第三話
前回の話
女は返り討ちに遭った。
男が赤子に手をかけようとしたとき、バグベアーが現れる。
バグベアーと戦うのは得策ではないと判断した男は、赤子の腕を切り落とし、血の吹き出る赤子を餌に逃げた。
男はバグベアーから逃げながら思考する。
赤子の生死を確認できなかったのは残念だが、万が一に助かることもないだろう。
契約により、直接殺せないという縛りの中では上々であろう。
よしんば生き残ったとしても、本来の目的であった証拠の指輪があれば用は足せるし言い訳も立つ。
だから、男は指輪の嵌められた赤子の左腕だけを奪って逃げたのだ。
走りながらも懐から出した布で剣の血糊を拭き取り、指輪を外した左腕と布を道端に投げ捨てた後に大きく横に跳躍する。
万が一追いかけてきたとしても、ここから先は追えないだろうという念の入れ方だった。
一方、バグベアーは悩んでいた。
食いごたえがあるが既に死んでいる柔らかそうな女を先に食べるか、まだ生きている赤子を踊り食いするか。
男には逃げられたが、あれは固くて不味そうだったので考えなくてもいいだろう。
なんにせよ、今日はいい日だ――――
「騒がしいと思ったらバグベアーか。人を襲ったのか、いや横取りしたのか」
高揚していたバグベアーに冷水を浴びせる一言。
驚いてよく見ればすぐ近くに老人が立っていた。
バグベアーは自分の知覚に自信があった。
だが、バグベアーは老人が近づくのに気づかなかった。
これは決してバグベアーが劣っているわけではない。
現に、バグベアーの接近には気づいた男、ゲイルも、その老人の存在には気づかなかったのだから。
黒いローブを着た老人は手に武器らしきものを持っていない。
それでもバグベアーは自分を見つめる老人から感じてしまった。
自分に迫る死の匂い――――
「おや、赤子は生きているようじゃな。じゃが果たして助かるかどうか」
老人はバグベアーを無視するかのように赤子へと近づく。
その隙にバグベアーは勇気を振り絞って老人へと襲い掛かろうとした。
「無駄じゃよ。遅すぎる」
その意味は理解できなかったが、バグベアーは老人が懐から出した赤い石を見た瞬間に、自分の命が尽きることは理解していた。
老人はバグベアーの腹に無造作に赤い石を押し込み、何やら唱える。
その石はバグベアーの体へと吸い込まれ、そしてバグベアーは生命力を燃やしつくし、崩れ落ちた。
「さて、見捨てても良いのじゃが、これも何かの縁か。赤子よ、お前に生きたい意思があり、まだ間に合うならそれが天の采配じゃろう」
赤子の腕からの血も心臓も、息も、全てが止まっていた。
老人は赤子の右目に刺さっている矢を引き抜くと、懐から大きな青い石を取り出し、赤子の心臓の上に差し込んだ。
青い光が赤子を包み、心臓、呼吸が動き出す。
左腕の傷口に肉が盛り上がり、血を止める。
赤子の、無事だった黒い左目が開き
「おぎゃぁぁ!」
鳴き声を上げる赤子を優しく抱きかかえた老人は森の奥へと消えていった。
女はその命を落とすことにはなったが、奇しくもその願いは叶った。
彼女が探していた人物こそが、この老人だったのだから。
――――それから、およそ十五年の月日が流れた――――