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壊れてしまった自分-7

 目を開けると、子守歌は海を見下ろすことができる草原に立っていた。


 青々とした葉を茂られた雑草の間から色とりどりの花が顔を出し、緩やかな勾配を下った遥か彼方には、青々とした海が輝いていた。その海を見下ろすように、積乱雲が空高く伸び上がり、太陽が今、雲のふちから顔を出し、金色の光を子守歌へと注いだ。


「どうだい? 何かを思い出したかい?」

 横には、セブンが立っていた。太い幹をしたかしの木へと肩をあずけ、優しい目を子守歌へと向けている。セブンの服装は、薄汚れた収容服から、収監される前まで常に着ていた、膝丈まである黒のロングコートへと変わっていた。


「何も思い出せない。わかっているだろう。私が過去を思い出したからといって、何かが変わるわけではない」

 風が吹き、かしの木の梢を揺らす。

「ああ、わかっているさ。でも姉さんに昔の景色を見せてあげたかったんだ。昔、よくここで遊んだから……」

 セブンは懐かしむように、かしの木を見つめる。子守歌はセブンが何を見ているのかわからなかった。


「セブン、これを見せるために私をユメノクニにいざなったのか?」

「いや……」セブンは小さく呟く。「これは、ただの気まぐれさ。姉さんは俺が持っている情報を知りたいんだろう? なら、それを教えるには手っ取り早くユメノクニにいざなうのが一番だと思っただけさ」

「らしくもないな。何を企んでいる」


 子守歌の言葉に、セブンは口元をニヤリとさせて、次の言葉を言った。

「秘密さ」


 その言葉を述べた瞬間、セブンの瞳に十字架の紋様が現れた。すると、海を見下ろすことのできる草原に立っていた子守歌は突如、闇の中に放り出された。いや違う。無数の星々が輝く宇宙へと放り出された。


 上も下も右も左も定かではない、ユメノクニによって作り出された仮想宇宙は息苦しくもなく、寒くもなった。むしろ、温かくもあり、何よりも、宇宙にいるということに子守歌は不思議な感じを抱いた。

 遥か彼方に白い光を放つ太陽が子守歌の目に映った。そして、左下に青々した地球が映る。


「さあ、姉さんは紫色の光が知りたいんだろう? なら、教えてあげよう」

 星の海に浮かぶ子守歌の耳に、セブンの声が響いた。セブンの姿形はどこにもない。

「まずは基本的な知識からだ。現在、世界には111か国が存在している。それぞれの国は領土、領空、領海を持ち、独立性を保持してはいるが、領空の範囲がどこまでなのか姉さんは知っているかな?」仮想宇宙の遥か彼方からセブンの声が響いてくる。


「2125年に改正された国際法によって、領空の範囲は重力の影響が小さくなる、地球からおよそ100キロメートル離れた範囲までが領空と定められた」子守歌はどこまでも広がる仮想宇宙へと声を投げかける。

「そうだよ。姉さん。さすがだね。その国際法の改正によって、各国は宇宙からの支配を考えるようになった。細切れの131の群島によって形成される日本とて例外ではなく、宇宙からの支配の確立が、国際的な地位を確固たるものにさせるであろう、とゴミどもは考えた。宇宙からの支配、その方法は多岐にわたるだろうが、我が国――日本では衛星による支配が最良であるをと考えた。姉さん、宇宙からの支配を確立させる上では何が必要だと思う?」


「武力だ」

「そうだよ。武力だよ。宇宙からの支配を可能にするにはあらゆる範囲を射程に入れる武器がまず必要だ。しかし、宇宙には空気がない、気圧もない、資源もない。人が活動し、生活するには、多くの障害がつきまとう。仮に地球から武器を搭載した衛星を宇宙に上げたところで、数に限りがある武器を、どのように補給するのか? といった問題が持ち上がった。そこでだ、大人たちは太陽の力を利用し、宇宙で武器となりうる存在をその場で作り出し、それを利用しようとしたわけさ」

 子守歌の目の前に巨大な衛星が横切る。太陽の光に照らされた青白い光を反射する二枚の羽を持つそれは、子供が粘土で作り上げた不恰好な蝶のように子守歌には見えた。


「これが、大人たちの宇宙からの支配を、さらには各国への武力による牽制を可能にするはずだった、試作衛星第31号機『希望(ホープ)』というわけさ。左右二枚の羽には太陽光パネルと、外縁部には正に荷電した粒子と、負に荷電した粒子を加速させる加速器が備わっている」

 希望が持つ円形をした二枚の羽の外縁部には、青銅色をした同心円状の金属パイプが太陽光パネルを囲んでいた。


「そして、領空内からの射程距離を飛躍的に伸ばした、あらゆる角度から荷電粒子砲を打ち落とすことを可能とした『ミラー』というものが計33個、領空内に配置されている」

 美しくカットされたダイアモンドの如く圧倒的な輝きを放つ白銀色の――ミラーと名付けられた反射体が希望周囲を漂う。


「コンピューターによる演算により、照準を定めた対象に対して、誤差1メートル以下を可能にしたこのミラーこそが、大人たちに希望をもたらし、俺たちに絶望を降り落とした。そもそも、試作衛星第31号機は30年も前から宇宙を浮遊していたんだ。射程問題、加速器問題、耐久性問題などの多くの問題を抱えた希望は宇宙に上げられた当初から現在までほとんど見向きもされなかった」

「それをすべて解決したのが、このミラーか……」

 子守歌は太陽の光に照らされ美しくも輝いているミラーに対して目を細める。


「ああ、そうだよ。ある一定以上に加速した粒子を保持することができず、島一つどころか、校舎一つ程度しか消せなかった希望を、荷電粒子砲を分割して放ち、ミラー間で反射保持させる技術を確立させたことで、大人たちは希望の破壊力を劇的に引き上げた」

 子守歌は自らに降り落ちた紫色の光が、夜空全体に網の目状の赤い軌跡を描き出したのを思い出す。


「領空外およそ1万キロメートルもの範囲を射程圏内に入れ、誤差1メートル以下の精度を誇るその破壊兵器の飛躍的発展に、大人たちは歓喜し、実用実験と言う名の神の裁き、いや大人たちによる裁きの鉄槌が俺たちの仲間へと下されたんだ」

 一週間ごとに、子供たちが住む群島を一つ、また一つと消し去っていった、あの裁きの光を子守歌は思い出す。


「どうだい? 姉さん。すごいだろ? 大人たちの技術力と野心は……」

「ああ、そうだな」

「なら、なんで姉さんは大人たちの肩を持つ。希望の実用実験のために、俺たちが生活を営む群島を一つ、また一つと消し去り、俺たちをまるで家畜かゴミのように扱う、あの無能共側になんでつくんだ」


「さあな……」子守歌は言う。「ただ、何かを変えることは痛みを伴う。セブン、お前がやろうとしていた革命は、どちらが勝とうとも多くの血が流され、多くの悲しみが付きまとう。それが、私は許せなかった」

「姉さんは愚かだよ」哀しみや憐れみを含んだ、セブンの声が木霊する。「何もしなかったら、俺たちコピードールだけの血が流されるじゃないか。なんでそれがわからないんだ」


「だが、お前の求める革命では、私たちコピードールの血がさらに流される」

「ふふふ、流されないかもしれないじゃないか」

「楽観的なんだな」

「ああ、楽観的さ。姉さんは悲観的過ぎるくらいだ。昔から変わらないね」


 昔から変わらない、とセブンに言われたところで、焼き切れたビデオテープのように、ある一時期の記憶が全くない子守歌は、セブンのその言葉に心揺らされることはなかった。

「セブン……紫色の光の原因は分かった。だが、私の知りたい情報はそれではない」

「それではない? なら、なんなんだい?」

「イオンを操作し、闇に潜む敵と共に、子供たちによる革命の火を再び灯そうとしていることはもうわかっているんだ」


「……あは……あはは……あはははははははは」セブンの馬鹿笑いが木霊する。「姉さん。姉さん。姉さん。姉さん。くくくくく、ふふふふふ、はあ、はあ……笑わせないでよ。久しぶりだよ。腹の底から笑ったのは」

「何がおかしい?」

「何がおかしいって? これを笑わずにはいられるかい? 姉さんが今回の紫色の光について、俺が関わっていると思っていたのがおかしいんだよ。おかしくて、おかしくてしょうがないよ」セブンの笑い声が収まる。「残念だけどさ。姉さん。今回の紫色の光について、俺は関わっていないよ」


「嘘だ」

「へえ~、そう言い切る根拠があるんだ。そもそも、なんで俺が関わっているのだと思ったんだい? 脆弱な基盤の上に築かれた推論の中で、俺の影でも感じ取ったのかな? ん?」


「それは……」

 セブンの言う通り、セブンが関わっている、と子守歌が睨んだのは、脆弱な基盤の上に築かれた推測でしかなかった。セブンが関わっていると言い切れる明確な根拠など存在しなかった。しかし、

「なら、何故、お前はイオンについて知っている? 何故、紫色の光について知っている? この地下200メートルにある牢獄に閉じ込められながらも、それらの情報をどうやって手に入れた?」


「ふむ、いい返しだよ。姉さん」今と言う瞬間を楽しんでいるかのようにセブンは言う。「正直、痛いところをつかれたよ。でも、教えてあげるよ。イオンについて、そして、紫色の光について……」

 おや、と子守歌は思う。


「それらをね、俺が知りえたのは、俺の能力によるものだとだけ言っておこう。片方は特異型コピードールすべてに共通する、姉さんも持っている真なる力で……」

『ルール』によるものか、と子守歌は思う。


「もう片方は、ユメノクニによるものだ」

「うまい言い逃れだな」

「そうだね。けど、残念だけど、俺は本当に闇に潜む敵なるものを知らないんだ」セブンの声がこもる。「それに、もし知っていたところで、俺が姉さんにそれを素直に教えると思うのかい?」

 それは、と子守歌は声を零した。


「仮に闇に潜む敵が俺の同志だったとしよう。それが圧倒的な力を持つイオンを手中に収めたとすると、俺は間接的に強大な力を手に入れたことになる。ならば、間接的に武器を手に入れた俺が、何故、敵である姉さんにその情報をわたさなければならない?」

 セブンがそのように返してくる可能性は、子守歌はもちろん考えていた。しかし、限られた面会時間の中でセブンから情報を引き出すには、遠回りなどはしてはいられなかった。そして、危険が伴うとわかりつつも直線的にセブンへと迫った結果、子守歌は土俵際まで追い詰められてしまった。どのように切り返したところで、闇に潜む敵がセブンの残党ならば、セブンがその情報をわたすわけがない、と子守歌は痛感していた。


 子守歌は、唇を噛み、小さく首を振る。それは、どのようにシュミュレートを繰り広げても、セブンから何も情報を引き出すことなどできなかった悔しさの表れ。

 だが、シュミュレートから大きく外れた展開が生じる。


「そんなに、悲しまないでください。姉さん。すべては神のご意思に従うべきなのです」

 遥か彼方に見える太陽の神々しい光に子守歌は目を細める。周囲360度、あらゆる方向から注がれる星の瞬きはまるで太陽の光に祈りを捧げる、人の脆さを象徴しているかのように子守歌には見えた。


「神の意思なんかではない。人の意思だ」子守歌は声を張り上げる。「人が営み、人が作り上げ、人が支配した結果生まれたこの世界……脈々と紡ぎあげてきた支配者による世界。それが今、私たちが生きている世界だ」

 姉さん、と呟くセブンの声が響く。


「それでも、そんな世界の中でも、私は生き抜いてみせる」子守歌はもうシュミュレートなどしていなかった。心が叫ぶままに声を張り上げていた。「大切な仲間を守り、そのために命を懸ける」

迫り来る紫色の光へと両手を差し伸べたときのように、その言葉には命の叫びが含まれていた。


 静寂と沈黙が子守歌とセブンの間に佇む。

 それらを破ったのはセブンだった。

 パチパチパチ、と拍手が仮想宇宙空間に木霊した。


「素晴らしい演説だったよ。姉さんが繕った仮面を外し、感情をむき出しにして、俺へと熱く語り掛けてくれて、嬉しかったよ」セブンの声は心なしか震えていた。「でも、まあ、時間とは無慈悲なものだね。もう俺たちの面会時間は終わりのようだ。姉さんとの素晴らしい一時を過ごせたのはいつぶりだろうか? 同じ学校に所属してはいたけど、ある時期から、俺たちは別々の道を歩むようになったからね。さあ、ユメノクニから現実の世界へと戻ろうか……」


 と、セブンが言った次の瞬間、遥か彼方に輝く太陽が超新星爆発をしたかのように、白色の光を宇宙全体へと解き放った。その圧倒的な光量を放つ光に対して目を閉じた子守歌が、次に目を開いたときにまず目にしたものは、宇宙空間に浮かぶ希望(ホープ)ではなく、セブンの牢獄だった。


 牢獄の中にいるセブンは、パチパチパチと拍手をしている。対して、子守歌は、額から汗を流し、呼吸を乱した状態で、知らぬ間にパイプ椅子から立ち上がっていた。

「さあ、姉さん。帰りのエレベーターがもう来ているよ」

 振り返ると、ドアを開けたエレベーターが子守歌を待っていた。

「まだ、私の話は……」子守歌は乱れた呼吸を整える。「終わってはいない」


「もう、俺たちの話は終わっている」対能力者強化ガラスへと歩み寄ったセブンは、抑揚のない声で言う。「それにだ。監視カメラの向こう側で目を光らせている大人たちを怒らせない方がいい。イレギュラーな事態を引き起こすことは、姉さんにとって何一つとしてメリットがない。俺たちは大人たちに支配された存在なんだ」


「しかし……」と子守歌は顔を落として呟く。そして、数秒後、「わかった」と頷いた。

「いい子だ。姉さん」

 肩を落として、エレベーターへと歩んでゆく子守歌。壁と天井の二か所に設置された監視カメラのレンズは、重々しい足取りを刻む子守歌の姿を捉えていた。そして、エレベーターへと子守歌は足を踏み入れる。

 そのとき、セブンが子守歌へと呼びかけた。


「姉さん」

 子守歌はセブンへと振り返る。すでに両足はエレベーター内に入っていた。

「そういえば、姉さんが訊きたがったアレは、過去に六度放たれているよね」

 セブンの言うアレが紫色の光のことだと即座に子守歌は理解する。

「何を言っている? アレは過去に五度しか……」


「ああ、姉さんは知らないんだね。そうか、そうか……でも、アレは過去に六度放たれているんだよ。奴らが三度放ち、あの子が三度放った計六度」

「何を言っている? ……セブン」


「頑張った、姉さんへの俺からのご褒美だよ。それをどう捉えるかは姉さん次第だ。あとは神の導くままにだね……じゃあね」

 セブンは無邪気な笑顔を浮かべ、子守歌へと手を振っていた。

 そして、左右に開いていたエレベーターの扉が無慈悲にも閉じられた


 

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