かわいい寝顔
ルンルンルンと、ルンルン気分でサーシャとお手々を繋いで歩く。
「今日は天気が良いね」
「はい! とってもとってもいいお天気です!」
「あ、ほらサーシャ。あんなところにモフモフウサギがいる」
「え、モフモフウサギ? 私、モフモフウサギ見たことないです! たしか、とってもかわいいんですよね! モフモフどこですか?」
「うーん、遠くにいるからサーシャの身長だと見えないのかな? そうだ。こうすれば、っと」
「わわっ。高いです! 遠くまでよく見えます!」
「ははは、これは肩車って言うんだよ。ほら、モフモフウサギはあそこだよ」
「あ、見えた! 見えました! わ~、本当にもふもふです。かわいい~!」
「隊員さん、向こうにゴブリンが三体いますよ」
「本当か? ちょっと見てくる」
「すごいな。ヨシトの言う通り、ゴブリンが三匹いたぞ。どうしてわかったんだ?」
「ヨシトお兄ちゃんすごい! どうしてわかったの?」
「生まれつき耳が良いんですよ」
「へ~、そうなのか」
「お耳がいいの、すごいです!」
「今日のご飯は何かな? サーシャは何が食べたい?」
「えーと、えーと、あ! オムライス!」
「オムライスかぁ。じゃあ作れるかどうか訊いてみようか。……隊員さ~ん、オムライスって作れますか?」
「おう、作れるぞ」
「じゃあ、この後のご飯をオムライスにしたりなんかは……」
「食べたいのか? 何人分だ?」
「とりあえず三人分を」
「三人分だな。任しとけ!」
「ありがとうございます。……よかったなサーシャ、オムライスが食べられるぞ!」
「本当ですか!? 楽しみです!」
一糸乱れず進む隊列の後方に組み込まれた俺たちは、どんどん先へと進行していく調査隊員たちについて行きながらのんびりとピクニックを楽しんでいた。
南門前で調査隊の面々を目にした時は「ピクニック気分なんて言ってられる感じじゃないな、これは」と思ったが、実際に出発してみると思ったよりも物々しい感じにはならなかった。
調査隊員たちは足並みこそ揃えているものの、意外と規律は厳しくないらしい。
おしゃべりをしたり唄を歌ったりと結構自由にしていて楽しそう。
俺たちのそばにいる隊員たちも気さくに話しかけてくれるし、居心地は悪くない。
となれば、これはピクニックをするしかない。
八十の鎧による重奏はガチャガチャとうるさいし人数も多いから隊員たちの話し声も相応のうるささ。
しかし、笑い声も溢れているおかげか、どこか小学校の遠足を彷彿とさせる騒がしさ。
俺は、何も言わず笑顔でついてきているアリアを無視して、サーシャとピクニックを決行することにした。
「ヨシトお兄ちゃん、ピクニック楽しいです!」
「そうだな。俺も楽しいよ」
とびきりの笑顔のサーシャ。
初めての町の外での依頼や大人数でのお出かけということも合わさってか、サーシャはずっと楽しそうにしている。
なんとなく、いつもより幼いような気もする。
やっぱり、子どもは子どもらしくしているのが一番。
サーシャが笑っていると俺もうれしいし、この依頼をきっかけにサーシャの子どもっぽい部分がもっと前面に出てきてくれるようになればと思う。
「ヨシトさん、目的地まではどのくらいかかりそうですか?」
「そうですね……。このペースだと明日の夜までには着くと思います」
「わかりました! 隊長にそう伝えてきます!」
前方から駆け寄ってきた伝令役の隊員に返答すると、彼は俺に敬礼のようなポーズをとった後そのまま踵を返していった。
俺が言った内容を先頭付近で指揮を執っているダリアさんに伝えに行ったのだろう。
だろう、というか、本人が「隊長にそう伝えてきます!」って言ってたし。
俺が到着予想時刻を教えたことによって多少はペースが変わるかと思っていたが、その後も進軍速度に変わりなし。
目的地までの四分の一ほどの距離を歩いた頃、周囲に背の高い草が存在しない見晴らしの良い草原の上で昼食を頂くこととなった。
「え? 今からオムライスを作ってくれるんですか?」
「ああ。そこまで手の込んだ料理じゃないからな。どうする、作るのは夜にするか?」
チラリとサーシャの方へ目を送りながら訊いてくる隊員。
すぐ後ろにいるサーシャの顔を見ると、その顔はオムライスへの期待でキラキラと輝いていた。
これは夜まで待てそうにないな。
「今すぐお願いします」
「おう! とびきり美味しいのを作ってやるからちょっと待ってな!」
キラキラ顔のサーシャと目が合ってしまった手前断ることのできなかった俺に、心地良い返事を返してくれる隊員。
このフランクさは嫌いじゃない。
変に堅ッ苦しい敬語で話されるよりかだいぶ気が楽だし、このくらいの距離感でいてくれた方が話しかける時に遠慮せずに済む。
鍛えられた身体を見ているとおそらくこの人も兵士か騎士なのだろうなとは思うが、どちらかというと出店の気の良いおっちゃんと言った方がしっくりくる印象。
祭りなんかにはあまり足を運んだことがないし、出店に気の良いおっちゃんがいるというのは漫画やアニメから仕入れた知識でしかないが……。
いかん、いかん。
少しナーバスになりかけてしまった。
祭りなんて小学校を卒業して以降一度も誘われなかったからな。
小学校の頃誘ってくれた奴らとは中学に上がってから付き合いがなくなってしまったし……。
会わなければ切れてしまう縁もある。
そんなことにならないよう、今ある繋がりは大切にしていかないとな。
「ご主人様、オムライス楽しみですね」
草の絨毯の上に座りながらにこにこ顔でそう告げてくるサーシャ。
鼻唄を歌っている姿が大変可愛らしい。
っていうか、この世界にもあったんだな鼻唄。
この世界に来てから聞いたことあったっけ?
「ご主人様じゃなくてヨシトお兄ちゃんでいいぞ。今日のサーシャはメイドじゃないからな」
「あ、そうでした」
食事時にはメイド姿でいることが多かったからか、メイドスイッチが入ってしまっていたサーシャにそう告げる。
えへへと笑うサーシャも可愛い。
ちなみにウチでは大した用もなくメイドから主人に話しかけることを悪とはしていない。
ウチのメイドは正式なメイドではなく正確にはメイドもどきだからな。
メイドから話しかけるのも良しとしている。
むしろ推奨している。
可愛い美少女メイドからならバンバン話しかけてもらいたい!
もちろん、この依頼中はできるだけ冒険者のサーシャとして扱うつもりだが、サーシャがメイドになりたいというのであればそれもやぶさかではない。
喜んで主人としての対応をしよう。
「できたぞ。持ってってくれ!」
隣から聞こえてくるサーシャの鼻唄に聞き入っているうちにオムライスが完成したらしい。
ふんわりとタマゴの良い匂いが香ってくる。
はて、オムライスというのはこれほど美味しそうな匂いがするものだっただろうか?
タマゴのやさしい香りが鼻を刺激してそのまま腹まで抜けていく。
オムライスを早く食べたいなんて子供の時以来思ったことなかったのだが。
材料が異世界産だし、その違いかもしれないな。
「サーシャ、一皿運ぶのを手伝ってくれ」
「はい!」
三枚の軽い木皿の上に置かれた三つのオムライスを俺が二枚、サーシャが一枚受け持ち、アリアのいる場所まで運んでいく。
草の上に腰を下ろすとサーシャは当然のように俺の前へと皿を置く。
それを見越して俺もサーシャとアリアの前に自分の運んできた皿を置く。
アリアからの「ありがとうございます」という言葉に「おう」と適当に返事をしながら目の前に置かれた皿の上に鎮座するオムライスを食い入るように見つめる。
匂いだけでわかる。
これは美味い。
サーシャも待ちきれない様子で俺の方を見ているし、さっさと食べ始めるか。
このパーティでの食事は俺が合図をとることになっている。
俺が手を合わせると二人も両手のひらをぴたりと合わせ、それから三人で声を揃えて「いただきます」。
これがいつものやりとり。
今日も今日とて三人の声が綺麗に揃う。
意外にも、この何でもないような一連の動作が俺は好きだ。
誰かと一緒に食事している。そのことを強く感じられるからだろうか。
サーシャと二人、あるいはサーシャとアリアと三人で声を合わせるたびに胸の内にほっこりとした気持ちが湧き上がり、自然とほんの少しだけ口角が上がってしまう。
いつものようにほっこりとした後、いつもとは違い素早い動きで皿の上のオムライスを一口掬う。
今日はいつものようにこのほっこり感に浸るような真似はしない。
それほどまでに俺の身体がオムライスを欲している。
舌が、喉が、胃が、早くそれを寄越せと俺の腕を勝手に動かす。
右手に握られた木匙が一口分のオムライスを一瞬のうちに口へと運ぶ。
なっ、バカな、これはッ!
そう叫びたくはならないが、美味ーーーーーーいと叫んでしまいそうになるほどの爆発力。
タマゴとライスのほのかな甘みが絶妙にマッチしている。
ふわとろの半熟タマゴが舌の上でなめらかに踊り、やさしい味なのに、インパクトが凄い。
口の中に楽園が生まれたかのような心地よさ。
気道を通って鼻に抜けていく香りも温かくまろやか。
匂いが美味しい。
オムライスとはかくも素晴らしいものであったかと称賛したくなるほどの味。
「おいしい!」
「ええ、大変美味しいですね」
二人も表情をほころばせ絶賛している。
「うん、美味しい」
つい叫んでしまいそうになる気持ちを抑えつつ、俺も感想を言う。
二口目。
舌の上で適度にバラけるライスがとろりととろけるタマゴと合わさりやわらかくも噛み応えがある。そんな食感を演出してくれる。
今までオムライスのタマゴはふわとろよりもふわふわ派、とろりとした食感はライスの味を阻害してしまい邪魔だと思っていたが、ふわとろも案外悪くない。
とろとろと落ちていくタマゴ。
喉を通り胃へと伝わった熱が身体をぽかぽかと温めてくれる。
熱さに。はふはふ。
タマゴに、はむはむ。
食べ進めていくうちに食べるのにちょうどよい温かさになっていくオムライス。
全体の三分の一ほどを食べ終えた頃、熱さが温かさへと変わり、そこからは早かった。
サクサクと黄色い大地を掘り進めていくスプーン。
黄色い大地の下から現れるオレンジの地層が見た目にも味にも彩りを与え、それらを口に放り込むたびに謎の征服感と達成感、満足感が得られる。
最後の一口。
さあ、これで地殻はすべて引っぺがした。
次はマントル、そして核だ。
木皿に向かって木匙を振り下ろす。
コン、と音が聞こえたところで夢から覚めた。
なぜか途中から星を解体しているような気分になってしまっていたが、俺は星を解体していたわけではない。
俺がしていたのは食事だった。
地殻だと思っていたものはタマゴとライスだし、その下には何も存在しない。
強いて言うなら、木皿という名の小さな宇宙が存在しているだけ。
気付いたときには俺はすべてを食べ終えてしまっていた。
ライス一粒たりとも皿の上には残っていない。
夢から醒めた後の虚無感。
胸に確かにある満足感とは別に、なんともいえない寂寥感が俺を襲う。
もっとゆっくり味わって食べればよかった。
何も乗っていない木皿を呆然と見つめ、腹の中に残る温かさに後悔の念が浮かび始めた頃――
「おーい、追加ができたぞー。おかわりするかー?」
少し離れた場所から聞こえてきたそんな声。
その声に、俺は一も二もなく飛びついた。
あのあと追加で二皿。
二皿目をサーシャと半分こしながら食べ終え満足した俺は、料理人の腕を褒めつつ皿を返却してから食休み中のサーシャとアリアの元まで戻った。
「おいしかったですね!」
「そうだな」
まだ興奮冷めやらぬといった感じでオムライスの感想を伝えてくるサーシャに笑顔で返しながら、俺もうっとりとあの味を思い出す。
味もさることながら、それを食べたサーシャの反応も良かった。
もぐもぐと、オムライスを次々に口に入れていくサーシャ。
頬袋のように膨らんだ両頬と笑顔いっぱいの元気な様子がキュート&キュートだった。
まだ食べ足りないけどそんなにたくさんは食べられないからと、恥ずかしそうに俺の三皿目を分けてもらいに来た姿も大変グッド。
お腹いっぱいにして満足そうにしている姿は百点満点中一億万点。
愛くるしすぎて満点という概念を軽く崩壊させてしまったほどだ。
特に、頬に手を当てながら目をぎゅっと瞑っているサーシャがすごく可愛かった。
漫画ではよく見る顔演出だったが、現実で見たのは初めてかもしれない。
そんなに噛み締めるほど美味しかったか。
それはよかった。
そんな感じで盛り上がった休憩もダリアさんの指示によって終わりを迎える。
再び開始される移動。
お腹いっぱいになって眠くなっちゃったらしいサーシャをおんぶしながら目的地へと向かって歩く。
サーシャはせっかくの外での初依頼だから最後まで自分の足で歩きたいと言ってきたけれど、それはやめさせた。
俺の中でサーシャに無理をさせたくないという親バカ心が働いたからだ。
寝る子は育つ。子どもは寝るのも仕事の内。
目的地に着いてからが本番だよと言ってサーシャをたしなめ今の形に落ち着いたが、実際のところは二日前に考えたこの依頼中にサーシャが痛い目に遭うかもしれないという杞憂を心配してだ。
疲れていると身体の動きが悪くなるし、咄嗟のことへの対処も遅れる。
攻撃された時のダメージも平常時より大きくなりやすく、逃げなくてはいけない場面で足が動かないなんてことにもなりかねない。
杞憂だとは思う。杞憂だと思ってはいるが、もしも本当にそうなったらと考えるとサーシャをふらふらの状態にするわけにはいかなかった。
フェンリルを倒したという魔物の正体がわかり、この件を片付けるまでは一切の油断も許されない。
サーシャの体調にも気を遣い、万が一にも身体機能が低下した状態で敵と遭遇しないように注意する。
無論、ピクニック気分にありながらも俺の耳は周囲への警戒を忘れていない。
この子は必ず守る。
腕に感じる重みが増し、先ほどまでうとうとしていたサーシャが俺の背中の上で完全に寝息を立て始めたのを聞きながら、俺の方もサーシャから感じる温かさへと己の心を全力で寄り掛からせた。
サーシャが寝ていたため周りの隊員たちも静かにしてくれ、休憩後は誰からも話しかけられることなく、誰の話し声が聞こえることもなく、たまにダリアさんの指示とそれに対する隊員の返事が聞こえたくらいでその他はただただ静かに行軍が続き、日が落ちて少しした頃に今夜の野営地へと辿り着いた。
今夜の野営地は当初予定していた野営地よりもだいぶ先。
サーシャが寝ていたために行軍速度が上がり、ついでに夜間の移動も行えたために出発前に決めていた野営地点を通り越し、予想よりも大幅に前進することができた。
いくつか伝えていた野営候補地の中でも一番目的地に近い場所まで進むことができた。
これなら明日は日暮れ前に目的地へ辿り着けるかもしれない。
調査隊の面々が野営の準備を始めたのを眺めながら邪魔にならない位置に腰を下ろす。
魔法の光球がいくつも宙に浮いているおかげで夜なのに明るい。
あれはいつのことだったか。
たしか、小学五年生の時だったかな?
学校行事で泊まりに行った宿泊先の近くで夜間にテントからぶら下げられた照明の下バーベキューをした時のことを思い出す。
あの時のライトの明かりよりも目の前の明かりの方が自然で暖かみがあるが、夜間の野外で光の下、大人数がワイワイガヤガヤしているのを見るとあの時のことを……なんだか、懐かしく思えるような楽しい思い出は小学生の時のことばかりだな。
中学、高校、大学は思い出すことがないほど寂しい学生生活だったのかと不安になってくるじゃないか。
「サーシャちゃん、よくお眠りみたいですね」
「朝からすごく張り切って、興奮もしていたからな。疲れが出たみたいだ」
あぐらをかいた太ももの上にサーシャの頭を寝かせながら中高大の頃の記憶を掘り起こそうとしていると、アリアが隣へやって来た。
アリアに言葉を返しながらサーシャに目を向ける。
「ふふっ、かわいいですね」
「そうだな。サーシャは可愛い」
サーシャの頭をひと撫で。
すー、すー、という規則正しい可愛い寝息が聞こえる。
「そうしていると本当の兄妹のように見えますよ」
「まぁ、俺は本当の兄妹だと思って接しているからな」
「父親のように接しているときの方が多いように見受けられますが?」
「それはそれだよ。とにかく、サーシャは俺の家族なんだ。こんなこと言うと、変だと思うか?」
「いえ、素晴らしいと思います。それも一つの愛の形です」
いつも通りの愛信者っぷり。
今日は道中やけに静かだったから具合でも悪いのかと思っていたが、自重していただけか?
…………そういえばコイツ、俺よりも友達少ないんだったな。
見知らぬ人に囲まれて借りてきた猫のようになっていただけかもしれない。
なんにせよ、俺としてはアリアが静かだと心中穏やかな気持ちでいられて大変助かる。
とりあえず、コイツが愛について語り始める前に話題を変えるか。
「魔法って便利だよな」
「便利だとは私も思いますけど、突然どうしたんですか?」
「いや、こうして魔法の光の下でさ、道具を作るために魔法でそこら辺にある土を加工したり、飲み水や身体を拭くための水なんかを魔法で作りだしたりしている姿を見るとさ、なんかすごいなぁ、って」
この世界に電化製品はない。
探せばどこかには存在しているのかもしれないが、普及はしていない。
魔道具という電化製品の代替品はあるが、俺の知ってるライトの魔道具は広い範囲を照らせるものではなかった。
夜間に百人分の野営準備をするためにはライトの魔道具が大量に必要になるがそんなにたくさんの魔道具を運搬している様子もなかった。
だから日が暮れ始めてから先ほどまでずっと、野営の準備を始めなくて大丈夫なのだろうかと思いながら歩き続けていた。
しかし、この光景を見て納得だ。
俺は自身が魔法を使えないから何かをするには魔道具か己の身に頼るしかなかった。
火を出すには魔道具を使い、水が欲しくなったら水場まで行く。
それが当たり前となっていたから根本的なことが抜け落ちていた。
俺は火や光を必要とした場合、魔道具に頼るしかない。
だけど、俺のその行動はこの世界では一般的ではない。
この世界に生まれた者は皆、魔法を使うことができる。
火が欲しければ魔法を使い、光が欲しければ魔法を使う。
水が欲しい時も魔法を使えばいい。
改めて魔法が使えることの利便性を見せつけられた気分だ。
この世界に来た当初、魔法を使えないことに悔し涙を流しながらも「俺にはこの強化された肉体があるじゃないか、魔道具があれば魔法を使えなくても困ることはない」と言い続け、涙を呑んで自分を納得させた日々のことがよみがえる。
さすがにあの時ほど卑屈にはならないし、魔法を使えないことに絶望するようなこともないが、やっぱりちょっと羨ましいなぁという気持ちはある。
せっかく魔法がある世界に来たのだ。
俺だってちょっとくらいは魔法を使ってみたかった。
だがしかーし!
ふっふっふ、はーはっはっはっはっは。
再び言おう! だがしかーし!
今の俺には、サーシャがいるッ!
サーシャの存在の有無に比べたら魔法が使えるか否かなんて些細な問題。
可愛いはすべてを変える。
可愛いは世界を救う。
魔法を使えないという事実に黒く塗りつぶされていた俺のちっぽけな世界はサーシャという天使と出会うことによって大きく変わった!
黒く混沌としていた世界には鮮やかな色が次々と加えられ、闇が晴れたことにより宇宙という新たなステージを見つけることもできた!
闇という暗雲の先、そこにあった宇宙!
ちっぽけだった俺の世界は大きく広がり、無限の可能性が生まれた!
そう、時代は今まさに大宇宙時代。
数々の星々、銀河の先、どこまでも拡がり続ける宇宙の神秘に俺は一歩足を踏み出した。
いや、燃料の途切れないロケットに乗ってどこまでも進み続けている。
現在進行形でPlus Ultra!
HAHAHA、魔法が使えないからどうしたって?
そんなことはFunny、Funny。笑い飛ばしてやれ!
サーシャの笑顔さえあれば俺はどこまでだってBeyond the Universe!
ビバ! 無限に広がる大宇宙!
ビバ! サーシャ!!
君が僕の世界を照らしてくれたから僕は君の――――
………………フッ、また痛い妄想をしちまったぜ。
調子に乗るとすぐこれだ。
自分でもよくわからないうちに謎の世界観が構成され、その世界に入り込んでしまう。
何度これで失敗してきたことか。
恥ずかちい。
穴があったら入りたい。
ああ、この世界に来るときにこの癖も治してもらえばよかった。
神様なら俺と俺のこの悪癖をおさらばさせることもできただろうに。
Funny、Funnyってなんだ。
Funnyなのは俺の頭の方だよ。
冗談は顔だけにしとけ。
「ヨシトさん、どうかされましたか?」
隣からかけられた声に顔を覆っていた両手を顔から少し離し、恐る恐るアリアの顔を覗き見る。
アリアは怪訝そうにこちらを見つめてはいるが、引かれた様子はない。
よかった。セーフだ。
今回は頭の中だけですべてが完結していたらしい。
声には出していなかったっぽい。
「い、いやぁ、なななななんでもない、よ?」
なんでもないから気にするなと伝えようとした声がありえないほど上擦る。
ななななんだこれ!?
こんなところで元ぼっちの本領発揮か!?
まずい。落ち着け、俺。
相手は俺以上の人づきあい苦手ウーマンだ。
俺の内心の動揺になんて気付けるはずがない。
そうだ、落ち着いて話せば大丈夫。
変に気負うな。焦るな。堂々としていろ。
とにかく落ち着けッ!
「ヨシトさん?」
「い、いやぁーぁ、な、なんでもないというか、なんでもなくもないというか」
ぎゃぁああああああ!
何言ってんだ俺!
止まれ、口! 止まれよ早く!
視線が泳ぐ。手も忙しなく動き続けているし、全体的に挙動がおかしい。
落ち着け。まずは動きを止めろ。
行く当てもなく空中をさ迷い続けていた両手を胸の上で重ね合わせ深呼吸。
心臓がバクバクいっている。
喉はカラカラ。唇も乾いている。飲み物が欲しい。
早く何か、何か言わないと。
弁明を早く。
そう思い、口を開く。
「ぅぁ、――」
――――俺が覚えているのはここまで。
あのあと俺が何を言ったかは覚えていない。
気付いたらいつのまにか朝になっていたが、今朝初めて顔を合わせたときのアリアの態度は普通だった。
だから、きっと何事もなく乗り切れたのだろうと強く信じたい。
俺たち用に設えられた天幕の中で目が覚め、すでに起きていたアリアと朝の挨拶を交わした後。
天幕の外に出てから空気を思いっきり吸い込む。
………………なんで、アリアと同じ天幕で寝ていたんだ?
とりあえず平静を装って天幕から出てはみたが頭の中はなぜ目覚めた時にアリアがすぐ近くにいたのかという疑問でいっぱいだった。
昨日は調査隊の人たちが天幕や食事の準備をしているのを眺めながらアリアと会話をしていてそれで妄想が突然満開に開花してそれから変なことを口走りそうになったから慌てて言い繕おうとして……。
その先が思い出せん。
目覚めた時はちゃんと服を着ていたし毛布にも包まっていた。
隣にはサーシャも寝ていたから変なことはしていないと思うんだが、大丈夫だよな?
この際、恋に落ちた相手とじゃないと嫌だという俺のロマンチック我がままは置いておくとして、まさか記憶のないうちに何かを致してしまったなんてことはないよな?
本当に大丈夫だよな?
…………うん、大丈夫だな。
色々考えてみたがアリアは思想に難がありすぎて問題外。
俺の理想からは大きく外れてしまっている。
それにアリアは怪力。俺よりも力が強い。
アリアとはフラグを立てた覚えもないしアリアに抵抗されたら俺は逆らえない。
なにより、サーシャが隣にいる状況で俺の理性が働かないなんてことは絶対にありえない。
じゃあなんでダリアさんと同じ天幕で寝るはずになっていたアリアが俺たちの天幕にいたということになるが、それはまぁ、気にしないようにしよう。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
考えすぎて思考の溝にはまってしまても何もいいことはない。
もし藪をつついて蛇を出すようなことにでもなったら目も当てられない。
蛇はやばいのだ。アイツらはどこにでも隠れている。
特に段ボールを見つけたら要注意だ。
七割くらいの確率で中にいる。
「おや、ヨシト君じゃないか。もうお目覚めかい?」
「おはようございます、ダリア様。おかげさまで昨日はよく眠れました」
何がおかげさまなのかはよくわからないがとりあえずおべっかを使っておく。
長いものには巻かれといた方がいい。
「おはよう。それと呼び方のことだが、私のことは『ダリアさん』と呼んでくれて構わないぞ。様づけだとお互い肩が凝るだろう」
これはどっちだろうか。
本当にそう呼んでいいのか、それとも試されているのか。
試すといっても田舎者と伝えている俺の何を試そうとしているのかはわからない。
ダリアさんはあまり裏表がなさそうな気がするし、言われた通り素直に様呼びをやめた方が良いような気もする。
「いきなりは変えるのは難しいか? だが遠慮することはないぞ。私もヨシト君と呼び方を変えさせてもらっているからな」
ああ、たしかに。
よく考えるとそうだな。
昨日までは「ヨシト殿」と呼ばれていた記憶がある。
出発前に挨拶を交わして以降ほとんど話す機会もなかったとも思うんだが、どうしていきなり呼称が変わったんだ?
まさか昨日記憶がないうちに何かしてしまったか?
「すまない。気分を悪くしたか? 昨日と同様にヨシト殿と呼んだ方がよいだろうか」
「え? あ、いえ、すみません。ヨシト君と呼ばれるのが嫌だったわけじゃないんです。ただ、どうして急に呼ばれ方が変わったのかなと思いまして」
どことなくしゅんとした様子のダリアさんが俺の顔を覗き込みながらそんなことを言ってくる。
美人から君づけで呼ばれることに密かに興奮していた俺としてはその勘違いはすぐに正さずにはいられない。
気がついた時には思っていた疑問を口にしてしまっていた。
「なんだ。そんなことか。私が君の呼び方を変えようと思ったのは昨夜のことだ。今日のことについて打ち合わせでもしようと思って君を探していたらサーシャ君を膝枕したまま寝ている君がアリア君に膝枕されていてな。それを見ていたら君もまだ子供なのだなと……ああ、いや、決して馬鹿にしているわけではないぞ。そんな微笑ましい光景を見てしまったら君たちともっと仲良くなりたいと思ってしまってな。駄目だろうか?」
「いえ、ぜひヨシト君とお呼びください」
「そうさせてもらうよ。ヨシト君も私のことはぜひダリアさんと呼んでくれ」
「は、はい。ダ、ダリアさん」
「うむ。よろしい」
くすくすと微笑んだり、満足げに頷いたりするダリアさん。
その姿に目を奪われ、ぽーっと……なれるわけがない。
なんだ今の話は。
俺がアリアに膝枕されて寝ていた?
しかもそれをこんな美人に見られただと?
ダリアさんとの距離が縮まったのは嬉しいが、聞き捨てならないことが多すぎて素直に喜べない。
昨夜の俺は一体なにをしていたんだ?
「それで確認しておきたいことがあるのだが、今日のルートはこうでよかったか?」
俺の頭の中では昨晩何があったのかということについての脳内会議が再び開催され始めたところだったが、そんなことは知らないダリアさんは俺の悩みなどおかまいなしに懐から取り出した地図を広げて指を差しながら目的地までの道順を確認してくる。
「はい。合っています。あ、こことここには近づかないようにしてください。こっちは道の途中に底なし沼があって、こっちは強い魔物の生息地になってますので」
「わかった。留意しておこう。目的の場所までは今日中に着けそうか?」
「そうですね。早ければ日が暮れ始める前には。遅くても日が暮れてから一時間以内には着けると思います」
「そうか。では今日はこのルートで行こうと思う。朝の時間を邪魔してしまいすまなかったな。私はもう行くとするよ」
「はい。それではまた後ほど」
「そうだな。また後で会おう」
そう言って立ち去っていくダリアさん。
おそらく自分の天幕へ向かっているのだろうその足が急に止まる。
「ああ、そうだ。ヨシト君」
「はい、なんですか?」
「かわいかったぞ、君の寝顔」
「……え?」
振り向きざまにフッと見せられたその穏やかな笑みに――恥ずかしさとドキドキが綯い交ぜになったような――不思議な高揚感を覚えた。
本年中にあと三回は更新したいと思っています。
それと伝えるかどうか迷ったのですが、ダリアがヒロインになる予定は今のところありません。現状のダリアの立ち位置はサブキャラクターです。