紫色に染まる過去と未来4
レモン島には、中央部分を除いた東西南北に4つの能力者養成学校が存在する。
東エリアを管轄する東部能力者養成学校(通称:東校)や、西エリアを管轄する西部能力者養成学校(通称:西校)等の4つの能力者養成高校が、ほぼ均等に面積配分されたエリアをそれぞれ管理している。
レモン島に所属する200人とも、300人とも言われている能力者たちは、基本的に自身が所属する学校の管轄エリア内で生活を営んでいる。『所属エリアが違えば敵』という認識が強い能力者同士は、よほどのことがない限り、自身の所属エリアから足を踏み出し、他エリアの能力者と関わることなどしない。
しかし、何事にも例外が存在する。
それが先日行われた、他校同士の交流機会でもある、所属校ごとの対抗実践試験である。
学校ごとの威信をかけた戦いであり、自らの価値を高める場でもあるその試験は、各校ごとのポイントの大小を競う合うものであり、突き詰めれば、能力者個人がどれだけポイントを稼ぎ、自らの価値を高めることができたかに収束する。
そのポイントの算出方法は複雑であり、能力者の中には『大人たちのご機嫌次第』と言う者すらいるが、一つだけはっきりとしていることがあった。
それは、どれだけ敵を倒すことができたかである。
多くの敵を倒すことができた者がポイントで上位を独占している。過去に何十回とその試験をくぐり抜けてきた能力者たちにとって、その事実は教科書に書かれている内容と同じくらい信じるに値することであり、明らかなことでもあった。
なので、実践試験では、多くの負傷者や死者が出た。
子守歌自身も、麻痺系統能力者によってダメージを受けた左腕の痺れが、昨日まで取れなかったくらいだ。
痺れが取れた左手に学生カバンを持ち、前時代の学校と同形状をした鉄筋コンクリート造りの校舎へと子守歌が入ると、各校の総合結果が発表されたことで、浮足立った晴れやかなざわつきに校内は溢れかえっていた。
コの字型をした、渡り廊下でつながる二つの棟。その下部に当たる、一般教室棟が入ったA棟三階にある301の教室に子守歌が入っていったとき――三階には他に302、303、304と教室があるが、どの教室も使用されていない――普段ならば、一瞬の静寂ののち、再びざわつき出すにもかかわらず、今日に限ってはその一瞬の静寂が存在しなかった。
前時代の教室の1・5倍の広さを誇るその教室の窓側最後部の席についた子守歌は、机に頬杖をつき、普段通り、窓の外を望む。
窓から望むことができる景色は、もちろんのこといつもと変わりなかった。
右側には15階建ての、建前上は東部能力者病院と名付けられた研究施設がそびえ立っている。左側には信号のように赤、黄、青色と3色に色分けされた屋根を持つ、地下には複数の訓練施設を備える体育館が並び、正面眼下には用途がそれぞれ異なる5つのグラウンドが、まるで過去に存在した富士五湖の連なりのように、鎮座している。
ため息を一つついた子守歌が視線を上げると、5つのグラウンドの向こう側に、高さ10メートルはある巨大な正門が目に入る。褐色のその正門から左右に伸びる、触れれば一瞬で意識を吹き飛ばすほどの強力な電流が流れる、有刺鉄線付きフェンスが東校を守るように囲んでいる。
ここは監獄という表現が適切な場所だな、と自分の席から窓の外を見下ろすたびに子守歌は思う。そして、フェンスの向こう側に見える、深い緑色をした森林を目にするたびに、切実に自由を夢見る。
夢見てもしょうがないことなのに、毎朝、自分の席につき、窓から眼下に広がる景色を望むたびに思ってしまうのだ。
「で、私に何か用かしら……」
声のした方向に顔を向けると、黒一色のセーラー服に身を包んだ殺意・イマジネーションが、ちょうど子守歌の横二メートルの位置に立っていた。
切りそろえられた黒い前髪の下から覗く、研ぎ澄まされたナイフのように鋭利で凍てついた両目を子守歌へと向け、殺意は今か今かと返答を待っている。教室に来ている34名の陽気で浮足立った雰囲気とは明らかに異なる、赤黒く染まった苛立ちすら、全身から醸し出している。
「ああ、私が送ったメールを見てくれたんだな。それで、普段よりも早く学校に来たのか?」
「そんなわけないわ。何で私があなたなんかのために」
腕を組み、子守歌から顔をそらす殺意。長く艶やかな横髪が揺れ、左目の下にあるホクロが子守歌の目に入る。
「なら、なんで、こんなに早く学校に来たんだ?」
「気晴らしよ。いつもいつもチャイムとほぼ同時に教室に入ると、あの女に心証が悪いでしょ。だから、早く来たのよ。で、何の用なの?」
「そうか……」
白衣のポケットに両手をつっこんだ格好で座っている子守歌は、口元に笑みを浮かべる。
「なんで、笑うのよ。私をバカにしているの? いいのよ。この場で今すぐにでもあなたを切り刻んであげても」
「……そんなことできないだろ?」
子守歌の返答に歯を食いしばる殺意。殺意の右手は胸元に垂れる赤いリボンを握りしめ、膝を覆うほど長いスカートはフワッとなびく。
「できるわよ。私にできないことはない」
「ほお、随分と欲求不満がたまっているじゃないか。累計試験結果が6位へと落ちたせいか?」
殺意の下瞼がピクリと動く。どうやら、そうらしい。
「違うわよ!」
「不思議だな。この前の実践試験で、私と同じように三人を葬り去ったそうじゃないか。それにもかかわらず、私は一位のままで、お前は順位を三つ落とした。学力試験の結果でも悪かったのか?」
黒の碁石を思わせるほど深い黒色をした殺意の瞳が、子守歌の顔を凝視している。
「学力試験の結果は悪くなかったわ」
「なら、どうして順位を落としたんだ?」
「……単純に、私のテリトリーに雑魚どもが入り込んだから、動けなくしてやったからよ」
殺意は目を三方向へと動かす。動かした三方向には3人の生徒がおり、3人が3人共、太ももや膝、ふくらはぎ等の下半身に包帯が巻かれている。
「相変わらずだな。熱を持った思いは仲間かどうか関係なく切り刻む。優秀な能力を持っているにもかかわらず、暴れ馬並みに抑えのきかないその気性は、見かけの清楚さとはまったく違うな」
「……褒めているつもりなのかしら?」
腰までかかる長い黒髪を掻き上げる殺意。
「褒めてなんかいないさ。事実を述べただけだ。それとも、事実を断片的に汲み取り、褒められていると錯覚でもしたのか?」
頬を紅潮させていた殺意の顔が歪む。
「そんなバカなこと、私に限ってはありえるはずがないわ」
「そうか……なら、うまく事が運ばない怒りの矛先を、物に当てるというのもあり得ないことだな」
一瞬の空白のような沈黙の後、殺意は無表情で小さく呟く。
「……ありえないわ」
「なら、よかった。最近、どこかの不届き者が、学校の備品を切り刻んでいるらしいんだがな。てっきり、私はお前がその不届き者だと思ってしまっていたよ」
「……そんなくだらないことで、この私をメールで呼び出したの?」
「呼び出したとは言いすぎじゃないのか? どうせ毎朝顔を合わせるのだし、私は時間があれば、話がしたいとメールを打っただけなのだが……。
それともあれか? 私がお前に強く関心を持ち、特別な権利を持つ委員長として、お前に何かうまい話でも持ってきたとでも勘違いでもしたのか?
例えば、喫茶店『キイチゴ屋』の隠しメニューであるデンジャラスパフェを注文できる権利を与えるとか……」
下唇を噛み、殺意は褒められたときよりも顔を紅く染める。どうやら図星だったらしい。
「そ、そんなこと思っていない!」
「なら、よかった。私が言いたかったことはそれだけだ」
と子守歌は述べると、殺意は顔をダラリと前へと垂らし、肩を震わせた。
「そんな、くだらないことで、私を呼び出して……」
殺意の周囲に風がまとわりついているかのように、スカートが波打つ。殺意の長く艶やかな髪は、まるで黒色の翼の如く、左右に大きく広がった。
「くだらないことじゃないさ。重要なことだ」
ポケットから両手を出した子守歌は、目を細めながら殺意に言う。
「私の睡眠時間を10分も削っておいて、そんなくだらないことで!」
教室内に響く殺意の金切り声。教室内のざわつきは消え、生徒の全員が殺意と子守歌に注目する。
「がああああああああああ!」
殺意は咆哮に似た叫び声を上げるとともに、物をつかみ取るかのように指先を曲げた手のひらを子守歌に向けはしたものの、歯をギリリときしませ、唐突に動きを止める。
「どうしたんだ?」
窓ガラスに左手をそえた子守歌は殺意に言う。
「私は、あんたのそういった傲慢さが嫌いなんだ!」
「ほう、それは初耳だ。記憶に留めておこう。で、どうしたんだ? やるのか? やらないのか?」
殺意の右手指先から、キラリと伸びる5本の黒色の爪は、子守歌の首へと向けられている。
「…………」
沈黙する殺意。
「言っておくが、この場で争えば、間違いなく損をするのは殺意、お前だ。私は委員長として当然の義務を遂行しているに過ぎない。それに逆らったお前は大人たちによって、何らかの罰が下されるだろう。
さらにだ、この場で争ったとしても、お前は私には勝てない」
「……自信があるなら、またやってみる? ふふふ……」
黒の口紅で彩られた殺意の唇が、挑発的に微笑む。反面、目は笑うことなく子守歌の動きを探っている。
「やってみてもいいさ。ただ、過去三度のお前との戦いと同じような結末をたどるだろう、とだけは言っておこう。
まあ、だが、それだけではお前の高ぶった気持ちは収まるまい。だから、どうなるかは教えておいてやろう。
突き出した私の首筋を狙った右手ではなく、構えすらしていない左手で狙うであろう私への下半身への攻撃は、はっきり言って私には効かない。さらに、私に攻撃を避けられたお前は、次の一手を打つ間もなく、私に無力化させられるとだけ断言しておこう」
「……へえ~、面白い想像ね。一応、聞いておいてあげるけど、私の行動に関するその妄想をどうやって導き出したの?」
平静を装っている殺意だが、攻撃パターンを読まれたことによる動揺が声に滲み出ていた。
「ああ、そんなことか、単純なことさ。
気が付いていないようだが、お前はまず初手に左手で攻撃する癖がある。なので、突き出した右手はフェイクの可能性が高い。さらにだ、直近一か月の間でお前と戦った30人は、動きを封じられたあとにいたぶられている。このことから、新たな喜びを覚え、攻撃パターンを増やしたお前は、私に対してまだ使ったことのないこの新たなパターンで攻めてくる可能性が高い。
そして、次のことが決定的だ。
殺意。人間は突き出した手で攻撃するのが難しいのだよ。見せかけで私をだまそうとしたらしいが、残念だったな。鏡で自分の攻撃態勢をちゃんと確認したほうがいいぞ。悲しいくらいに不自然だ」
殺意は、突っ立ったまま右手だけを突き出している不自然な攻撃態勢から、すぐに半身の攻撃態勢に切り替える。今は右手を前に出し、左手を引いている。
「ぐぐぐぐぐ。本当に嫌な奴ね、あんたは……けど、ふふふふふ、こういっちゃなんだけど、あんたはまだ武器すら手にしていないのよ。座っているあんたと、攻撃姿勢を取っている私のどちらが有利かしらね」
「余裕ってやつだよ。私が『再構成』を用いて、窓ガラスを例えば剣等に変える間、多少の隙が生じたとしても、お前の攻撃くらい軽くいなし、無力化するくらい訳はない。そう踏んだからこそ、私は立つことなく座って、こうやって楽しくおしゃべりをしているんだ」
子守歌の真なる力の一つ――再構成。
あらゆる物の構成配置を変え、新たな物へと構成しなおす真なる力。子守歌にとって窓ガラスをガラスの剣等の武器に変えるくらい訳はない。
「へえ~余裕ね……負けた時の言い訳かしら」
「違うさ。なら、もう一つ教えてやろう」
「何?」
「それはお前の真なる力についての私なりの分析だよ」
子守歌のその言葉に殺意は目を大きく開く。子守歌は殺意の驚いた表情に気がつきながらも言葉を続けた。
「お前の真なる力の一つである『10なる欲求不満の私』は……」と子守歌が言ったところで、殺意は再び、教室に響き渡るほどの金切り声で、
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」と叫んだ。
殺意の金切り声が止むと、子守歌と殺意の声以外に物音一つしなかった、静まり返っていた教室が、再びざわつきだす。
「どうしたんだ?」
余裕の笑みを浮かべる子守歌に対して、息を荒げる殺意。
「はあ、はあ、はあ……もういいわよ。もう気が済んだ。睡眠時間の10分なんてよく考えたら、どうでもいいわ。それによくよく考えてみたら、今日余分に10分寝ればいいわけだしね」
攻撃態勢を解いた殺意の周りにまとわりつくように吹いていた風が、消え去ったのを確認した子守歌は左手を窓ガラスから離す。
「まあ、そうだな」
「悪かったわね。イライラして……」殺意は冷ややかに言う。
「まあ、よくあることさ。特に私たち女はな」
「あ、それって、私があの日じゃないのかと、暗に言っているのね。違いますよ~だ。あっかんべ~~~だ」
舌を出して、あっかんべ~をした殺意は子守歌に背を向け、自分の席へと歩いて行く。
長く艶やかな黒髪を腰の上で揺らしながら、清楚な外見とは裏腹に、乱暴な仕草で廊下側の一番後ろの席に座る殺意。
その殺意の席から6つ前の席に座る一人の生徒に、子守歌は視線を送った。
同じ教室にいる生徒の誰とも関わることなく、椅子に座っているその生徒は、五日前にメロン島から転校してきた女子生徒――I-on。
白髪に近い髪色をしたボブカットの彼女は誰一人として敵校の生徒を殺すことなく、ただ一回の試験で45人抜きをし、東校3位まで上ってきた。
白のワンピースに身を包んだ、存在すら希薄に見えるほど、パーソナルスペースを限りなく狭め、椅子に座る彼女の雰囲気からは、ある種の恐怖感を子守歌は抱くことはできなかった。
だが、この世界には外見とまったく一致しない恐ろしい真なる力を持った能力者がいる。過去に何百人もの能力者を殺してきた子守歌は、そのことが痛いほどまでにわかっていた。