ボーイ・ミーツ・???
アリアの対人能力が俺以下だったと判明。
その衝撃的な事実に頭をガツンとやられてしまったせいで朝食中に今日の予定を話し合うことができなかったなぁ。
なんて考えながらお皿を片付けるサーシャを眺めていたら部屋の扉がノックされた。
思わずアリアの方を向いてしまう。
この部屋の扉をノックするやつなんてアリアくらいしかいない。
だけど、アリアはいま俺の隣の席に座って愛に祈りを捧げている。
じゃあ扉の向こうにいるのは誰だ?
まさか突然押しかけてきた許嫁というわけでもあるまい。
そもそも俺はこの世界の生まれじゃない。許嫁を作ってくれるような親族はこの世界にいない。
誰が来たんだと困惑していると再び扉がノックされる。
今度はノックの後に扉の向こうにいる人物の声が聞こえた。
「ヨシト、いるか?」
中年くらいの男の声だ。
マジで誰だこいつ。
気安く呼び捨ててくるような男の知り合いなんていないはずなんだが。
この世界でも敬称の文化はあったよな?
「いないのか? おーい」
片付け中だったお皿をテーブルの上に置き、扉を開けに行こうとしたサーシャを手で止める。
得体の知れない相手の応対をサーシャにやらせるわけにはいかない。
呼ばれているのも俺の名前だし、ここは俺が行くべきだろう。
「いるぞ。ところで、アンタ誰だ?」
こういう時は下手に出てはいけない。
相手の思惑がわからないうちは主導権を渡さないためにも強気でいくのがセオリーだ。
「ん? 声だけじゃわからないか。俺はケオリ―だ。冒険者ギルドで働いていると言えばわかるか?」
「いや、わからん。そんな機織りでもしてそうな名前のやつなんて記憶にない」
「ハタオリ……?」
そういや、機織りって毛糸使ってたっけ?
まぁ、いいや。
「で、そのセオリーさんが一体何の用でここに来たんだ?」
「セオリーじゃなくてケオリ―だ。っと、用件だが、今日の昼にギルドまで来てほしい。それと、アリアがどこに行ったか知らねえか? アイツにも同じことを伝えなきゃいけないんだが部屋にいないみたいなんだ」
「アリアならここにいるぞ」
「そうか、この部屋に……って、おい! お前まさかあのアリアと? この世にそんな物好きがいるとは……」
「あー、何を考えているかはわかるが誤解だ。俺も普通の恋愛をしたい」
「まあ、そうだよな。変なこと言って悪かった」
「アリアはただ朝食を食いに来てただけだ。今は取り込み中みたいだが、用件なら後で俺が伝えておく。ところで、どうして俺とアリアが呼ばれてるんだ?」
「それなんだが、ついさっき例のフェンリルの件の調査隊が到着してな。それで、その調査隊の隊長さんが言うには、できるだけこの辺の地理に詳しくて強い奴の案内がほしいそうなんだ」
「なるほど。それでエメラルドとルビーの俺とアリアに話が回ってきたってことか」
「そういうことだ。詳しいことは調査隊の奴らにきいてくれ。他に質問はあるか?」
「いや、ない」
「そうか。俺はしっかり伝えたからな。ちゃんと来てくれよ。じゃあな」
扉の前にいた気配が遠ざかっていく。
結局、ケオリ―という男の顔を見ることもなく扉を挟んだままの会話になってしまったが、相手は気にしていなかったようだし、まぁいいか。
「お仕事ですか?」
「そうみたいだ。あとでギルドに行かないといけなくなった」
「わかりま……あっ、か、かしこまり、ました」
おっ。少し前に教えたばかりなのにしっかり返答できたな。
ちょっとぎこちなかったけど、自分で気付いて言い直せるなんてさすがサーシャだ。頭が良い。
「偉いぞ~。ちゃんと言えたな」
「はい! ご主人様から教わりましたので!」
今日の笑顔も太陽のように輝いている。
髪の毛もいつも通りサラサラだ。
「お話しは終わりましたか?」
「ああ、終わったよ。昼にギルドに来てくれって用件だった」
「そうですか。では、私とサーシャさんはこのお部屋でお帰りを待ってますね」
「いや、アリアも来てくれ。俺とアリアに用があるみたいなんだ」
「そうでしたか。それならお供させていただきます」
いかにも、たったいま祈りを捧げ終わりました、みたいな雰囲気を持って話しかけてきたが、俺は知っている。
ケオリ―との会話中に俺が「恋愛」、もっと言ってしまえば「愛」という二音を口にしたあとから、アリアの意識がこちらに注目していたことを。
アリアも呼ばれているという話をしたのはその後だったはずだ。
こいつ、さては用件がめんどくさそうだから自分だけ逃れようとしたな?
そうはいくか。道連れだ。
「あの、私は……?」
小さな声に振り向くとサーシャがドレスの裾を掴みながら不安そうにこちらを見上げていた。
この宿は安宿とはいえ、町の治安は悪くない。
だからこの部屋の中にいれば危険はほとんどないのだが、ひとりで留守番するのが怖いのだろうか。
それとも、ひとりになるのが寂しいのだろうか。
……うーん、呼ばれたのは俺とアリアだけだし、俺たちがギルドに行ってる間サーシャにはこの部屋で待っててもらおうかと思っていたんだが、置いていくのが不安になってきたな。
社会人としては関係ない人間を連れて行くのはダメだが、冒険者が社会人と呼べるかどうかは怪しいし、なによりここは日本ではない。
現代日本の常識に縛られる必要はないか。
サーシャは俺たちとパーティを組んでるから一緒に話を聞く権利がある、とでも言えば納得してもらえるだろうか。
まぁ、先方次第ではあるが納得してもらえそうではあるな。
この世界は弱肉強食、強者なら多少の無理を通すこともできる。
そして俺はエメラルド級冒険者だ。
エメラルドは冒険者の中でも上位、同じく上位のルビー級のアリアもいる。
たぶん、サーシャを同席させることくらいできるだろう。
「もちろんサーシャも一緒だ。なめられないように昨日買った防具一式を着込んで一緒にギルドへ行こう」
「っ、はい!」
うん。やはりサーシャには笑顔が似合うな。
って、少し甘すぎるだろうか。
いや、俺もサーシャとは離れたくないし、このくらいは別に構わないだろう。
甘やかしすぎということはないはずだ。たぶん。
「昼に予定ができちゃったし、それまでは宿でゆっくりしてるか。サーシャもそれでいいか?」
「はい、もちろんです!」
うんうん。元気があってよろしい。
礼儀正しく落ち着いた物腰のメイドというのも良いが、元気いっぱいのメイドというのも良いものだ。
どちらも甲乙つけがたい。
頑張って丁寧な態度を心がけているメイドサーシャと子どもらしい反応を返してくれるメイドサーシャ、どちらも実に良きものである。
あえて言おう! どちらも可愛いと!
今日はこの可愛さに癒されたいな。
そのためにはアリアを排除しなくては。
「俺たちは部屋でゆっくりするから、アリアも昼までは自分の部屋でゆっくりしたらどうだ?」
というかそうしてくれ。
間違っても、私もこの部屋にいます、なんて俺の心労がマッハで蓄積しそうなことは言わないでくれよ。
お願いだから。頼むから!
「そうですね。私も部屋に戻ることにします」
キターーーーーーー!!
マジか?
マジだよな?
これで昼まではアリアの呪縛から解放される!
愛を語られなくてすむ!!
「じゃあ昼前になったら呼びに行くから、それまでは各自自室で待機ということで」
「わかりました」
よっしゃ! よっしゃ!
よっしゃあああああああああ!
ありがとう神様!!
これで俺は、自由だぁあああああああ!!
っと、いけないいけない。
あまりの嬉しさに心のバロメーターが振り切れてしまった。
これから心休まる自由時間が訪れるというのにこんなところで無駄に体力を消耗してる場合じゃない。
クールダウン、クールダウンだ。
「それでは失礼いたします」
「ああ、またあとでな」
「またあとで、です」
バタン、と扉が閉まり、ついにアリアがこの部屋から出ていった。
よし。
これで今から三~四時間はサーシャと二人きりの癒しの時間だ。
久々に羽を伸ばせる。
まずは何をしようか。
「サーシャは何かしたいことあるか?」
「え? えっと、その……」
「なんだ? なんでも言っていいぞ?」
「あ、あの! ぎゅ、ぎゅ、ぎゅぎゅ……」
「ぎゅ?」
「ぎゅって、してください」
小声だったがしっかり聞き取れた。
強化されたこの耳は本当に良い。
これなら「え? なんだって?」と聞き返す必要がなくて助かる。
勇気を振り絞って言ってくれたサーシャに聞き返すなんてこと、俺にはできないからな。チート能力さまさまだ。
それにしても、破壊力が凄い。
顔を真っ赤にしながら言うのはズルいと思う。
こっちまで照れてきてしまった。
それに、ぎゅっていうのは「抱きしめて」ってことだよな?
なんというか、それは、いつもは自然にやっているが、改めてお願いされると、意識してしまって上手く身体が動かせない。
いつもはどうやって抱きしめていたっけ?
……ダメだ、思い出せない。
「あ、あの……?」
ま、まずい。
サーシャが不安がっている。
違う、違うぞサーシャ。
ぎゅってするのが嫌なわけじゃないんだ。
ただ、その、心の準備がだな。
非モテゆえにこういうのに慣れていないというか、耐性がなくて。
って、これも声に出ていない。
というか、声が出ない。
緊張しすぎて唇が震える。
とりあえず何か言え、言うんだ俺!
「あ、ああ。ぎゅっだな。いいぞ。いくらでも」
よ、よーし。
よくやった俺。よく言えたぞ俺。
あとはぎゅってするだけだ。
いつも寝る前にやっているだろう。
いつもはベッドに座ってからだから今日はちょっと勝手が違うが、やることはいつもと変わらない。
それに、彼女ができたらこんな機会いくらでもあるはずだ。
彼女ができた時も一々こうやって緊張するつもりか?
手を繋ぐとき、キスするとき、名前を呼び合うとき、そんなときにこんなに緊張していて、それで身がもつか?
いけ、いくんだ。今いけなかったら一生独身だぞ。
サーシャが勇気を出してお願いしてくれたんだ。俺だって勇気で返すんだ!
「じゃあ、行くぞ」
「は、はい」
全身に響き渡るほど強い鼓動、身体がドクンドクン鳴動しているのがわかる。心臓の音がうるさい。
これ、密着したら鼓動の音や激しく脈打ってることが伝わって俺が緊張していることがモロわかりだな。
この緊張がサーシャに伝わったらやばい感じの雰囲気になってしまうんじゃなかろうか。
互いに緊張し合い意識し合うとか、俺の理想のシチュエーションでもトップテンに入る行為だぞ。
そりゃいずれはそういう関係になれたらいいなと思ったこともあるけど、サーシャとそういう関係になるのはまだ早い。
健全な関係の恋仲になるとしても、それだってサーシャがあと六年くらい経って成人してからじゃないとダメだ。
俺のポリシーがそう言っている。
そして、俺の中のDTはこれはまずいと警鐘を鳴らし続けている。
こんな状態で抱きしめて本当に大丈夫か?
恋慕の情まで抱くことになるんじゃないか?
俺がサーシャに陥落し、堕落してしまうのではないかという不安が次々と押し寄せてくる。
けど、逃げ道はもうない。
俺はサーシャをぎゅっとすると言ってしまった。
そうだ。やるしかないんだ。
いい加減、男らしく覚悟を決めろ!
よし、いくぞ。
耐えろよ、俺。
頑張れ、俺の理性。
ええい、ままよ!
ぎゅっ、というより、ふわっ。
いや、そんな軽い感じじゃないか。
俺は震える腕で、ブルブルとサーシャを抱きしめた。
サーシャの背丈に合わせるために膝を曲げているので、余計にブルブル震えているのが目立つ。
「あっ……」
サーシャの声が漏れる。
緊張していることに気付かれた?
幻滅される?
そんな俺の思いとは裏腹に、サーシャは俺の背中に手を回してくれた。
正面から抱き寄せ合うサーシャと俺。
俺が震えてるせいでわかりにくいが、サーシャも少し震えているように感じられる。
おそらく気のせいではあるまい。
しかもこれは、俺の鼓動が伝播したという感じではない。
サーシャも初めから俺のように緊張し、震えていたようだ。
ぎゅっとしてから互いの鼓動がどんどん大きくなっていってるのがわかる。
このままでは破裂してしまうのではないか。
そう思いながらぎゅっとし続けることしばらく。
次第に俺とサーシャの鼓動のタイミングが合い始め、ドキドキも収まってきた。
自分の心臓がもう一つ増えたかのような感覚。
内だけじゃなく、外にも変化があった。
外から聞こえてくる人々の話し声、足音。
それらはたしかに耳に届いている。
しかし、室内はやけに静か。
この部屋だけ外とは隔絶されたかのような、俺とサーシャ、二人だけの空間。
静かな部屋の中、二つの心音を一つにしていく。
いつまでもこうしていたい。
そう思えるほどに心地よい。
同時に、サーシャの温かさに心が落ち着く。
なんだかとても、安心する。
そうか。
わかった。
サーシャはこの安心感に、人のぬくもりに餓えていたんだ。
思えば出会った日の翌日、今みたいに初めて抱き合った日も、サーシャはぬくもりに餓えていた。ずっと一緒にいてくれるかと訊いてきた。
最近はアリアと行動することが多かったせいでサーシャと接する時間が減っていた。
アリアとも仲良くやっているようだと安心していたが、サーシャは寂しかったのかもしれない。
俺にもっと構ってほしかったのかもしれない。
だから、ぎゅっとしてほしいなんて言い出したのだろう。
抱き合っていると色々なことがわかってくる。
サーシャの気持ち、俺の気持ち、今の状況、これからどのようにしたらよいか。
他人と触れ合うというのはこれほどまでに情報量の多い行為だったのかと、今更ながらに知る。
やっぱり俺にはまだ恋愛は早いみたいだ。
こんな小さな女の子の気持ちにも気付けないんじゃ、とても恋愛どころじゃない。
そんな感想が浮かんでくる。
いつもならこの事実に落ち込むところだが、今はそんな気分にはならない。
穏やかな気持ちでその事実を受け入れることができる。
俺はサーシャの保護者だ。
しっかりとこの子を守り、育てていくんだ。
そんな想いが強くなる。
気付くと、いつのまにかベッドの端に座っていた。
腰かけた俺の両足の間にサーシャがすっぽりと収まり、俺が後ろからサーシャを抱きしめる体勢になっていた。
左腕をサーシャの右肩に回しながら、右手でサーシャの頭を撫でる。
概ね、いつもの寝る前の体勢だ。
慣れている仕草だからか、すごく落ち着く。
正面から抱き合っていた時の胸の内からじんわりと溢れ出してくるような安心感ではなく、全身をぽかぽかと包み込むようなほっこりとした安心感。少しだけぬるい湯に長時間浸かっていたような感覚。
窓から差し込む光の角度と影の形が大きく変わっている。
アリアが退室してから二時間くらい経っているみたいだ。
もうそんなに経ったのか。
そう思うと同時に、サーシャから手を離す。
座ったままサーシャを抱き上げ、俺の隣に座らせてから立ち上がる。
振り返って見たサーシャの顔は満面の笑み。
とても幸せそうだ。
十分な接触を行えたらしい。
「このままじゃ夜までぎゅっとしていそうだったからな。今日はここまでだ。続きはまた今度な」
声は出さず、笑顔と頷きで返事をするサーシャ。
勢いよく首を振ったから、髪の毛がふわっと広がったのが印象的だった。
あれから一時間。
その一時間で本日のメイドレッスンを終えた俺たちは、約束通りアリアの部屋の前にいる。
このまま少し外を歩いて屋台で腹ごしらえをしてからギルドに向かう予定のため、俺もサーシャもしっかりと装備を着込んでいる。
俺は本気を出すと叫んだ拍子に武器や防具どころか衣服まで消し飛んでしまうため、大した装備ではない。頑丈属性の付与された衣類の上に同じく頑丈属性が付与された軽さ重視の防具をつけ、頑丈属性が付与された槍を持っているだけだ。
見た目はそこら辺にいる冒険者と大差ない。
本当は、敵を接近させないためという目的と、超聴覚との相性を考えて弓矢を持ちたいのだが、いかんせん頑丈属性の付与された矢がほとんど見つからない。
頑丈属性が付与されていないとそこそこ大きな声を出しただけで矢が壊れて使い物にならなくなってしまうことは確認済み。
そのため、弓を使うことは諦め、できるだけ長い頑丈な槍を持ち歩いている。
ちなみに、俺に棒術や槍術の経験はない。
目下、冒険者ギルドの訓練場にて練習中だ。
サーシャは昨日購入した黒いケープを中心に防具を揃えた結果、ゴスロリ系お姫様コーデとなった。
全体的に黒系統の色でまとめ、しかし暗い印象にはならないよう所々に白なんかの色も入れている。
フリルやリボンが多すぎないのがミソだ。装飾が少ないため、ゴシック成分多めロリータ成分少なめな仕上がり――つまり、ゴテゴテしていないため物々しさがなく、サーシャの可憐さを強調するコーデとなっている。
というか、見た目的には園児の着る礼服に近い。
ちんまいのに大人っぽい。
そんな可愛らしいギャップを演出してくれる見た目も性能も一級品の服に包まれたサーシャは、いつものワンピーススタイルやメイドスタイルとはまた違った魅力に溢れている。
子どもだからこそ出せる可愛さとほんの少しの色気。
それがこの服を纏ったサーシャの魅力だ。
まぁ、うちのサーシャはどんな服を着ていても超可愛いんだけどな!
……ふぅ。心の中でだが、一度叫んだら落ち着いたな。
そろそろアリアを呼び出すか。
一度深呼吸をし、扉を三回ノック。
返事はすぐに来た。
「ヨシトさん? それともサーシャちゃん?」
「二人ともだ。今からギルドに向かうから準備ができたら出てきてくれ」
「はあーい」
どこか気の抜けた返事が聞こえた三秒後、扉がゆっくりと開かれた。
早いな。
準備を終えて俺たちが迎えに来るのを待っていたのだろうか。
「お待たせしました」
そう言って頭を軽く下げるアリアの服装はいつも通りの修道服っぽい見た目の白い服。
昨日は防具屋で付与魔法のかけられたインナーを買ったらしいからそれを着ているかもしれないが、どんなインナーを買ったかは知らない。
残念なことに、女性に買った物を尋ねられるほどの勇気と恋愛スキルは俺には備わっていなかった。
ギルドに着くと、入り口近くに控えていた女性職員にギルドマスター室まで案内された。
部屋の中にいたのは二人。
ギルマスと、ソファーに座っている高そうな衣装を着た男装の麗人。
男装の麗人は一つ結びとでも言うのか、首の後ろで一括りにまとめられた紺色の髪が美しい。
完全に一本の束として垂れ下がっているが、どうして毛先が広がらないのだろうか。
実に不思議だ。
「よく来たね。まずは三人ともそこに座りな。いま、お茶を用意するから」
俺がサーシャを連れてくることは予想されていたらしい。
ギルマスは呼ばれていないサーシャがここにいることに何の疑問も抱かなかった。
同じく、男装の麗人もサーシャの存在を気にしていない。
俺たちは言われたままに三人掛けのソファーに腰掛ける。
座る位置は、なぜか俺を中心にして左右にサーシャ、アリアの順だ。
テーブルを挟むようにして置かれた反対側のソファーには未だ紹介がない男装の麗人が座っている。
男装に気をとられていたが、よく見るとこの人の服、謁見用の正装じゃないか?
以前、アンナさんから聞いた、王様に謁見する際の服と特徴が一致する。
ということはコイツ、実は女顔の男か?
それとも、この世界では王への謁見は男女問わずパンツルックでするものなのか?
俺の視線なんてどこ吹く風というように目を閉じ、黙している性別不明の人物を眺め続けているとほどなくして、ギルマス自ら淹れてくれたお茶が目の前のテーブルに置かれた。
俺たちの前に三つ、性別不明さんの前に一つ、最後の一つのカップを手に取ったギルマスは性別不明さんの横に座った。
「このお茶はアタシのお気に入りでね。まずは一口飲んでみな」
「それではいただきます」
「い、いただきます」
とりあえずそれっぽく適当なことを言ってみた俺と、俺の真似をするサーシャ。
右手で持ち上げたカップからはほんのりとした温かさと懐かしい香りが伝わってくる。
カップの中身は薄い緑色。
こういうところで出されるお茶は紅茶かと思っていたが、紅茶ではなさそうだ。
ズッ、と口にしてみる。
音をたてないように気をつけたが、無理だった。
少し熱めのお茶を一気に飲み干す。
「はぁ、美味しかったです」
「おや、もう飲み終わったのかい? そんなに気に入ったか」
「はい。好きな味です」
美人が淹れてくれたお茶。不味いわけがない。
そう言いたいが、この美味しさはそれだけではない。
懐かしい香りと味。
「これは、緑茶ですね?」
「ほう、知ってるのかい。さすがエメラルドだね」
知らないわけがない。
小さい頃から慣れ親しんだ渋みだ。
この世界に来る直前、「そういえばここ数年、緑茶を飲んでなかったなあ。最後に飲んどけばよかった」と思った飲み物でもある。
町中を探してもなかったからこの世界には緑茶はないのかと思っていたが、俺が見つけられなかっただけか。
まさかここで緑茶に会えるとは思ってなかった。
ボーイミーツグリーンティー。
運命の再会というやつだな。……いや、違うか。
この世界に緑茶が存在しているのであればどうせそのうち出会っていたはずだ。別に運命でもなんでもないな。
それと、緑茶を知っていることとエメラルドであることは関係ないと思う。
緑茶と紅茶の茶葉は全く同じもので、製法によって紅茶か緑茶かという違いが生まれると聞いたことがある。
その製法を知らなかったために緑茶を作ることはできなかったが、紅茶ならこの世界に来てから何度も飲んだ。
同じ茶葉から作られる紅茶が一般的な飲料として普及しているのだから、緑茶もあって当然だろう。
緑茶の茶葉がエメラルド級でもなければ生還不可能な場所にあるとか緑茶を製造している地域に行くには危険指定地域を越えなければいけないとか、そういう理由があるならともかく、そういうわけでもないだろうに。
……いや、ここは異世界だ。地球とは違う茶葉、違う製法で作られている可能性もあるか。
危険指定地域内でしか採取できない植物から緑茶が作られているのだとしたらギルマスの言葉にも納得がいく。
もしかしたら緑茶は流通量の少ない飲み物なのかもしれない。
だからなんだ、という話だが。
緑茶は久しぶりに飲みたかっただけで特別好きな飲み物というわけではない。
いま飲めたからしばらくは飲まなくてもいいとさえ思える。
「じゃあ一服したところで本題といこうか。まずは紹介をするよ」
ギルマスはそこで一度言葉を区切り、性別不明さんの方に向き直ってから俺たちに向けて腕を伸ばす。
「ダリア様、こちらから順にアリア、ヨシト、サーシャです」
性別不明さんの名前はダリアというのか。
まだ男である可能性も捨てきれないが、名前的には女だな。
そしてギルマスよりも立場が上なんだな、このダリアさんは。
「そんで、アンタたち。この方は今回の調査隊の隊長に任命されている王国騎士隊第六騎士隊長ダリア様だ。よく覚えておくように」
王国騎士隊第六騎士隊長という肩書がどれくらい凄いモノなのかはわからないがとりあえずへりくだっておくか。
なんか権力持ってそうだし。
っていうか貴族だろ、この人。
「王国騎士隊第六騎士隊長様であらせられましたか。お会いできて光栄です。改めまして自己紹介を。私はヨシトと申します。以後お見知りおきを」
この国の作法なんて知らないが、とりあえずそれっぽく挨拶してみた。
本当はもっと色々と述べるべきなのかもしれないが、咄嗟には思いつかないし、それっぽければ問題ないだろう。
ただ、漫画なんかだと膝をついたり頭を下げたりする場面だが、生憎なことに目の前にはテーブルがあって膝をつけないし左右にはアリアとサーシャがいて膝をつける位置まで移動するのは難しい。立ち上がって腰を折るのも上から見下ろすみたいになってしまうのでダリアさんがソファーに座っている状況では却下。
よって、指をピンと伸ばした右手を胸に当てての目礼となったが、これでよかっただろうか?
よもやこの国ではこれが決闘の申し込みポーズだったりしないよな?
挨拶中の気分は老執事セバスチャンだったが、今の気分は沙汰を待つ被告人の気分だ。
ダリアさんからの宣告次第では「無礼者!」と斬って捨てられる可能性もある。
失礼な態度ではなかったと思いたいところだ。
というか、反応がないな。
声をかけられてから顔を上げようと思っていたが、何も言われない。
この国では挨拶をしてきた相手に挨拶を返したり、頭を下げてる相手に対して「面を上げよ」のような言葉をかけたりする文化はないのだろうか。
そう思い、ちらりと正面の様子を窺うと、何故かギルマスとダリアさんの二人が唖然とした様子でぽかんとしていた。
「あの、なにか失礼をはたらいてしまったでしょうか? なにぶん田舎者なもので作法には疎くてすみません」
とりあえず謝っておく。
先に詫びておけば処分も軽くなるはずだ。と、思いたい。
ついでに言っておくと、田舎者というのは便宜上の建前だ。
この世界に来る前に神様から「出身地を訊かれたら山奥で暮らしていたとでも言っておけばいいよ」と言われたのを実践してるだけ。
田舎者であることに特に深い意味はない。
なんて、相変わらず誰に向けて説明しているのかわからない脳内モノローグを垂れ流しているとギルマスたちが再起動した。
「いや、君がなにか失礼をしたわけじゃない。ただ少々驚いてしまっただけだ。その年頃の少年にしてはしっかりしていたものだからね」
「アタシもダリア様と同じだよ。まさにアンタが言った、田舎者。アタシはアンタが山奥の出だと聞いてたから予想外の礼儀正しさにちょっと面食らっただけさね」
ああ、なるほど。
今の俺の外見は成人したての十四歳の若造だもんな。
しかも山奥出身。
そんなガキが急に慇懃な態度をとり始めたら不審に思うか驚くかのどちらかになるに決まってる。
サラリーマン時代の経験から上司や取引先への現代日本風の挨拶の仕方なら知ってたけど、この世界のこの国の、さらにはおそらく貴族の血筋だと思われるガチの権力者ダリアさんへの挨拶の仕方なんて知らなかったからつい力を入れすぎてしまったようだ。
ダリアさんからは「その年頃の少年にしては」と言われたから正式な作法にはなっていなかったようだが、良い意味で捉えると、それなりの作法はできていたということになる。
ギルマスたちから見た今の俺の評価は、山奥出身と言い張るそれなりの礼儀作法を身につけた少年。
うん、おかしいわ。
絶対、何かあると思う。
他人と、ましてや礼儀作法を必要とするような相手と関わる必要のない山奥出身の冒険者が礼儀なんて知ってるわけないもんな。
しかも俺はギルドに登録する時に「山奥から出てきたばかりで右も左もわからないんです」と言ってしまっている。
しっかり数えていたわけではないから正確ではないが、登録から七十日くらいしか経っていないと思われるのにこの数十日間の内に誰かから礼儀作法を習ったとは考えにくいだろう。
事実、誰からも教わってないし。
俺の祖先か一緒に山奥に暮らしていた誰かが元貴族、あるいは貴族とも取引するような商人かなにかだったんじゃないかとでも思われているんじゃなかろうか。
そして、もし元貴族だった場合はそいつが山奥にいた理由なんてそう多くない。
真っ先に思いつくのは何らかの理由で命を狙われて山奥まで逃げ延びた貴族の子孫といったところか。
おそらく、俺の祖先にどこかの国の没落貴族かなにかがいるのではないかという、ありもしない勘繰りがされていることだろう。
しかし俺は正真正銘、平民出身だ。
ただ、この世界の出身ではないだけだ。
俺の血筋におかしな経歴の人間なんて一人もいない。
地球にいた頃、家系図を見たことがあるから間違いない。
それにしてもギルマスは一体何歳なんだ?
さっきの「~さね」って口調、あれは俺の中では高齢の方が使用する語尾というイメージなんだが。
四十歳くらいかと思っていたが、見た目以上に歳を重ねているのかもしれないな。う~ん。
そうやって俺がくだらないことを考えているうちに俺の真似をしようとしたサーシャがうまく挨拶できずに失敗して場の雰囲気が和んだり、サーシャに続いて自己紹介を始めたアリアが愛を語り始めたりしたおかげで俺に向いていた意識が逸れた。
よし。
これはラッキーだ。
意識が逸れたというよりは注意が俺とアリアに分散した感じだが、それでも多少は俺への懐疑の目が和らいだ。
ということで、さて、そろそろ本題とやらをお聴きしましょうか。