61話:引っ越しの準備の準備
一年で忙しい日は何度かあるだろうけれど、一年で一番忙しいシーズンはきっと冬だと思う。
冬、それも年末。
「そのような時に引っ越しをしなければいけないとか、大変ですねえ」
ふぅんと、やっぱり他人事みたいな口調で安達さんが呟いた。
わたしは電車に揺られながら頷きながら、はあっと小さく溜息を吐いて応える。
「一応、二月末までは猶予があるんですけど、年明けにはある程度のことを考えておかないといけないでしょうね」
すでに何人かの住人は出て行って、残っている人たちも順調に片付けていることがわかるゴミの出し方だ。
あまりアパートに居ないわたしでも、ちょっとだけ寂しい気持ちになっている。
「その土地に新しいアパートを建てる、というわけではないんですよね?」
電車から降りた安達さんが、振り返りながら尋ねてきた。
それには首を横に振って、駐車場にするのだということを伝える。
「結構、高齢の大家さんなんですよね。わたしが入った時ですでに六十歳を過ぎていたんで……、いまは八十歳を過ぎたところでしょうか」
「ああ、なるほど。それならアパート経営を続けるよりは、壊して駐車場にした方が管理は楽ですね」
「そういうことみたいです」
駅からそれなりに近い場所ということで、前々から駐車場にしてくれないか、という話が出ていたそうだ。
……それもこれも、ついこの前に聞いたばかりとは、交流の浅さがここでも出ているね。
「交流が浅いと言うよりは、他人に興味がない、という感じではないですか?」
「うっ……」
それは後輩ちゃんに突っ込まれたことだね。
「今の職場や特殊な上司に対しても、物怖じをしないというか、偏見なく受け入れられるところは素晴らしいところだと感じていますよ」
ニコリと、胡散臭いながらも安心させるような微笑みを浮かべて、向こうに連れてきた時に言ったようなことを口にする。
別に気にしているわけではないんだけど、そう何人にも言われると……特に、程々に近い距離にいる人に言われると、さすがにちょっとは考えてしまうよなあ。
「興味がない、わけではない……と、思うんですけれど、そもそも興味がわかないんですよね」
職場の人とかお客さんとか、支障が出る人たちは意識して覚えようとしている。
「スーパーの店員さんで、この人だといつもレジが早いなということは記憶しますけど、すれ違う人をいちいち覚えないじゃないですか。それと同じです」
覚える人の範囲が狭い、イコール交流が狭いって感じなのかなあ。
「つまり、沢村さんの生活に支障が出ない範囲でしか覚えていないってことですね?」
「まあ、そんな感じが近いでしょうか」
これも、実家のことから近所付き合いが薄いとか、親戚がいないことでそういう関係がよくわからない、ってことなのかな。
「興味があることに対しては深く関わっていますから、中間がないだけでしょう」
「そうですか?……そうですね」
わたしが興味があるもの。
つまり食とか住居に関してとか、そういうことには百、いや百二十パーセントはしつこく考えたり、手に入れようとしたりと、奮闘するけれども。
それ以外のことはほぼゼロだから、確かに程々の距離の興味対象がないね。
「ちなみに、私はどの辺りの興味具合なんですか?」
「え?……えーと、親方とデーイさんよりは下ですが、滅多に会わない社長よりはちょっと上?かな?」
「……微妙ですね」
いや、入院中に色々とお世話になった、同僚の女性の人と同じくらいか。
「は!?就職前から色々とお世話をしている人は私なんですけど!?」
どうして入院時にしか世話をしていないはずの別な同僚と同じくらいなのかと、駅の出口で抗議されてしまった。
「そう言われても……」
混んでいる時間ではなくとも、急に立ち止まって振り返らないでくれ。目立っているじゃないか。
軽く背中を押して、その場から離れさせようとしつつ、散々、いままで何の話をしていたのかと伝えることにする。
「安達さん自身に興味がないんですから、『同じ会社に勤めている』っていうだけが共通している人と同じ距離になることは、当たり前じゃないですか?」
「……つまり、前の会社の人の方が距離が近いというわけですね?」
「ああ、はい。そうなりますね」
退職しても交流がある、岸さんや後輩ちゃんのことを思い浮かべて、アッサリと頷くわたしに、何故か安達さんがガッカリしている。
「そう言う安達さんだって、わたしやわたし以外の人には興味が薄いじゃないですか」
「そうですけど……。そうハッキリ言われると、ちょっと悔しいじゃないですか」
「誰と、何の対抗をしているんですか」
子供並みの負けず嫌いか。
訳のわからない会話をしながら、いつも通りにアパートに向かって行く。
この道を通ることも、あのアパートに帰ることも、もうすぐ終わるのかあ……。
「候補はいくつか見つけましたか?」
「……一応」
後輩ちゃんに言われた通り、和室の部屋はいくつかあったけれども和式のトイレは皆無だった。
そっちは考えないことにして、次に大事な収納部分を調べてみたら、これも微妙だった。
だから保留にしている部屋はいくつかあっても、どれもイマイチ納得していないんだよね。
「収納って、向こうと半々にする前から少なくなかったですか?」
平日の大半は向こうで過ごすので、布団とか調理器具とか、新しく買い直す必要があった。だから引っ越し初日は意外と大荷物になってしまったんだよね。
でも今度はすべてを移動しなければいけないから、実家からこっちに来た時並みの大型荷物もあったりする。
「できればタンスが入る押し入れというか、クローゼットが欲しいんですよ」
「ああ……。かなりの年代物ですよね?」
「はい。母親の母親の、嫁入り道具だったそうです」
実家から持ってきたものは、布団とそのタンスくらいだ。
わたしが入院した時にアパートに泊まっていた母親も、「まだ持ってたの?」と驚いていたもんなあ。
「大半の衣服は向こうに持っていったので、ほとんど入っていませんけど。ホテル暮らしになってもタンスだけは処分する気はありません」
だから預ける先はロッカーじゃなく、トランクルームの予定で考えている。
「でも一番近いトランクルームが置いてある場所って、会社から遠いんですよね」
防犯の観点からも、週末に色々と入れ替えたり片付けたりと考えると、こっちもこっちで面倒だと思ってしまうところが困っている。
できれば会社から近い場所で、新しく住む場所が見つかれば良いんだよね。
それまでトランクルームに預けることになると、そこから新居への移動がかなり大変になるというわけで……。
「色々と考えているみたいですけど、どれも上手くいきませんね」
「そうなんですよ、はあ……。引っ越しって面倒くさい」
向こうへの引っ越しは、色々と買い揃えることが大変だっただけで、今度は家具とか家電とか、自分一人では持てない大きな物も持たないといけないんだよね。
「ああ、なるほど。重い物はまだ持てませんから、早めに引っ越し業者に頼まないといけませんしね」
「そこも悩んでいるところです」
二月、三月は、まさに引っ越しシーズンと言える月だろう。
だからできれば年末のうちにと考えて、これでもかなり妥協して部屋探しをしているんだけど……。
和室だと、上下が区切られている押し入れタイプの収納が中心で。フローリングだと天井までの高さのクローゼットがあるけれど、無駄に広いリビングダイニングがあるとか。
「どうして一人暮らしを想定している部屋なのに、あれほどリビングダイニングを広くとるんですかね?」
「そういえば単身者向けのアパートでも、必ずその場所は確保していますね」
そんな、使わなくてもまったく問題のない場所に家賃なんて払いたくない。
その分を収納かもう一つの部屋にしてくれればいいのにと呟くわたしに、そこがもう一つの部屋なのではと、安達さんが言いつつも賛同してくれる。
「自室とはまた違った開放感がある場所ですけど、必要かと言われると微妙ですね」
「友人とか、誰かを呼ぶことがある人なら必要かもしれませんね」
一応、いまの部屋にもダイニングっぽい場所はあるし、そこで食事をしてはいるけれど。そこが十畳で扉で区切った場所が三畳というパターンが多くて、なおさら必要がないと感じてしまう。
「そういうわけで、まだまだ新居が決まるまでは時間が掛かりそうです」
「お疲れさまです」
畳も和式トイレも収納もと、わたしにとっての優先事項を却下しても、リビングダイニング問題が解決できないと、なかなか「ここに決めた!」とはならない。
そう考えると、やっぱり今のアパートってちょうど良いんだよなあ。
「では、今週も問題なさそうですね」
「あ、はい。ありがとうございます」
次に帰る日は約一か月後ということで、念入りにアパート周辺を確認してくれていた安達さんが頷いた。
「……ああ。次はセキュリティがしっかりしたところだと、こういうこともなくなりますよね?」
「それほど強固なセキュリティの住居はなかなかありませんから、どちらにしても戻ってきた時には確認をしないといけないと思いますよ」
「そうなんですか?」
会社からこうしてわたしを送りながら、変わっているところはないか、不在の時にも確認してくれていることを考えると、申し訳なくなってきていたんだけど。
引っ越し先がしっかりしたところでも、コレは変わらないと言われると、そっち方面は調べなくても良いのかな。
「何を言っているんですか。そもそも女性の一人暮らしなんですから、一番重要なところでしょう?もっとしっかり考えて選んでください」
「はあ……」
今までにない真剣な表情で、即座にしっかり考えろと突っ込まれてしまった。
そうは言っても、わたしだからなあ。いらぬ心配だと思うよ?
『サワってさあ、ヘンなところが抜けてるわよね』
「はい?」
今週の休みも買いだめで終わったなあと、今日の食事は何にしようかなあと考えながら支度をしていたら、かなり呆れた顔の妖精に突っ込まれてしまった。
『そうじゃのう。まあワシらが言うことじゃないが、もっと気を引き締めたほうがええんじゃないかの?』
「はあ……」
勝手に現れて人のご飯を勝手に食べ、そうして勝手に色々と言って勝手に消える人外の妖精には言われたくないなあ。
『そういうサワだから、ワタシたちがしっかりしないとと思ってるのよね』
「はあ、そうなんですか」
何故かフフンと胸を張ったサラさんが、得意げな顔でよくわからないことを言い出した。
歯を磨こうと移動をしたわたしの後ろにくっつきながら、四人が何か隠しているような、秘密事を抱えているような、不思議な空気だ。
「はんへふか?」
『この前のワイバーンみたいなことがあると悪いからね!』
『そうそう』
『それに、サワは色々と危なっかしいし』
『そうじゃな』
「……ふぁあ?」
クスクスと、やっぱり内緒ごとを共有している人特有の空気の四人はその時までは教えてくれない気らしい。
「ふーん。まあ、いいですけどね」
『もっと興味を持ちなさいよ!』
ガラガラペッとうがいをしたら、今日の仕事を頑張るとしよう。
『聞いてんの、サワ!?』
「行ってきまーす」
『サワッ!!』
バタン