9話:無期限の長期休暇
「……ヒマ、だなあ」
年末まで半月以上あるというのに、換気扇も冷蔵庫の下も、1LDKの小さい部屋の中はすべて掃除が終わってピカピカだ。
「あと、何をすればいいんだろう」
そんなピカピカな部屋の真ん中に一人。
大の字に寝転んだわたしは、ひたすらぼけーっとしていた。
みなさん、こんにちは。沢村あゆみです。
十年以上、勤めていた会社からクビを宣告され、先日とうとう最後の日を迎えた三十五歳、独身です。
一人暮らしの、独身です。……何で二回言った、自分。
会社最後の日が金曜日だったこともあり、週末はいつも通りに過ごしました。
次の週末までの食材の買い込みや、本屋に行ったりランチをしたり。
そんなのんびり週末明けの月曜日は市役所へ行き、とても大事な保険証と年金の手続きを済ませて少しバタバタしたくらいです。
いやー、ビックリした。
なに、あのぺらっぺらのうっすい保険証は?
そりゃあ無料で透明なカードケースに入れてくれるよ。入れてもらわなかったら確実になくす。それくらいに存在感がない。
会社の名前が入っていた、クレジットカードのような厚みと存在感のある保険証との違い……。
歯医者くらいにしか使わなかったけど、もっと他の違いもあるんだろうな。
保険証だけでこんなに違うんだとわかったら、無職の現実が急に襲ってきた。
「そうなんだよね。もしも今、事件を起こしたり死んだら。住所はしっかりしてるけど、“会社員の~“じゃなくて、“無職の“って言われるんだもんね」
職なし貯金なし恋人もなし。家族はいるけど両親のみ。
「結婚に夢はないし、相手がいないことも別にいいけど」
保険証の再発行手続きの時、両親は生きているんだから知らせないといけないのかなと不思議に思ったけど。
「親の扶養に戻るなら連絡しないとって、冷や冷やしたんだよね」
けれど尋ねたわたしに返ってきた言葉は『一緒に住んでいないのでしょう?そもそも一人暮らしなら、あなたが家主です。ここでご実家に戻られるなら別ですが』というアッサリとしたものだった。
「……そりゃそうだ」
結婚もしてない、子供もいない。
つまり誰かの扶養になっていないし、扶養する人もいない。
「ザ・一人!」
「……」
堂々と言うことではないな、うん。
そんな感じで、保険証に関することは終わった。
っていうか書類を書いたらサクサクとその場で作ってくれて、にこやかに「はいどうぞ」と渡されて終わりだった……早い。
あまりにも早すぎて、何かしておくこととかないかと訊いた返事もアッサリ。
「何もなくていいけどさ」
もうちょっとこう、面倒くさいと思って気合いを入れたわたしの気持ちをどこにやればいいのかっていうね。
「面倒なのは年金だもんなあ」
はあっと溜息を吐いたら、ゴロゴロと転がっていく。
元々、物は少ないけれど。大掃除ついでに終活っぽいことまでして、さらに物が少なくなったから転がりやすい。
「あいたっ」
それでも無限に続く広い部屋じゃないから、すぐに壁にぶつかるんだけれども。
ぶつかった額をさすりながら……いや待て、鼻!鼻だから。
低すぎて額が先にぶつかったんじゃない、角度的に鼻よりも先に額がぶつかっただけだ。
「……まあいいや」
誰に言い訳をしてるんだ。
こういう、独り言もかなり増えた気がするなあと思いながら、額と鼻をさすって起き上がる。
保険証の再発行は、前述の通り。超簡単スピード発行で、逆に大丈夫かと疑ったくらいだ。
しかし年金はそうもいかない。
「まあねえ……。前払いできる四月までの四ヶ月分の金額を見ると、うかつに旅行の予定を入れなくて良かったって思ったよ」
市役所から渡された、年金に関する簡単な資料を見ながら。やっぱり早めに次の職を見つけないといけないことがわかる。
十一月末に辞めたわたしは、十二月から自分で支払わないといけない。
これは覚悟をしていたからいいんだけれど、就職が決まるまで毎月支払いだから地味に痛い出費になる。
「会社にいた頃は、住民税とかと一緒に最初から引かれていたからなあ」
毎月、一万五千円以上の支払い義務ってやっぱりキツイ。
それなら少しでも安くなる一括払いにしちゃうかと金額を見たら……。
「十万超え……」
せっかく後輩ちゃんが声を掛けて集めてくれて、旅行券を贈ってくれたのに。
無職の身で旅行など、贅沢しすぎだと気付いて床に突っ伏している。
「はあ……世知辛い……」
結局、ゴロンと大の字で寝転がるしかない。
経理の人がちゃんとしてくれていたからだろう。週明けに記帳したら、きちんと退職金が振り込まれていた。
会社の名前で振り込まれた中では、過去最高の金額で。そのまま、例の回らないお寿司屋へ駆け込みたくなったくらいに浮かれてしまった。
「急に大金を手にいれるとダメだな。そもそも一食だけじゃなくて、これから次の就職先が決まって給料が振り込まれるまでの毎日、ご飯は必要なんだから!」
手続きにお金が掛からなさそうだけど時間が掛かるかもと思って、先に市役所に行っておいて良かった。
これから支払わなければいけない年金の金額を思い出して、“引き落とし“ボタンを押す手が見事に止まったもんね。
「はあ……、危なかった」
家計簿はつけていないから、毎月食費にいくら掛けているのかはわからない。
「週末は必ず外食だし、給料日にお寿司屋さん行ってるなら結構使ってるよね?」
お気に入りのパン屋は何件もある。ケーキ屋にパスタ屋だってある。
毎月欠かさずに行っているところは、回らないお寿司屋さんくらいでも。
「んー……?でも、仕事帰りにぷらっと寄ったりはしてたよね?」
日記代わりの手帳を開いたら、週に何回も食に関する店に通いつめていたことがわかった。
「……マジだ」
とある週はパン屋にパスタ屋にカツ丼と、かなり食べ歩いている。
「あー!カツ丼の帰りに季節限定丹波栗のモンブランまで買ってるし!!」
何個限定という文字には踊らせられないけど、この季節にしか食べられないって商品には弱い。
そして今までケーキ屋さんに行って、ケーキ一個で済ませたことがないことにも気付いて頭を抱えた。
「わたし、一人!一人でケーキ、一個以上いるか!?いる!!」
季節限定のモンブランに、久しぶりだからと定番のショートケーキ。さらに焼き菓子までって買いすぎだから!遠慮しろ、この日の自分っっ!
「はあ……」
今までの無計画すぎる財布事情が発覚して、どうしてくれようかと思っても。
「美味しかったから、いいや」
そう、美味しいは正義だから仕方がない。
「……」
ダメだこりゃ。
それでもさすがにこれからの出費を考えて遠慮をして、甘いものは買ってないんですよ。これでも。
まあ、チョコレートは別ですけどね?だって、冬と言えばチョコレートの季節!イエイッ!
「……アホ!!」
イエイじゃない、イエイじゃ!
「まあ、いいや」
一人ツッコミも疲れてきたから、そろそろ置いておこう。部屋の隅とかに。
それからどうしているかといえば、大掃除。
そしてピカピカの部屋、無職の自分。つまり、ほら、ご覧の通り。
「やることが、ない」
……そう。ないんですよ。
ついこの間まで、平日の五日間は朝から仕事。
土日祝日は、念入りに掃除をしたり外食したり。本屋と雑貨屋を回ってみたりと地味ぃーな生活を繰り返していただけのわたし。
……そう。
クビになって、こうして仕事に行かない日ができて気付いたんです。
「わたしって無趣味」
と、いうことに。
しかし時は年末、つまり大掃除の時期。
これ幸いと、大掃除という名の暇潰しができたのは二日くらい。
「一人暮らしの1LDKだもんなあ」
実家は両親しか住めないような、小さな家への建て直しが決まっていたことで、持てるだけの物だけを持って一人暮らしをスタートしたことが始まりだ。
さらに友人も少なく彼氏もいない無趣味なら、物が増えるわけがない。
本は小さな本棚に入る分だけ。雑貨はほとんど見て満足。
「それで何で貯金がないんだろう?」
答えはわかりきっている。食べることに妥協しないからだ。
「はー……。回らないお寿司、次はいつ行けるんだろう」
給料日に毎月行っていた、回らないお寿司屋さん。
時価が多いお品書きの中で、唯一、金額が書かれているおまかせセットを食べることを楽しみに仕事をしていたのに。
それ以外でも、チョコにケーキにと週イチで買ってれば、そりゃあ貯まりそうな地味な生活なのに貯まらないよね。
ということは、さっき散々突っ込んだから置いといて。
「寒いから暖房はつけたい。でも、お金が掛かる」
これで洗濯を乾かすという理由でもあれば、一日中、つけっぱなしでも言い訳はできるけど。
「外に出ても、お金は掛かるもんなあ」
昼は今まで通りに弁当を作って、外で食べればいいやって思ってたけど、意外と外で食べるにはハードルが高かった。
「図書館の喫茶店も考えたけど、結構混んでるんだよね」
さらに冬。インフルエンザに掛かっても、職場の人や家族に移すかもって心配はいらなくても、食材がないと確実に死ぬ一人暮らし。
買い出し、大事。とっても。
「普段から予防と備蓄はしてても、こればかりはわかんないもんね」
けれど掃除は飽きたし読みたい本は今はない。
「離職届が来れば、ハローワークに行けるんだけど……」
一週間前後で届くって聞いたけど、すでに飽きてきた現状に困っている。
かといって、ハローワークに見学に行くというのも何か違う。
「んー、よし!せっかくの無期限長期休暇だ」
履歴書の文字が綺麗に書けるように、漢字を忘れないように。
「文字の練習と、この際だからヨガもきちんとしてみようかな」
次の職場がどんなところでも、文字は書かないといけないだろうし、何より体力は必要だ。
結局、家で待機っていう状態だけど。
「まあ、いいや」
住み心地を良くすることに頑張った部屋だもん。
休みの日も外出していて、こうしてじっくり家にいたことが少ないんだから。
「お部屋感謝デー……違うな。家愛好週間?」
月間や年間にならないように、再就職頑張るぞ!
「……ん?履歴書って、どう書くんだっけ」
文字の練習帳と一緒に買った履歴書の項目を見たら、学歴と職歴以外に書くことがないと気付いた。困った。
「面接はあるよね?今ってどういう受け答えするの?」
就職に必要な二つのとても大事なことを、すっかり忘れているわたし。
だって十年以上昔に、一回やったきりだもんね。
「……」
もうすぐ三十六歳。現在、無職。
「ハローワークで教えてくれたりするのかな?」
就職の前に、おさらいをしないといけないことが多すぎる。