コリント人への後の書1:9
我々が頼みとすべきはおのれの身にあらず、死んだ者を甦らせられる神を頼みとするのだ。
906版BIBLE
死んで御しまいにならないのが命だ、と新約聖書では考えています。人がまた何かに転生するのではないけれど、見える世界が全部で無い。見えないあの世がある、と言います。
いかなる物であろうと、目に見える対象物には最後の時が訪れます。したがって、もし終わりなく永久に存続できる、仮にそのようなものが存在するとすれば、それは目に見えない何かであるに違いありません。同じ『コリント人への後の書』第4章では、すべて視力を用いて認識する現象は一過性だけれども視認できない対象物は永遠に属する、と述べます。信頼や、望みや、慈悲などが具体例に考えられているようです。ならば命も見える物でないから、永遠に属するのでないか。
生きている者は必ず死ぬかわり、死んだ者は必ず甦る。復活する。元気を取り戻す。ほかならぬ神が元の気を取り戻させるからです。十字架にクギ付けになり、ローマ兵がヤリで突き、絶命して墓穴に横たわったキリストを、神は三日目に復活させた。二千年前、ここから新約聖書がスタートしました。
ところで、もし仮に、このキリストの復活が事実でなく誰かの作り話だったのなら、聖書はただただ空虚な文書集と化してしまい、空虚な文書集を一生懸命に信頼して生きている人々こそ世の中で最も可哀想な連中だ、と、そのように聖書自身が断定しています。いっそそのくらいなら、食べて飲んで大いにやりましょうや、どうせ明日は死んじゃうんですぜ、とも、聖書は提案しています。