59話:食欲の秋
思いがけずにもらった夏休みだけど、ほとんどを寝て過ごすことになったので、あんまり意味がなかった。
できればもうちょっと、夏らしいことがしたかったよ。トホホ……。
「開いた傷口をふさぐためのお休みなんですから、意味は大いにありましたよ」
「そうなんですけどね……」
飛竜に思いっ切り体当たりされたことで、結局、傷口が開いてしまったんだよね。
そのせいで死にかけたりと色々あった八月が終わり、寝込んでいる間にすっかり季節は秋になってしまったら、過ぎ去ってしまった夏が惜しいと思ってしまう。
……そうは言っても残暑が厳しいから、まだ夏と言えば夏なんだけどさ。
でもアイスは食べていないし、冷やし中華もかき氷もとグチグチ言うわたしに、溜息を吐いた安達さんが呆れた顔を向けた。
「そうですよ。暑さはまだ引いていないんですから、今後も体調管理はしっかりとしてください」
「わかっています」
九月に入ってもこうして安達さんの付き添いで、向こうと行き来していることを考えると、早めに内臓の方もくっついて欲しいわ。
安達さんだって、わたしの代わりに重い物を持たされたり、こっちでの仕事内容の報告も通常業務に追加されているんだから、早く治って欲しいだろうし。
そんな感じで八月が終わって九月になったのに、研修期間みたいに一人では行動できないことになっている。
なんだかなあーな、九月の始まりです。
―――だからって、味覚の秋に何もしないなんてことはない。
だって、異世界のものだろうと積極的に口に入れて加工までしてきたわたしですからね!
「と、いうわけで、今日の仕事はイチョウの回収です」
「ものすごく楽しそうですね……」
ゴム手袋に長靴長袖という重装備で、お店の裏庭に来ているわたしと安達さん。
しかしイキイキとしているのはわたしだけで、安達さんはすでに疲れている。
お店の表掃除をしている時みたいに、虫の心配でもしているのかも。だってここは自然いっぱいの庭の真ん中だし。
作業はこれからだって言うのに、いまからそんな状態で大丈夫なんだろうか。
まあいいかと脇に追いやったら、裏庭にある植物の中でも大きなイチョウの木を見上げる。
「こっちでは、イチョウじゃなくて『カモギ』って言うんだよね」
早速、メモを見ながら今日の作業の確認だ。
この『カモギ』は万能選手らしく、葉に茎に枝に根っこに種と、すべて使うことができるのだ。いや、イチョウも確かに万能だけれども、それを使いこなせる親方がすごいってことだよね。
そんな親方の役に立てるように、少しずつでも頑張らないと!
「ええと……。葉は落ちるまで待つから、今日は先に落ちている実を回収する、と」
梅やタケノコと同じで、こっちのイチョウの実も黄色い皮で覆われている。
この柔らかい部分を素手で触るとカブレるところも同じなので、厚手のゴム手袋で挑むのだ。
「……まさかとは思いますが、その実は食べませんよね?」
「食べますけど?」
皮は土と一緒に混ぜて虫除けや肥料として使って、中の実は、殻を割ったら生のままで薬として使うそうだ。
しかし使う量は半個分で、他にも似たような効能がある解毒薬の一つだからか、それほどの量は必要ないと言われている。
つまり、余った分を炒って食べることは問題ないのだ。もちろん、食べても良いという許可はすでに親方にもらっている。完璧だ。
「銀杏、好きなんですか?」
「好きですね」
むしろ、銀杏を食べるために茶碗蒸しを作っているといっても過言ではない。
市販品には入っていないことがあるので、作ったほうが安心なのだ。
「一つの茶碗蒸しに何個入れる気ですか」
「三個です」
「え、意外と少ないんですね」
「入れ過ぎて具合が悪くなったことがあるので……」
そっと視線を逸らして、すでに前科があると小声で呟いたわたしに、何とも言えない顔になってしまった。
『カモギ』の実も一度に半個以上食べると毒になると聞いたので、もしかしたら向こうの銀杏も同じなのかもしれない。
銀杏茶碗蒸しと呼べるくらいに大量に入れた時は、喜んだのは最初だけで。
途中から具合が悪くなってきて、後にも先にも茶碗蒸しを残してしまったことも含めて、とっても後悔してしまったものだ。
「沢村さんは色々としていますよね」
「していますよ」
しみじみと、”色々と”という言葉に、色々と含んでいる言い方が引っ掛かるな。
「……」
それはそれとしてと、他にも使い道はあるんだからと、銀杏拾いを再開することにする。
「チーズと炒めようかな。炊き込みご飯でもいいか」
「楽しそうですね……」
歌いながら楽し気に銀杏拾いをしているわたしが不思議でたまらないのか、安達さんは微妙に顔を歪ませたまま固まっている。
あの銀杏特有の独特の匂いもほとんどないし、そもそもこれは仕事の一環だ。
何か不満なのかと見上げたら、そうではないと首を振って言った。
「紹介をしたのは私ですから、楽しく仕事をしている姿を見れて良かったです」
「はあ……」
それならどうして、そんな微妙な顔をしているんだ。
……今日も安達さんはよくわからないね。
「はあー……」
まだ長い時間、屈むことができないので、ちょくちょく休憩を挟みつつ、けれどかなり大量の実が収穫できた。
匂いがほとんどないと言っても、量は多ければそれなりにするということで、庭で皮を剥いて、肥料用の土と混ぜていく作業もセットでこなしていかなければいけない。
「ふう……」
「そちらは午後からにしましょう」
「そうします」
立ちっ放しも座りっぱなしも、いまのわたしには禁止事項だ。
作業が中断ばかりで時間が掛かってしまって、なかなか不便だなあ。
「仕方がありませんよ。それに一応、和式の生活はできるようになったんですよね?」
「まあ、一応、ですけどね」
我が家は完全なる”和”なので、畳に布団だし、トイレも和式で床に座っての生活だ。
それはこっちに来てからも変わらずだったことで、別な問題が発生したんだよね。
この和の生活が、お腹に負担が掛かり過ぎていたということに、手術をしてから気付くことになるなんてなあ。
「そうじゃなかったら術後二日で退院をさせられていましたよ」
「洋式の部屋でも二日後はキツイと思うんですけどね」
これはまあ、時期が悪かったということもあると思う。
だって八月なんて、熱中症患者が大量発生する時期だ。
つまり、夏の病院のベッドに空きはほとんどない。
実家が遠いとはいえ母親が来てくれていたことで、そのまま家でも世話ができるだろうと言われて追い出されそうになったけれど。
父親にもすぐ帰れと言うくらいに、小さいシングル布団で母娘二人で眠るなんて絶対に無理だもんね。
高さのあるベッドから降りるより、布団から立ち上がることでお腹にかかる負担とか、トイレも和式なのだということを強調して、なんとか五日間キッチリ居座ることができたのだ。
途中で移動式の点滴スタンドも足りなくなったからと言われて、取り上げられた時は本当に困ったよ。
廊下から一番離れている窓側のベッドだったから、支えがないままのトイレまでの距離が遠くて遠くて……。
「……」
少しでも移動ができるなら、トイレも近い家に帰れと言われたけれども。「退院は五日後で良いですよ」と言ってくれた理由が、母親の「四十歳の治りにくさと、この子の体力のなさをわかってない!」という言葉だということは、わたしは微妙に納得していないところだ。
思い出しても酷い言い草だね。まあ、その通りなんだけれど。
でも、まだ四十歳じゃないから!
銀杏拾い、もとい『カモギ』の作業が終わったら、こちらも秋の味覚 柿の登場だ。
「何て良い職場だろうか!」
あと、美味しいものがたくさんの秋って最高の季節だね。
―――なんて喜ぶ暇もなく、柿の葉の処理は時間との戦いだった。
「葉を分けたらすぐに蒸せ!」
「はいっス!」
「サワは走るな!」
「はいっ」
葉を収穫したら二時間以内に軽く蒸して、すぐに乾燥をさせないといけない植物だから、らしい。
「傷んでいる葉は肥料にして、綺麗な葉をこっちのカゴに入れて、と……」
バタバタと大量の葉をカゴいっぱいに持った弟子が屋上の蒸し器まで走っている間、わたしは庭でせっせと葉をカゴに入れる作業だ。
この作業も、屈んでしないといけないことと、急いでは傷口に障るかもしれないということで、主にせっせと頑張っている人は安達さんだったりする。
「……」
ものすごく迷惑を掛けているなあと、夏前に反省したばかりなのに。
結局、秋になっても絶賛迷惑掛け中だね、わたしは。
何かできることはないかと考えても、いまは治療に専念をしろと言われているしなあ……。
「そういうわけで、いつもは捨てている柿……『シテイ』の実を食べられるようにします!」
「あ?」
柿の木も庭にあって、当然ながら実もつけてくれる。
けれど使うところは葉と種だけで、実は捨てているのだそうだ。なんてもったいない。
「渋柿と呼ばれる種類だったので、こうして消毒をしたら吊るして乾燥させると、干し柿という甘い食べ物になります」
「食べられるんスか!?」
「食べられます」
イチョウの皮みたいに肥料にするわけでもなく、種を取ったら捨てているものを食べるんだから、そりゃあ驚くか。
「乾燥をさせるまでの時間は掛かりますが、絶対に美味しいものなんですよ」
仕事は出来ることが限られているからって、食べ物方向で頑張ることはどうなのかって感じだけれども。
いま出来ることが少ないなら、その中で何かやればいいんだもんね。
「えーっと……」
それでもいつもは食べないものを食べさせようとする行為は、ちょっとアレかもしれないな。
イチョウの実をくれと言ったり、柿の実を食べると言ったりしているわたしは、とても卑しい人みたいだし。いや、みたいじゃなくて、そのままだね。
「ああ……、いや。食べられるなら、またフスベみたいに新しいモンができるかもしれないしな」
「そっスね。それにサワッちの言う美味しいもんって、絶対にウマいし」
勢いに押されて固まっていただけで、嫌な気持ちにはなっていなかったみたいだ。
それなら、絶対に美味しいことをわかってもらわないと。
「干し柿は売っているので、次に帰った時にでも買ってきますね」
売っているものは柔らかい、柿をそのままとろけさせたようなものが中心だ。
それもそれで美味しいし、そこで味をわかってもらえたら、黒くなるこの干し柿も受け入れやすくなるかもしれないな。
見た目は、ちょっとグロイって言う人もいるからなあ……。
梅干しも梅酒もまだ試食してないから、こっちのものの味もわからないところも微妙な不安だしねえ。
「そっスねえ。つーか、そろそろ食べられないんスか?」
「んー……。梅酒はできれば、あと三ヵ月は寝かせたいところですね。梅干しは、……そろそろいいかな?」
「じゃあ、食ってみるか」
食べてみなければわからないと言う親方の一言で、明日の朝食は梅干しと白ご飯に決定した。