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紫色に染まる過去と未来2


 現代では、ホログラムによるテレビが一般的だが、子守歌の部屋に置かれているテレビは、デジタル放送非対応のブラウン管テレビだった。


 対馬海岸から内陸に5キロメートルほど入った場所に小高い丘がある。森林生い茂るその丘の頂上に異物のように顔を出す鉄筋コンクリートの女子寮。その二階。203号室の子守歌の部屋には装飾という装飾がほとんどなく、必要最低限の物しか置かれていない。


 10畳1Kの四角形の部屋。それも正方形をしたその部屋の右下頂点には、プラスチックプレートが張り付けられた金属製のドアがあり、そのドアの真向い、部屋の右上頂点から右辺に沿ってベットが置かれている。備え付けの机と本棚は、正方形の左上頂点に、衣類が収納された木製箪笥は、正方形の左下頂点にそれぞれ置かれている。


子守歌は、木目が荒い木の壁に背を預け、ベッドに座っていた。一昨日の授業で出された十二次元微分関数を、頭の中で解こうと試みるも、式は途中で空中分解し、窓の外をチラリと見てしまう。

 シリングライトの明かりによって、窓に反射して映る、飾り気のない―ー囚人の牢屋にも似た無機質な部屋の向こう側に見える深い闇へと、もう何度となく視線を無意識に向けている。


 机の上にある置時計のデジタル表示は、AM01時03分。


 日が変わってから一時間の間に、15回も視線を向けたことになる。単純計算で4分に一回の割合で、窓の外へと目を走らせている。


 もしも、大人たちによる裁きの雷が、このレモン島に降り注げば、七日前に消し去られた、半径20キロメートルのメロン島と同規模の面積を持つこの島も、同様の運命をたどるはず。空から降り注ぐ紫色の雷による、瞬きのような光の次の瞬間には、何もすることなどできず、消え去ってしまうのに、何を恐れているのだ、と子守歌は両手で握った前時代に流行ったファミリーコンピューター(略称:ファミコン)のコントローラーを握りながら思う。


 そして、自嘲気味に肩を震わせて子守歌は笑った。

「珍しいね。子守歌が笑うなんて、何か面白いことでもあったの?」

 ドア横に設置されたキッチンで洗い物をしていた落葉が、子守歌に話しかけてきた。


 子守歌の同級生であり、同じ学校に所属する生徒でもあり、同じ寮の305号室の住人である海辺(うみべ)()落葉(おちば)。東部能力者養成学校(通称:東校)全校生徒48名のうち現在15番の成績を収めている生徒でもある。


「いや、何でもないさ」

「嘘ばっかり、肩を震わせて笑うくらいなんだから、すごく面白い事があったんでしょ。少なくともこの一週間のうちで、子守歌が笑ったのを僕は初めて見たんだから、相当面白いことだったんだなって、僕は思うな」

 洗い終えたタンブラーガラスを、キッチンの棚の上に並べながら、落葉は言う。

「大したことじゃないさ」

「ふ~ん」


 無装飾の皿をトレイの上に並べ終えた落葉は、水玉模様が描かれたエプロンをほどき、カーテンレールに吊るされたハンガーへとかけた。


 窓の外の景色を隠すかのように掛けられたそのエプロンわきには、子守歌が普段身に着けている白衣だけでなく、黒のTシャツやデニムの短パン、さらには下着類も掛けられている。


 子守歌は、落葉がエプロンで窓の外を見にくくしたことに、少しばかり苛立ちを覚えたが、そのざわつきは穴が開いた風船のように、すぐにしぼんでいった。


「やっぱり、何か面白い事があったんだね」

 落葉は、後ろ髪を束ねていたゴムバンドを外す。腰にかかるほど長く繊細な緑色の髪が、ふわりとたなびき、子守歌へと柑橘系の甘い香りを運ぶ。

「いや……」

 子守歌は落葉に、自分がどうして笑っていたのかを話したくなかった。


 大人達の裁きは、実際に行われているだろう。しかし、それは妄想の範囲を超えていない。そんな子守歌が導き出した空想まがいなものを落葉に教え、それが落葉から誰かへ、そして、また誰かへと情報が伝わり、大人たちにもしも伝わってしまったのなら、子守歌自身が大人たちに反乱分子と見られかねない。

 それは子守歌の望むところではなかった。


 だから、嘘をつく。


「……ああ、しょうがないな。じゃあ教えるよ」子守歌は頬に垂れる横髪を耳の後ろにかけながら言う。「ドラゴンファンタジーⅢをよくも飽きずに、ずっとやり続けていられるなってふと思ったら、なんだか自分が馬鹿らしく思えてきて、吹きだしてしまったのさ」


 ドラゴンファンタジーⅢ(通称:DFⅢ)は1980年代、家庭用ゲーム機ファミコンが発売されてすぐに販売された伝説のRPG。累計販売本数1000万を超える大ヒット作で、当時の日本人口から計算して、10人に1人はDFⅢを持っていたと言われているほどに、過熱に過熱を極めたモンスターゲームである。


 天井から白い光を照らすシリングライトのほぼ真下にある円卓上には、DFⅢのカセットをさしたファミコンが置かれている。カセットに描かれていた絵はすでに劣化し、剥がれ落ち、マジックでカセットにDFⅢと書かれているのみ。それを読み込むファミコンは、二本のケーブルを伸ばし、うち一本はベッドの真向いにある23型ブラウン管テレビへと接続されている。


 ゲーム以外では活用要素のないブラウン管テレビには、DFⅢのドット絵が映し出され、始まりの城を出た勇者は、どこに移動するわけでもなく、緑の草原が描かれたマップ上で足踏みをしている。

 もくもくと、代り映えのない風景を、ただ一人で。

 そして、

 1980年代の技術水準では革命的だった、オーケストラによる重層的なメロディーが、ブラウン管テレビから流れていた。


「僕は、ずっと前から子守歌に言っていたじゃないか。今更、そのことがおかしくなって笑っていたの?」

 落葉は、まつ毛をふんだんに蓄えた目をパチパチっと何度か瞬きさせた。


「ああ、そうさ。DFⅢ累計プレイ時間およそ1000時間で、やっと気が付いたよ」

「1000時間って……」落葉は、白のブラウスと、赤と黒のチェックの柄をしたスカートが重なる部分へと手を置く。「でもそれって、あくまでプレイ時間なんでしょ」

「……たぶん、DFⅢを起動させている時間を加えたら、軽く3000時間を超えているかな」

 軽く見積もって、と子守歌は心の中で思った。

「本当に、呆れるなあ。電気の無駄遣いだし、それって短い人生の無駄づかいだよ。僕なら絶対にしないな」


 落葉は床上に腰を下ろした。ベッドの足に背をあずけた落葉は、子守歌同様にブラウン管テレビとしばらく正対していたが、足踏みをしているだけの勇者と変化をしないマップに飽きたのか、上体を捻り、ベッドに両腕と顔をのせる。床上に落葉の長い髪が広がった。


「確かに、時間の無駄遣いだな」

 目を伏せた子守歌は、ベッドの上で指先を遊ばせている落葉の、ブラウスの袖から伸びる左上腕部から左ひじにかけて、痛々しいまでに刻まれた赤黒い痣をチラリと見る。


「また、痣が大きくなったみたいだよ」子守歌の視線を感じ取った落葉は、右手で左上腕部に刻まれた赤黒い痣を撫でながら言う。「真なる力の代償だからしょうがないけど、僕は子守歌ほど時間がないから強く感じることだと思うけど、子守歌には時間の無駄遣いをして欲しくないな」


 『作られた子供達』に宿る先天的な能力――『真なる力』。


 何百、何千、何万種類にわたるその力は、一般的に代償と引き換えに発動させることができる。その代償は同じ系統の同じ能力であっても、個体のタイプや個体が先天的に持つ能力量、さらには個体の健康状態等で差が生じる不確かなものでもある。


 落葉の痣が大きくなったということは、何らかの真なる力を落葉が発動させたことを意味する。その真なる力が何なのかは、子守歌は推測をすることはできても、限定まではできなかった。


「ごめん、暗い話をしちゃって……」落葉は、どこか悲しみを含んだ笑顔を浮かべる。「明るい話をしなくっちゃね。え~とね……そうだった。そうだった。僕ね、今回の試験で北校の男子生徒を殺したんだよ」

「……ああ、知っている」

「なんだ、知っていたのか。そりゃあ、子守歌みたいに、毎回何人も殺すことはできないけれど、僕は久しぶりに殺すことが出来たんだ」

「なら、順位が上がるな」

「あれ? 知らないの? もう順位は出ているんだよ。僕、5つも順位を上げたんだ」


 定期的に行われるある種の試験において、良い成績をおさめた生徒は、クラスでの順位を上げる。前回15位の落葉が5つ順位を上げたということは10位になったのか、と子守歌は思った。


「すごいじゃないか」

「絶対にすごいと思っていないでしょ。ずっと東校トップの成績を治めている子守歌に言われても、なんだかバカにされているような気がするよ」

「いや、本当にすごいと思っているよ」


 トップであるということは、順位が下がることはあっても上がることはない。長いこと順位が上がる喜びを感じたことのない子守歌は、少しだけ落葉が羨ましかった。


 加えて、子守歌は、落葉が順位を5つ上げたことを本当にすごいと思っていた。成績は一か月間の試験成績の累計で算出される。大人たちが提示した前回の実践試験で、単純に良い成績を収めただけでは順位が劇的には上がることはない。


「でも、単純には喜べないんだよね。飯坂さんとメルトダウン君が死んでしまったから……」落葉の声のトーンが下がる。「二人は僕よりも順位が上だったから、二人がいなくなったということは、その分だけ僕の順位が上がったということでもあるんだよね。あ、でもそれじゃあ、ちょっとおかしいか」


 飯坂奏とメルトダウンは東校の生徒だった。彼らが死んだことを喜ぶ生徒もいれば、落葉のように悲しむ生徒もいる。子守歌はどちらにも分類されなかった。

 誰が死のうと、誰が生きようと子守歌にはどうでもよかった。


「どういう意味だ? 落葉よりも大きく成績を伸ばした生徒でもいるのか? 殺意はもともと、落葉よりもずいぶん順位が上だったじゃないか」

「ん? え~と、うん、いるよ。え~と、それは、もちろん殺意ちゃんじゃないよ。だって、殺意ちゃんは僕なんかよりも順位はずっと上だし、ムラはあるけど常にトップ5に入っていたしね」

「入っていた? トップ5から落ちたのか?」

「うん。そのことで殺意ちゃんは、ものすごく腹を立てていたよ。東校の備品をいくつか壊していたもの。あっ!」落葉は両手で口を押える。


「あいつ……」

 子守歌は苛立ちを感じた。決められたルールから外れることが子守歌はどうしようもなく許せなかった。

「あの……子守歌」

 子守歌の様子をうかがいながら、落葉は上目遣いに言葉を発する。

「なんだ?」

「あのね……殺意ちゃんに、僕が子守歌に備品を壊したことを言っちゃったことを、言わないでいて欲しいんだ。もし殺意ちゃんにばれたら、僕、ひどい目にあわされちゃうよ」


 異常性と暴力性を併せ持つ――殺意(さつい)・イマジネーション。


 戦闘能力だけなら、東校で子守歌と並びうる唯一の能力者でもあるのだが、子守歌が殺意を抑え込み、現在のところ支配することができているのは、単純な戦闘能力によるところだけではなかった。戦闘能力は分析、戦略、対策によって何倍にもなる。

 子守歌は殺意よりもその部分で優れていた。


「ああ、言わないさ」

 ちゃんと忠告はするがな、と子守歌は心の中で呟いた。

「ありがとう。僕ってバカだよね。言いたい事があると黙っていることができなくなるんだ」

「誰にでも欠点はあるさ」

「それって、子守歌に当てはめると、胸が小さいってこと?」


 胸が小さいと言われて、子守歌は目を大きく見開き、落葉をじっと見つめる。そして、普段よりも早口で、決められたセリフを述べるかのようにつらつらと、子守歌の口から言葉が流れ出た。


「わ、私は胸が小さいことなんて何とも思っていない。確かに落葉のBカップよりは小さいAカップだ。私のバストとアンダーバストの差は8センチしかないからな。しかしだ、落葉はバスト75、アンダーバスト62で、その差は13センチ、たかだか私との差5センチ程度で、それを私の欠点と見なして欲しくないな」左手の人差し指と親指でCの字を作り、子守歌は両方の指の間にある5センチがどれほどちっぽけなものか落葉に示す。「たった5センチだ、たった。それにだ、胸が小さいということは、それだけ両胸が軽いということを意味する。俊敏性や加速性、さらには、とっさの事態に遭遇した場合の反応性まで加味すると、胸が小さいということは実はメリットの方が多いんだ……」

 と、ここまで言葉を流れるように述べて初めて、落葉が口を押えて笑っていることに、子守歌は気がつく。


「どうして、笑っているんだ? おかしなことを言ったか?」

「あはははは……ごめんごめん」目尻に溜まった涙を落葉は人差し指で拭う。「少しおかしくて……」

「だから、何がおかしいんだ?」


「だって……」笑顔を浮かべていた落葉の顔が、突然、無表情となり、子守歌の顔をじっと見つめる。猫に似たクリッとした目をした落葉の両目がスッと細まる。「あのね……5センチの差は大きなものだよ。それにね、子守歌は自分のバストとアンダーバストの差は8センチだと言ったよね」

 子守歌は頷く。

「8センチだとAカップというよりもAAカップなんじゃないのかな?」


 子守歌は、落葉に何も言い返すことができなかった。確かに、AAカップはアンダーバストとバストの差が約7・5センチ、Aカップは10・0センチといった基準が設けられている。子守歌は8・0センチなのだから、落葉の言う通りAAカップなのだろう。


 しかし、あくまで基準はおよそであって明確な基準ではない。8センチでもAカップと言えるのではないかと、子守歌は考えていると落葉が、

「そういえばさ。さっきからずっと気になっていたんだけどさ。今日の子守歌、後ろ髪を結んでいるね」

「ああ……」ミディアムショートの、不揃いに切り揃えられた後ろ髪を束ねたヘアゴムに子守歌は触れる。「落葉が髪を後ろで束ねているのを見て、どんな感じがするんだろうと思い、束ねてみた」


「それで、どんな感じだった?」

「なんか、後ろ髪が引っ張られる感じで……変な感じだ」

「そのうち慣れるよ。ほら、新たな真なる力が発現したときって、もともと持っていた真なる力にどこか違和感を抱くじゃない? ううん……とね。例えるとね、小さなボックスに入っていた下着類の上に衣類が無理矢理詰め込まれちゃって、下着類が違和感を抱くようにさ。でもね、それも時間が経つと最初は窮屈に感じていた下着類も、皺ができたり、小さく丸まったりして違和感を抱かなくなるよね。結んだ後ろ髪も同じように違和感を抱かなくなるときが来るんだよ」

「あ、ああ……」

 落葉の言うことがよくわからなったが、子守歌は一応同意しておいた。


 時刻はAM02時00分。


 カーテンレールに吊るされたエプロンのせいで、半分ほど隠れてしまった窓の外を子守歌はチラリと見る。一時間前よりも濃い闇が、そこに鎮座していた。

 まだ、大人達の裁きによる紫色の光は瞬いていない。いや、それは正確ではない。すでにどこかの島に裁きが下っているのかもしれない。


「どうして、子守歌は窓の外ばかりチラチラ見ているの?」

 二時間の間に計35回窓の外をチラ見した子守歌は、とうとう落葉にそのこと気づかれてしまった。

「いや……私は窓の外なんかをチラチラ見ていたか?」

「うん、10分の間に5回も見ていた」


「ああ……」無地のTシャツの裾を子守歌は捻りながら、どうしようもない言い訳を言う。「いや、今日は星が綺麗だな、と思って……」

「そうなの?」落葉は、子守歌と同じように窓の外に目を向け、目を凝らす。「僕は子守歌ほど視力が良くないからわからないや」

「それでも、10・0はあるだろ」

「ううん、最近視力が落ちて、もう5・0しかないんだ」

 真なる力の代償として視力すらも削られているのか、と子守歌は思った。そして、話をずらす。


「……さっきの話に戻るが、今月の試験結果で大きく順位を伸ばしたのは誰なんだ?」

「ああ、そうだったね。殺意ちゃんの話になって言い忘れていたよ。あのね、大きく順位を伸ばしたのは、五日前に転校してきたイオンちゃんだよ」

 イオンという名前を聞いて、子守歌は息を飲む。


「……で、彼女は何位だったんだ?」

「えっとね……確か三位だったかな?」


 子守歌の背筋にひんやりとした悪寒が走る。


 月ごとの行われる試験の累計結果が順位を決めている。転校してきたばかりのイオンは今月四度あった試験の内で一つしか受けていない。東校全校生徒48名の内で、2名死亡したことを考えれば、イオンは43名もの能力者の累計試験点数をただ一度の試験で超えてしまったことになる。


「一体、何人の能力者を殺したんだ?」

「う~ん、僕はそこまで詳しくイオンちゃんの試験結果を見ていないからよくわからないよ。でもすごいよね。イオンちゃん」

「ああ、すごい。すごすぎるよ」

 と子守歌は言葉を漏らし、窓の外を見つめる。


 時刻はAM02時05分。


 今日だけで40回も窓の外に目を走らせているが、

 いまだ、紫色の閃光を目にすることはできない。


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