勇気の一歩
「よっ!」
HRが終わって帰りの支度をしていると、肩にどんっとぶつかられた。
拍子にカバンに入れようとしていた教科書を落とす。
「あーもう、なんだよ美咲」
「ごめーん、そんな強くぶつかったつもりもなかったんだけど……」
「へいへい、俺の体幹が弱うございました」
散らばった教科書を拾ってカバンに入れなおす。
右を向けば気まずそうに髪の毛を触る美咲の姿があった。
「……で? 要件は?」
「今日さ、悠斗部活なかったよね。私もないんだ……。一緒に帰ろ!」
「いいけど、また変な噂立てられるぞ……」
去年はそれで酷い目に合った。恋愛に飢えた男子高校生らが同級生の女の子と一緒に帰る姿を見れば何をするかなんて、想像に難くない。ましてや幼馴染ときた。
当時は羨望と妬みの混ざった冷やかしをさんざんと浴びせられたものだ。結局俺が怒って事態は収束したが、また二人で帰ったりでもしたら懲りない彼らはきっと囃し立てるだろう。
「でもせっかく久々に一緒に帰れるし……。じゃあさ、崎野公園で待ち合わせしようよ。あそこなら見つからないでしょ」
崎野公園は二人の帰り道にあるそこそこ有名な公園だ。といっても地元民に有名なだけだが。
桜が植えられているから今の時期は見応えがあるだろう。
「まあ……分かった。じゃあ俺先に行って待ってるから」
美咲はいつも友達とひとしきり話してから帰っているし、これならクラスメイトにバレる心配もないだろう。
――もう、前のように美咲に迷惑をかけたくはない。
ベンチに座って桜越しに空を見上げる。
青空と桜のコントラストが綺麗で、一生見ていられそうだ。
風が吹いて、桜の花びらが少し散った。
「桜もいつかは散る……か……」
「何浸ってんの」
ぼけっとしていると視界いっぱいに美咲の顔が入ってきて思わず「うわ!?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「お待たせ。待った?」
「いや全然。気温もちょうどいいし、いいリラックスになったかも」
「そ。じゃあ帰ろっ」
公園から俺たちが住んでいるマンションまでは道なりだ。歩道をまっすぐ進めば家まで着くから思考に没頭していても道に迷わないのが良いところだ。
満面の笑みを浮かべた美咲が小走りに前に進んだ。
その姿を見て少し懐かしさを覚える。
3月の頭ぐらいだったか。一緒に帰っているところが見つかったのは。
クラスメイトの茶化しがひどくて休み時間のたびにいじられていた。
あの頃の美咲の困ったような、悲しいような笑顔は忘れられない。あの笑顔はもう見たくなかった。
「――……好き」
「えっ?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。遅れて心臓がはねた。
唐突に好意を伝えられると誰が想像できるか。ましてや、それが美咲からだなんて。
美咲と目が合って、途端に気まずくなって目をそらした。心臓が脈打つ音ばかりが耳に響いて何も聞こえない。
「……えっと、それは突然」
「突然じゃないよ」
「あれー、そうなの……」
照れと困惑で顔のそこら中から汗が噴き出していることが分かる。袖で額の汗をぬぐった。
「なんかやけに顔が赤いけど。もしかして……変な勘違いでもした?」
「勘違いって? してないけど」
探るような目から逃げたくて美咲より前に出た。
好意を伝えられたというのは勘違いだったらしい。今もし穴があれば入るし、蓋もして引きこもるだろう。
「じゃあ何の話をしてたか言ってよ。聞いてたんでしょ」
「えっと」
挽回するチャンスだ。俺は美咲に好意を伝えるつもりもないし、悟られたいとも思っていないから。
変に告白をして気まずくなるぐらいなら、ずっと友達で仲良くしてる方が幸せだ。
必死に頭を働かせる。好き、というワードが出てくるぐらいだから、好きなものの話だろう。
サッカー、パスタ、パフェ、ぬいぐるみ……。美咲のことを知りすぎていて、話題を一つに絞り込めない。
待てよ。確か今日、美咲の応援してるサッカーチームの話を聞いた……。
「佐田選手の話でしょ」
「全然違います。あと佐田じゃなくて和田」
人生大一番の賭けを外した。弁解の余地がない。
美咲が俺を追い越して、少し足早になっていた足を止めてきた。美咲と俺の足だけが映っていた視界に綺麗な顔が入ってくる。
「ねぇ、何と勘違いしたの?」
いたずらっぽく笑った顔だと思ったのに、予想に反してその顔は真剣だった。
それが冗談で逃げることを許してくれない。
からからに乾いた喉を、つばを飲み込んで潤した。頬を伝った汗が落ちていくのが見える。
そむけていた視線を美咲に向けた。
「……突然美咲が俺のこと好きって言ったのかと思って」
美咲が背を向けた。後ろ手に組んだ姿がどこか嬉しそうに見えるのはきっと、俺の気持ちが見せる幻だ。
「ちなみにさ、私は告白はされたい派なんだよね」
勘違いしたい。美咲が俺のことを好きなんじゃないかって。
でも、違った時が怖い。手のひらににじむ汗も、ずっとうるさい心臓も、こわばる全身も、体中が答え合わせを嫌がっている。
「そうなんだ。……してもらえるといいな、告白」
上ずりそうになる声を必死に抑えて、努めて冷静に。家に帰って明日を迎えればいつも通りの日常に戻れる。
「帰ろうぜ」
俺が歩き出しても美咲は動かなかった。顔を見られたくなかったから都合が良かった。
でも、追い越しても足音がついてこなかった。
「どうした?」
振り返ると、前に立って背を向けていたからずっと見えていなかった表情が見えた。
「……ねぇ、やっぱり私だけなのかな、この気持ち」
その声は震えていて。いやそれまでも少し震えていたのに。
最悪のもしもなんて考えて、自分の心を守るのに精いっぱいだったから気づかないふりをしていただけだ。
頬を伝う水滴が見えた。それは汗じゃない。
俺はこんな顔にさせたいって望んでいない。
「……美咲」
「なに」
さっきまでだって強かった心臓の鼓動は、今はもういつ破裂してもおかしくない勢いになっている。
緊張のあまり視界がぼやける。
覚悟を決めた。この流れで告白が成功しないはずがない。
分かっているのに、それでも緊張するのはなぜだろうか。
重い頭を上げると美咲と目が合った。ずっと直視できていなかった顔はよく見れば、上気しているし汗だって滲んでいた。
俺だけが緊張していると思っていたのに、どうやら違ったらしい。
美咲に分からないように深呼吸をした。いざ言おうとすると力が余って、ぎゅっと目をつむってしまった。
「好きです。俺と付き合ってください」
こじゃれた文句を言おうとワードを探しても何も浮かばなかった。
ありきたりな告白文句。でも口に出してしまえば、これ以上にしっくりくる言葉もない気がした。
「……バカ、遅いよ。……お願いします」
おそるおそる表情をうかがうと、にへらっと笑っていた。それはこれまで見た中で一番かわいい笑顔だった。きっと一生忘れない。そう思わされる笑顔だった。
「……ちなみにさ、本当は何の話をしてたの」
告白してすぐにする話題じゃないって分かっているのに、気になって仕方なかった。
すると、美咲はパッと顔をそむけた。
「さあ、私覚えてないや」




