視線の先には
◆
家の中から外を見る。
外には、あるはずの町が、無い。あるのは瓦礫の山と、プレハブでできた倉庫のような小屋がちらほらあるだけ。
そこに、「ブオー」という音が近づいてきた。多分父親が運転しているワゴン車の音だろう。
その音は、僕の家の前で止まる。
「ちょっと修也ー、もう出るわよー!」
母親の声に適当に返事をして、荷物を持って家を出る。玄関に向かうと、連日の引っ越し準備で少し疲れている母親が立っていた。
「忘れ物はない?東京行ったら、しばらくこっち戻れないからね」
「うん、ちゃんと昨日の夜に準備してたから大丈夫」
「なら安心ね。さ、行きましょ」
ワゴン車のドアを開け、乗り込む直前、ふと空を見る。目の前には、瓦礫に覆いつくされた地上とは正反対の、真っ青な空が広がっていた。
◇
「転校生ですか!?」
学年主任の言葉に、俺は思わす声を大きくした。
「急なご報告になってしまい、申し訳ありません」
「いえいえ、まぁ、僕のような新任のクラスに転校生というのは、正直驚きましたが・・・・」
「転校生の子ですが、名前は星修也君と言います。親御さんからは、比較的おとなしい子だと聞いています。だた・・・・」
「ただ?」
学年主任は、「山田先生だから大丈夫かとは思いますが・・・」という前置きをした後、星君について話し始めた。
「実は、星君は例の震災の影響で家が全壊して、東京にある親戚の家に、ご家族全員で引っ越してきたそうです」
つまり、星君は『被災者』ってことか・・・。
「なるほど」
「まぁ、普段の生活は全く問題ないのですが、自分の生まれた家を失くしたショックなどはあるかと思いますので、あまりそれを連想させることが無いようにだけ気を遣っていただければと」
確かに、星君はまだ中学一年生。十三歳で自分の家が急に無くなったら、ショックに決まっている。
「分かりました。星君は、責任を持って自分が面倒を見ます」
学年主任は、俺の言葉に安心したようだ。
「そう言ってくださって本当に助かります。それでは、詳細はまた後程。そろそろ授業の時間かと思いますので・・・・」
時計を見ると、十二時五十五分。やばい、そろそろ五時間目が始まってしまう。
「それでは、失礼します」
俺は学年主任に一礼して、職員室を後にした。
緊張する物事が控えているとき、現在進行形で進めていることに全く集中できない。子供のときからの俺の悪い癖だ。「来週の授業の準備に」と読んでいる数学の教科書が、何かの絵本に見える。
ボーッと教科書を眺めていると、「山田先生!星君きましたよー!」と声がかかる。いよいよか・・・・・。
星君は、細身で色白、端正な顔立ちの少年だった。お互い自己紹介をして、HRが始まりかけている教室へ向かう。
初対面の生徒と無言で歩くのは気まずいと思い、話しかけてみることにした。
「実は、先生もここに来てまだ半年くらいなんだ。教師になったばかりでさ」
「そうなんですか」
「でも、クラスのみんながとても優しくて、最初は緊張してたんだけど、すぐ仲良くなれたんだ。だから星君も、きっとすぐ皆と仲良くなれると思うよ」
「・・・そうですね」
星君が、俺をみてにこっと笑う。地震のこととか、色々あるだろうに。せめて俺が、この子に寄り添ってあげなければ!
教室に入り、星君に自己紹介をさせる。最初は驚いた表情をしていた生徒たちだったが、星君が黒板に自分の名前を書くと、段々と静かになっていった。
「星修也といいます。福島県から来ました。よろしくお願いします」
星君の「福島県」というワードで、ざわめき出す生徒たち。「え、福島って」「あの震災の」「被災者とかいうやつ?」生徒たちの声が、教室を埋め尽くす。予想はしてたけど、思ったより皆食いつくな。
「みんなも分かってると思うが、星君は、今とても辛い思いをしているはずです。ですから皆さん、星君をしっかり支えてあげてください!」
俺がそう言うと、学級委員長の菅野が「先生の言うとおり!」と意気込み、それにつられてクラス全員が星君を支えようという雰囲気になった。助かった・・・・。と思い隣を見ると、星君が深い海のような視線を俺に向けていた。
「じゃ、じゃあ、そんなわけで、皆、星君と仲良くしてあげてくれよな。それでは、授業を始めます。星君の席は、あの空いてる席だから」
「・・・・分かりました」
星君の声が、心なしか冷たくなった気がした。星君は、その後、何事もなかったかのように席に着き、周囲の生徒たちに自己紹介をしていた。俺、何かまずいこと言ったかな?
その日の放課後、日直が出席簿を出さないで帰ってしまった。あいつら、さわやかな笑顔で部活に行きやがって、と思いつつ教室に向かう。まぁ元気なことはいいことなんだけど。
『1-1』と書かれた表札が見えてきた。教室の中を覗くと、星君が一人で座っていた。
「おーい、星君、どうした?」
教室に入りながら声をかけるが、反応が無い。何かあったのか?やっぱり、今日の挨拶のとき、震災に触れられたことがショックだったのかも。
「・・・クラスの皆、どうだった?何か辛いこととか、悩んでることがあったら先生に・・・」
「・・・・んで」
「え?」
「何で僕は“可哀想”なんですか!?僕って、そんなに皆と違いますか!?」
星君が、こぶしをダン!と机に叩きつける。何が起こっているか、全然わからない。この子は何でこんなに怒っているんだ?
◆
今日ずっと感じてた違和感。それが何なのか、僕はやっと気が付いた。僕は確かにあの震災で家を失った。身の回りのものが、一気に全部無くなってしまった。でも、僕には家族がいたし、あの体育館で過ごしたことも、こじんまりとした仮設住宅で暮らしたことも、僕にとっては当たり前だった。だって、他の人もそうだったし、みんな不便だ、とは言いつつ、それなりに楽しいときもあった。なのに、何でそれを“辛い”って勝手に決め付けられなきゃいけないんだ?
「先生は、僕が“辛い”ってどうして勝手に決め付けるの!?僕は自分が辛いだなんて、一言も言ってないのに・・・・。クラスの皆も、僕に優しいよ?でも、それは僕が辛いから。可哀想だから、助けてあげようって・・・、皆がそういう風に思ってるの、バレバレだよ!どれもこれも、先生が最初にあんなこと言ったせいだ!」
僕は一気にまくし立てて、席を立った。
「星君・・・俺は・・・・」
まだ何か言い訳をしようとしているのか?僕は先生の方を見ずに、こう言った。
「もういいよ。先生はこの先も、僕のことを理解できないよ。まぁ、理解して欲しくも無いけど」
先生が息を呑む音がしたけど、そのまま教室を出る。明日もまた、大量のいらない善意が僕に降り注ぐのだろうか。いつになったら終わるんだろうと、まだ転校初日なのに考える。まぁ、三年の辛抱だ。三年経てば、福島に帰れるかな・・・・・。
◇
その日の帰り道、俺は気が付いたら最寄の八王子駅に着いていた。歩いている道中、ずっと星君の顔が頭に浮かんでいた。俺の不用意な一言のせいで、星君があそこまで怒るなんて。生徒の気持ちひとつ理解してやれない自分が情けない。
改札までとぼとぼ歩いていると、手前から歩いてくるサラリーマン風の男性とぶつかってしまった。
「すみません!」
慌てて謝ると、その男性は
「いえいえ。こちらこそ大変失礼しました」
と穏やかな声で謝ってきた。急に気恥ずかしくなって、俺も思い切り頭を下げる。顔を上げると、その男性は穏やかな表情を浮かべ、「では」というと、改札に向かっていった。
その姿を見つめていた俺は、ふと、あの穏やかな表情に見覚えがあると思った。ずっと昔、どこかであの顔を見たことがあるような・・・・。
あ!と思い出したときには、既に走り出していた。改札を通ろうとしているその男性に、「あの!すみません!」と声をかけて引き止める。男性は、改札から一旦離れ、俺のところに近づいてくる。
「あの、何かありましたでしょうか?」
「えっと・・・、もし人違いだったら申し訳ないんですが・・・根元先生、ですか?」
「え?」
「あの、俺、山田です。中学のとき、お世話になった・・・。覚えて・・・ませんか・・・?」
根元先生は、俺の顔をまじまじと見た後、「や、山田か!?」と驚いた声を出した。
「山田か!いやー、大きくなりすぎてて全然気が付かなかったよ」
「お久しぶりです!まさか根元先生とこんなところでお会いできるなんて・・・。」
「本当だよ!いやー、本当に大きくなったな。今は学生か?」
「いえ。今年から社会人です」
俺の言葉に、先生は目を大きく開き、驚いた声を出した。
「社会人!?いつの間にそんな大きくなったんだ!今、仕事は何をやってるんだ?」
先生の質問に、俺はドキッとした。同じ職業ということに、とても気が引ける。
「・・・・教員、です。八王子中の・・・」
「え、お前教師になったのか!?いやー、山田が教師かー」
先生の言葉に曖昧に頷く。俺の表情を不思議に思った根元先生は、
「・・・何かあったのか?」
と聞いてきた。でも、転校初日の生徒を激怒させる教師になってしまったなんて、とても言えない。しかし、根元先生はそういう俺の気持ちを敏感に読み取った。
「やっぱり、何かあったろ」
「・・・・実は」
先生は、情けない顔をしているであろう俺の肩を叩き、「せっかくこうして再会したことだし、一杯どうだ?」と誘ってくれた。俺は先生の言うことに素直に従い、駅近くの居酒屋へと向かった。
「かんぱーい」
ビールの入ったジョッキで乾杯をし、二人で一気に飲む。どんなに辛いときでも、やはりビールはうまい。こういうところだけ大人になったなぁ、としみじみ思う。
「それで、何があったんだよ」
ビールを半分ほど飲み終えたところで、根元先生が俺に聞く。俺は、星君の件をかいつまんで説明した。途中で自分が情けなくなってきて、視線をビールの泡へ移す。一方根元先生は、ずっと俺の方を見て話を聞いていたようだ。話している最中、ずっと視線を感じていた。
「俺は、先生みたいな生徒に寄り添う教師を目指していました。でも、どうしたらいいかわからなくなってしまって・・・」
言い終わると、自然とため息が出た。
先生はそんな俺をしばらく無言で見つめていたが、つぶやくように話し始めた。
「山田は自分が中学生のとき、どんな子供だったと思う?」
予想していた問いと違った!と思った。俺が中学生のときか・・・。うーんと考えていると、胸にズシンと重しが乗ったような感覚が襲ってくる。中学生の頃の記憶は、あまりいいもんじゃない。
あの頃、俺はいじめられていた。もともと内気な性格の俺は、教室でも一人で本を読んでいることが多かった。そんな俺は真っ先にいじめのターゲットになった。クラスで一番のいじめっ子は、とにかく頭が切れる奴で、先生にばれないような嫌がらせを思いついては、俺で試すような奴だった。
俺がクラスでいじめに遭っているとき、前任の教師が産休に入る関係で、当時学年主任だった根元先生が俺のクラスの担任を兼任することになった。根元先生へ担任が変わった初日、いつも読んでいた本をいじめっ子たちに取られた。根元先生が教室に入ってきたとき、いじめっ子たちは先生に見えないようにその本をゴミ箱に捨てた。
その日の放課後、俺が一人でゴミ箱を漁っていると、後ろから根元先生が声をかけてきた。
「山田」
「は・・・、はい」
「お前が探してるの、これだろ?」
根元先生はそう言うと、先ほどいじめっ子たちが捨てたはずの本を返してくれた。俺は、それを受け取りながら、一体何が起きたのか全く理解できなかった。
「先生、どうして・・・・」
言いながら、思わず涙がこぼれる。
「よく頑張ったな。山田は、本当に強いな・・・・」
根元先生の言葉に、余計に涙が溢れてくる。先生は、俺の肩に手を置き、頑張った、頑張った、と何度も言ってくれた。
ヤバイヤバイ、ここは居酒屋だっつーの。溢れそうになったものを、ビールをグイッっと飲んで押し戻す。
「いやー、俺は、とにかく自信の無い子供だったと思います。とにかく内気で。先生もご存知かと思いますが、それが原因でいじめられていましたし・・・」
「そうか?俺は、山田は強い子だと思ったぞ」
「え、何でですか!?俺なんて、先生がいなかったら今頃どうなってるか、考えただけで怖いですよ」
「山田は、お前をいじめてた奴が消しゴム落としたとき、拾ってやってたろ。あれは感心したなぁ」
そんなことあったっけ?根元先生は、俺が忘れていたこともちゃんと覚えてるんだな。そう思いながらビールを飲んでいると、根元先生がふいに真剣なまなざしを向けてきた。
「いいか山田。生徒を“視る”んだ。そうすれば、少しずつだけど、何かが変わるよ」
根元先生は、諭すようにそう言った。みる。根元先生が言った“みる”は、“視る”のことか?そう考えていると、根元先生が俺の肩をバン!と叩き、
「ま、とりあえず片っ端から“視て”みろよ。その生徒だけじゃなくて、他の生徒のこともさ」
「はい・・・!とりあえずやってみます」
さっきの真剣な表情から一転、ニカッと笑う根元先生を見て俺も思わず笑った。その後も俺と先生は終電までビールを飲み、お互いの今昔を語り合った。
八王子中学校は、給食の時間。山田は教卓の隣にある教員用の席で、給食のカレーを食べながら教室の中を“視て”いる。生徒一人ひとりをきちんと“視て”みると、多くのことに気付かされる。
食器の扱いがとても丁寧な生徒。カレーの中のにんじんだけをこっそり避けている生徒。教室の端の席に座っている女子生徒は、さっきから離れた席に座っている男子生徒とずっと見つめ合っている。「ひょっとして、あいつら付き合ってるのか?」と、山田は彼らを見ながら苦笑した。
そうして視線をさまよわせていると、ふと山田と修也の視線が合った。修也はしばらく山田の目を見つめていたが、やがて隣の生徒に話しかけられ視線をはずした。
修也のあの視線にどんな意味が込められているか山田には分からなかったが、それでいいと思った。今はとにかく、生徒をしっかり視よう。せめて生徒の変化にはすぐ気付けるように。
山田はふと教室の外を見る。その視線の先には、かつて修也が見たような真っ青な空が、一面に広がっていた。
おしまい