3.ツルさんズ VS ウサギ
無情にも居酒屋の扉が閉まった。
うん、この時間、私はどうすればいい?沈黙のままでいい?それともウサギさんとの会話を発展させる?
いや、無理だ。沈黙も獲物を狙うような視線に曝されたままなんて耐えられそうにない。
でも、話し掛けるのも無理だ。何を話せばいいのかわからないし、何より怖いよぉ。真っ黒オーラって、こんな怖いモノなんだね。あぁ、本当のカメだったら、甲羅の中に閉じ籠って身を守れるのにぃ。
「和亀。」
「は、はい。」
突然、声を掛けられ、上擦った声と心臓が一緒に口から出てしまった。
すみません、心臓は出ていません。比喩です。
「そんなに緊張しないでよ。こっちまで緊張しちゃうよ。」
この真っ黒オーラ全開の、何か企んでいますって全身で表している人が緊張するの?
「俺の名前、憶えている?」
「えぇっと、宇佐木、勝利、さん?」
「そう。まずは俺の事を知ってもらわないと、ね。俺は、和亀の事を鶴ケ谷達から耳に入れていたから、ある程度予備知識があるんだけど。まぁ、それ以上はこれから長い時間掛けて、知り合っていけばいいでしょう。」
「……。」
鶴ケ谷達って、ピカくんと誰?それはいいとしても、予備知識って、何の話をしているのよ?
「あぁ、俺、鶴ケ谷、光の同僚なんだよ。だから、光の兄の輝さんとか和亀のお兄さんの話をよく聞くんだ。」
ピカくんやアキくんやお兄ちゃんは、私と同じ会社だ。でも、部署が違うから、あまり接点はない気がするけど…。特に、私は総務課で同じ建物の中でも階が違うから直に会う事は少ない。
ちなみに、社長はピカくんとアキくんの父親、四番目伯父さんである。つまり、縁故だ。
「俺は、二十八歳。光と同じ大学だったんだよ。」
「そ、そうですか。」
その相槌を待つ姿勢、やめてください。やっぱり、怖いです。
「でも、三十歳になったら、親の会社を継ぐために戻らなくちゃいけないの。ラビットコーポレーションって、知っているでしょう?」
頷く。確かに、知っている。会社の取引先の一つだ。
「そこの御曹司なの。」
「そ、そうなんですね。」
「修行って、ヤツだね。それで、戻るまでに結婚相手を見つけないと、見合いで強制的に結婚させられちゃうの。可哀想でしょ、俺?」
それに唯々諾々と従うのですが?貴方が?
とても、そうは見えませんが…。って、間違っても口に出せないけど、言いたい。
「でも、その可能性もなくなったかな。」
「ど、どうしてですか?」
訊きたくない、いや、訊いてはいけない気がする…。
「もちろん、和亀という運命の女性に出会えたから。」
「ど、どうして、私が運命の女性なんですか?」
「どうしてって?」
嫌ぁぁ。ニヤッて笑った。
私はカメです。獲って食べても美味しくないですよ。他を当たってください。
「俺が惚れたから。うぅん。一目惚れ?」
ひ、一目惚れ?あ、有り得ない。
「私、そんな一目惚れされる要素はありません。」
「とっても可愛いのに、どうして、そんな事を言うの?」
か、可愛いって?い、いや、待て。ここは薄暗い。よく顔がわかるとは思えない。うん、勘違いだな。
「ねぇ、和亀。」
「ひゃ、ひゃい。」
だから、その舌嘗めずりしそうな顔は止めて。怖いのよぉ。
「俺を見て、どう思った?」
本当の事を言ってもいいですか?いいですよね?
「怖いです。」
「怖い?」
片眉だけ動かさないでぇ。
「普通の女性は、俺のルックスを見て、格好良いとか優しそうって言うんだけど。ふぅん。俺の本性を一目で見破ったんだ。さすがだね。でもね、それなら、わかるよね。俺、狙った獲物は逃がさないんだよね。」
その狙った獲物は、もしかして、私、ですか?
お願いです。違うと言ってください。
「待たせた。」
救世主が現れました。
「ピカくぅん。」
怖かったよぉ。と、背中に隠れます。
「宇佐木、和亀を怖がらせるな。というか、本性を現すな。」
「隠していたつもりなんだけど、見破られていたみたいで、さ。ますます気に入っちゃった。」
「……。」
「さて、鶴ケ谷も来た事だし、和亀、お茶でも行こうか。それで、二人の愛について語り合おう。」
嫌です、無理です。
「とりあえず、コウくんが場所を提供してくれるから、そっちに移動しよう。コイツを野放しで、ましてや人目がある所で話させるなんて無理だから。」
野放しに出来ないコイツというのはウサギさんらしいです。
「コウくん?」
「そう。」
コウくんは、従兄ズの一人。伯父さんズの一番上の兄の長男。お医者様で時間が不規則になるというので、一人暮らしをしていて、従兄ズの中で私を一番激愛している人である…。
「ここから一番近いし、何より最強の味方になる。」
ピカくん、笑顔がウサギさんに負けるけど、黒いです。でも、見慣れているせいか、怖くはないです。
「和亀、迎えに来たよ。」
居酒屋さんのあった路地から少し大きな通りに出ると、コウくんの車が路駐されている。満面の笑みを私に向け、わざわざ助手席のドアを開けてくれる。
「ありがとう、コウくん。」
「どう致しまして。和亀のためなら、どうって事ないよ。」
私が乗り込み、ドアを閉めてくれると、コウくんがクルッとピカくんとウサギさんに身体を向けた。
「光、俺に助けを求めたのは正しい判断だ。だけど、和亀を合コンなどという不埒な場所に連れて行った事には、後で怒りの鉄槌が下るのを覚悟しておくように。あと、そこのヤツも早く乗れ。」
コウくん、相変わらず?ですね…。
「あぁ、ありがとう。コウくん。」
ピカくんは苦笑を張り付けた唇でお礼を告げ、ウサギさんは無言のまま、後部座席に並んで乗り込んだ。
「和亀、寒くないか?」
「大丈夫だよ。」
「じゃあ、行こうか。」
コウくん、今までで一番って言って良いほど、扱いの差を感じるよ。
「で、コイツは何?」
コウくんの部屋に通されると、リビングのソファーにコウくんと私が座り、テーブルを挟んだ床にピカくんとウサギさんが正座させられた。
そして、コウくんと私の前だけにホットコーヒーが置かれている。
わかっていただけるだろうか?これが扱いの差です。
「宇佐木勝利と言います。こちらの和亀さんに惚れ込みまして、唯今、求婚中です。」
きゅ、求婚?されたのか?私が?
「ほぉ。」
コウくん、怖いです。たった一音なのに、怒りみたいな響きを感じさせます。
「で、光、コイツ、何処に落ちていたの?何処の馬の骨?」
「宇佐木は、同僚。ラビットコーポレーションの御曹司。」
「ラビットコーポレーションの御曹司様が、どうして、同僚?」
「修行中。」
「なるほど。で、コイツも合コン参加者か?」
「まさか。こんな危険人物を和亀に近付けるはずないだろう。勝手に調べて、居酒屋に出没してきた。」
危険人物って、確かにその通りだと思うけど、はっきり口に出来るピカくん、素敵。
「前以て、和亀を知っていたと?」
「同僚だから、さ。」
「あぁ、つまり、光達の会話を聞いて、和亀を知っていたと?」
「そ、そうなるかな。」
ピカくんの顔が引き攣った。それはそうか。コウくん、怒りのオーラが倍増したもの。
「コウ、どういう事だ?」
「和亀は無事か?」
玄関が凄い音と共に開き、煩いほどの焦った声と小走りの足音が入ってきた。
「お兄ちゃん達…。」
顔ぶれを見れば、私の実の兄二人を含む、従兄ズ。それもほとんど全員。
「和亀と同じ会社に勤めている者は、光と同様、正座だ。他の者は好きに座れ。」
コウくん、そこまでしなくても…。
でも、言われた通り、正座をするあたり、偉いよね?
「で、コウ、どうしたんだ?」
「和亀、体調が悪いわけじゃないんだな?」
正座を免れた方から、問われる。
「身体は何ともないよ、元気だよ。」
私がにっこりスマイル付きで答えると、安堵の溜息が零された。
うん、私、皆に愛されて、幸せですよ。ちょっと不幸な事もたまにあるけど…。
そして、先程と同じ会話が繰り返された。
リピートは飽きるので、のんびりコーヒーを啜って、待つ事にする。
「ほぉ。」
先程のコウくんと同じ怒りみたいな感情が入っている相槌が繰り出された。
リピートは終わったらしい。
「今すぐ、和亀の事は忘れて、他の女を探せ。お前ほどの容姿なら簡単だろう。」
「いいえ、私には和亀さんしかいりません。」
「お前といれば、和亀が幸せになれると?」
「必ず幸せにします。その努力は惜しみません。」
「ダメだな。他のヤツを探せ。」
「和亀さんを本当に愛しています。ダメな理由をはっきり仰ってください。直す努力をします。」
ウサギさん、本当に私の事を?
あっ、でも、明るい場所で私の顔を見たから、幻滅してもおかしくないはずなのに。
もしかして、ここまで大騒ぎになって、引っ込みがつかなくなったの?
「和亀は、どう想っているんだ?」
四方八方から責められていた矛先が、急に私に向かってきた。
「へ?」
「だから、和亀はコイツをどう想っているんだ?」
「わ、私は、引っ込みがつかなくなっただけだと思います。」
「は?」
口を半開き、いや、開けっ放しの人もいるけど、揃いも揃って、唖然とした顔をしています。
あれ?私、ヘンな発言した?
「どういう意味なんだ?和亀。」
隣に座るコウくんが優しい声で訊ねてくるので、素直に答えよう。
それにしても、扱いの差が凄いな。まるで別人みたいな変わりようだよ。
「ウサギさんは、私に一目惚れしたと言いました。でも、私に一目惚れされる要素はないです。だから、居酒屋さんの横の細い路地で薄暗かったし、ちゃんと認識してないと思うんですよ。ほら、よく雰囲気美人っていますよね?そんな感じで、誤った情報がウサギさんの脳に走ったんですよ。でも、ここまで大事になったのに、今更、勘違いでした、とか言い出し辛いですよね。そういう事です。」
「はぁ。」
一堂同時に深い溜息。何故?
「和亀は、この世界で二人といないほど可愛くて、美人さんだぞ。」
「そうそう。和亀ほど可愛い子など見た事がない。」
それは誤ったフィルターが被っているからですよ。親類以外から可愛いと言われた事はありませんから。
「と言う事で、和亀はお前を全く意識さえしていない。諦めろ。」
「いいえ。絶対に諦めません。和亀。」
ウサギさんが急に私を呼び、真っ直ぐに見つめてきます。
「は、はい。」
あれ?ウサギさんの怖いオーラは消えているけど。何ですか?その真面目な顔は?
「貴女を愛しています。結婚してください。」
「へ?」
「薄暗くて、誤解したわけでもないですし、本気です。貴女しかいません。」
「…。」
ほ、本気だったのかい?ま、マジですか?
「時間をください。必ず、和亀さんを本気にさせ、結婚を承諾してもらいます。そうしたら、認めてもらえますね?あぁ、皆さんなら、和亀さんが悲しむような事するはずないですよね?」
「…。」
部屋に一斉に沈黙が降臨なさった。
「わ、わかった。い、一ヶ月だ。一ヶ月、時間をやろう。和亀を本気にさせてみろ。」
「いいよな?和亀。」
「…わかった。考えてみる。」
多分、この場所でウサギさんは、引き下がれないんだろう。
うん。一ヶ月も経てば、ほとぼりも醒めるし、丁度良いだろうな。
この混乱極まったカオス状態の私の頭も冷静になるには時間がかかるし。