鎮守女
「……という感じでひと月で三人の妃と五人の侍女がこの事件に巻き込まれているのです。共通しているのは妃たちが三人とも後宮の西側に宮があるということです」
清玄が丁寧な事件の説明を行う一方、隣にいる桃麗は大きく欠伸をしていた。
「とりあえず、後宮の西側に怪異がいるのだな」
「確信はありませんが……」
「よい、後宮の西側まで案内しろ」
またも桃麗は命令口調。一人で宮にいた故、礼儀をよく知らないのだろうか。一行は静かな夜中の後宮内を進んでいく。
「桃麗、鎮守女について詳しく教えてくれないか」
瑞慶は沈黙を破るように口を開いた。
「お主が知ってどうする」
桃麗はまたも怪訝な表情を浮かべる。
「ただの興味だ」
「そんなものに付き合ってはおれぬ」
「特別な褒美をやると言ってもか?」
「私は金子も宝飾品もいらぬ」
冷淡に桃麗は答える。
「それでは……例えば、甘味とかどうだ。私の専属料理人が作る甘味は絶品だぞ」
瑞慶は冗談半分に言って、桃麗をみる。桃麗は目を輝かせながら瑞慶を見つめていた。
「……帝専属のつくる甘味か」
桃麗はつばを飲み込み、再び瑞慶を見る。
「それを必ず持ってくるなら少し話してやろう」
桃麗の少し悔しそうな表情に瑞慶は軽く笑った。
「ああ、約束しよう」
瑞慶が答えると、桃麗はため息をついて口を開いた。
「この国には大昔から災厄をもたらすとされる怪異というものが存在した。怪異は何らかの理由でこの世にとどまろうとする死者のことだ。そして、後宮内の怪異を祓う力を持つ者、それが鎮守女だ。後宮に鎮守女が置かれるようになったのは今から約五百年ほど前のことだ。当時の宮廷には怪異が増えるようになっていた。その怪異たちを封印するべく、怪異を祓う力を持つ娘が代々、鎮守女として夏月宮に暮らしているというわけだ。」
「なるほどな。代々といったがそなたは何代目だ?まだ幼く見えるが」
「私は五代目だ。年は十六だ」
「十六か。もっと幼いと思っていた」
瑞慶の言葉に桃麗は頬を膨らませる。瑞慶はそれがまた面白く、低く笑った。
「何を笑っておる」
不貞腐れた様子の桃麗に瑞慶は微笑んだ。
「そなたは存外、表情豊かなのだな」
瑞慶は桃麗の膨らんだ頬がだんだんと赤くなっていくのに気づいた。
「……うるさい」
桃麗は視線を彷徨わせながら小さく呟いた。
「鎮守女はどのようにして怪異を祓うのだ?」
「……見てればわかる」
桃麗はそっけなくそう返す。
先を歩いていた清玄が振り返り、桃麗と瑞慶のほうを向く。
「もうすぐ、事件のあった宮に着きます」
清玄が前に向き直ったところで桃麗が走り出した。
「おい、どこに行く?」
瑞慶も後を追って走る。桃麗は冷静な表情で先を急ぐ。
「……気配がする」
桃麗が妃嬪の宮の敷地の門を通り抜ける。桃麗には獣のような不快な匂いが感じられた。一方、瑞慶には薄暗く静かな宮というだけで何も感じられない。
桃麗は宮の寝殿の扉の前で立ち止まる。桃麗が軽く手を叩くと錠がかかっていたはずの扉がゆっくりと開いた。
部屋の奥にある寝台ではこの宮の主人である九嬪の一人がうめきながら倒れていた。桃麗たち三人が女に駆け寄る。
「息はありますね。首に絞められた痕があります」
清玄が女の髪を避けると赤黒い指の痕が残った首が露わになる。
瑞慶は腕を組み、横目で桃麗を見た。
「どうだ、桃麗。怪異とやらは見えるのか?」
桃麗は答えなかった。部屋の中を見渡すと小さく息を吐いた。
「……いるな」
部屋の空気が、わずかに冷えた。瑞慶が眉を上げる。
「どこにいるんだ?」
桃麗は女の背後を見つめていた。瑞慶が視線を向けても、そこには何もない。ただの空間だ。
「私には何も……」
桃麗のほうを向き直った瑞慶の言葉が止まった。
桃麗が髪に挿していた桃花簪を抜いた。金の花弁が灯りを受けて淡く光る。その先端で、桃麗は自分の親指をなぞった。薄く開いた傷から赤い血が一滴、簪へ落ちる。簪に刻まれた紋様が赤く光り始める。部屋の空気が震えた。桃色の光がふわりと広がり、花びらのような光が舞う。
瑞慶は思わず目を見開く。この世のものとは思えないその神秘的な光景に目を奪われた。
空間がゆがむ。何もなかったはずの場所に影が浮かび上がった。人の形をしている。だが顔は崩れ、黒い腕が長く伸びている。瑞慶が低く呟く。
「……本当に、いたのか」
怪異がゆっくりと首を動かした。
瑞慶と清玄は腰に帯びていた刀の柄を握る。刀を抜こうとしたとき、桃麗が両手を広げてそれを制した。
「お主らの力はいらぬ。これは鎮守女の役目だ」
怪異は桃麗を見た次の瞬間、怪異の腕が桃麗へ伸びる。桃麗はゆっくりと簪を掲げる。桃色の光が一気に強くなった。花びらの光が渦を巻き、怪異の体を絡め取るようにとり囲んだ。怪異が歪み、声にならない叫びを上げる。
「ここはお主の居場所ではあらぬ。
――還りたまえ」
桃麗は血のついた簪を振り下ろした。光が弾けた。光の花びらが一斉に舞い上がり、怪異を包み込んだ。黒い影はもがき、やがて霧のように崩れ、音もなく消えていった。
静寂が戻る。桃麗は何事もなかったように簪を拭い、髪へ戻す。瑞慶はしばらく何も言わなかった。
そしてゆっくり息を吐く。瑞慶は桃麗の後ろ姿をじっと見た。さっきまでの軽い表情はなく真剣なまなざしで桃麗を見る。すると、瑞慶が小さく笑った。
「思っていたより、ずっと面白い」
桃麗は振り向きもしない。
「何がだ」
「そなたは使えそうだ」
桃麗の目がわずかに細くなる。
「……道具扱いか」
瑞慶は肩をすくめた。
「その通りかもしれないな」
少しの沈黙。そして桃麗は瑞慶の方に振り返る。その顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「ならば、使い潰さないことだ。鎮守女は替えがきかないからな」




