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列王紀略上19:11-12
神がお通りになった日のこと ─
それはそれは恐ろしい風が吹く。山肌を割く。岩をも打ち砕いて荒れ狂う大かぜ。
見ると、風の中に神はおられない。
風のあと、地が揺り動ぐ。
けれど、中に神はおられない。
地震の次には、燃え盛る炎。
しかも、火の中に神はおられない。
火炎の次はというと、何ぞ小さな声。何か囁くような声がする。
906版BIBLE
台風、地震、火災。戦争。
災害が起こる時、不幸に見舞われた時、そこに我々は天の意図を探ろうとするでしょうか。「ナゼ神は」、とか、「ナニを神は」、とか、ほとんど反射的に考えてしまわないでしょうか。神様と関係があるように思いたいのが我々でないでしょうか。
なぜ台風を寄越すのか。なぜ地震が来ないように手配しないのか。神は火災から守ってくれないのか。戦争が始まらないように出来ないのか。
でも、神はそれらの中にいないのかも知れません。別の方法で見出されるのが神なのかも知れません。
神の声は囁くような声。聞き耳をたてていないと聞き逃してしまう声なのだと、そのように聖書はヒントを与えてくれているようです。