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紫色に染まる過去と未来6

 渡り廊下を渡り、B棟一階の中心部分にある一室の前に子守歌は立っていた。


 模様一つない重々しい木造りのドアを二度ノックした子守歌は、部屋の中から、「入りなさい」という声を耳にし、大きく息を吐き、先生の部屋のドアを開けた。

 冷房で冷やされた空気が、開けたドアから流れ出ないように、サッと先生の部屋に入った子守歌は背後でドアを静かに閉め、深々とお辞儀をする。


「失礼します」

「遅かったじゃないか。子守歌」

 黒い革が張られた、形の良い椅子に深々と座った先生は、窓の外を見つめながら言う。


「申し訳ありません。授業の合間に先生のお目にかかれるとよかったのですが、それは先生の望むところではないかと存じ上げまして、昼食時の放課を利用し、お目にかかることにいたしました」

 子守歌に背を向け、窓の外を向いていた先生は椅子を回転させ、子守歌と正対する。

 先生の前には、窓から射し込む陽の光で、艶やかに輝く傷一つない机が、子守歌との絶対的な距離を象徴しているかのように存在していた。


「そうか、だが、二限目と三限目の放課に私に会いに来ることもできたのではないかな?」

 両肘を机の上に乗せ、口の前で両手を組む先生。眼鏡の奥のキリッとした鋭い目が子守歌を見据えている。


「おっしゃる通りです。ですが、先生との対談におきまして、10分たらずの放課時間で、先生の気をわずらすのも、申し訳ないと存じ上げまして、私はこの昼食時の放課時間を選択いたしました」

「なら、なんだね、子守歌。君は先生の力が放課時間を乗り越えられない、とでも言いたいのかね」

 指先で片側の眉だけにかかる前髪を先生はとき、流れるように後方で束ねたテールもとく。


「い、いえ、違います。す、すみません。そこまで……頭がまわりませんでした」

 目を伏せる子守歌。その子守歌の意気消沈した姿を見て、赤い口紅が塗られた先生の唇が微笑む。

「まあいい。誰にだっていたらないところはあるものだ」

「大変……申し訳ありませんでした」

 子守歌は背後で組んだ両手をギュッと握りしめた。


「でだ、先生がお前を呼んだのは、セブンについてだ」

 子守歌はやはり、と思った。

 子守歌は視線を素早く動かす。部屋の両側を占める、ファイルや分厚い本の背表紙が規則正しく並べられた本棚。その上に飾られた、額に入った20はある賞状の中で、以前、先生の部屋に来たときにはなかった賞状が一つある。


「少佐から中佐に昇格なされたのですね。先生」

「ああ、察しがいいな。気がついたか」先生は新宿高貴のように、黒縁の眼鏡のブリッジを人差し指と中指を使って上げる。「このエンブレムを見て、気がつくとはなかなかだな」

 黒のスーツの左襟につけられた、子細な紋様が描かれた金色のエンブレムを先生は指先で撫でる。


「はい、以前のものよりも、さらに神々しく輝いていらっしゃいましたから」

 子守歌はエンブレムから先生の昇級を導き出したのではなく、部屋に飾られている賞状に書かれている文章を即座に読み解き、推測した上で、そのことを導き出していた。


「ふ、面白いことを言う」先生の鋭い眼光が弱まる。「まあ、それについては、今は横に置いておこう。でだ、話を戻すと、先生がお前を呼んだのはセブンとの面会をしてもらおうと思ってな」

「面会ですか?」


「ああ……」先生は頷く。「知っての通り、お前がセブンを捕えたたことで、『大人狩り』は止み、セブンによる反乱は沈静化できた。しかし、何十人、何百人いるかもわからない『セブンの残党』は、いまだすべて捕まってはいない。それに関して、我々大人たちは不安を抱いているのだよ」

「ですが、それならセブンから……もしだめならば、捕まえたセブンの残党から聞き出せばよろしいのでは?」

 大きくため息を吐き出した先生は、黒のタイツで包まれたしなやかな脚を組み直す。


「ふっ、大人たちを見くびってもらっては困るな。もちろんそんなことは、お前が想像するまでもなくやっているさ。だが、セブンの残党たちは誰一人として呪いがかけられたかのように、そのことを口にはしない。いや忘れてしまっているのだよ。おそらくは、セブン以外はな」

 セブンによる真なる力のためか、と子守歌は思った。


「だから、もし我々がセブンの残党を探し出そうとすれば、残党と疑わしき子供たちを拷問して、口を割らせるか、セブン本人から聞き出すほかない。だが、セブンにどんな拷問をしたところで一向に口を割ろうとしないのだよ。

 そこでだ、セブンを捕え、同郷の姉という立場のお前に先生は目を当てたわけさ。お前だって、罪のない子供たちを我々大人たちにいたぶらせたくはないだろう?」

「……私に選択の余地はないようですね」


「もともと、選択の余地など持ち合わせていないだろう? それにだ、先生はお前をかっているのだよ。我々大人たちに忠実な存在でかつ、セブンとその残党の一部を捕え、レモン島の希望の光となったお前にな」

「……話は以上ですか?」

「ああ、そうだ」


 先生の正面にある、机の上に置かれたホログラムパソコンを子守歌は目にする。網膜認証と指紋認証でブロックされたそのパソコンを利用するため、今すぐにでも先生の首と手を切り落とし、間接的に大人たちの世界に一石を投じることなどは、たやすくできる。だが、それは巨大な湖に石を投げ込むようなもので、何重にもセキュリティーがなされた、不確かな大人たちの世界では必ず先生の死はどこからか漏れ、この島、少なくとも東校が存在するエリアは、大人たちが居住する23島から送り込まれる兵士に即座に支配されてしまうだろう。

 子守歌自身が今すぐにできることは何もなかった。


「では、この件につきましては良い報告ができますように、全力を尽くさせていただきます」

「ああ、お前ならそう言ってくれると思っていたよ。期待をしているからな」

「では、失礼いたします」

 深々とお辞儀をした子守歌は、背後のドア開き、先生の部屋を出る。


 冷え切った空気を流し出すドアを静かに閉め、何をしていなくても汗が流れ落ちるほど、夏の熱気に満ちた蒸し暑さに好感すら抱きながら、子守歌はそっとため息をつく。


 理想と現実とのはざま。

 想像すらもしていなかった場所にいざなわれるような、不思議な感覚を子守歌は抱いていた。


 丁寧に磨き上げられたリノリウムの廊下を歩きながら、前を見据えると、廊下がふと、灰色に汚れた濁流へと変わり、幾つもの枝分かれした水路の分岐点にいるような錯覚に、子守歌は襲われた。

 そんな不思議な幻覚めいた映像を冷めた目で見つめながら、子守歌は自嘲気味に笑う。


 廊下を折れ、渡り廊下から望むことができる青い空を見上げ、煌々と素知らぬ顔で輝く太陽を見つめる。

 その空に輝く太陽の如く、世界に温かな光を降り注ぎ、世界をあるべき方向へと導く存在であると、子守歌は自分自身を信じていた。だが、それはただの自惚れであり、傲慢であり、子供の夢物語でしかなかったように今では思う。


「セブンと私は大差がないな」

 俯き、砂で汚れたコンクリートへと子守歌は言葉をこぼす。

 そのとき、子守歌の嘆きの呟きをかき消すかのように、さわやかな風に運ばれてきた、美しくも繊細な鼻歌を子守歌は耳にする。

 鼻歌が聞こえてきた方向へと目を向けると、中庭のベンチに座ったイオンが目に入った。


 哀愁漂うメロディーが、子守歌の憂鬱な心に染み入り、自然とイオンのもとに足を運んでしまう。噴水の水しぶきによってできた虹の架け橋を潜り抜け、イオンのそばへと近づいてゆく。


 赤茶色のベンチに両足を乗せて座るイオンは空を仰ぎながら、群がる小鳥たちに語り掛けるように、鼻歌を歌っていた。


 子守歌の強張っていた心が、そのメロディーにほぐされてゆく。

 と、突然、子守歌の存在に気がついた小鳥たちが、逃げるように舞い飛び、同時にイオンの鼻歌も止む。そして、そばに立つ子守歌に気がついたイオンは、子守歌を見つめる。長い前髪に隠れていない左目だけが子守歌をじっと見据えている。


「すまない。脅かしてしまったな」

「いえ」ベンチの上で座ったイオンは両腕で両膝を抱きしめる。「小鳥というものは、元来警戒心が強いものなので、誰が近づいたとしても、たぶん逃げたと思います」

「そうか……美しいメロディーだったな。何という名の曲なんだ?」

 イオンの青い瞳が微かに震える。


「……よくわからないんです。心の奥に浮かんだ曲を口ずさんだら、あのような曲になってしまって……」

「そうか……」子守歌はベンチわきに存在する、首の長い照明の柱に背をあずける。背後に立ち並ぶ木々の梢が風に吹かれ、葉擦れの音を響かせている。「すごいんだな。君は」


「曲について言っているのなら、あれはたまたまです」

「曲だけじゃない。小鳥と会話することができ、さらに、この前の実践試験だけで、東校の生徒を45人抜きしたじゃないか」


「実践試験? ……45人抜き? ……ああ、そのことですか」膝の上に顎を乗せ、イオンは言う。「たぶん、あの結果は何かの間違えだと思います。自分は実践試験の途中で気絶をしてしまい、何もしていないはずですから」

 そのイオンの言葉を聞き、子守歌は敷き詰められたレンガへと落としていた視線を上げ、イオンを見据える。


「実践試験の結果は何かのミスだと言いたいのか?」

「はい、たぶんそうだと思います。機械による処理は完璧なように見えて、どこかに齟齬が生じるものなのです。それに自分で自分のことを卑下するのは何ですが、自分ができの悪いのは嫌というほど分かっていますから」

「そうなのかな。小鳥と会話することができるというのに……」

 子守歌のその言葉に、俯いていたイオンは顔を上げる。少しだけ緊張が解けたらしく、表情の強張りが薄れ、イオンは目を細め、顔をほころばせる。


「ふふふ、自分が小鳥さんたちと会話できると本気で思っているのですか?」

「違うのか?」

「違います。会話はできません。できたらいいなとは思いますが……」

「だが……」

 子守歌は言葉を挟もうとするが、イオンが言葉を続ける。


「けどですね……なんとなく彼らの気持ちが理解できるような気はするんです。ほら、彼らの鳴き声の違いで今何を感じているのか……子守歌さんはわからないですか?」

 背後のそびえ立つ木々の梢に止まり、鳴いている小鳥たちの澄んだ鳴き声に子守歌は耳を傾ける。

「……残念だが、私にはわからないな」


「そう、ですよね。なんか、自分はおかしいんです。おかしくなっているんです」

 子守歌を見据えるイオンの顔には笑顔が浮かべられてはいたが、その笑顔はイオンが口ずさんでいた鼻歌同様にどこか哀しみが含まれていた。

 そして、子守歌もイオンにつられるように言葉を零す。


「……それなら、私も同じだよ。作られたときから、ずっと、おかしいさ。ずっと……」


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