10話:初めてのハローワーク 前編
「ええと……」
出勤していた時のように、朝起きて支度をしたら駅に向かう。
けれど会社に行くのではない。反対側の電車に乗って、人生初のハローワークに行くのだ。
退職してから十日後。ようやく離職証明書なるものが自宅に届いた。
これが意外と大きな封筒で、聞いていたけど会社からじゃなくて、社労士さんの名前が書いてある封筒だったから混乱してしまった。
「郵便受けに入らなくて、向こうも困ってたな」
っていうか年末の平日の昼前という時間に家に普通にいるわたしに、大丈夫かと心配するような瞳を向けられてしまった。
……大丈夫ではないが、まあまあ生きてるよ。うん。
『離職届が来たのなら、ハローワークへ行くべし』
RPGみたいな、アイテムを手にしたら次はここ!っていうように、退職した日に聞いたことを忠実にこなしていくわたし。
「そういうわけで、今日はハローワークに来ました」
人生初ですからね。
よおし、頑張るぞーって、言いたいところだけれども。
……すでに迷っている。ここはどこだ。地図、プリーズ!
「ええと。入り口はここでいいのかな?」
年末だからか古いからか、ハローワークの建物全体が工事していた。
看板はあっても建物自体が覆われていたら見えないっていうのに……。初心者に優しくないとは困ります。
「失礼、します」
近付いたら、何人かが普通に行き来をしていた扉を自分も押して入って行くことにする。
しかし、ここからがわからん。
「……」
入ってすぐの真正面では、何かを見ている人たちと壁に貼られた大量の紙。
右側はかろうじて階段が見えるけど、左側にはまた別な扉が見えるなあ。
「あ、こっちでいいのか」
『受付はこちら』という文字が見えたことで、小さく安堵しながら左の扉を開けていく。
「ええええと……??」
入ってすぐの真ん中には、何かを書くテーブル。左側には大量のパソコン。
奥の天井付近には、それぞれの窓口らしき文字と番号が並んだ掲示板。
両脇にはずらっと番号と窓口の名前が書いてある札がぶら下がっているけれど、わたしは一番最初にどこに行けばいいんですかね?
地図の次は、目印ください!
首を傾げながらぐるっと見渡して、入り口に最も近い右側手前に、総合案内所という文字が見えた。あ、ここだな。
「すみません。離職届を持ってきたんですが……」
「はい。では、こちらの用紙に記入をお願いします。そちら、真ん中のテーブルをお使いください」
「は、はい」
当たり前だけど、慣れているのかサクサクと次のミッションが手渡された。
っていうか、手際が良すぎる。当たり前なんだけど。
わたしが封筒の中身を丸ごと渡したら、離職届以外に入っていた源泉徴収票やら書類やらをサッと分けていく。
その中から一つだけ抜かれて、それが離職証明書なのだとわかった。
「……ああ、こちらの地区の方ではないのですね。では、こちらの用紙にも記入をお願いします」
「わかりました」
「お住まいの地区の管轄ではありませんので、手続きが少し面倒になります。場所がわからなければご案内いたしますが……」
住所を見て、近いことがわかってくれたみたいだけど。
本来なら、住んでいる地区のハローワークに行くことが普通だ。ここで手続きをしてもいいけれど、ちょっと時間が掛かるから、正しい場所を教えようかと控えめに尋ねてくれた。
一応、ここに来る前に考えたことだもんね。
ニコリと微笑んで、問題ないことを伝えよう。
「住んでいるところから、なるべく近い場所で次の就職先を探したいと思います。こちらだったら、隣りの地区の情報も入ると聞きました」
「では、こちらの用紙の記入もお願いします」
「はい、わかりました」
そうして渡された三枚の用紙。次のミッションは書類ですね!
……ええと。記入って、ここに記入か。
入ってすぐの正面、部屋の中央付近にあるテーブルに向かって行きながら、書類と一緒に渡された鉛筆を手に取って読み進めていく。
ふむふむ、ええと?
一番立派な紙は、名前や住所なんかの基本的なことを書く用紙らしい。
この内容がハローワークに登録をされる、と。
「あ、書き方の見本があった」
目の前の見本を参考にしながら、鉛筆で記入をすればいいわけね。なるほど。
初心者には助かるシステムですね。
住所なんかの基本情報は書く欄が多いから、まずは丸を書くだけの簡単な方から片付けることにしようか。
「『雇用保険受給資格確認票』っと。ここには退職した翌日から今日まで、収入の有無を問わず、仕事をしたかどうか書けばいいのか」
ふんふんと確認しながら、退職翌日から昨日までを思い出す。までもなく。
家でゴロゴロしておりました、はい。
「ん?”退職した事業所に一定期間後、再び採用される予定があるかどうか”?……ないよ、ないない」
事業を縮小する都合で肩を叩かれたんだから、岸さんみたいに成績優秀じゃない限り、これは絶対にあり得ない。
「っていうか、送別会に餞別までもらって出戻りって……。ないな」
さらに就職が内定しているとか、自営の準備をしているとか。
そんな事が決まっていたら退職しなくない?いや、新しい事業をするってことで辞めるのか、なるほど。
でもそれは、とても特殊な例じゃないのかな。これは一体、どういうアンケートなんだろう?
いや、『雇用保険受給資格確認票』、なんだけどさ。
首を傾げながら、一つ一つに”はい”か”いいえ”に丸をつけていく。
「病気やケガもしてないし、学校にも通ってない、と」
そうして最後の、『今後の就職について』。
「”自分に適した仕事があったら、いつでも就職できます”。ええと、一週間に二十時間以上の就労条件が、就職ということになるのか。……うん、こっちに丸だね」
今までずっと”いいえ”だったけど、就職する気はあるもんね。
「よし、もう一枚も片付けよう」
うんうん。最初はどうなるかと思ったけれど、これなら登録もアッサリできるんじゃない?
「ん?」
あ、もう一枚、別な用紙があった。小さかったから見逃していたよ。
っていうか念を押してまで渡されたのに。……受付のお姉さん、すみません。
「これは……。ああ、管轄外から来たからか」
ふぅん、こんな用紙にも記入しないといけないんだ。
わたしが住んでいる地区のハローワークは、結構な時間が掛かる場所にあって。それなら電車で二駅のこっちでも良いんじゃない?という安易な気持ちで来たのだけれど。
「こっちの地区の就職が中心になっても良いかってことか。近い方が助かるから、丸だね」
それと、このハローワークで就職相談をしていくことでいいかという質問は。
「うん、丸丸」
よし、ようやくもっと細かい用紙に取り掛かることができるぞ。
「……」
もう一枚は『求職申込書』で、これがまたとんでもなく厄介な代物だった。
名前や住所に連絡先は、まだいい。
希望の職種に、希望の労働時間帯もいいとしよう。
最終学歴はちょっと昔すぎて計算しながら振り返ったけど。まあ、これもよし。
しかしこの、一番下の”経験した仕事内容”を書く欄。
「ええ?”経験した仕事内容を詳しく書いてください”??」
退職の理由や勤務期間もわかる。
けれどこの、仕事の内容を詳しく書けと言われても困る。
わたしが十年以上やってきた仕事内容について、頭を抱えながら詳しく思い起こしている間に、サクサクと何人もの人が同じテーブルからいなくなってしまった。
「まずい……。いやしかし、きっとこれが登録の基本になるんだよね?」
途中で思い出して書き換えるとかは無理な気がする。けれど今ここで仕事の内容を詳しくとか言われても、まったくまとまらなくて鉛筆が止まってしまう。
だってあれよ。お茶出しとコピーが主な仕事内容ですよ?
それ書けばいいのか?なんか違う気がするんだけど、どうなんですかね。
「……」
目の前の見本を見ても、そんなにハキハキ書けることはしていない。
資格とか言われても、パソコンは触っていたけど表計算とかは経理の人が作ってくれたものを使っただけだしなあ……。
ハローワークに来て、早十分。
わたしはやっぱり、なんにも持ってない、何もやり遂げていない成果もない人生だったことに気付いた。
「はあ……。とりあえず、これでいいかな」
見直しても、これでいいのかよくわからない用紙だ。でも、これがわたしの十年ちょっとなんだから仕方がない。
総合案内所の窓口に戻って、用紙を渡そうとして立ち止まる。
ああ、違った。中が見えないファイルも渡されたんだった。
まとめて受付箱に入れたら、今度は窓口の名前と番号が書いてある、レシートのような紙が渡された。
「この番号で二度、呼ばれます。それぞれの窓口へ向かってください」
「はい?」
二度ってなんだ?
よくわからないけれど、二度って言うなら二回呼ばれるんだろう。
首を傾げながら渡された紙を見れば、『雇用保険受給の手続き』って文字が書いてある。
「じゃあ、最初はこの窓口に行けばいいのかな?501って呼ばれるまで待てばいいんだよね」
はあっと大きな溜息を吐きながらソファに座って、やっとじっくり周りを見やる余裕が出てきた。
年末だからか、短期のお仕事とか急な人員確保とかで来ているのかな。雰囲気もだけど、入れ替わりが激しくて、全体的にバタバタしている気がする。
あちこちで漏れ聴こえる内容に、社長っぽい話し方の人や、今年中に何とか職に就きたいっていう切実な声まで響いていた。
「……」
そうだよね。わたしみたいにのんびり暮らしていても、ある日突然クビになるんだもんなあ。
クビと言われた時がアッサリすぎて、ドッキリか何かだと思ったくらいだ。
けれど現実に、わたしはこうして離職届を持ってハローワークに来ていて、今は次の手続きの順番を待っているところ。
わたし、無職になったんだなあ……。
ポーンという音がしたと思ったら、機械の声で番号が告げられていく。
「あ、はいはい。ええと、最初は保険の手続き、と」
顔写真付きの身分証明書がここで必要なわけね、ふんふん。
車は持っていないけど、免許証は持っている。
会社の車をたまに運転するだけだから、あんまり使うことはなかったんだけど。それでもこういう時、とっても役に立つから助かるわ。
あ、そっか。マニュアル免許も資格の一つだね。
さっき書いたばかりなのに、すっかり忘れていたよ。
「では、こちらの用紙に記入をお願いします」
「あ、はい」
っていっても、すでに記入されている事柄に間違いがないか確かめて、『同上』と書いたらサインをするだけで終わりというお手軽さ。
大丈夫かな?
「”不服がある・なし”のところは、どちらかに丸を書いてください。終わったら、フルネームをお願いします」
「わかりました」
不服はね、出そうと思えば色々あるけど。
そういうものはすでに消化して終わったことです。『なし』に丸を付けますよ。大人ですから、はい。
「判子はいりますか?」
「フルネームだけで結構ですよ。では同じ番号が呼ばれますので、今度は職業案内の窓口へどうぞ」
「はい。お手数おかけしました」
ぺこりとお辞儀とお礼を伝えたら、ソファへ逆戻り。
……ふう。次々と新しいことだらけで目まぐるしいなあ。




