壊れてしまった自分-5
夢を見ることがあるかい? と訊かれたら、「夢は見ない。現実を見ているんだ」とセブンは答えるだろう。
地下200mにある広さ6畳ほどの、天井に二か所監視カメラが設置された牢獄の壁にもたれながら、セブンは膝上に開いた分厚い本から目を離し、夢のようにちらつく、奴とのリンクを切り離した視線を彷徨わせた。
多くの同志たちはセブンの同志となるために、セブンの真なる力である『ルール』を受け入れた。セブンは左手に刻まれた十字のやけど傷をぼんやりと見つめる。
息苦しささえ感じる、加工された空気の入れ替えしかされないこの地下牢に入れられてから約半年、セブンは数々の拷問を受けながらも、恐怖を感じることはなかった。だが今は、胸の奥に締め付けるような恐怖をわずかに感じている。
「自らの行く末を神にゆだねるのも、また面白いか……」
十字のやけど傷が刻まれた左手を強く握ると、自分の決意を言葉に出したがためか、硫酸で鉄塊が溶けてゆくように、胸を締め付けていた恐怖も溶けていった。
ふっ、と口元に微笑を浮かべ、セブンは奴のことを思い出す。
奴がこの十字のやけど傷にひざまずき口づけをしたときのことを、セブンははっきりと覚えていた。
数々の能力者が同志になるための契約として結んだ、セブンの真なる力――『ルール』。多くの同志たちは大人たちへの恐怖心を消し去ることを望み、その代償、いや対価としてセブンが作り上げた『夢の教団』の情報を一切、大人たちに漏らすことはできなくなるといった支払いをした。
中には違ったルールをセブンに申し出た同志もいた。その中の一人に、先ほどセブンが視覚リンクを切った『奴』がいた。
圧倒的な忠誠心と、圧倒的な尊敬をセブンに示していた奴は、明滅した照明に照らされた廃墟の一室で、セブンに頭を垂れ、ひざまずきながらこう述べた。
「恐怖心を消し去る代償として、私はあなた様にすべてを差し出します」
信頼の証として、すべてを差し出すと言い放った――奴。双方向の同意によって成立するルールの効果適用範囲の限界を調べるといった意味も込めて、セブンは奴の提案を受け入れた。
そして、セブンはルールの効果適用範囲を理解する。加えて、効果適用範囲の理解に伴った代償をセブンも支払った。
結論から言うと、セブンが奴に与えた大人たちへの恐怖心の抹消に対して、遥かに代償行為が大きい自分自身のすべてを捧げるといった取引は成立しなかった。否、取引自体は成立した。しかし、セブンが奴に与えた代償行為と価値が近しいであろうとされるものに、自動的に変換され、セブンはそれを奴から受け取ることとなった。
それが、奴と視覚リンクできるといった能力だった。
奴への一方的な視覚リンクによって、今では奴のすべてを理解している。セブンである自分に失望した奴が、偶然手に入れた『イオン』という武器を用いて、自分を殺そうと決意を固めていることも理解していた。
「まあ、この半年、奴のおかげで、この息苦しささえ感じさせる牢獄の中でも、楽しい時間を過ごせただけでもよかったと考えるべきか」
対能力者用強化ガラスと網目状の金属柵の向こう側にある、セブンの牢獄と同規模の部屋。その中心に置かれたパイプ椅子に向かってセブンは呟く。
壁にもたれたセブンの背中に、エレベーターの下降に伴う微かな振動が伝わってくる。夕食の時間にはまだ早いことから、子守歌が来たのだと思った。さらに、奴を通して見た、東校の教室から見下ろすことが出できる、校門へと続く並木道を重々しい足取りで歩いてゆく子守歌を確認したときから、自分に会いに来るだろうとセブンは予想をしていた。
「さて、イオンにご執心の姉さんは、俺に何を持ちかけるつもりかな? 紫色の光、イオン、奴、それらの関係性について、姉さんはすでに感じ取っているだろう。その中で姉さんの性格からして、俺と奴との関係にも感づいているはず。奴の存在をそのまま伝えるのもありだが、それじゃあ、面白くない。姉さんを使って、奴を始末させることは俺にとって、俺を救う行為そのものでもあるが、俺はそれをしないよ。姉さん。さてお遊びの時間だよ」
エレベーターの扉が左右に開いてゆく。セブンは今しがた本を読んでいたかのように顔をそちらに向け、エレベーターから出てきた子守歌と対面した。




