悲しい成長
色々あって更新遅くなりました。
次回はもっと早く更新します。
アリアさん改めアリアと仲間になってから一週間が経過した。
その間、冒険者としての仕事も何度か行った。
しばらく仕事はしないつもりだったのだが、可愛いサーシャに「ヨシトお兄ちゃん、私も冒険者のお仕事やってみたいです!」なんて言われちゃったら俺にはそれを断ることなんてできなかったのだ。
自分専用の冒険者カードを眺めながらニコニコしているサーシャに「危ないからサーシャに冒険者として活動してもらうつもりはないよ。サーシャはずっと俺のメイドをしてくれ」とは言えなかっただけでもある。
とりあえず荷物運びや清掃なんかの簡単で危険の少ない依頼を受けてみたが、一生懸命仕事するサーシャが可愛すぎて俺が逆に仕事に集中できなかった。
鉱物の入った箱を持ってうんしょ、うんしょと頑張るサーシャ、振り返った拍子にキラキラと輝くサーシャの汗と真剣な顔、仕事をちゃんと終わらせた後に嬉しそうに笑いながら「やりました! お仕事しっかりできました!」と報告してくるサーシャ、ギルドで依頼達成確認がされた後に受付嬢から受け取った報酬を屈託のない笑顔で俺に渡そうとしてきたサーシャ。
どのシーンを切り抜いても最高のワンカットが完成する光景だった。
もちろん、パーティメンバーであるアリアも俺たちと一緒に仕事を行った。
ギルマスから面倒事ばかり起こす厄介者と言われていたから多少は警戒していたのだが、俺たちと仕事をしたときのアリアは問題を起こすような真似はしなかった。
それどころか、アリアはかなりの力自慢らしく、推定で三百キロは超えているんじゃないかという重そうな石像を片手で軽々と運んでいたり、依頼人に丁寧に対応していたりと、実は有用な人材なのではないかと思わせるような姿を見せていた。
ただ、面倒事というか、俺に対して「愛は素晴らしいものです」「愛を語り合いましょう」「愛を――」「愛が――」と引っ切り無しに話しかけてこられたのはかなり面倒だったが。
おそらくだが、アリアの起こした面倒事というのは依頼人に対して突然愛を語り始めたとか、依頼先に向かう途中で誰かに愛を説き始めたせいで依頼先への到着が遅れて依頼開始時間が遅くなったとか、そういった感じのことなのではないかと思う。
俺たちと一緒にいるときに面倒事が起きなかったのは俺という話し相手がいるおかげで俺以外にその矛先が向かなかったからではないかと予想してみた。
この予想が正しいかどうかに関しては今度ギルドに行ったときに受付で確認してみようと思っている。というより、アリアが問題児だとわかっていたのにアリアがこれまでにどのような問題を起こしていたのかすら聞いていなかったのは元社会人として失格なのではないかと少しへこんでいる。
この世界に来てからはチート能力のおかげで大した苦労もなくタスクを行えていたから、仕事に対する真剣さが足りていなかったのかもしれない。
サーシャに情けないところは見せたくないし、ここらで一度気を引き締める必要があるだろう。
勝って兜の緒を締めよ、というやつだな。
俺たちが受けたのは魔物と遭遇する危険のない町中での依頼ばかりだが、それでも俺と同じ冒険者の仕事をしているというだけでサーシャは満足みたいだし、アリアという話し相手が増えたおかげでより一層楽しそうにもしている。
何かあるたびに、いや、何もなかったとしても一々愛について語ってこようとするヤツが仲間になったせいで俺の精神がぐったりしてしまっていること以外は順調な日々を送れている。
ところで、俺はいま非常に困っている。
この世界にはフェンリルという魔物がいる。
巨大な狼のような姿をした魔物で、賢狼とも呼ばれるほど賢い魔物らしいのだが、その魔物の死骸がつい先日この町の近くで発見されたらしい。
高い魔力を持っている魔物の死骸は朽ちにくく、他の魔物に食い荒らされることも少ない。
そのせいで件のフェンリルがいつ死んだのか推測するのは難しいそうなんだが、その死骸は不可解なことにバラバラの肉片の状態で発見されたらしい。
フェンリルは相当強力な魔物。
カラダも頑丈で、普通ならバラバラ死体として発見されるような魔物じゃないそうだ。
そしてさらに不可解なことに、フェンリルの死骸が転がっていたあたりにはある一点を中心に放射状に広がっている地割れがあったとか。
現場を確認したギルド職員の話では「あのフェンリルは一撃でやられたとしか思えない。きっと上空から強力な一撃が放たれたんだ。その衝撃で地面が割れたに違いない。それにしても、フェンリルを簡単に肉片に変えられるような魔物なんて聞いたこともないが、まさか人間の仕業でもないだろうし――」ということだった。
俺としては、そんな化け物が近くにいるのに悠長にしている場合かと思ったが、今のところ人間や近隣の町村には被害が出ていないらしいし、国から調査体が派遣されるそうで、その調査隊の到着とその後の調査結果を待つ以外にできることはないらしい。
というのは俺がいま困っている理由とは何の関係もない話なのだが。
さて、俺の前には今、二つの難題が転がっている。
一つは金で解決できる問題。
もう一つは自制心を試される問題だ。
「ヨシトお兄ちゃんはどっちがいいと思いますか?」
「あの、ヨシトさん。申し訳ないのですが着替えを手伝っていただけないでしょうか」
俺の前で二種類のケープをひらひらと見比べているサーシャと試着室の中から悩ましげな声をかけてくるアリアの二人によって、俺の頭はパンクしそうになっていた。
事の発端は一時間前。
アリアに「ヨシトさんがサーシャちゃんに危ないことをさせたくないと思っていることは知っています。その愛情は素晴らしいものです。ですが、サーシャちゃんも冒険者になったのですから、最低限の防具は揃えておくべきかと」と言われたことに起因する。
俺は気付いていなかったが、サーシャは自分用の防具が欲しいと思っていたらしい。
アリアの言葉とサーシャからの何かを期待するような目を受けて俺は一も二もなく防具を買いに行くことにした。
そして、いま。
どちらのケープを購入するかで悩んでいるサーシャとなぜか店員やサーシャではなく俺を名指しで指名してきているアリアに心を揺さぶられまくっている。
サーシャが掲げているのはサーシャの髪と同じ赤色のケープと高級感あふれる黒色のケープの二つ。
どちらも縁に派手すぎないフリルがあしらわれていて可愛らしい。
ケープというと防具ではなく衣服のイメージだが、この世界には付与魔法というものがある。
文字通り、対象物になんらかの属性を付与することができる魔法で、赤色のケープには物理攻撃への耐性が上がる属性、黒色のケープには魔法攻撃への耐性が上がる属性が付与されている。
これらは身に付けるだけで簡単に耐性が上がるらしく、ケープとはいってもれっきとした防具だということだ。
色については、最初は髪の色と被るし赤はどうなのかと思ったが、実際に身に付けている姿を見るとケープの赤によってサーシャの元気いっぱいなイメージが前面に押し出されて大変可愛らしく見えるし、黒は黒でケープの縁にあしらわれたフリルのおかげか大人っぽすぎる雰囲気にはならずにサーシャの可愛さを引き立てている。なにより、黒いケープにサーシャの綺麗な赤髪がよく映える。
どちらもサーシャに似合っているが故にどちらも購入してあげたい。
しかし、付与魔法のかけられた防具は高い。
付与魔法をかけた物を売るためには付与魔法の効果が永続的に持続するよう工夫する必要があり、魔法の使用者にもそれなりの実力が要求されるためだ。
素材料と技術料が高くなるためにその物の値段も相応に高くなってしまう。
ケープを二つ購入するとなると貯金もほとんど吹っ飛んでしまうことになる。
サーシャに戦闘をさせるつもりはないからこのケープは使用する機会もないだろうし、そのようなものに似合うからという理由だけで金をかけすぎるのはどうなのかと思ってしまう気持ちもある。
それに、ケープの他にも揃えなくてはいけない物はある。
どちらか片方だけを買うのが正しいということはわかっているのだが、どちらのケープもサーシャに似合う。非常に似合ってしまっている。
アンナさんに頼んで購入しなかった方と似た見た目のケープを作ってもらうことも考えたが、それだと耐性アップが付与されていない物になってしまう。
戦闘させる気はないといってもいつ戦闘に巻き込まれるかわからないのがこの世界だし、どうせなら見た目だけじゃなく機能にもこだわりたい。
そして、属性が付与された防具は数が少ないために、次に金を貯めてここに訪れたときにまだこのケープが残っているという保証はない。もしかしたら今日を逃したらもう一生手に入らないかもしれない。
ゆえに、金で解決してしまうべきか、それとも両方買うのは諦めてどちらか片方だけを購入するべきか、これは非常に難しい問題である。
そして、アリアの方も難しい問題だ。
アリアの着替えを手伝うかどうか。
この問題はさらに二つの問題として細分化することができる。
まず、俺が手伝いに行くかどうかという問題。
そして、俺が手伝いに行ったとして湧き上がる情欲を抑えられるかという問題。
下品なことを言ってしまうが、俺はアリアを恋愛対象として見るのは厳しいと思っているが、アリアのあの蠱惑的な身体には魅力を感じている。アリアの着衣や脱衣を前にして己の欲望を抑えられる自信がない。
しかも、着替えを手伝うということはその、色々なモノが見えたり、色々なところに触ったりということが考えられる。
アリアから指名されていてそんな幸福を目にする機会があるのに、ここでそのチャンスを逃してしまっていいのか。男なら行くべきなんじゃないのか。
そんな考えが浮かんでくる。
問題を二つに細分化してみたが結局のところ、どちらの問題においても試されているのは俺の自制心だ。
俺が不動の覚悟を決め、サーシャか女性店員をかわりに向かわせれば解決する話なのだ。
もしかしたら恋愛ピラミッドの上層に暮らす猛者ならここでサッと手伝いに行けるのかもしれない。
むしろ、ここでサッと手伝いに行けるからこそ恋愛ピラミッドの上層に住まうことを許されているのかもしれない。
つまり、ここで手伝う勇気を出せないからこそ俺は今までぼっちだったのかもしれない。
そう思うとアリアと恋愛する気はなくともこれからのために行くという決断をすべきではないかと思ってしまう。
だが、それはどうなのだろうか。
アリアは細腕だが怪力だ。
あの魅惑的な肢体には底知れないパワーが秘められている。
もし欲望に負けてしまった場合、俺はプチトマトのようにプチっと握り潰されてしまうかもしれない。
今後のための人生経験や見たい、あわよくばどこでもいいから肌に触りたいなどという下品で最低な心のために命を懸けるのはどうなのだろうか。
いや、でも、しかし。
「ヨシトお兄ちゃん?」
「ヨシトさん?」
二人が俺の名を呼んでくるが俺はいまそれどころではない。
返事をする余裕なんてなく、考えすぎで頭が痛くなってきている。
ああっ、神よ!
俺は一体、どうすればいいんだああああああああ!!
神託は下らなかった。
結局、俺が悩んでいるうちにサーシャは黒いケープを買うことに決め、そのままアリアの着替えを手伝いに行ってしまった。
こういうときにすぐ行動できないから俺はモテないのだろうな。
心底そう思う。
……ということで、俺はある一つの決心をした。
『後先考えずにまずは行動する』
これを次に実践すべき目標として定めた。
この目標を達成できれば俺はまた一つ成長できるはずだ。
大丈夫。ちょっと勇気を出せばいいだけだ。俺にもできる。
うじうじ悩んで勇気を出せないまますべてが終わってしまう。
そんな情けない自分からはもういい加減おさらばするのだ。
本当はさっき防具を買いに行ったときにこの考えに至れればよかったのだけど……いや、こういう思考が駄目なんだな、きっと。
俺にいま必要なのはポジティブだ。
ポジティブな精神が重要。
モテるためには前向きでいるべきなんだ、たぶん。
過去のことを反省するのはいいが、後悔するのはもうやめよう。
そう思うとなんだろう。
ちょっと考え方を変えただけなのにどんどん自分の弱点が克服されていってるような気がする。
いや、気がするじゃない。確実に克服できている。
そうだ。俺はこっちに来てから着々とモテ男に近づいている。
サーシャと出会って以降、人間的に一回りも二回りも成長しているのがわかる。
ん?
ということは、サーシャは天が遣わした天使だったのか。
サーシャは俺に成長を促すためにやってきた天使。
ふむ、しっくりくる。さもありなんといった感じだ。
さすがサーシャ。
可愛い可愛いとは思っていたがまさか本当に天使だったとは。
これは供物でも捧げた方がよいのだろうか。
待て待て、落ち着け俺。
供物を捧げるのは悪くないが、サーシャにはこれまでも飲食物や衣服なんかを大量にあげている。
あげる時の心境が違うとはいえ、ただ物を渡すだけだとその行為はこれまでやってきたあれこれに埋もれてしまう。
かといって、感謝も毎日のように伝えているしな。
さて、どうしたもんか。
こういうことはやはり心持ちが重要なのではないかとは思うけれども、感謝のなでなで一万回を毎日行うとかそういうのはなんか違う気がするしな。
これまで以上に感謝の心を持ってサーシャに接する以外にできそうなことはない気がする。
でも、うん。そうだな。感謝だ、感謝。
何事も感謝が肝要だ。
感謝の気持ちは大切にしなさいと学校でも教えられてきたじゃないか。
とりあえず、明日の朝はサーシャよりも早く起きてサーシャに向かって五体投地でもしてみよう。
五体投地は仏教だった気がするから天使に向かってするのは何か違うかもしれないけど、まぁこういうのは心が重要なのだ。
心がこもっていれば大丈夫なはず。
それになにより、サーシャならそんな些細なことを気にせず俺の気持ちを受け取ってくれるはずだ。
おっ、噂をすればあんなところにサーシャが!
さっそく五体投地をしてみよう。
後先考えずにまずは行動だ!
いつもありがとうございます天使様――!!
「ハッ!」
なんだろう。
すごく変な夢を見たような気がする。
妙な気分だ。
そして、どうして俺はサーシャの寝ているベッドに頭を向けて床でうつ伏せになっているんだろうか。……まさか五体投地か?
日頃の想いが抑えきれずについに行動に出てしまったんだろうか。
ともあれ、なんとなく今後の方針を決めたりしていたようなことは憶えてるけど、あれはどこからが夢だったのか。
サーシャの枕元に黒いケープが置かれているから防具を買いに行ったのは夢じゃないみたいだけど。
「んぅ。ヨシトさま? おはようございます」
むっ。起こしてしまっただろうか。
寝ぼけ眼をこすりながら小さな声を出したサーシャが身体を起こそうとしている。
瞼はまだ全く上がっていないようだけど、これはもう起きるな。
サーシャが二度寝したところは見たことがないし。
「おはようサーシャ」
さすがにもう五体投地はしていないが、それでも床に座っている状態というのもおかしなものだろう。
サーシャの目が完全に覚める前に俺も立ち上がっておくか。
そう思いズボンについた埃を手で払いながら立ち上がると、外からガチャガチャと金属の鳴る音が聞こえてきた。
耳を澄ますと、ガチャガチャと音を立てながら行進する百人ほどの足音とその周囲でその集団に対して思ったことを口にしている民衆の声が聴こえる。
……どうやら、国から派遣されてきたフェンリルバラバラ死体事件の調査隊が到着したようだ。
このガチャガチャという音は金属鎧の鳴る音っぽいな。
そしてこの音が鎧の音なら、全身を鎧に包んでいるヤツが八十人くらいいる。
鎧を着込んでいない残りの二十人は魔法使いかなにかだろうか。
調査隊なんて十人もいれば十分だろうに、これだけの人数が派遣されてきたってことはフェンリルを倒したというその魔物はかなり危険視されているんだな。
とはいえ、フェンリルはめちゃくちゃ強い魔物ということだったし、フェンリルを倒せるような魔物がいるとなったら危険視されるのも当然か。
そんなめちゃつよな魔物と遭遇でもしたら嫌だし、しばらくは町から出ないようにしておいた方がよさそうだな。
できれば調査隊がその魔物を倒すか追い払うかしてくれれば安心して出歩けるようになるんだが、人数がいるとはいってもあくまでも調査を目的として編成された隊だろうからその望みは薄いか。
「ご主人様、おはようございます」
気付くとメイド服に着替え終えたサーシャが俺の正面でお辞儀していた。
……気付くと、とか言ったが、本当はサーシャが着替えてたことも知っていた。
俺の高性能な耳はしっかりとサーシャの着替え中の音を拾ってくれていた。
ただ、気にしないようにしていただけだ。
俺はサーシャの保護者。妹や娘みたいな存在のサーシャに欲情するわけにはいかない。
衣擦れの音が聞こえ始めた時点でサーシャが着替えを始めたのだと気付いた俺はサーシャのいる方向から聞こえてくる音を完全にシャットアウトしていただけだ。
音の取捨選択が自由自在とか、つくづく便利な耳になったもんだと感心する。
我ながら、我が耳の進化が恐ろしいよ。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい。ご主人様のおかげで毎日ぐっすりです」
「そうか。ぐっすりか」
「はい!」
敬語の中に時折混ざる子供っぽい言い回しが最高に可愛い。
サーシャはぐっすりという表現が敬語ではないことに気付いているんだろうか。
この様子じゃたぶん気付いてないな。
まぁ、そんなところがまた一層可愛らしいんだけど。
鏡がないから見ることはかなわないが、今の俺は物凄くだらしないにやけ顔をさらしながらサーシャの頭を撫でていることだろう。
撫でてもらいやすくするためか、俺が頭を撫でている時のサーシャは少し下を向いている。
だから俺のにやけ顔はサーシャに見られていないが、もし今の俺の顔をサーシャが見たとしたらどんな反応をされるだろう。
幻滅されるだろうか、それとも嫌われてしまうだろうか。
前者はともかく、後者は困るな。
俺はサーシャに嫌われたくない。
頭を撫でるときはポーカーフェイスを心がけるか。
困るといえば、最近のサーシャの口癖にも困っている。
四日ほど前から、俺が何か言う度に「ヨシトお兄ちゃんの言う通りです!」「ヨシトさまの言う通りです!」「ご主人さまの言う通りです!」と、まるで俺の言うことはすべて正しいとでも言わんばかりに俺の発言を肯定するようになってきてしまっている。
これはまずい。
このままだとサーシャが俺のことを全肯定する肯定マシーンになってしまう。
俺だって間違えることがあるのだということを早めに理解させないとそのうち、俺が黒いモノを指差して「あれは白だ!」と言えば「はい! ヨシトお兄ちゃんの言う通りです!」と黒を白として認識してしまう変な子が誕生してしまうことになる。
そんな洗脳教育をするつもりはないし、サーシャには物事を自分の頭でしっかりと考えられる大人に育ってほしい。
だから、この問題はまだ修正がきくであろう今のうちになんとかしなくてはいけない。
俺がサーシャの教育について考えているとコンコンと部屋の扉がノックされた。
「ヨシトさん、サーシャちゃん、起きていますか?」
もはや狂人の声にしか聞こえなくなってきたこの優し気な声はアリアの声だ。
パーティを組んだ翌日からアリアは毎朝かかさずに俺たちの部屋を訪ねてくるようになった。
今も扉を開けに行ったサーシャと「サーシャちゃん、おはようございます」「おはようございます、アリアさん」と仲良く挨拶を交わしている。
アリアが俺たちの宿泊している部屋の隣の部屋に連泊している理由はパーティメンバーである俺たちとできるだけ一緒にいたいからと、できるだけ長時間俺と愛を語り合いたいからだそうだ。
なんとも迷惑な話だが、そんな理由があるためアリアは俺たちが起きる頃合いを見計らって毎朝突撃してくる。
毎日朝から晩まで、それこそ朝食を食べているときから夜寝る直前まで愛、愛、愛、と聞かされるこっちはたまったもんじゃないが、アリアは今の状況が相当楽しいらしく、毎晩満足そうにしながら部屋へと戻っていく。朝来るときも当然満面の笑みだ。その笑顔は大変美しく、不覚にもときめいてしまった日も少なくない。
今日も今日とて朝食前に突撃してきたアリアと挨拶を交わしてから朝食だ。
サーシャが朝食を用意している姿を眺めながら俺とアリアは互いの体調を確認し合い、今日の予定を決めていく。
冒険者は身体が資本だからな。
体調が悪いと仕事ができない。
パーティメンバーの状態を把握することはとても重要なことなのだ。
幸いなことに、俺はこっちの世界に来てからは一度も体調が悪くなっていない。
アリアも身体は強い方らしいし、サーシャも俺と出会ってからは体調を崩したことがない。
いつものように互いの調子が良好であることを確認した後は今日は仕事をするかしないかという話になる。
俺は貯金がそこそこあるから何日か働かなくても全然問題ないし、アリアも長期間ソロで活動していたルビー級冒険者だけあってかなりの金を持っている。
仮に金がなかったとしても、俺とアリアならソロでも簡単に金を稼ぐことができる。
パーティメンバーは常に一緒に仕事をしろなんて規則はないのだから俺たちとアリアのどちらかが仕事をしないと言ったとしても、もう一方はソロで依頼を受ければいい。それだけで金銭問題なんてすぐに解決する。
要するに俺たちはパーティとして仕事をする必要がないのだ。
だから本来であれば、この話し合いは今日は一緒に仕事をするかどうか、休みにするなら一緒に行動するかどうかという話し合いになるはずだった。
ただ、なぜか俺とサーシャはアリアに甚く気に入られているらしく、俺が「今日はアリアとは別行動にしたい」とでも言わない限りはアリアも俺たちの予定に合わせて行動してくる。
ゆえに、元々は一応パーティを組んだのだから互いのその日一日の予定くらいは把握しておこうということで互いの予定を話し合うために設けた場だったはずなのだが、アリアが俺たちに合わせてくるため実際にはこの時間は、パーティのその日の行動を決めるための場となってしまっている。
そんなわけで、パーティを組んで以来、俺には心休まるときが朝起きてからアリアが部屋に来るまでと夕飯後アリアと別れてから寝るまでのわずかな時間しか存在していない。
そろそろサーシャと二人きりでゆっくりと休日を満喫したいのだが、パーティ結成からまだ数日しか経っていないというのに俺たちとアリアがパーティを組んだことがなぜか広く知れ渡ってしまっている。
そのせいで、もしアリアと別行動をしてその間にアリアがおかしな行動をとってしまったらアリアとパーティを組んでいる俺たちの外聞まで悪くなってしまうのではないか、そうなったら余計に女の子が寄りつかなくなってしまうのではないかという言いようのない不安に襲われ、アリアとの別行動に踏み切ることができずにいる。
「ご主人様、お食事の用意ができました」
「ありがとう。今日も美味しそうだ」
何をするか具体的な予定は決めていないがとりあえず休みにしようと思っているということをアリアに告げていると、サーシャから食事の支度が整ったとの声をかけられた。
朝食の準備とはいってもテーブルを拭いてその上に昨日のうちに購入しておいたパンやサラダなんかを載せた皿を置くだけなのでそれほど時間はかからない。
体調を報告し合い、その日の予定について話し始めたあたりで朝食の準備が終わるのはいつものことだ。
「「「いただきます」」」
少し行儀が悪いが、俺とアリアは朝食を食べながら会話を続ける。
「それで、今日はこの部屋でぼーっと過ごすのも悪くないかなって」
「お部屋で休養なさるということですね」
「ああ。だから、アリアも自由に過ごすといい。最近は教会にも行っていないだろう?」
アリアは教会で暮らしていたくらいなのだから、教会の者とも仲が良いはずだ。
数日ぶりに顔を見せに行くのもいいんじゃないか?
というか行ってくれ。
教会でならアリアも問題を起こさないだろうし、もし問題を起こしそうになってもアリアと顔見知りの教会の人たちが未然に防いでくれるだろう。たぶん。
「教会、ですか?」
なぜかきょとんとした顔で首を傾げるアリア。
教会に行ってみたらどうかと勧めただけのつもりだったんだが、何かおかしなことを言ってしまっただろうか。
「教会にお世話になっていたくらいなんだし仲の良い人くらいいるだろ? 久しぶりに会って話してきたらどうだ?」
俺の言葉がうまく伝わらなかったのかと思って言い直してみたが、それでもまだアリアは不思議そうな顔をしている。
一体どうしたのだろうか。
その疑問は次にアリアの発した言葉によって解消された。
「私、教会に仲の良い人なんていませんよ?」
「は?」
「私は教会に仲の良い人はいません。寝床を提供してくださったことには感謝していますが教会に思い入れもありませんし、特に教会へ行かなくてはいけない理由はないかと」
「……えーと、教会に仲の良い人はいない?」
「はい。いません」
「たった数日離れただけだけど、教会が恋しくなったりとかは?」
「特には。あそこは人が集まるので愛の素晴らしさを広めるには最適な環境でしたけど、そのこと以外はあまり印象にも残っていませんし。私の信仰は神ではなく愛にありますので」
今明かされる衝撃の事実。
アリアは神を信仰していなかった!
いつも修道服みたいな恰好をしているからてっきり神への信仰心はあるものかと思っていたんだが、それすらなかったらしい。
愛、愛、愛とうるさいのも神への信仰心が行き過ぎた結果そのようなことを口走るようになったのかと思っていたのに、どうやら違うらしい。アリアは天然物の愛信者だったようだ。
というかこの人、教会に仲良くしていた人がいないって言ってたけど、もしかしたら俺よりも知人友人が少ないんじゃないか?
「あー、えっと、その、アリアって、あの、友人とか、いる?」
あまりにも聞きづらいことだったから視線を左右に彷徨わせちゃった上にだいぶおかしな訊き方になってしまった。
というかなぜ訊いちゃったんだ、俺。
こういうのはそっとしておいてあげた方が、一歩間違ったらパンドラの箱だろこれ。
中から飛んでもない物が飛び出すんじゃないか!?
「友人と呼べるかはわかりませんが、仲良くさせていただいている方なら何人かいますよ」
ほっと一息、と言う感じだろうか。
アリアが口を開き始めたときは「わー待て待て。言わなくていい。言わなくていいから! 友達がいてもいなくてもどっちでもいいから!」と内心慌てふためいてしまったが、友人がいると聞いて安心した。
そうだよな。
友達のひとりもいないような人なんてそうそういるわけないよな。
はー、よかったー。
「まず、トールさん、サーシャちゃん。それとナーニアさんとは仲良くさせていただいているつもりです」
俺が落ち着いた瞬間を見計らったかのように続けられたその言葉を聞いて、俺は再び心臓が口から飛び出るような思いと少しの吐き気に襲われた。
最悪だ。
油断した瞬間にボディブローを食らった気分だ。
いま吐いたとして、口から飛び出るのは果たして朝食か、内臓か。
パンドラの箱の中身ほどではないにしろ、この世の闇をほんの少し垣間見てしまったような気さえする。
まさか三人だけしか仲の良い人がいないとは。
そして俺もその中にカウントされているとは。
本人が友人の少ないことを気にしていないようなのが救いか。
もしこれで、どよーんとした暗いオーラをアリアが纏っていたら俺はその重い悩みと深く考えもせずにそんなことを訊いてしまった自身への悔恨の重圧で確実に倒れていた。
ところで、挙げられた名前の中に知らない名前があったな。
「その、ナーニアさんというのは?」
「ギルドマスターのことですよ? トールさんもこのあいだ会いましたよね?」
ああ、あの人か。
「ギルドマスターってナーニアさんって言うんですね。初めて知りました」
「まあ、そうだったんですか。随分仲良さそうに話していたのでお二人はお知り合いなのかと思っていました」
アリア基準ではあれが仲良さそうになるのか。
たしかにギルマスはフランクだったけど、俺の方は初めて対面するギルマスの美しさに気後れしてしまって緊張しっぱなしだったと思ったが。
そうかそうか。アリアにはあれが仲良さそうに見えていたのか。
……あれが仲良さそうに見えるというアリアのぼっち度に開いた口が塞がらない。
なんだろう。涙が出そうだ。
この世界に来てそんなに経っていない俺でさえ、サーシャやアンナさん、ついでにアリアという気軽に話せる相手が三人もいるというのに、この世界で生まれ育ったはずのアリアの仲の良い人の数も俺と同じ三人とは、一体どうなっているのだろうか。
俺たちと会っていなければギルマス以外に仲が良いと呼べる相手がいなかったとでも言うのか。
ギルマスにしても、アリアが問題を起こしまくるから注意するために何度か話をしただけで、実は仲良くしているというのはアリアの思い込みである可能性もあるのではないだろうか。
単純に言葉を交わした回数が多いから仲良し認定しちゃっただけなのでは……いや、これ以上はやめておこう。
本当につらくなってきた。
これが真のぼっちか。
もしかしたら世界にはまだアリアを超える純正ぼっちがいるかもしれないが、俺が出会った中ではアリアは断トツのぼっち度を誇っている。
それを思うと俺なんてまだまだだったな。
俺にぼっちを名乗る資格なんてなかったんだ。
なんだろう、心にかかっていた靄が少し晴れたような気がする。
俺はぼっちじゃない。
そう思っただけで心が軽くなった。
まさかこんな悲しいことがきっかけで心が成長するとは思わなかった。
俺が人間的に少し成長できたのは喜ばしいことだが、アリアのことを思うと素直に喜べない。
成長のファクターというのはどこに転がっているかわからないものなんだなぁ。
……待てよ。
俺が個人的に仲の良いと思っている人数が三人。
アリアが個人的に仲が良いと思っている人数も三人。
同数なら、容姿の整っていない俺の方が人間的には圧倒的に負けているんじゃないか?
俺の容姿だってブサイクと言うわけではないが、というかそう思いたいが、決して整っているとは言えないはずだ。
それなら、総合的な魅力でいうと俺の方が圧倒的に負けているのではないだろうか。
いや、この世界に来てからの日数を考慮すれば仲の良い者の人数が少ないのは仕方ないと言えなくもない。
いやいやいや、そもそも仲の良い者の人数を気にしているのは俺だけだ。アリアは気にしていない。それを考えると、すでにこの時点で勝負にもなっていないのではないか。すべては俺の一人相撲なのではないか。勝手に一人相撲をしている可哀そうなやつという点ですでに俺の方が劣っているのではないか。
それに、俺の目的は恋愛とハーレムだ。
恋愛をしてハーレムをつくる。
そのためには容姿が良いにこしたことはない。
俺の目的のことを考えるなら俺が勝負すべきはぼっち度ではなく恋愛度、もっと率直に言えばモテ度だ。
モテ度において重要なのはまず容姿。
言わずもがな、容姿は相手のことを判断する最初の項目だ。
この項目において、俺は確実にアリアに劣っている。
アリアは中身はアレだが、見た目だけなら文句なく満点だ。
容姿レベルが及第点の俺とじゃ格が違いすぎる。
くっ、これが恋愛格差というやつか。
いやむしろ、だからこそ、アリアのぼっち度が俺よりも高いことでいい感じに俺との釣り合いがとれているのではないだろうか。
アリアよりもモテにくいがアリアよりもぼっちではない俺と、俺よりもぼっちだが俺よりもモテやすいアリア。
互いの力関係をこのように整理してみると、反比例しているようにも思える。
つまり、俺とアリアはイーブン。引き分けだ。
ふぅ、よかった。
俺はアリアに負けてなどいなかった。
実際にはモテ度が低くぼっち度の高い俺の完敗のような気もするが、それはきっと気のせいだ。錯覚だ。
そうだ、俺とアリアは対等なのだ。
ふはははは。あーはっは。はーはっはっはっは。
――などと心の平静を保ち、落ち着いたところで「あれ? もしかしてこんな風に勝手に相手をランク付けしてるからモテないんじゃね?」と思い至ったので『これからは人間的な魅力という点で相手と自分を比べるようなみみっちいマネはやめよう』と心に誓った。
ちなみに、食事中一切会話に参加してこなかったサーシャは静かに食事を食べ進め、パンの一欠片すら残すことなく綺麗に朝食を平らげていた。
うん。サーシャは今日も偉いな。