3
痛みはいらないから傷跡が欲しいと自傷を行った。
私はなぜかリストカットが嫌いで、昔から自傷といえば鈍器で体中を殴る事だった。体を殴っている間は痛みで頭がぼうっとし何も考えなくてよかった。しかも、体を殴っても私は痣をあまり作らなかった。殴る力が弱いのか、元々痣を作りにくい体質なのかは分らなかったが、そのおかげで私に自傷癖があることは誰にも気付かれたことが無かった。
だが、今は傷跡が欲しかった。
左腕を中心に拳と鈍器で殴ってはみたが、健側の腕と比べてやっと分かるような小さな青痣が一つ出来ただけだった。それでも自傷を行った夜は泥のように眠れて翌朝は昨日のドロドロとした気持ちが嘘のように学校の仕事ができた。屋外スポーツに誘われたときは昨晩の左手の痛みが残っていたので断ったが。私は暇さえあれば左腕の小さな青痣を見つめて「ああ、そうだ。私は間違ってないと。」納得した。だって、実際に私の精神状態は改善していたのだから。そう長くはもたないけれど。
痣が治りかけて、私はまた左腕を殴った。別に左側に恨みがある訳ではないけれど、利き手が右手なのだから仕方がない。左腕を殴る方が殴りやすいし、利き手を温存しといた方が後々生活がしやすい。自傷をするのはあくまでも死ぬためではなく、心地よく生きる為なのだから。
痛いなあと思うそれでも痣は出来なかった。
リストカットをすればいいと思う。あえてリストカットを行わないのは切り傷が小さい頃から苦手なせいか、傷跡が露骨過ぎて嫌なのか、それとも普段悩みを聞いてくれる大切な友人を裏切りたくないという思いからなのか。
友人には自傷癖があることを随分昔に話したことがある。それは比較的、私の症状が安定していて自傷癖を過去の事に出来ると錯覚していたときだ。
だから友人は今現在の私に自傷癖があることは知らない。
一度、リストカットの代わりに火傷を試してみたことがある。傷を作りやすいし、料理中の怪我だとごまかしやすいので良かったと思う。でも、とても痛かった。一過性の強い痛みと、後を引くジンジンとした痛みなので私好みの痛みではなかった。衝動的にもう一度やりそうになるが、今のところ火傷したのは二回だけだ。
何故傷跡が欲しいのだろうと考察してみる。
私の精神が急降下して不安定になったのは実家に帰って両親に会ったせいだろう。私は両親の笑顔に吐き気を覚えるほど彼らが苦手だ。私が大学に入学してから嘘のように笑顔を振りまくようになった。それまで暴言と暴力を行使してきた彼らとは人が変わったようだった。
親も人の子だ。しょうがないとそれを受容出来るほど私が大人だったら良かったのだけれど、その落差を私は気持ち悪いと思ってしまった。彼らを許すことが出来ないのだ。
その心の傷は誰にも見えない。そういう思いを抱えてしまっていることも私は言わない。得意の愛想笑いでその場をやり過ごしているだけだ。
おそらく自傷行為はその代償行為だ。抱えてしまった鬱憤を分かりやすい形に変換して一人で完結させようとしている。観客のいない舞台で一人芝居を演じているようだと思った。渇望しているのは拍手か罵声か自分でもわからない。ただ、演じ切らなければならないと心の中で責を負っているのだろう。
「甘えていいよ」と友人は言ってくれる。でも、私には甘え方が分からない。今まで「甘える」という行為は自分の中の『ソロア』という器官に対してしか行ったことがなかったからだ。他人との間にどれほどの距離を詰めて甘えたらいいのか見当がつかなかった。
ソロアがとんとんと肩を叩いた。
「お前は何がそんなに許せないんだ。」
「全部だよ。」と私は答える。両親の優しさも笑い声も全部許せない。今がどれだけ優しかろうと過去を無かったことには出来ない。たぶん両親を許したら、私は私を許せなくなる。過去に起こったこと全部自分のせいにして飲み込んでしまう。そしたらもう耐えられないだろう。
「本当に私の事を思っているのなら恨ませてもらったままがいいな。」と私は涙を流しながらソロアに伝えた。
そして、私が神様に許されるのはこの命が終わる時だろうとも思った。「死ぬ」ということは神様が「もういいよ。もう生きなくていいよ。」と言ってくれてるということだと私は解釈しているから。