消えゆく絆と新たな絆-1
「今日は、すごく気分がいいわ」
寂れた工場群が林立するとある一角、以前はその工場群で働く人間を管理していただろう8階建てのビルの屋上から、夜景を見つめる私、殺意・イマジネーションはそう言葉を零した。
今のこの私の気分の良さは、圧倒的な破壊力を見せつけた紫色の光が、私達を管理している東校へと舞い落ちたためでもあるだろうし、廃墟然となっている工場内部にある重機械類、軽機械類の幾つかを、先ほど切り刻んだがためなのかもしれない。
生暖かい風は、私の腰までかかる長く艶やかな髪を揺らし、人工的な光が輝く、大人達が作り上げたレモン島全土へと、私の口ずさむ鼻歌を運んでゆく。
遥か彼方の水平線へと太陽は沈み込み、世界は宵に、やがて私が大好きな黒へと染まってゆく。
「今日はなんていい日なの」
気分上々の私は、内に溜まった破壊的な衝動によって、私を暴走させる真なる力『欲求不満』の溜まりぐあいがほぼゼロであることから、そう口ずさんでしまう。『欲求不満』がゼロなのは女だけが持つあの日が終わってから、ちょうど一週間だからなのかもしれない。
と、思ったところで、私は私に破壊されることを望むレモン島の汚い夜景を、気分よく見下ろしたのに、嫌な存在を目に入れてしまう。
工場群中心部に存在するこのビルからそいつまでの距離は、およそ500メートル。
コピードール全員がほぼ持つ、猫のように、また猫以上に夜目が利きすぎる能力が今日に限っては、マイナスに働いた。
「あいつ、委員長の特権を使って三日も休んだ挙句、挑発するように私の見える位置に現れたからには」
気が付くと私はビルの屋上から飛び降り、20メートル下の工場の屋根へと着地していた。
あらゆる存在を切り裂く真なる力である『10なる欲求不満の私』の発動に伴い、指先の10本の爪は黒色へとすでに色を変えている。
400メートル先にある、工場群に囲まれた小道を歩く憎き敵、子守歌は先端がもげた一方通行の標識を、燐光輝く右手で握り絞め、再編成なるものを使い、次の瞬間、標識を鍔の存在しない刀へと変化させた。いや、刀とはまた違う。刀よりも幅が広く、刀よりも遥かに長い、子守歌が握りしめたその武器は、子守歌の内なる怒りの炎を表現したかのようないびつな形状をした、正直、不細工にも見える太刀だった。
工場の屋根を飛び越え、次の屋根を走り抜け、私は子守歌へと近づいてゆく。
そして、子守歌から200メートルほどの距離に私が接近したその時、背後から近づく私の殺気に勘付いた子守歌は、私の方をゆっくりと振り向いた。
その瞬間、本能的に私は奴の視界から逃れるように、三角形で連なる屋根のちょうど物陰へと倒れ込むように隠れた。
一体、何が私をそうさせたのかわからない。過去に子守歌と三度戦い、すべて敗戦した私は、再び敗戦を帰する恐怖心からこのような行動を取ったのかもしれないし、真なる力である『欲求不満』がまったく溜まっていないことが、私にこのような行動をとらせたのかもしれない。
ただわかることは、一瞬だけはっきりと視認した子守歌は、額に首に両手両脚に包帯を巻き、比較的軽傷と思われる顔にも大きなバンドエードを頬や鼻筋に張っていたことから、状態がかんばしくないことは明らかだった。軽く見積もって、平常時の50パーセントは戦闘能力を落としていると思われるのに、今まで見せたこともないほど鋭い眼光放つ子守歌を目に入れた瞬間、私は逃げるように隠れてしまったのだ。
殺される、と本能的に感じてしまった。
私はその場で座り込む。汗が額から流れ落ち、先ほどまで生温かった風がやけに冷たく感じられた。
どれくらい私はその場で座っていたのかはわからないが、肌をひりひりとさせる子守歌の殺気が消えても、まだしばらくの間、座り込んでいたと思う。
急上昇した心拍数が平常時に戻り、汗も乾いたところで、先ほどまで子守歌が立っていた、工場群を貫くように走っている、油で黒く汚れた小道をそっと見下ろすと、パチパチと時折明かりを落とす照明が一本道へと光を注いでいるだけだった。
子守歌がこれからどこに向かうのかはわからなかったが、敵を裁きに行くのだろう、とだけはなんとなく予想が出来た。
『欲求不満』が溜まっておらず、仕方なく子守歌を見逃してあげた私はというと、これから、古い教会を改修して家として利用している『呪いの教会』へと帰るつもりだ。早く帰って、香草をふんだんに加えた、温かなお湯に満たされた湯船へと体を沈め、湯気でふやけた残虐な本のページをめくりながら、最高のひと時を過ごそうと思う。
にしてもだ。
「運よく、あいつをいたぶれた相手に同情するわね」と私は呟く。「だって、今のあいつは、自分を律し、押さえつけていたタガを外し、廃棄型コピードールの私同様に危険な香りがぷんぷんするもの」
私は、子守歌が立っていた小道の先を見つめる。その先には障壁の森があり、そのさらに先には東校があった。
パチパチと時折明かりを灯す照明は、根元からなくなった標識を照らしていた。




