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紫色に染まる過去と未来5

 真なる力を誰かに知られることは、自らを死に近づける行為と等しく、多くの能力者が嫌うことでもある。

 

 そのことは、平均的な能力者の性質からかけ離れ、特異的ともいえる感覚の持ち主でもある殺意・イマジネーションですら例外ではなく、東校の生徒が聞いている中で、殺意の真なる力について、子守歌が口にしようとしたあの瞬間、自らの真なる力を大多数に知られたくない殺意は、子守歌と戦うのを止めた。


 ちなみに、子守歌は殺意の真なる力のすべてを知っているわけではない。幾つもあるだろう殺意の真なる力のうちで、子守歌が知っているのは二つのみ。その二つですら、過去三度の戦いから導き出した、張りぼてまがいの推測の域を出ないものでしかない。しかし、それでも、殺意に十分効果を発揮する結果となった。


 直情的かつ暴力的、さらに子守歌には理解できない独特な感性をもつ殺意が、ごく一般的な能力者の感覚も持っているのだと、子守歌は記憶にとどめた。


 規則正しく席に座る生徒の向こう側、教室の前面には横長の長方形の黒板がある。その黒板上部に設置された円形の時計の短針は、12時を少し過ぎたあたりを指していた。


 現在は四時間目の数学の授業。縦1・5メートル、横10メートルの黒板一杯に、複雑な数式がただ一問の解答のために書き連ねられている。


 落葉が、緑色の長い髪をチョークの持っていない左手でいじりながら、十二次元微分関数の問題を解いている。


 身長150センチしかない、平均よりも華奢な体つきをした落葉の横に立つ数学教師は、片手を教卓に置き、もう片方の腕にはホログラムパソコンを乗せ、ディスプレイを見つめている。

 落葉の解答が合っているのかどうかを確認しているのだろう。


 黒のスーツに身を包んだ、髪に白髪がちらほら混じる数学教師の視線を気にしながら、落葉は解答を解き進めている。時々、黒板に解き進める数式の形が歪んだり、数字や記号の形が乱れたりすることから、やはり緊張しているのだろう。


 本能的に大人たちを恐れる感覚が、どの作られた子供たち(コピードール)にも視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚などの五感同様に備わっていた。

 それは、子守歌ですら例外ではなかった。


 真なる力を持たず、身体能力、学習能力、適応能力などのあらゆる面において、作られた子供たち(コピードール)よりも圧倒的に劣る大人たちに対し、何故ほぼすべての子供たちが、大人たちを恐れてしまうのだろうか?

 今、手に入れることができる限られた情報からでは、それに対する明確な答えを子守歌は導き出すことはできなかった。しかし、恐らくはこういうことなのではないかと思っていた。


 遺伝子による支配。


 すべての子供たちには、大人たちを恐れるある種の遺伝子が組み込まれているではないだろうか。それは例えるならば、見ることも感じることもできない神を怖れ敬うのと、同系列の遺伝子が。


 時計わきにあるスピーカーから、鐘の音に似たチャイム音が流れる。それとほぼ同時、落葉は十二次元微分関数の問題を解き終えた。数学教師はその解答を一瞥し、何度か頷いたのち、ホログラムパソコンのキーボードに文字を打ち込む。そして、落葉に何を言うわけでもなく、そそくさと教室から出て行ってしまった。


 取り残された落葉は胸に手を置き、ほっと一息をついたようだった。

 数学教師が出て行った教室内は、張り詰めた空気が一気に緩み、陽気な喧騒に満ち溢れていた。ふと、子守歌は廊下側一番前の席に目をやると、その喧騒とはかけ離れた、どこか哀しみすら含んだ雰囲気を醸し出すイオンが教室を出てゆくところだった。


 無駄な脂肪を極限までそぎ落とした、触れると壊れてしまいそうなほど細い体躯をしたイオンのふらつく足取りが子守歌の目につく。と、そこに

「子守歌~、僕、疲れたよ~」

 子守歌のすぐ前の席に座った落葉は、背をぐったりと椅子にあずけ、天井を仰いでいる。髪の間から覗くTシャツの背には、汗のシミができていた。


「よくやったじゃないか。時間はかかったが、あの問題を最後までたどり着けたのは上出来だったと思う」

「もう、ああいった難しい問題は僕じゃなくて子守歌に当てて欲しいよ。おかげで僕は解答を書いている40分間、緊張しっぱなしで、手は震えるし、足は震えるしで、散々だったよ。あ~、汗がべたべたして気持ち悪いよ~」落葉はスカートをはためかせながら言う。


「評価されているのだよ。この前の累計試験結果で大きく順位を上げただろ。その評価の結果が、これさ」

「そんな評価の仕方はいらないよ。本当にパニック状態で、時々、頭の中で十二次元関数が十四次元関数や十八次元関数のイメージに何度もすり変わって、数式が合っているかどうか、ビクビクしながら何度も確認したんだから……」

「そりゃあ、大変だったな」


「笑いごとじゃないよ……でも、まあ、もう終わったことだからいいんだけどさ」机横に掛けられたリュックサックから、落葉はイチゴ模様の弁当袋を取り出す。「さあ、お昼ご飯の時間だよ。早く食べようよ。もう僕、お腹がペコペコなんだ」

「ああ、そうだな」

 空腹感は生じてはいないが、子守歌も机横に掛けられた学生カバンから昼食のあんぱんを取り出す。


「なんだよ、子守歌。またコンビニで買ったパンじゃないか」

「まあ、そうだな」

「それじゃあ、栄養が偏るよ。毎度言うけどさ、午後持たないんじゃないの?」

「毎度言うのだが、これだけで午後持たなかったことない。エネルギー効率がいいのだよ。私は……」

「いいな~、プロトタイプじゃない子守歌は」

 ポリプロピレン素材の無色透明の包装袋を開けようとしたとき、子守歌は横から声を掛けられた。


「委員長、先生がお呼びになっております」

 子守歌の横にいつの間にか立っていた、眼鏡をかけた男子生徒――新宿高貴を子守歌は一瞥する。

「……ああ、そういえば今日は月曜日か。定期とは言えないまでも、また昼食時にか……先生は私に昼食を食べさせたくないのかな?」


 黒縁眼鏡のブリッジを人差し指と中指で新宿高貴は上げる。

 背筋の伸びた礼儀正しい姿勢と、感情の抑揚が極めて少ない声色をしたこの男と関わるときはいつでも、子守歌は居心地の悪さを感じる。


「いえ、そんなことはないと思います。ただ、意見を申し上げますと、早めに先生にお会いになったほうがよろしいかと……」

「もちろん、今から会いに行くさ」

 椅子を下げ、立ち上がった子守歌はあんぱん(未開封)を白衣のポケットに入れる。

「なら、委員長。新宿めはこれで」

 儀礼的な一礼をしたのち、新宿高貴は教室を出て行った。


 ストレートのミディアムヘアに、常に無表情の新宿高貴。前時代の夏物の学生服に身を包んだ、パッと見、極めて真面目で神経質そうな雰囲気をした、副委員長である新宿高貴を子守歌はあまり好きではなかった。

「落葉、悪いが、先生に呼ばれたようなので、昼食は一人で食べてくれ」

「う、うん」

 落葉の緊張感を含んだ声色に子守歌は微笑を返し、教室を出る。


 白衣のポケットに両手を突っ込みながら、緑色のリノリウムが張られた廊下を歩く。左側に連なる窓から、斜めに射し込んでいる陽の光を横目で見ながら、子守歌は新宿高貴について考える。


 『前回の東校累計試験結果で4位の新宿高貴。

 その内訳に当たる4度の試験の内、

 学力試験2位、運動能力試験6位、技能試験3位、実践試験5位。

 冷静沈着かつ論理的。計算高く自らの手を汚すことを嫌う、典型的な策士タイプ。

 身長180センチ、体重70キログラム。

 真なる力については不明。

 そして、後期型コピードールか……』


 新宿高貴の情報を引き出してみたところで、何かが見えてくるわけでもない。そもそも、新たな情報を追加するわけでもなく、新宿高貴について分析し、考えている自分自身におかしさすら感じた。

 先生と一対一で面会することにナイーヴになっているのだ、と子守歌は自己分析する。


 うつむき加減で歩く子守歌の前方から4人の男子生徒が歩いてきた。冬物の学生服に身を包んだその男子生徒たちは子守歌を認識すると、わきへと避け、道を開ける。

 緊張感を孕みつつも、抑圧した視線を向けるその男子生徒たちを横目に子守歌は何事もなかったかのように、彼らの横を通り過ぎる。


 子守歌が通り過ぎたのち、4人の男子生徒たちが再び談笑を始める。口々に子守歌の悪口を言っているのが耳にちらついた。

 子守歌は立ち止まる。そして、振り返る。

 と、それとほぼ同時、すれ違った4人の男子生徒たちも振り返った。


「なんだよ。委員長さん。俺たちに何か用かよ?」

 4人の中心に立つ、オールバックヘアーの秋葉(あきは)竜一(りゅういち)が子守歌を睨みながら言う。目の下の黒々とした隈と、頬がこけた病的なまでに青白い肌が、その男子生徒の特徴だ。

「用はないさ」

「なら、何だい? 権利を利用して俺たちを裁こうという魂胆かい? どこか俺たちの仕草に問題があったのかい?」


「……問題などない」

「なら、どうして、そんなところで突っ立っているんだい? ああ、そうか。俺たちがしゃべっていたあんたに対する評価ってやつを耳にして、ムカッ腹を立てられちまったってわけか」

 唇をゆがめ、歯をむき出しにして笑う秋葉につられ、他の3人の連れ合いも同様に大仰に笑う。


「別に、私の悪口を言ってもらっても構わないさ。ただ、いつまでもセブンに捉われているな、と私は言いたい」

 セブンという名を子守歌が口に出したとたん、秋葉の瞳孔が日中の肉食動物の瞳孔の如く、キュッと収縮する。秋葉の周りにいる3人の男子生徒の笑いも突如収まる。


「……へっ、セブンって、あのセブンのことかい? 大人たちからの解放を夢見て、夢の世界を実現しようと反乱を試み、夢半ばで捕まえられたあのバカのことか?」

「ああ……」

「へへへ、おい、お前たち、委員長さんは権力を見せつけたいらしいぜ。いや違うな。自分の功績を俺たちに見せつけたいらしいぜ」


「私はそんなつもりはない」

「なら、なんでセブンの名前を出すんだよ。俺が『セブンの残党』だとでも言いたいのか? あん?」

「ああ……」

 子守歌のその言葉に、秋葉は全身を強張らせる。他の男子生徒3人からすでに笑みは消え、空気は重々しくなり、殺気が含まれてゆく。


「いい加減なことを言いやがって……。根拠もないくせに」

「根拠か……」

 子守歌はそう言い、秋葉たちに背を向け、歩いて行く。その子守歌の後姿に、秋葉は罵声を浴びせかけた。


「逃げるのかよ。へっ、どうせ、あんたは道化みたいなものさ。誰もあんたのことなんて慕っちゃいない。たまたま、運よくセブンとその残党を捕まえ、大人達に媚びを売って、気にいられ、今の立場を手に入れられたかもしれないが、俺たちはあんたのことを委員長だと認めていないぜ。

 だがな、俺達もバカじゃない。あくまであんたに対して礼儀を尽くすのは、あんたの背後にいる権力に頭を下げているだけだ」離れゆく子守歌の背中にさらに声を荒げ、罵声を投げかける秋葉。「聞いているのかよ。おい! クソが! ……まあいいさ。無視するなら無視すればいい。けどな、覚えておきな。あんたには敵ばかりだってことをさ。へへへへへ」

 廊下を曲がり、階段を下ったところで、秋葉たちの子守歌へと投げかける笑い声は消えた。


 先生に会うという緊張感から、秋葉達の安っぽい挑発に乗ってしまった自分自身の浅はかさに、子守歌は嫌気がさしていた。

 嫌われていることはもちろんわかっていた。セブンを捕え、委員長という立場についたことで、東校内ですら敵が増えたこともわかっていた。しかし、それらをすべて受け入れた上で、自分は現在の立場についたはずではないのか、と子守歌は自問する。


 階段を下りきり、A棟からB棟へとつながる、一階の渡り廊下を歩く。


 コの字型の|部分に当たる渡り廊下。その左側に当たるA棟とB棟の間の空間には、2時間に一度の割合で噴水が舞い上がる中庭がある。

 中庭の中心に存在する噴水。噴水を中心として円状に敷き詰められたレンガ。噴水を囲むように一定間隔に並べられたベンチ。


 先生と面会をするときはいつも、誰もいないその中庭を見渡し、気持ちを整えるのだが、今日に限っては光景が違った。


 噴水が舞いがっていたわけではない。噴水を見下ろすように生い茂る木々が赤い花を咲かせていたわけでもない。ベンチわきに設置された首の長い照明が誤作動を起こし明滅をしていたわけでもない。

 ただ、中庭のベンチにイオンが座っていただけ。


 小鳥たちが、イオンの周りを飛び交い、小鳥たちに語りかけるように、イオンは微笑みを浮かべている。陽の光を受けた彼女の体は、薄い膜で包まれているかのように輝いて見えた。

 そのささやかだが、陽気な光景に子守歌は一瞬、すべてのことを忘れてしまった。


 そして、現実に戻ったとき、もう何か月も浮かべることを忘れていた、自然にこぼれる微笑を浮かべている自分がいたことに、子守歌は気づかされた。


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