2.カメ VS ツルピカ
「カメ、行くよ。」
二十五歳の私、鶴ケ谷和亀は、会社での業務を終え、帰ろうと席を立ちました。周りの方々に挨拶して、コンビニでデザートでも買って帰ろうかな、なんて暢気に思っていると、行き成り背後から腕を掴まれたのです。
「ユリ?」
「そうよ。あなたの親友花崎百合様よ。」
この花崎百合は、確かに私の友人です。高校からの腐れ縁で、普段はオトナシイ私を振り回すパワフル女性です。
「行くって、何処に?」
「もちろん、飲み会よ。」
「飲み会?歓送迎会とかあったかしら?」
「バカね。会社の飲み会じゃなくて、個人的な飲み会。」
「どうして、私も?」
「いいから、来なさい。」
有無を言わせない口調とは、この事でしょう。引き摺られ、苦笑交じりの同僚に挨拶を残しながら、会社の外まで出てきました。
「ヒカル、連行してきたわよ。」
「やっぱり。」
会社の外、玄関横には私の従兄、父の四番目の兄の次男、私より二つ年上の鶴ケ谷光、通称ピカくんが壁に寄りかかり待っていました。
最初はヒカくんと呼んでいたのですが、気付けばピカくんになっていた。ヒカくんって言い辛いよね?
なんて、どうでもいい説明はいいのですが、これはどういう事?
「ピカくんも行くの?」
「あぁ、監視。」
「…そうですね。」
苛立ちが声に交じってしまうのは仕方ないよね。
夜、お出掛けの時は、監視が付く事が多い。特に飲み会とかだと間違いなく誰か監視が付く。
そう、あの父親の兄弟達が自分の子供も巻き込み、私に悪いムシが付かないようにと、憑いてくるのだ。
最近は緩んできたが、学生時代まではもっと厳しかった。いや、この話はやめよう。あまりに辛過ぎる…、私の心にダメージが蘇ってきて…。
「だが、安心しろ。今日は、俺のお眼鏡に掛かった男しか用意していない。」
「は?」
何ですか?ピカくんのお眼鏡に掛かった男というのは?
「だから、楽しみにしていたのよ。無理矢理、カメを引っ張ってきた苦労もこのためだもん。」
「は?」
ユリが心の底からウキウキした声を発している。が、意味がわからん。
「だから、飲みに行くのに、男がどう関係するのよ?」
「ユリ、それさえ言わずに和亀を引っ張ってきたのか?」
私の疑問に答える事もなく、ピカくんはユリを睨んでいる。
「当たり前でしょう。合コンって言ったら、即逃げを打つもの、この子は。」
ユリはユリで、ピカくんの睨みも何処吹く風で、飄々としているが。
「はぁぁ?合コン?」
合コンというのは合同コンパの略?で、男女が知り合い深い仲になるための手助けをする会?の事でしょうか?
うん、それ以外考えられない。
「ど、どういう事でしょう?」
ピカくんは、邪魔する側の人間である。いや、あった。それがどうして?
「あぁ、このままだと和亀が結婚はおろかまともに男と付き合う事も出来そうにないから、少しだけでも手伝ってやろうと思って、な。優しい兄心だ。」
「……。」
じっとにっこりと笑っているピカくんの顔を見上げる。
「どんな裏があるの?」
「ないよ。こんな優しい兄の心がわからないのか?和亀はそんな子に育ってしまったのか。兄さんは哀しい。」
嘘泣きは止めなさい。それに、私はこんな兄を持った記憶はありません。
「とにかく、行くぞ。」
ガッシっと音がしそうな程の勢いで、ピカくんとユリに腕を掴まれ、私は連行されていきます。
ドナドナはこんな気持ち?
辿り着いたのは、ちょっとお洒落な居酒屋さんです。
木のぬくもりをそのまま活かした造りで、温かい光のライトが周りを明るくしています。
とても料理が美味しそうです。
さて、何を食べようかな?
「和亀、いつも通り、アルコールは禁止だ。」
「うん。好き好んでアルコールを飲みたいと思わないもん。」
そう、私はアルコールが苦手だ。飲んで飲めない事はないが、心臓が踊り出し不調をきたす。つまりは身体がアルコールを拒否しているのだろう。
「こんばんはぁ。」
穏やかな優しい感じの店員さんに案内された席には、三人の女性と四人の男性が座っていた。
女性の一人は顔見知りというか、友人だ。ユリと同じで高校が一緒の瀬尾花枝、通称オハナだ。
「これで全員かな?」
「そうですね。」
何だ?この華やかな空気は?
ユリもオハナも笑顔が怖い。好みの男性前での特注品の笑顔だ。多分、他の二人の女性も同じだろう。
それに声が違う。これも特注品の奇跡の一品だろう。
「取り敢えず、自己紹介しましょう。」
わいわいと騒ぐ人達は横目で見ながら、いや、唖然と視線を向けていた私の腕を引っ張り、ユリの横に座らせられる。私達が入ってきた通路側の椅子が私の場所らしい。
うん?ピカくんが言うには、私のための合コンではないのか?なのに、何で隅の席?
いや、別にそれが嫌というわけではない。むしろ、その方が都合がいい。
だが、釈然としないモノがあるのは、仕方ないよね?
「ほら、カメ。アンタの番よ。」
「はい?」
「自己紹介しなさい。」
「あっ、はい。」
私がこの雰囲気に呑まれている間に、自己紹介は進んでいたらしい。その上、私が最後らしい。
「鶴ケ谷和亀です。」
名前を言い放ち、ぺこりと小さくお辞儀。さっさと着席した。
が、私達のテーブルに沈黙が降り立ち、私に視線を向けている。
「あっ、ごめんね。和亀は、人見知りがあって、こういう場に慣れてないし、基本オトナシイ性格なんだよね。気にしないで。」
ピカくんがこの沈黙の理由をいち早く察知し、フォローを入れてくれたらしい。
でも、訳もわからず、こんな所に引っ張り出され(連行されて?)、うまく立ち回れる人がいたなら、見てみたい。
「じゃ、じゃあ、乾杯しようか。」
グラスが音を鳴らし、この合コンと言う名の宴会が始まったらしい。
私だけが料理を黙々とお腹に仕舞いこんでいる。こういう時、頬袋があると便利だと痛感する。
ではなく、周りは会話を楽しんでいるのに、私だけが一人ぽつんと別の席にいるみたいだ。
私以外にスポットライトが当たり、私だけが暗い場所にいるような錯覚を感じてしまうのは、気のせいではないだろう。
「和亀。ちょっと、来い。」
まぁ、それもラクでいいと料理に視線を戻すと、腕を掴まれた。知らない間にピカくんが真横に立っている。
「何?もう帰る?まだデザート、食べてない。」
「ボケるのは、いつもの事だけど…。いいから来い。」
別にボケてはいない。料理を待っている間に見たメニューのデザートが美味しそうだったので、ちょっと心残りに思うだけだ。
「ピカくん。そんなに引っ張らなくてもいいじゃない。デザート、後で奢ってくれるなら、それでいいんだから。」
「誰がそんな話をしている…。」
私の腕を引っ張りながらも呆れたような溜息一つ。
「今日のお迎えは誰?」
「そうじゃなくて、さ。」
店のすぐ脇の路地で、ピカくんが足を止める。一歩脇道に入っただけなのに、薄暗く人通りさえない。
「何?」
「今、何しているのか、わかっているか?」
「お洒落な居酒屋さんで普段食べない様な料理を美味しくいただいていました。」
「あぁ、確かに美味しそうに食べていたな。じゃなく、合コンだよな?」
「うん。ピカくんとユリはそう言っていたね。でも、私、初対面の人と会話出来るほど器用じゃないし、まして男の人なんて無理に決まっている。何話していいかわかんないし。」
「そこで胸を張るな。」
「あぁ、でも、従兄ズと伯父さんズは別だよ。仲良しだよ。それと、最近は会社の人ともお話出来るようになってきたよ。ほとんど仕事の話だけど。」
「それはよかった。じゃなくて。」
これはノリツッコミという芸当だろうか?凄いね、ピカくん。
「せめて会話に混ざろうと努力しろ。」
「ヤダ。疲れる。」
「疲れるじゃないだろう。そんなんじゃ、いつまで経っても彼氏の一人も出来ないぞ。」
「いいもん。どうせ、ムリだし。」
「ムリじゃない。和亀は、それなりに可愛いんだから、ちょっと頑張れば、どうにかなる。」
「それなりじゃなく、凄く可愛いよ。」
「確かに、凄く可愛いかもしれないが、って。えぇぇ。」
ピカくんじゃない男の人の声が横から聞こえた。
普通にピカくんが返答?しているから、知り合いかもと思ったけど、この驚き方、違うのかな?
「それに頑張らなくてもいいぞ。他の男の気を惹くのは許さん。」
「ウサギ!」
「兎?」
いや、どう見てもこの人は兎には見えません。動物に例えるなら、猛獣の部類でしょう。この瞳の輝きからして…。
「いや、動物のウサギではなく、苗字が宇佐木なの。俺の名前は宇佐木勝利、これから長い付き合いになるから、よろしくね。和亀。」
「は、はぁ。」
猛獣、いや、ウサギさんが私ににっこりと笑顔を向けてくる。
うん、絵本に出てくる騎士様みたいにきらきら爽やかな笑顔なんだけど、後ろに黒いモノが見える気がする。もしかして、腹黒いのか?この人は。
近寄らない方が良い人種に見えるのだが…。
長い付き合いになるのか?それは遠慮したいな。
「どうして、宇佐木がここに?」
「だってさ、鶴ケ谷が幹事で合コンをするって聞いてさ、俺が誘われないなんてありえないじゃん。それも鶴ケ谷一族が大切に守っている宝珠が参加するなんて、出ないわけにいかないでしょう。」
「…だから、宇佐木を誘わなかったんだって。」
ピカくんが頭を抱え、大きく溜息。
「ピカくん、頭痛いの?」
「ちょっと和亀は黙っていて。」
「はぁい。」
黙っていろと言うのなら、口を閉じましょう。
まったく、心配してあげたのに。
「横暴な言い方じゃないのか?」
「横暴なんかじゃない。俺、普段は優しいよな、和亀。」
黙っていろと言われたので、頷くだけしか出来ないが、確かに普段のピカくんは優しい。
「じゃあ、何でそんな言い方をするんだよ。和亀が可哀想だろう。あっ、和亀、こんなつまらない合コンなんてバックレちゃって、俺と二人で飲みに行こう。なっ。」
やっぱり、ウサギさんは怖いです。そんなに顔を近付けないでください。笑顔が黒いんですよ。
だから、懸命に首を横に振り、拒否します。それに、私、アルコールが苦手です。
「和亀、声に出して、はっきり断ってもいいよ。」
「ピカくん。」
声を出す許可が下りたので、私は素直に半泣き声でピカくんの影に隠れます。
「わかった。じゃあ、戻ろうか。」
「もちろん、俺も一緒だよな。」
「帰れ。」
「嫌だ。せっかく運命の女性を見つけたのに、そんな簡単に離れられるか。まだ口説いている最中なのに。」
「へ?」
「はぁ?」
こ、このウサギさん、怖過ぎます。口説いているって、私?運命の女性って、もしかして、これも私?冗談だよね?こんな凶悪なウサギさんに好かれる理由は何ですか?初対面ですよ?
「マジか?」
「当たり前。」
ピカくんが頭を抱えたまま、深く息を吐き出しました。
「わかった。抜けると声を掛けてくるよ。宇佐木、ここで待っていろ。和亀を拉致して人気のない所に連れ込もうなんて考えるなよ。そんな事をしたらどうなるかは、わかるよな?」
「何、俺が口説くのを観覧希望?」
「わかったな。」
軽い口調のウサギさんとちょっと怖いピカくんの声。対照的だ。
「和亀、ここで待っていて。美味しいケーキがあると誘われても付いて行くんじゃないぞ。」
「…わかった。」
ピカくんと一緒に行きたい気持ちは溢れ出す程あったが、付いて行くなとウサギさんからの無言の圧力を感じ、言葉を飲み込んだ。多分、懸命な判断のはずだ。
私の頷きを確認すると、ピカくんはウサギさんを一睨みして、居酒屋さんに戻っていく。その背中に縋りつきたい。だって、このウサギさん、怖過ぎるのよぉ。