第二話
前回の話
怪我をした赤子を抱えて逃げる女。
それを追う男。
逃げきれないことを悟った女が最後の反撃を試みた。
だが、それは男には届かなかった。
飛びかかられると同時に背中から抜き放った大剣で女を袈裟切りにしたのだ。
女は左肩から右腰にかけて綺麗に斜めに血しぶきをあげ、どう、と倒れた。
返り血を拭き取ることもせず、無念そうな顔で息絶える女の顔から眼を逸らし、男は赤子を見つめる。
このような状況にあっても泣くことがないのは、豪胆なのではなくそれだけの力が残っていないからだった。
男にはやらなければならないことがあった。
直接殺してしまえるならこれほど楽なことはないのだが、それは契約によってできない。
だから男は殺さずにやらなければならない。
もっとも、放っておけば死ぬだろう、それは契約には反しない。
だから男は目的を果たすために赤子を抱えようとした。
「ん?」
男は突如腰を落とし、油断なく剣を構えた。
木々の向こうに見えるは、全長四メートルを超す巨体。
「くそっ、血に誘われてきやがったか」
男はこの距離に近づかれるまで気づかなかった不覚を呪った。
その全身は黒い毛で覆われており、丸太のような棍棒を手にしており、目は爛々と赤く輝いている。
バグベアーと呼ばれる危険な魔物であった。
「こいつはやばいな」
男の身長は百七十センチほどであり、小さくはないが決して大きいほうではない。
自分の身長の二倍以上あるバグベアーを相手にするのは困難であった。
おまけに彼は対人戦こそ得意であっても、魔物を相手にするのには慣れていない。
命がけで戦えば、あるいは勝つかせめて相打ちに持ち込めるかどうか。
そんなぎりぎりの戦いをしている間に他の魔物が現れでもしたら、目的が果たせなくなるのは明らかだった。
「さあどうするか」
見た目や淡々とした言葉と異なり、男は焦っていた。
バグベアーは油断なく剣を構えている男を警戒してかゆっくりと近づいているが、こちらが逃げるそぶりを見せたら、その巨体に見合わぬ速さで襲い掛かってくるだろう。
しかしだ。
もし安全な餌があるなら、わざわざ危険を冒してまで男に襲い掛かることはない、バグベアーもその程度の頭脳は持っている。
そして、餌はある。
バグベアーと男の距離が少しずつ縮まってきた。
これ以上考えている時間はない。
「しゃっ!」
「っーーー!」
男は赤子の左手を掴むと、それを剣で切り落とし、声にならない叫びをあげる赤子から吹き出る血しぶきをバグベアーのほうへ向けると、その左腕を持って逃げた。
バグベアーが追ってくる気配はない。
男は嘯く。
「後は任せたぜバグベアー」