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月の無い夜に

作者: もりもりくん


 ――なぁ。

 置いていけば良いじゃないか。




 騒がしかった室内が、途端静寂に包まれた。

 息を呑んで、視線を皆ゆっくりと発言者に辿らせて行く。

 馬鹿な。誰もがそう思った。冗談だろう。性質が悪い。それで切り捨てる筈だった。すべきだった。

 一人でもふざけるなと言えば、その場で流れる様な、そんな穢れた醜悪な提案だった。

 だが、誰もその事実を口にしようとしない。

 静寂が耳に痛い。夜虫の無く声だけがテントに響いていた。

 ――誰を?

 じりじりと値踏みの眼で周りの者を見て行く。

 誰を置いて行く。

 誰ならば構わない?


 ――嘘だろう?

 

 一人の言葉尻が虚しく震えた。誰もの視線が己に向けられていたのを、絶望的な思いで見詰めた。

 縋る様に視線を返しても、皆視線をすぐに逸らす。


 ――嘘だろう? 嘘なんだろう?


 先程までは友だった。友の筈だった。

 だが今は皆物を見る様な目付きで――。


 じりじりと狭まる輪に震えた。歯が震えた。指が震えた。




 


 ――嗚呼、置いて行かれるのは俺だ。

 ヴィクティム《犠牲者》は、俺だ。



 震える指の隙間から覗く顔は皆、略奪者のそれだった。








月の無い夜に








『レストア!!』

 叫びと同時に文様が地上に浮かび上った。

 被術者に視線を定め、呼気を絞る。体内から放出された聖素が緻密に構成され対象へと収束して行く。

「サンキュー!」

 勢い良く飛び出して植物族モンスターを切り捨てるリーダーから声が上がる。頬についていた傷がみるみる治癒され、毒素が浄化されたのがその表情から判った。

 施術後の脱力感に眉を顰めていると、斜め前で弓を構えていたディトレスがシニカルに笑った。

「気を抜くなよ」

 鋭い風切り音と共に矢が放たれ、数メートル離れた場所に蠢いていたモンスターに突き刺さる。満足そうに鼻を鳴らすディトレスを眺めながら、術師であるセイス・C・ヴィリミエルは整わぬ呼吸に四苦八苦していた。

「オラオラオラ!」

 重戦士のノーマンがアックスを振り回すと、砂埃が立つ。薙ぎ倒された化け物の体が軽々と引き飛ばされ、木々に叩きつけられていった。

「ったく。こっちに当たったらどうすんだよ」

 ディトレスの悪態を聞きながらセイスはただ黙って身を縮めていた。直接戦では役に立たないからだ。

 術師だが、セイスはまるで聖職者の様に治癒技しか使えない。回復や補助の機会をただ待つ。

「よっしゃあああ! 最後!」

 優れた剣技が決まり、リーダーのクラウが派手な歓声を上げた。刀身に付着した粘液を払い、満足げな顔をしてこっちに向かってくる。

「ご苦労さん」

「……」

「こいつは大した事してねぇだろ」

 皮肉げな眼差しにセイスはびくりと身体を揺らした。

「そんな事言うなよ。プリーストの居ないこのメンバーで、ヴィーが居なかったらパーティーとしては成り立たないだろう」

 窘めるクラウにディトレスは鼻を鳴らした。

「……良いよ、本当の事だし」

「ヴィー……」

 か細い声で言って俯くセイスに、気遣わしげなクラウの声が注いだ。

「あんまり気にするなよ」

 けれどセイスは顔を上げる事が出来なかった。

 例えポーションを用いたとしても、魔法の回数制限有りという不利な体質。使える魔法は回復・補助・防御系のみ。それがどれだけ術師として致命的な事かは判っていた。

 ――加えて。

 目深なフードのついた白いローブを羽織っているのは、長時間直射日光を浴びる事の出来ない身体であるからだ。極端に色素の乏しい肌は弱く、その上体力も貧弱で長時間の戦闘に耐えられない。

 代わりの術師かプリーストがいれば間違いなく、あっさり切られるだろう存在でしかなかった。

「おい、街へ行かなくていいのか」

 何も言わない術師に、苛立つ弓使い、困り顔の剣士を眺めるのに飽きたのか、ノーマンが不愉快げに声を上げた。

「ああ、そうだな……」

 化け物の死骸が散乱している中にいつまでも突っ立っている訳にはいかないと判断したのか、クラウが皆へ合図を送る。

 歩き始めたディトレスの蒼髪とノーマンの禿頭をぼんやりとセイスは眺めた。

 クラウの手が肩に置かれ、セイスははっと意識を引き戻された。

「……あんま気にすんなよ」

 労わりの視線に居た堪れず、セイスは目元近くまでフード引き、頷いた。


 酷く居た堪れないのは、疚しいからだ。





***





 ある時、人は二つに分かれた。

 ありとあらゆる物を超越する新人類の誕生を機に――超越と、平凡の決して越えられぬ溝が生まれたのだ。

 少数である故に新人類である彼らは徒党を組み、社会から排除される前に社会の絶対者として君臨する事を成し遂げた。

 これまでの人間達と比べ、遥かに長い寿命。

 優れた肉体、体・武・魔術を軽々と扱うセンス。

 優れた容姿、カリスマ性。

 新人類は何もかもに恵まれていた――が、しかし。

 いまだ進化の途上である彼らは非常に不安定な存在であったのだ。

 強大な力を制御する事が出来ず、己の中に渦巻く血が濃すぎてバランスを崩す。




「おい……見ろよ、『ヴァンパイア』だぜ」

 食堂の大窓から、街路を悠々と豪奢な馬車が渡るのが見えた。

 馬車を指差すディトレスをクラウが咎めた。

「……見つかったらどうする」

「わかりゃしねぇよ。あいつらはどうせゴミなんか気にもしてねぇだろうからな」

 憎しみさえ滲ませて吐き捨てるディトレスにクラウは溜息を吐いた。

 馬車の窓から覗く者は、冷然とした横顔を晒していた。

 王都では街中を馬車で通る時はカーテンを開けたままにしなければならない決まりがある。顔を晒す必要の無い者は王族のみに限る。もしこの規則がなければ恐らく『彼ら』は決してその尊顔を晒したりはしないだろうとセイスは思った。

 極端に白い肌に、プラチナに黄金を二三滴垂らした様な月色の髪。ここからでは窺えないが、その瞳はアイスブルーの筈だ。

 隣には黒いベールを被った女性が寄り添っているのがちらりと窺える。

「けっ。相変わらず墓場の臭いがする」

「ディトレス!」

 尚も悪態を続けるディトレスに、流石の温厚なクラウも語気を荒げた。

 彼ら『ヴァンパイア』は誰もが高位の立場にある。眼に留まれば、ちっぽけな冒険者達の首等容易く飛ばせるだろう。

 目の前のやりとりに興味を示さないノーマンは大きなジョッキを無骨な手で握り、一人杯を重ねている。 窓へと視線を向けながらセイスはぼんやりと『ヴァンパイア』を眺めていた。

 強大な力を得た代わりに、異なる魔素を定期的に体内に取り入れなければならない哀れな種族。気位の高い彼らは決して異種族から魔素を取り込もうとせず、同じ『ヴァンパイア』の雄雌で互いの魔素を取り入れ、何とか自身の魔素が凝結してしまうのを防いでいた。

 一度相手を決めれば、血と血の約束として彼らは死ぬまで添い遂げる。それをディトレスは墓場臭いと揶揄したのだろう。

 吸血行為を欠かせない彼らを大昔の伝承に擬えて『ヴァンパイア』と人々は呼んだ。

(……花嫁が居るのか)

 ああやって超然としていられる事はどれ程恵まれているのか彼らは判っているのだろうか。湧き上がる羨望にセイスは唇を噛み締めた。

 見詰め続ける視線の先、ヴァンパイアが何かに気付いた。花嫁と何かを話していたかと思うと、その秀麗な顔をすっと、こちらに向ける。

(……っ)

 息を呑む。

 怖気が走る程整いつくした男は、セイスに向けて嘲りの微笑を浮かべて見せた。美しい唇が音もなく言葉を象る。


『 ヴ ィ ク テ ィ ム 』


 血の気が顔から失せる。顔を逸らし、フードを引き、視界からアレを除外した。フードを強く掴む指が震えた。

(知られている)

 知っている。通りすがりのヴァンパイアさえ、自分が何なのか知っている。――否、セイスが何であるのか判るのだ!

 あの、侮蔑の笑み。相容れぬと、決して同一には成り得ぬのだと謳う紅い唇。

(どうする……もし知られたら……)

 ちらりと、黙り込んで食事を再開しているメンバーの顔を見遣る。

(もし僕が――バレたら)

 排除されるかもしれない。ディトレスの様子を思い出し、唇が震えた。肌の白さがヴァンパイアじみているというだけで、ディトレスには毛嫌いされているのだ。

 一応、アルビノだといって通してはいるが――。

(まさか)

 下劣とする人間にわざわざ己が――である事をあのヴァンパイアが知らせる訳が無い。彼らはただの傍観者だ。関わる価値の無い物に時間を割いたりはしない。

 ――結局、己は彼らにとっては嫌悪すべき異物だ。

(そして人間にとっても……)

 視線に気付いたクラウが穏やかな目で返した。

 何も言えず、セイスはスプーンを握る手に力を込めた。スープが冷めるのが判ったが、飲む気にもならなかった。






***






 ――なぁ、どうする。

 ――そんな事言ったって……。

 ――俺らみたいな田舎者が騎士団に全員入れるなんて上手い話、なかったんだ。

 ――まさか。噂だろう?

 ――じゃあ、何で王都とは逆方向に行くんだよ!?

 ――や、やっぱり、本当だったんだ!俺達を実験に使うって……!


 何を言っているのだろう。

 何を言っているのだろう。

 田舎? 騎士団?

(ああ、そうだ。僕らは王都へ向かう途中だった。向かっている筈だった。騎士団への登用が決まって、晴れの出立だった。盛大に祝われて、村を出た)

 目の前で揉めているのを、ぼうっと見遣った。

(要領が悪いから、父さんも母さんも酷く心配していたっけ。……でも、貧乏だったから、僕は嬉しかったんだ。畑を耕すのも、牛の世話も下手糞だったけど、ようやく、親孝行が出来る――)

 

 ――嘘だろう!?

 ――地図、見てみろよ。

 ――おい、規則違反だぞ!

 ――そもそもその規則がおかしいんだよ! 地図を不携帯の義務だなんて普通じゃ考えられないだろう!?

 

(そうだ。いつの間にか僕らは王都から離れていて――指揮官は行く先については何も言わなかった。聞くと酷く怒った顔で――)


 ――おい!

 ――第三班のテントが空だぞ!

 

 皆が息を呑む。


(そうだ。僕は鈍くさくて、何が起こっているか判らなかった。ただおろおろしているだけで。いつの間にか皆僕達を置いて逃げた――)

 

 ――じゃ、じゃあ、さっき二班の奴らが特殊演習だって言っていたのは……。

 ――馬鹿! こんな夜中に二班だけ演習も糞もあるかよ!

 ――なんで止めなかった!

 ――随分慌てていたから、無理だったんだよ!

 ――何てこった……じゃあ、やっぱり……。


 沈黙が落ちた。すると一人がぽつりと呟いた。


 ――何で逃げられたんだ?

 

(そうだ。指揮官も居るのに、監視がある筈なのに何で逃げられたんだ)


 ――おかしいだろう!? なんで俺ら一班だけ、残ってる?

 ――まさか。

 ――うわ、うわああああああああああああああ!!!

 ――おい、待てよ!


(そうだ。一人逃げた。パニックを起こして。そうして、みんな、みんな――)


 ――どうするんだ……。

 ――逃げよう。

 ――どうやって!?

 ――逃げるしか……。

 ――追っ手が来るぞ!?

 ――……みんな俺達をダシにして逃げたんだぞ!? もうこの一班しか残ってないっていうのにどうやって逃げる事が出来る!?


  ――なぁ。

 置いていけば良いじゃないか。


 一人が、ぽつりと呟いた。

 途端、テント内が静まり返った。


 ――……一人で十分なのかもしれない。

 

 狂っている。狂っている。狂っている。狂っている狂っている狂っている――!

 嘘だ嘘だ嘘だ。

 誰もがおかしいと感じた。そんな物、だったらそもそも、これだけの人数を集めたりなんかしない。そうだろう。ただ一人を人身御供した処で、追っ手が迫らない訳が無い。

 馬鹿馬鹿しい。誰もがそう思った。

 だが。

 

 ――そうだ……。

 ――……そうだよ……。

 ――一人でいいのかもしれない。

 ――そうだ!

 

 異様な興奮にテント内が包まれた。舐る様に互いが互いを見回した。誰か相応しいものが居ないか。誰もが文句を言わない様な、そんな――。


 ぴたり、と。視線が一箇所に集まった。


(嗚呼――)


 そうだ。僕だ。

 セイス・セイシスト・ヴァリミエル。

 何をやっても駄目で、鈍くさくて、お荷物で。

 ――その上一人っ子で、両親も年若い。子供が望めない年じゃない。

 いつもぼうっとしていて、居ても居なくても同じ――。


(嫌だ)


 じりじりと輪が迫る。人の輪が。皆正気じゃない。気休めでしかないのに、それでも自分が助かるためなら気休めだって欲しい。

 ぎらついて、醜悪な顔だった。


 ――悪く思うなよ。

 ――役に立てるんだ。嬉しいだろう?


(嫌だ)


 ――どうせ、誰も必要としないお前が居なくなった所で……。


 テントの天井に影が映りこんだ。いくつもいくつも。群れた影が歪に揺れる。


 嫌だ――!!!







「……はっ」


 鋭い呼気と共に覚醒する。荒い息をつき、周囲を素早く見渡した。

「……ゆ、め……」

 どっと力が抜ける。

(またこの夢だ……)

 全身が汗で濡れている。顔を顰めながらセイスは上体を起こした。酷く乾く喉を押さえる。

 ベッドサイドに置いてあった護身用のナイフを手に取り、鞘を抜き払う。窓から差し込んだ青白い光が刀身を照らした。

 腕を捲り、躊躇いも無くナイフで肌に斜線を引く。

「っつ……」

 シーツに血が零れない様に気をつけながら、唇を腕へと運んだ。

「……ぅ」

 溢れた自分の血を口に含むと、途端に口内に鉄臭さが広がった。好ましく無いが、それでも必要な行為だ。十分量を嚥下し終えると、腕から顔を離した。途端、傷口がすっと消えて行く。

(……気味が悪い)

 治癒技さえ不必要な体。血を欠かす事の出来ない呪わしい性。

 その名の通り、まるでヴァンパイア《不死者》の様だ――。

 己の性質から来る魔素と血中に含まれる他の魔素が相殺され、魔力を安定させて行く。抑制効果に気だるさを覚え、壁に背を凭れさせた。

 普段は聖素のみを使う事で、それに反する本来の魔性を抑えていたが、こうして満月の夜に魔力が活性化されると、どうしてもそれだけでは抑え切れない。

 夜に浮かび上がる己の肌の白さを忌々しく思いながら、セイスは陰鬱な溜息を吐いた。

 満月の夜には必ず昔の夢を見る。忌まわしい記憶を――。

(……独りは嫌だ)

 膝を抱え込む。

 父も母も死んだ。ありもしない罪を着せられ――。帰る場所はもうない。

(……もし生きていても、人でなくなってしまった僕を、どう思うだろうか)

 どんな顔をして会いに行ける?

 ――誰からも疎まれて、不必要とされて、忌まわしい存在に成り下がって、長い時を生きねばならない。

(……独りは嫌だ)

 膝を抱え込んで、小さく縮こまる。

 

 ――どうせ、誰も必要としないお前が居なくなった所で……。


 嗚呼。今まさに、居なくならなければならない存在がここに居る。

 忌まわしい《ヴィクティム》が。


「入るぞ」

 ノック音に気付かなかった様だ。訝しげな顔をしたクラウが部屋へ入ってきた。はっと顔を上げると、クラウの顔が驚きに染まった。

(……しまった……ローブ……!)

「お前……」

 彼の眼にはセイスはどう映っているのだろうか?

 闇夜に浮かぶ白い肌に、プラチナ色の髪、ルビーレッドの眼――差し込む月光が己の本性を照らしていない事を祈るしかなかった。

「お前、まさか……ヴァンパイア……?」

「……ちが……ぅ」

 違う。ヴァンパイア等ではない――。

 もっと異端の、人類とも呼べぬ。

「……ああ、そうか……ヴァンパイアの眼は青いもんな……悪い」

 頭を掻いて謝罪され、面食らう。

(そうか……ヴァンパイアの眼はみんなアイスブルーだ)

 安心に、力が抜ける。だが変わり果てた姿をこれ以上見せたくなく、ローブを探す。慌てる余り後ろ手に持っていたナイフが拍子に落ちた。

「……ぁ」

「? ナイフ?」

 拾ったクラウが怪訝な顔をする。刀身に付着した血液に形相が険しくなった。

(……知られた……)

 青褪めるセイスの腕をクラウはお構い無しに掴んだ。腕を捲らせ、確認する。足、腹――。どこも傷は無い。ある筈が無い。

 心配から疑念へと変わった視線に応えられず、セイスは俯いた。


 ガタッ


「何だ……?」

 物音に扉の方を見遣る。逸れた視線に安堵を抱くが、それもすぐに霧散してしまう。足音が幾つも幾つも床板の上で鳴り響いた。

 勢い良く開かれた扉から現れたのは、武装した男達だった。王家紋章が闇夜の中にあっても青白い光を受け誇らしげに輝いた。

「やっと見つけたぞ」

「何なんだあんた達は――?」

 訝しげなクラウを押し退け、隊長格らしき男がベッドに座ったままのセイスを見下ろした。

「判っているな。《ヴィクティム》」

「……!!」

 ひゅっと呼気が喉の奥から漏れ出た。言葉にならなかった。

 己の仕出かした事、実験に使われた挙句化け物に成り果て暴走してとんでもない事をした事を判っていた。だから身を隠していた。まさか、軍が自分を追っているだなんて――。

 両親がありもしない罪を問われた事を考えれば容易に判る筈だ。

(軍はあの出来事を、抹消しようとしている――?)

 状況を把握し様とせず、ただふらふらとしているだけでちゃんと考え様としなかった。変装しているからといって王都に滞在する等――。

(独りが嫌だからって、人間達とパーティーを組むだなんて)

 独りでいるべきだったのだ、自分は。

「大人しくするんだな」

 後悔に唇を噛み締めてうな垂れるセイスに、嫌悪の視線が降り注いだ。

(早くローブ……)

 今の自分に、抵抗する術はない。諦めに心が疲弊しているのだ。

 せめて、この本性を表面上だけでも覆い隠したい。視線を床に這わせていると、ベッドサイドから落ちていたローブをブーツに包まれた足が踏みつけているのが眼に入った。

「クラウ……?」

「ふざけんなよ」

 見上げた顔は、あの温厚なクラウとは思えない程に憎悪で満ちていた。

「《ヴィクティム》だと……? お前が、あの《ヴィクティム》だと……!?」

 ローブを踏み躙り、声を荒げたクラウの、憎しみで歪んだ顔を呆然と見遣った。

「お前、よくも……!」

「――ッ」

 一瞬何が起こったのか判らなかった。きらりと銀光が瞬いたかと思った瞬間、腕が焼け付く様に熱かった。

(な、に……?)

 喧騒が遠い。目の前でクラウが取り押さえられるのを呆然と眺めた。取り押えられても尚暴れるクラウに兵士達は梃子摺っている様だった。

「離せよ! 離せ! あいつが! あいつが俺の兄貴を――!」

(嗚呼)

 そうか。彼は、犠牲者の遺族だ。

 哀れにも《ヴィクティム》に生気ごと血を啜られた犠牲者の――。

 不器用で碌に役に立たない術師を諦めず置いてくれた。抑制の効果に青褪める自分を心配してくれた。ディトレスの悪態から庇って。口数の少ない自分に声をかけてくれた。忌々しい存在でしかない自分に、仮初だけれども、居場所を与えてくれた。

 そんな、心優しいクラウ。

 そしてそんなクラウに、自分は。

 罪の気配に、これまでの何よりも深い絶望を感じた。口元が震えると、その震えさえ許さないとでも言う様に壮絶な目付きでクラウが睨んだ。罵りよりも咆哮を上げる様は、まるで獣の様だ。

(そうだ。自分は独りで居るべきだったんじゃない――逃げるべきではなかった)

 こんな事になる前に、自ら捕まりに行けば良かったんだ。

 否、寧ろ。

「おい、こいつ―――」

 一人が呟くと、隊長格の男が目を細め、暴れるクラウを見下ろした。ぞっとする程に冷たい眼差しだ。

「お前、《ヴィクティム》の事を知っているな。しかもあの時の遺族か」

「……! だったら! 何だって言うんだよっ!」

「まだ残っていたとは驚きだな。おい、そいつを」


 殺せ。


 冷徹な命令にクラウが固まる。

 忠実な部下は隊長の命令に速やかに剣を抜き払った。

 愕然とした眼で剣を見つめる姿を見て、セイスは思わず駆け出していた。

 あの、眼――。


『どうして俺が? 何故? 何故俺がこんな目に遭わなくてはならないんだ?』


 ――嫌というほど、覚えのある眼だった。

 剣の軌道下に、身を滑らせる。一瞬にして視界が白くなる。

「セイス!!」

 呆気なく倒れたセイスに、皆が動きを止めた。

 容易に止まる筈の血が全く止まらない。傷も塞がる気配を見せない。

「ほう……流石、加護を受けた剣だ。化け物には利くな」

「セイス!!」

 周りが遠い。あの時の様だ。

 独り残され、訳の判らない祭壇の上で体中を刺されたあの時の様に、世界が遠くなる。

(だ、め……だ……)

 駄目だ駄目だ駄目だ。化け物が出て来てしまう。化け物に、なってしまう!

 生命の灯火が揺らめく度に、深奥で眠っていた魔が囁く。あの時の様にしてしまえば良いのだと。目の前の足を掴んで、そうして引き摺り倒し、生き血を啜れと囁く。

(いや、だ……)

 化け物なんかになりたくない。セイス・セイシスト・ヴィリミエルのままで居たい。

「報告にあった変化も無しか――それにしても化け物が人間を庇う等驚きだな」

「どうして……」

 嘲笑と驚愕が混じって耳に届く。

「……し、て……」

 弱弱しい声で、クラウに必死に呼びかける。

 もう嫌なんだ。もう嫌なんだ。

 化け物になるのも。独りになるのも。受け入れてくれた人にそんな顔をさせるのも、全部全部。

「……く、ラウ……殺して……いい……か、ら」

 血が気管に入り、噎せた。その体の揺れでさえ酷く体力を消耗する。本当に、呆気ない。このままでは自分の中から魔が這い出るか、自分が死ぬのが先か。

「――両方ともさっさと始末しろ。情報漏洩には気をつけねばならんからな」

 再び剣先がクラウに向く。

「だ、……め……だ」

 ああ、もう、口が上手く動かない。霞む視界にもどかしさを感じる。

(早くしないと……)

「おい! 騒がしいけど何が――っ!?」

 兵士達が闖入者に気を取られたその隙に、叫ぶ。

「ディトレス!! クラウを連れて早く逃げろ! ……ゴホッ……グッ!」

「は!? ――何でお前、フード……って血みどろ……」

「早く!!!」

 血が口角から汚く零れ出る。舌に己の血が広がる。

(ああ、不味い……)

「ちっくしょ……っ!」

 正気に返ったクラウが兵士を振り払い、ディトレスと扉へ走る。

 遠ざかっていく足音に、安堵で胸が満ちた。

 嗚呼、これでもう、何も思い残すことはない。思い悩む必要もない――何故ならば。

「おい、ぼさぼさするな。早く追――」

 言葉を止めて、男は足下を見下ろす。いつの間にか這って足元まで居たセイスと、目が合った瞬、男は恐怖に顔を引き攣らせた。

「駄目だって……駄目だって、言ったでしょう……」

「な、何を……」

「クラウを追うでしょう? でもね、クラウは、『僕を殺さなくちゃいけない』んだよ」

「こ、こいつ……!」

 周りを見回すが、後ろに控えていた筈の部下達は皆一様に床に倒れ伏していた。

「僕の血の匂いが、ここには充満しているからね」

 クスクス嗤いながら貴方はよく保つねぇ、と呟くと、男はガタガタを震えだした。先程まで居丈高に振舞っていた人間とは思えない。


 愉快だ。愉快だ。


 セイス・セイシスト・ヴァリミエル。

 何をやっても駄目で、鈍くさくて、お荷物で。

 ――その上一人っ子で、両親も年若い。子供が望めない年じゃない。

 いつもぼうっとしていて、居ても居なくても同じ――。

 嗚呼! だが今は違う。

 唇が曲がる。自動的に笑みが浮かんだ。

 憎まれている! 憎まれている!

 疎まれている! 恐れられている!

 居ても居なくても同じ――?

 それは違う。

 不謹慎だと表層が喚くが、奥深く眠っていた魔には良く判っていた。

 どれだけ誤魔化しても、どれ程良い訳をしても、欲は形を変えはしないのだと。

 殺すなと叫ぶ表層に煩わしさを感じながら、仕方なく微笑む。

(まぁ、良い。望む通りにしてやろう。どうせヴィクティム《犠牲者》は私怨で望み通りに殺されて、身体は《私》の物になる――)

 冥土の土産だ。

 人の記憶というちっぽけな居場所を必死になって求める半身の事を思い、唇を歪めた。

「哀れ。哀れよ」

 犠牲者は誰か? 明白だ。

《私》に殺された研究者達か。《私》に命を奪われた逃走者達か。

 どれも異なる。それぞれが私利私欲に走った結果だ。

 ヴィクティム《犠牲者》は、孤独を恐れ、与えられた他愛ない優しさのために己の命すら捧げる、この哀れな存在に他ならない。

「た、助けてくれ……!助けてくれ……!」

 取り繕った人の振りを止め、本性のままに超然と這い蹲る男を見下ろす。立場はいつの間にかとって変わっていた。


「――お前にも、眠れぬ夜をやろう」


 絶対者の指先が、踊った。








***







「……ごほっ……ぐっ……」

 体の傷がすっかり治っても、喉の奥の血臭は変わらずこびり付いていた。

 皮肉にもあの時と同じ様に死にかけ、魔が現れた事が切欠で真の安定を得た様だった。

(……勘違いしていたのか)

 啜った生き血に混じった、あの施設の研究者達や仲間達の魔素が安定を齎していたから、自分は己の血を啜るだけで安定を得ていたと思っていた。

 考えてみれば、そういつまでも魔素が血中に留まる訳が無いのだ。でなければわざわざ定期的に採取する必要は無い。己の血で事足りたのは、既に別の魔素が血中にあったからだ。

 アレを植え付けられた時点で、二つの魔素を持つ存在――絶対の安定を得た存在だったのだ。

 だというのに聖素の技を徒に使い、魔を抑え付け続けたため、元あるバランスを混乱させていたのだ。

(馬鹿らしい……)

 抑え付けていた魔一度表層に現れた事でその魔素が強くなり、元の安定を取り戻したのだろう。

 よろよろと歩いていると、目の前に二人の人物が立っているのが目に入った。

 嫌というほどに、見覚えのある男たちだった。

「……何で、こんなところに……」

 こんな処にいては直ぐに捕まってしまう。何故離れなかったのだ。


「お前を殺すのは、俺だ」


 激しい視線に曝され、セイスは口元を歪めた。

「自分の命が無くちゃ、元も子も無いでしょ」

「お前……」

「おい、一体さっきからなんだよ……?」

 一人状況が判っていない様子のディトレスが、耐えかねて喚いた。

「こいつはさっきから黙ったままだし――」

「ノーマンは?」

「あ? あいつの事なんかどうでも良いだろ」

 途端嫌そうに顔を顰める。様子から察するに、一人逃げたのだろう。

 吐息を大げさに吐き、肩を竦める。

「……そもそもお前、ローブ着てないし……性格変わってねぇ?」

 怪我の事にまで気が回らないらしい。あれだけ血みどろだった人間がぴんぴんしていれば不審に思うだろうに。案外突発事項に弱いタイプらしい。

「――殺したのか」

「殺してしてない!」

 強く返すと、質問したクラウの方が気圧された様だった。相変わらず状況の飲み込めていないディトレスに何の気負いも無く事情を曝け出す。

 どうせ死ぬのだから、何を隠しても意味が無いだろう。苦痛の終わりが見えて、セイスは妙な清清しさを覚えていた。

「僕が『ヴァンパイア』の成りそこないで、それもクラウの仇だって話だよ」

「はぁっ……!?」

 素っ頓狂な声に眉を顰める。

「だから、これから、その仇を取るんだよ」

「お前……」

「殺して良いからって、言っただろう」

 愕然とする二人に向かって微笑する。

 

 セイス・セイシスト・ヴァリミエル。

 何をやっても駄目で、鈍くさくて、お荷物で。

 その上一人っ子で、両親も年若い。子供が望めない年じゃない。

 いつもぼうっとしていて、居ても居なくても同じ――。

 普通に生きていたら、ずっと独りで、記憶にすら残らない。


 ――だけど、もう、違う。

 クラウは覚えているだろう。

 目をかけてやっていた半人前の術師が実は仇だった。そうして自らの手で仇を打つ。そうすれば憎しみだけに支配されて生きる必要は無い。

 そして、彼の記憶に自分は一生残るだろう。

 誰かの心に、自分という存在が確かに、存在していたという事実だけは確かに、残るのだろう。

「俺は、お前を殺す」

「……うん」

「だけど、それは今じゃない」

「……は?」

 ぎっと睨みつけてくるクラウをセイスは愕然と見遣った。

 絶好の機会だ。危険極まりない化け物が、手を広げてさぁ殺して下さいと罠でも何でもなく言っているのだ。

「殺して欲しくて堪らない奴を殺して、俺の気が済むと思うのか」

 ――見透かされている。

 クラウのためではなく、クラウを利用して心地良い死を迎えるためだけに命を捧げ様としている事を、見透かされている。


「だから!」


 大きな声にびくりと体が揺れた。思わず取り繕った皮肉っぽい振る舞いが乱れる。

「お前が『絶対に死にたくない』と思った瞬間に、俺はお前を殺す」

「……自分が何を言っているのか判っている?」

「ああ」

「《ヴィクティム》だよ? いつ暴走するか判らない化け物だ」

「その時は迷い無く俺の身の安全のためにお前に死んでもらう」

 駄目だ。駄目だ。

 挑発しなければ。もっとちゃんと、振舞わなければ。

 だけれども、口元が震える。

 目頭に熱が集まる。

 指が震えて、腹の底が熱くて、痛い。痛いんだ。

 誤魔化す様に俯いて、嘆く様に掌で目元を覆う。

 死を望まなくなるまで傍に居て、失いたくないと思う自分が失われた時に殺してやると約束さえ与える。自分が何を言っているのか解っているのか?

 甘過ぎる。これでは――。

「お前それじゃあ敵討ちにならねぇだろ」

「う、……煩いっ」

 ディトレスとクラウの小競り合いを耳にしながら、セイスは肩を震わせた。

「――勝手にしてくれ」

 顔を見られない様に踵を返し、二人を放ってさっさと歩き出す。

「あ!」

「おいっ」

 馬鹿だ。馬鹿だ。

 頬を流れる涙に、セイスは唇を噛んだ。心が熱い。

「――俺は、お前を必ず殺すぞ」

 それが、救いになっている事も知らないで。

 残酷になり切れない男だ。

「いつでもどうぞ」

 以前の自分では考えられなかった調子で返し、セイスは誤魔化し切れない笑みを口元に乗せた。


(悪いけど、もう少し、《セイス・C・ヴィリミエル》で居させて貰う事になりそうだよ―――)

 面白くなさそうに喚く半身に詫び、セイスは振り返る事無く歩き続けた。

 


 セイス・セイシスト・ヴァリミエル。

 何をやっても駄目で、鈍くさくて、お荷物で。

 その上一人っ子で、両親も年若い。子供が望めない年じゃない。

 いつもぼうっとしていて、居ても居なくても同じ――?

 まさか。

 自分自身が居たいと思えば、居ても居なくても同じな訳が無い。

 許されている訳ではない。

 ただ、忘れられたくはないのだと叫ぶこの、心がある限りは。

 未練がましくも確かに、ここに存在しているのだ――。

 望まれずとも、生きている。

 唾棄されようと、憎まれようとも、この地に立っている。

 

(僕は、ここに『居る』んだ)


 必死で掴んできた白いローブを投げ捨てて、セイスは空を見上げた。

 夜空に浮かぶ冴月の光は、雲に覆われ僅かに届くだけであった。

 まるで、月が無い様に――。




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