58話:休み明けの挨拶回り
痛みと微妙な痒みと戦いながらのお休みは、結局八月の二十五日まで続いた。
「大変お騒がせ致しました。長いお休みをありがとうございます」
「もう動いても、大丈夫なんですか?」
寝起きもすっぴんも見せてはいるけれども、それと退院後は別だ。
自宅の戻ってからも仕事関係のやり取りは、病院に来てくれた女の人が担当してくれていた。
今日はようやく動いても大丈夫そうということで、久しぶりに安達さんと社長に挨拶に来ている。
「表面はもう抜糸も済んで、くっついたので問題はないそうです。ただ内臓が完全にくっつくまでは三ヵ月はかかるそうなので、まだ不便をお掛けすると思います」
今までも、片手でひょいっと持てる親方と弟子のおかげであまり重い物は持ってこなかったけれど。
今年いっぱいは特に気を付けないと、再手術になる可能性だってあるのだ。
周りのサポートが必要なことと、病院から言われた注意事項を改めて伝えたら、すぐに社長が了承をしてくれた。
「そうか……。向こうにも伝えてあるが、日常生活で困ったことがあったらすぐに安達を使うように」
「え、私ですか!?」
「当然だろうが」
社長がしっしと嫌そうに手を振りながら、「好きに使って良い」とわたしに押し付けてきた。いや、いりませんよ。
わたしは「結構です」と社長に押し返して、社長は「こっちもいらん」とばかりに手を振る。
当然ながら真ん中にいる安達さんは、あっちにこっちに右往左往している。
「ちょっと二人とも、酷くないですか!?」
「酷いわけがないだろう。お前の仕事だ」
「酷くないです。無理のない範囲で自分で何とかしますので、いりません」
コントのように、社長と二人で「どうぞ、どうぞ」と押し付け合っている図は、端からはどう見えるんだろうか。
「仕事だと言うなら受けるしかありません。これは、沢村さんにも言えることですからね!」
「いえ、結構です」
「職務規定違反に当たりますよ」
「なんと!?」
安達さんを受け入れないと、社長命令の仕事に従えないということになるとは……。
「それこそ、慰謝料が欲しいです」
「それは私が言うセリフです」
常に監視をされている状態なんて、最悪だ。プライバシーの侵害だと訴えても、それが仕事に関することなら拒否権はないとか最悪と言わずに何と言おう。
「ん?どうして安達さんが慰謝料をもらう側なんですか?」
「人権侵害です」
「はあ……」
社長にはパワハラに対する慰謝料で、わたしには人格否定というか、何だかそういうことでいただくことが出来るのだと言われても、はあそうですか、としか言いようがないね。
「却下だ。お前は部下の仕事の手伝いをするだけだ」
しっしと、今度こそ本当に鬱陶しそうに手を振った社長に追い出されて、わたしまで一緒に外に出ることになってしまった。
今日は簡単な挨拶だけだけど、会社の用が済んだらそのまま向こうにも行くことになっている。
もちろん社長に押し付けられた、……もとい、何かあった時のためのサポート役の安達さんと一緒に。
向こうでは、いつから出勤するのかとか、何か必要なものはあるかとか、体調面でも不安はないかの確認をしてもらうのだ。
母親に伝えた通り、親方が処方した薬を飲んでいることもあって、そっちの確認も必要なんだよね。
「ついでに、診断をしてもらうと良いでしょう。向こうでの主治医になっていますからね」
「わかりました」
視力が良くなる薬はまだもらえてないけれど、化粧水とか成長を促す薬とか、色々とお世話になっているもんなあ。
一応、何かあると困るということと、急に手術痕が治っても説明できないということで、今は飲んでいないしね。
「そもそも向こうでは手術という概念がありませんので、そちらの説明もしておかないといけないんですよね」
「えっ。じゃあ、何かあったらどうするんですか?」
「それこそ、治癒魔法と薬がありますので」
「……なるほど」
そうだった、あの世界には治癒魔法もあるんだよね。
それなら複雑骨折をしても、まあ、大丈夫なのか。そうか……。
「その魔法も万能ではありませんけどね。沢村さんは毒で死にかけたことがあるんですから、わかるでしょう?」
「……」
アレは記憶から抹消したい出来事だから、そう言われてもねえ……。でも、言いたいことはわかる。
ポンコツ冒険者はポンコツだから完全に治せなかったこともあるんだろうけど、魔法も薬も万能じゃないもんね。
いやでも、死にかけを復活させる薬はあったから、魔法よりも薬の方が万能感があるのかな。
「それはモランさんが優秀だからですよ」
「そうですね」
そんな優秀で素晴らしすぎる親方と、ポンコツでへっぽこな二人組を比べることがおかしかったわ。
久しぶりの電車に乗って駅に降りてから、のんびりと、いつも以上にゆっくりと歩いていることに気が付いた。
一応、気を遣われているんだろうか。
「病人を急かしても、病院送りにするだけですからね」
「はあ……」
退院はしても、経過を見せに病院には通わないといけないし、副作用というか、副反応とかいうものがないとは限らない。
「日常ではまずない、内臓を切って縫うということをした後ですからね。沢村さんも、意識をして生活してくださいね」
「……わかりました」
仕事とはいえ、研修の時以上に監視をされることはお互いに疲れるもんね。
そんな事態にならないように気を付けようと誓ったら、これまた久しぶりの建物が見えてきた。
「あ、サワッち!」
「デーイさん?」
お店の前で、弟子が何故かウロウロしていて。わたしを見つけたら、手を振って出迎えるとはどうかしたんだろうか。
「腹切ったって聞かされたら、どんな状態かわからなくて不安にもなるっスよ」
「それは……。ご心配をお掛けしました」
普通に歩いているわたしを見つけて、とてもホッとしたらしい。
わかりやすく安堵の溜息を吐いたら、店は休みにしてあると言いながら中に案内をしてくれた。
「その、シュ、ジュツ?……とかいうものがよくわかんねえし、サワッちの体調もわかんねえんで、一日休みにしたんっスよ」
「重ね重ね、大変なご迷惑を……」
「そういうのはいいんで、早く中に入って入って!」
暑いからと言いながら、それでもグイグイとは引っ張らずに、あくまでもわたしの体調を見てくれているみたいだ。
チラチラと顔色を見ながら、動きを見ながら、無理をさせないようにしてくれている。
お客さんとか馴染みの人への雑対応からすると、とっても気を遣っていることがわかる動きだ。
「……ありがとうございます」
向こうでも、手術というと大事だけれども。切ったり縫ったりがない世界だと、それこそ一大事なんだろうな。
「いま、親方呼んでくるっスから。……何してんスか、アツさん」
「はい?」
「サワッちは動けないんスから、飲み物くらい淹れてくださいよ!」
「あ、はい」
呑気に突っ立ているだけの安達さんに、何の為の付き添いだと怒っていく弟子は珍しいな。
そんな弟子の勢いに押されて、素直にお茶を淹れようとする安達さんも珍しいけれど。
「家に包丁もない人が、お茶を淹れられるんですか?」
「お茶くらいは淹れられますよ」
この時期はジュースだけどね。
「……ん?」
安達さんがお茶の準備をしている途中で、外から何かが聴こえた気がした。
「誰か来たのかな?」
「閉めているお店に来る人はいないと思いますけど……」
あまり動き回らないようにとも言われているからか、立ち上がろうとしたわたしを制して、安達さんが扉に向かって行った。
キュッキュー
「あれ?」
とっても聴き慣れた声だね、これは。
ひょこっと顔を出したら、まさにその声の主が空に飛んでいた。
「よーう、嬢ちゃん。この前は来てくれてサンキューな。今日はこっちから来たぜ」
キュッキュー
「あ、こんにちは」
歌っているようにも聴こえる鳴き声で、さらにニコニコしているような気がする飛竜が、バサリと一度、空中で大きく翼を広げた。
「……もしかして」
キュッキュキュー
ふんふんと、楽しそうな鳴き声みたいだけど、気のせいではないかもしれない。
大きく翼を広げた後は、ぐるんと嘴をこっちに向けて、急下降する姿勢になったからだ。
つまり……
「うわあああーーーー!!!?」
「沢村さん、早く中に入って!」
「あん?その時は店に突っ込むが、問題ないか?」
「突っ込むということ自体が問題しかありませんっ!」
弟子に言われてジュースを淹れる安達さんも珍しいけれども、物凄く慌てている様子も珍しい。つまりとっても異常事態というわけか、なるほど。
「―――じゃなくて!!!」
普段でも突撃されたら吹き飛ばされるっていうのに、今はお腹に力を入れてその場で踏ん張ることも、耐えることも、そもそも受け止めることが出来ないっていうのに!
「タイムタイム!止まって、ストオオオオップ!!!」
「なんだ、そりゃ?」
キュキュー?
必死に腕を交差させたり、Tの文字を作って止まれと言っても、……言ったからって、いままでも止まてくれたことなんてないけれども。
今日は特にマズいんだということを伝えないと、確実に傷口が開く。
「破裂寸前の盲腸を回避できたのに、ここでリアルに破裂したくないっ!」
寸止めでお願いしますと訴えている間に、慌てた安達さんは親方を呼びに言ってくれているみたいだ。
「早く!」
「待て、アツ!」
キュッキュー
「ひぎゃあああっ!!?」
右を手術したから左で受けようか、いや、それだと右側が地面にぶつかるとか、華麗に直前で避けられるだろうかとかをグルグルと考えてみるけれども。
当然ながら、迫ってくる巨体を避けられることが出来るはずがない。
キュキュー
「ふぐっ!!?」
大慌ての周囲を見て、ちょっとは手加減をしてくれたみたいだけれども。
飛竜の中では小さくとも、わたしにとっては巨大なわけで。
「サワッち!?」
「沢村さん!」
「何してくれてんだ、ゴルァ!!」
「いつもの挨拶だろうが。……何事だ?」
キュキュー
「う……ぐぅぅ……」
地面に投げ出される前に、飛竜の鼻先で受け止められて良かったけれども。
まず、体当たりをやめろと、何度言ったら理解してくれるんだ。
「親方!まだ生きてるっスよ!」
「よし、サワ!これ飲め!」
「うごごごごふっ!?」
手術をした右脇腹もだけれども、突っ込まれた左側も、全身が傷みで意識が飛びそうになっているわたしの口に、親方の大きな手で何かが押し込まれていく。
「モランさん!そのままだと沢村さんが窒息します!」
「サワッち、水飲んで、水!」
「がぼがぼがぼ……」
「溺れさせる気ですか!?」
飛竜の体当たりで全身に痛みが広がったら、親方によって窒息しかけて、弟子に水責めに遭うとは……。
今日は一体、何の日なんだろうか。
「ゴホッ、ゴホッ」
「大丈夫ですか!?」
「ゴホッゴホッ……」
背中を叩かれている場所だけ痛いってことは、親方が入れてくれた薬が効いてくれたのかな。
「……沢村さんはまた、死にかけていたんですよ」
「ゴホッゴホッ……。え、死にかけ?え?」
キュー……
「すまん」
「……え?」
親方の手の中に残っている薬は、見たことがある団子状のものだ。
つまりわたしは異世界で、二度目の死ぬ寸前になってしまったらしい。
「沢村さん!?」
「サワ!」
「サワッち、大丈夫っスか!?」
痛みはまったくなくなってくれたけれども、押し寄せてきた疲労感と死にかけた事実は、親方の作った薬でもどうにもならないことらしい。
わたしが道端で気絶している間に九月の前半まで休むことと、殺しかけた飛竜の主から、たっぷりと慰謝料をもらうことが決まった。