんに、その時は人生のネタが増えるだけだから、あの世に行ったときの土産話にちょうどいいと笑い飛ばす。


「……先輩ってきっと、どこに行っても変わらないんでしょうね」


 今度は呆れているような、そんな声色で呟かれた。

 頑固とも言われるし、それで振られたこともある……。あ、嫌なこと思い出した。


「気は使えるから、そういう意味では大丈夫でしょうけど」


 渋めが好きな部長の濃い緑色の湯飲みと、猫舌で薄いお茶が好きな隣りの席の子の湯飲みを指差して、「細かい」と突っ込んだらやっと給湯室から出ていった。


「細かい……、そうかな?」


 それこそ十年以上もいれば、それぞれの好みを知っているだけで。

 どこの部署でもしてることなんじゃないと首を傾げながらも、誉められたということにしておこう。




 湯飲みを渡していくと、空いたお盆に原本を置かれた。

 クビになると知っても、今日も変わらずに普段通りの行動だ。


 そんなみんなにちょっと安心しながらも、「いつも通り」とか「大きめ」とかの指示をメモしながら付箋フセンを貼っていく。

 次はコピー室だと、お盆と書類を抱え直した。


「……オレに気ぃ使って嘘言ってるかと思ったんだけどな」

「ん?」


 預かった書類を確認しながら、いつも・・・のコピーをしようと整理していたら。

 今月いっぱいで退職する、七つ上のキシさんが、ココアの缶を揺らしながら入ってきた。


 甘いものは苦手だと、言ってたはずじゃなかったっけ。


 お土産のお菓子も辞退する辛党の不似合いな持ち物に首を傾げつつ、気を使うということも、なんで岸さんに嘘を言わなきゃいけないのかもわからない。


 結局、何が言いたいのかわからなくてチラッと視線を向けるだけの無言のわたしに、プラプラと缶を揺らした岸さんが構わずに喋りだす。


「オレは四十で家業を継ぐ予定だったから、サワと違って希望が叶った退職だけどよ。周りが次々とクビを切られていくとミョーな気を使われるんだよな」


 岸さんは前々から、「この会社にいるのは四十までです」と宣言をしていた稀有けうな人だ。


 それでも怠けずに業績を上げ、もうちょっとと言う上のお願いで、二年長くいたのだと聞いたことがある。しっかり成績を残して、それでも未練なく去る岸さんは偉いなあとしみじみ思う。


 ……わたし?わたしはあれですよ。

 とりあえず頼まれたコピーを頑張るだけです、はい。




 黙々とコピーを続けるわたしに、それでも岸さんは嫌な顔をしない。

 そのまま静かに手元を見つめたら、ココアの缶をわたしの目の前に置いた。


「餞別だ」

「え?」

「サワが退職する時、オレはいないからな」

「はあ……ありがとうございます」


 自販機のココアが餞別とは。じゃあ、わたしから岸さんに贈るものは塩辛とかでいいのかな。


 真面目に返したつもりだったのに、何がおかしいのか吹き出された。


「塩辛はいらねえよ。くれるなら、たこわさにしてくれ」

「わかりました」

「それと、オレの送別会には出ろよ」

「はい」


 「好きじゃねえだろうけど」と言い残して、コピー室から出ていった。


 なんでこう、一言残して立ち去るんだろうか。カッコいいな。




 ココアの缶とコピーした資料を抱えたら、それぞれの机の上に置いていく。

 今度は逆に飲み終わった湯飲みを回収していたら、昼食を知らせる鐘が鳴った。


 ……やっぱりわたし、仕事らしい仕事をしてないな。


 これではクビを切られると、妙に納得してしまった午前中だった。


 お昼を食べたら、午後からの来客に備えよう。


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