表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

2,ハンバート白熱ロリコン教室講義録


『ある朝、グレゴリー・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に(かわ)っているのを発見した』――


 ――二十世紀初頭、チェコの作家、フランツ・カフカは、中編小説『変身』の中でこう書いた。

 一方、ぼくの場合はこう書かねばならないだろう。


「ぼくはふと気が付くと、自分が寝床の中で一人のロリコンに(かわ)っているのを発見した」……と。



 はじめに告白しよう。

 ぼくはロリコンだ。

 ただのロリコンではない。ドの付くロリコンだ。


 ロリコンとは、ロリータ・コンプレックスの略であることくらい、今時はそこらを歩く小学生だって知ってる。

 だがその語源が、ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフとかいうロシアのお偉い作家さんが書いた小説に発するという豆知識を、どれほどの人が知ってるだろうか。


 その内容は中年男ハンバートが、十二歳の少女ロリータに一目惚れし、一方的に付け回しては独善的な愛を押し付ける……というもので、詳しくは小説を買って読んでみてほしい。

 (ちつ)(ひもと)くことに慣れてない人は、なんなら1962年に封切りされた、スタンリー・キューブリック監督の同名映画を観るだけでも構わない。

 ハンバートという男の心理を赤裸々(せきらら)に浮き彫りにしていく表現力と、衝撃的な結末に、さぞ圧倒されることだろう。


 そのロリータがあまりにあどけなかったから。

 大人の愛を受け入れるにはあまりに幼すぎたから。

 小さい女の子に欲情する男どもを、ロリコンと呼ぶようになった……らしい。


 ぼくは、そんなロリコンの一人だ。

 いつロリコン症候群に罹患(りかん)したのかという問いには、残念ながら答えられない。自覚症状のない潜伏期間がどれくらいあったのかが分からないからな。

 いや、きっとぼくのロリコンは生まれついてのものなんだろう。性を意識した瞬間から、それは既にぼくの背中にぴったり張り付いて、息づいていたんだ。

 だからぼくはあくまでも、自分の性癖が初めて(つまび)らかになった日のことを振り返るしか出来ない。


 ぼくが自分のロリコン癖を知ったのは、三年前に(さかのぼ)る――。

 ……と、いかにも(いわ)く有りげに言ってみたけれど、特に浮き立つような発端があったわけではない。

 大きな、とても大きなトラウマの爆弾を落としはしたけどね。


 せっかくなので、その詳らかになった日とやらの思い出話を、ここに紹介しておこう。

 何がせっかくなのかはぼくだって知らないし、また知ったところで益体(やくたい)も無いが、どうせならこの筆舌に尽くしがたいトラウマの片鱗(へんりん)を、一人でも多くの方々に共有してもらえれば光栄である。

「オメーの自分語りなんざ、近所の動物園でニートライフ満喫してるチンパンジーのホクロの数ほども興味ねぇよ」とか思ってる人がいたら、別に読み飛ばしたって大事無(だいじな)い。


 とにかくそれは、ぼくがこの高校に入る前。

 ぼくが中学生の第一歩を踏み出して数ヶ月あまりが経ったばかりの、淡い思い出話である――。



 ……

 …………

 ……………………



 当時ぼくは中学一年生で、クラスの面々と修学旅行に来ていたんだ。

 臨海学校という名の恒例行事。海でわいわいボート遊びだの何だのしながら、Wi-Fiも敷かれていないような安っぽい和風ホテルで二泊三日過ごすやつさ。


 (よる)(とばり)()りて、海鳥もしんと寝静まったころ。

 ルームメイト三人とぼくは、雑居房を思わせる小さな畳部屋に、すっかり綿の薄くなった布団を並べて、頭から被った。そして見廻りの教師の目を盗みながら、携帯ゲーム機の通信を繋げた。


 やがて消灯時刻を報せるベルが鳴り――。

 それと共に、ひとつのゲームの幕が上がったのである。


 そのゲームには、ちょっとしたルールと罰ゲームが設けられていた。

 ルールとは、流行(はや)りの携帯ゲーム機で対戦プレイを繰り広げて、勝ち負けを競うというもの。ここまではありきたりだろう。

 ただし負けた奴に()せられるという罰ゲームが、どうかしてたね。

 その罰ゲームとは、誰にも明かせない自分だけの秘密を――つまり性癖を――洗いざらいブチまけるというものだったんだ。

 酔余(すいよ)()れというか、修学旅行のノリだからこその芸当と言う他あるまい。


 とはいえ、所詮は中学生の性癖だ。

 性を覚えたばかりのマセガキは発情犬も同然だから、ちょっと(つや)っぽい女の人を一目視界に入れるだけで、たちまち情動を爆発させてしまう。

 (げん)に負けたルームメイトたちは、順々に携帯機に保存していた画像や動画を開いて、あのグラビアアイドルの胸が、あの女優のくびれ体型が、と銘々(めいめい)(たか)ぶった声を()らしていたように憶えている。


 開け放たれた窓から流れる、揺りかごのような潮騒(しおさい)――。

 うっすらと汗の(にじ)んだ額を、掌を、綿毛のような優しさで()でる夜の海風――。

 ゆったりと色濃さを増していく夜陰(やいん)の深まり――。

 それに引っ張られるようにして、曝露ゲームは続いた。


 そしてついに、ぼくの負ける番がやって来る。


 しかし……しかしぼくには語ることが無かったんだ。

 精通は済んでいたし、自分を慰める一般的な方法を知識として知ってはいたけれど、一つ、致命的に欠けたものがあったからだ。


 欠けたもの。――それはオカズだった。


 そう。オカズだ。

 当時のぼくは、心の奥底で(くすぶ)る情欲の炎を煽り立てる(すべ)を、知らなかったんだ。

 ぼくのリビドーは、幾重にも南京錠を施された鉄扉(てっぴ)の奥の奥の奥に閉ざされ、決して顔を覗かせることはなかった。

 そしてそれを解くための鍵は、どこか茫洋(ぼうよう)とした深い闇の底で、行方(ゆくえ)知れずになっていた。


 三人のルームメイトたちは、挑発するように(きわ)どい画像を見せびらかせてくる。

 だけど胸の谷間やくびれ体型ごときが、ぼくの琴線に触れるはずもない。


 そうこうしているうち、一人が――ほんの誤操作のせいだった――ある写真を画面いっぱいに映し出してしまったのである。

 写真。それは六歳になるという、彼の妹のスナップショットだった。

 愛らしい微笑(ほほえ)みを浮かべて、子どもらしいピースサインを突き出していた。


 今でもまざまざと思い出すね。

 思いがけずぼくの眼前に(さら)け出された、女子小学生の笑顔。

 屈託がなくて、真っ白で、(けが)れなき一年生の笑顔――。


 ガチャリ、と何かが外れるような音が聞こえた気がした。

 突然深い霧が晴れ、音を立てて開いた扉から、もう一人のぼくが口元を緩めて手を振ったような気がした。


 思わず飛び出す(あえ)ぎ声――。

 玉のように(はず)む息と、血走る瞳――。


 眼球に飛び込んだ少女の笑顔はすぐさまパターン化され、網膜(もうまく)上の()細胞(さいぼう)により電気信号へ変換された。

 それは電光石火の勢いで()神経細胞(しんけいさいぼう)を駆け昇り、後頭葉(こうとうよう)を占める視覚野(しかくや)に到達。

 パターンは幾つかの要素に分解、解析されると、ほどなく視覚情報として大脳(だいのう)性中枢(せいちゅうすう)に伝わった。やがて海綿体(かいめんたい)神経(しんけい)から様々な神経伝達物質が分泌され、そして――



 ――ぼくは衆目に(さら)されながら、気も狂わんばかりの絶頂に達したのである――。



 ……………………。

 …………。

 ……とまあ、これがぼくにとっての爆心地(グラウンド・ゼロ)だ。

 思春期の原点に穿たれた巨大なクレーター。それはぽっかり口を開き、依然として白煙を(くすぶ)っている。


 リビドーを固く縛りつけていた鉄扉は、降り注いだトラウマ爆弾によって軽く吹き飛ばされ、オープンハウスのように開け放たれている。

 三年前に(ほとばし)った生命の(しずく)は、今も波を打って静寂を破っている。


 そして白煙に包まれた爆心地の中心では、もう一人のぼくが大手を振っているんだ。

 しかもそいつは小さな女の子に興奮して、自制を知らない。

 今この瞬間も、静謐(せいひつ)なクレーターを我が物顔で踏み荒らし、居座っている。

 まるで旗を立てて陣地を主張する兵士のようにな。


 もうぼくは後戻りできない。

 運命によって敷かれたレールを、なすすべなく辿(たど)っていくしかないのだ。

 ……とまあ、過去の話はここまでにしておこう。

 人の性癖なんて、他人のペット自慢とか小学男子の武勇伝とかと同じくらい、どうでもいい話さ。

 そうだろ?




 さて。

 実に哀惜(あいせき)の念に()えないことであるが、なんでもかんでもロリータ呼ばわりする近年の風潮に関して、一つ苦言を呈したい。

 ことロリコン談義になると、なにかと細かいことに(こだわ)ってしまうのがぼくの悪い癖。

 悪いと分かっていながらも、精神病理学の教本を紐解(ひもと)くまでもなく、言いたい事を言えないストレスが精神衛生上、良かろうはずもない。

 そういう訳で、お目汚しになるのは重々承知しつつ、ぼくはつい主張しておきたくなるのである。


 君たちはどう思うだろうか。

 女子高生や成人女性を指差して、あのアイドルがロリ顔だね、あのAV女優が合法ロリだね、と取り沙汰し、原義を忘れたまま評価が定着している現状を。

 至る所で、ロリの名を(かん)するお年を()された方々が()を振るっている現状を。


 突然何の話かって?

 誰だって思い当たることがあるだろう。


 一つ、胸に手を当てて思い返してみて欲しい。

 テレビで。ネットで。ファッション誌で。レンタルビデオ屋のパッケージで。

 ちょっとばかり童顔というだけで、あるいはほんの少し胸が慎ましいというだけで、一切合切(いっさいがっさい)をロリ系と名付けてしまう勢力が(はば)()かせていることに。

 “少女らしさ”を前面に押し出して、わざとらしいパフォーマンスをカメラの前で披露することが、ロリだと思われてしまうことに。


 童顔。貧乳。純真。無垢。無邪気。

 そうしたキーワードは、今やロリと密接にタグ付けされてしまっている。

 二次(にじ)性徴(せいちょう)をとうに過ぎ、お腹の奥に妊娠準備万端の子宮を(うず)かせた“ロリータ”たち。中学校の卒業証書をクローゼットの奥に横たえた“ロリータ”たち。

 そうしたいい歳こいた大人の女性たちによって、DVDが、Blu-rayが、ポラロイドが、グラビアカレンダーが、トレーディングカードが、ロリの名で銘打(めいう)たれている。


 市場は、いわゆる“ロリータもの”でいっぱいだ。

 何しろこうしている今も、(まが)(もの)のラベルを貼られた“ロリータたち”が宣伝され、出荷され、スポットライトを浴びているのだから。

 そして、それを消費する人々が引きも切らない。

 消費主義のために、原義が書き換えられていくんだ。

 (まが)(もの)で世界が飽和する。

 そんな世界を憎悪するぼくがいる。


 ぼくは叫びたかった。

 それはロリではないのだと。

 ロリータとはそんな生易(なまやさ)しいものではないのだと。

 ロリータとは、少女“らしさ”から最もかけ離れたところにあるんだ。

 本来の少女を、ありのままの少女を、そっくりそのまま愛すること。等身大の少女を、丸ごと受け容れること。

 これこそが本質だ。……少なくともぼくはそう信じてる。


 例え話をしてみよう。

 かつてキリスト教世界は宗教改革に荒れた。十六世紀初頭の話だ。

 深刻な財政難に見舞われた当時のローマ教皇・レオ十世は、かの有名な『贖宥状(しょくゆうじょう)』を乱発。

 これを振り歩く(そう)テッツェルは、「君の(ささ)げる(十グロシェン)が教皇の箱の中でチリンと鳴るや(いな)や、霊魂(れいこん)煉獄(れんごく)を飛び出して天国へ(はい)る」と吹聴(ふいちょう)した。


 しかし本来、金銭を出せばいかなる大罪からも救われるなどという考えは、カトリックの教理に存在しない。

 そこで教会批判の急先鋒に立ったのが、名高い神学者、マルティン・ルターである。

 プライゼンブルク城の大広間で論戦が開かれると、席上でルターは啖呵(たんか)を切った。「聖書のことは聖書に聞け」と。


「神の()はその福音(ふくいん)のうちに(あらわ)れ、信仰より()でて信仰に進ましむ。(しる)して『義人(ぎじん)は信仰によりて()くべし』とある如し」

 ……とは新約聖書の一書、『ロマ書』第一章の記述だ。

 聖書によれば、罪が赦免(しゃめん)されるのは、教皇によってでも贖宥状(しょくゆうじょう)によってでもなく、信仰によってのみなんだ。


 Sola(ソラ・) Scriptura(スクリプトゥラ). ――(なんじ)、聖書のみを信仰するべし。聖書は神の御言葉なり。

 後に福音派と呼ばれるキリスト教の一大勢力。その種は、ここに芽吹いたというわけである。


 そしてまた宗教改革の必要な領域が、現代日本にも存在している。

 遠回りな例示になってしまったが、ぼくが何を言いたいのか、聡明な方々(かたがた)はお気付きだろう?

 言わずもがなの、ロリータである。


 ぼくはルターだ。

 ぼくはロリータ教福音派の開祖だ。

 原義が(ゆが)められていく世界で、声なき声を上げる福音信仰者。

 ロリータを信仰し、ハンバートを信仰し、ナボコフを信仰する福音主義者。


 ぼくは、あるがままの少女を重んじている。ロリータの原義を重んじている。

 幼い女の子をあまさず、ぼくは愛している。二次性徴に達する前の、全ての少女をことごとく、ぼくは愛している。

 ロリコンとして、一切を受け容れて当然だと思うね。


 花瓶に()けた切り花を(いつく)しむな。煤煙に黒ずんだ野花こそを慈しめ。

 精緻(せいち)なガラス細工を親しむな。()()りに打ち捨てられたカレットこそを親しめ。

 少女ゆえに少女なのだというトートロジーを受け容れよ。


 だから。だからこそぼくは――


 一度抱きしめた少女を、ぼくは最期まで見届けようと思うんだ。

 たとえ花が枯れ、(しお)れて、花弁が地面に堕ちたとしても。少女の描く軌跡を、追い続けようと思うんだ。

 そう。数年ぶりにロリータと再会し、他の男の(たね)宿(やど)した姿を目にしても、なお彼女への愛を再確認したハンバートのように。


 ぼくは、そんな()(ざま)にこそ憧れるのさ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ