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4話



 ミリアが倒れたあの日から3日が過ぎた。


 初めこそ出血を伴う大事件に孤児院中がショックを隠せずにいたけど、手当を受けたミリアの背中に翼が生え始めたことが分かるとお祝いムードとなった。


 ミリアは気を失った前後のことを覚えていない。血を出して倒れたこと、僕がミリアを抱え上げて血に濡れたこと、それらはすっかり記憶から抜け落ちている。


 だからこそあの事件のことは無かったことにしようと孤児院のみんなで口裏を合わせた。言い出したのは僕で、天へ昇れるミリアに変な後ろめたさを持ってほしくなかった。


 僕があんなことを言わなければよかったんだ。もう少し違うやり方をしていれば、ミリアだってあんなことはしなかったはずだ。


 ミリアが呟いた言葉の意味を考えた。多分、僕はミリアにとって一番言ってはいけないことを言ったんだと思う。そして、ミリアにとって一番して欲しくなかったことを僕はやってしまった。


 次に羽が降るまで2か月。それだけの間ごまかしきればミリアは天に昇っていく。


 それまで何があったのか詳細を悟られないようにしたい。僕は孤児院のみんなにそう伝えた。







「ジョゼフ、ちょっと来て」


 だけどミリアから呼び止められた。


 男子部屋の洗濯物をタンスにしまっている最中だった。修道服を着たまま孤児院にやってきたミリアの姿を見て、チビと遊んでいた他の兄弟が気まずそうな顔をして僕を見る。


「女子分が残ってるから、それが終わってからでいい?」

「分かった。じゃあ中庭のベンチで待ってるから」

「ん、分かった」


 返事をするとミリアは出ていく。不安そうな兄弟たちを尻目にさっさと洗濯物をしまい終え、女子部屋に向かう。


「入るよ」

「どうぞ」


 扉をノックすると、いつも通りマリの声が聞こえる。それから部屋に入って黙々と洗濯物を片付ける。


「ジョゼフ、忙しそうだね」

「うん、ちょっとね」


 窓際のベッドに寝ているマリが、いつも以上に精いっぱい声を張って声をかけてくる。


 僕の様子から何かを感じ取らせてしまったのか。でもその声になんて答えたものか、考え着く前に適当な返事をしていた。


「ミリア姉さん、のことでしょ?」

「………」


 不自然に作業は止めなかった。でも動揺は顔に出てしまっていたかもしれない。


「分かるよ。私、何も、聞かされて、ないけど———分かる」

「マリ…」


 事の顛末についてマリはほとんど何も知らないはず。あの事件の日、ミリアが食卓に現れなかったことだけは知っているけど、その後の事件について彼女は知らない。知らされていない。


 あれはマリが起こした過去の事件に似ている。耳に入ることでマリまで嫌な想いをさせてしまうかもしれない。だったら黙っていようと兄弟で決めていた。


「ジョゼフ、もし違ってたら、ごめんなさい。でもね、血を浴びせちゃった、ひとはね、謝って、謝って、でも、どうすることも、できないから———」


 マリはそこまで語って胸を押さえ、深く呼吸を繰り返す。


 やっぱり彼女は真実を悟っていた。それがどうしてかは分からないけれど、マリはまっすぐ僕の目を見て続きを言った。


「死ぬしかないの」

「………」


 僕は何も言い返せなかった。あまりにマリの視線が強すぎて、それが真実だと思えてしまうくらい。


 でも、ふっとその視線が傾いて、マリは手で胸を押さえた。荒い呼吸を数度繰り返し、やがて手で×印を作った。


 もう話せない合図だ。再度僕に向けられた視線は苦しさで涙交じりになっていて、僕は半身を起こしていたマリをそっとベッドに寝かせ、小机のコップに水を注いだ。


 絶え絶えと息を吐き、合間に苦しそうに息を吸う。つらそうにぎゅっと絞られた目尻はやがて緩み、マリは眠りについた。


 気を失った、というのが正しいかもしれない。額に滲んだ汗を拭い、シーツをかけ直してあげてから、僕は部屋を出た。






「ミリア、お待たせ」

「ううん、別に」


 広間に出て、ベンチに座っていたミリアの隣に腰かける。


 呼ばれたのは僕で、呼び出したのはミリア。話を切り出すのはミリアの方であって当然で、だけどやっぱり視線を彷徨わせている。


「何か用? なにか説教されることあったかな」


 誤魔化すか、心当たりのある話題を振るのか。考えるよりも前に口が動いていた。


 足もベンチの向こうにぷらぷらと揺らす。正しい。僕は今のところ間違った所作をしていない。


「そう、だね…」


 ミリアは僕の軽口に乗って一瞬笑いかけて、真一文字に口を閉ざした。その目を見て、ミリアには誤魔化すつもりがないことを悟る。


「ジョゼフ、お願い。一昨日何があったか教えて欲しいの」

「ミリアが倒れてた時のこと?」

「そう。私が倒れてた時のこと」

「う~ん。特にミリアが気にするようなことは無かったけど」

「いいから。まず私の話を聞いて」


 ミリアは額に手をついて視線を逸らす。閉ざした唇を揺らして、それから大きく息を吐いた。


「私、どこまでが夢で現実なのか分かってない。だから恐いの。教えて」


 僕はその声に応えず、黙って先を促した。


「…私、血を流してたんじゃないの? それでジョゼフが血を———」

「そんなことはないよ」

「嘘はつかないで」

「嘘じゃないよ」


 視線が険悪にぶつかってお互いに逸らさない。なんて言ってどう接すれば誤魔化せるのか。喉を鳴らしてしまいそうになって、それも咳払いで誤魔化してから言葉を吐いた。


「さすがの僕も、こんな大事な話で嘘なんかつかないよ」


 僕はきっと天に昇れないだろう。こんなにも平然と嘘をついてしまう。


 ミリアは驚いた顔をしている。何かを言おうとして、でもそれを一回飲み込んだ。


「……そっか」


 それから苦く笑んで、短く呟いた。


「ジョゼフ、それを信じて、いいのよね?」

「うん、勿論だよ、ミリア」

「この格好の時はシスターと呼びなさい」

「え~、でもここ教会じゃないし」

「それもそうね」


 そうして軽口を叩き合い、僕とミリアは笑った。


 ごめんなさい、なのかな、姉さん(ミリア)。でも許してほしいな。


 僕は、僕なんかの為に姉さんに傷ついてほしくない。


「ジョゼフ、本当のこと教えてくれてありがとう。安心できた」

「僕の方こそ、そんな風に気にしてただなんて全然気づけなくて。ごめん」

「ううん。そんなこと———」


 ミリアは尻すぼみに声を落とし、言い切る前に立ち上がった。


「ごめん、話はそれだけだから。呼び出してごめんね」

「ううん、別に。説教じゃなくてよかったよ」

「説教されるようなことに心当たりがあったの?」

「もちろん無いよ」

「…まあ、よしとしましょう。それじゃあね、本当に、ごめんね、ジョゼフ…」


 謝って、背中を向けて去っていこうとするミリア。


 その時。ふと、何故か分からないけれど匂いがした。太陽と薬と埃が混じった匂い。


 それは錯覚で間違いないけれど、僕は咄嗟に立ち上がってミリアの手を掴んでいた。


「―――どうしたの、ジョゼフ…?」

「……そっか」


 どうして手を掴んでしまったのか。よく分からなかったけど、僕は確信めいたものを感じてミリアに訊ねた。


「ミリア、死のうとしてるね」

「っ!」


 ミリアが掴まれていない方の手で口を覆った。でも隠しきれない動揺が目に表れている。


「どう、して、なんで…」

「謝りすぎだよ、ミリア。ただ呼び出して話しただけでそんな謝られたらおかしいよ」

「そんなこと、ないでしょ…」

「ううん、おかしい。ミリアらしくない」

「そんな、こと……」


 目をそらされる。だけどその仕草を僕に見とがめられて、動揺で更に視線を揺らしてしまう。


「ミリアは嘘が下手だね」

「―――ジョゼフも、ひとのこと言えないよ」

「あれ、うまく嘘をつけていると思ってたけど、バレてたんだ」

「当たり前よ。私はあなたのお姉さんで———、私、っ、それなのに、私……っ!」


 ミリアはその場に膝をついた。掴んでいた手を離すと、両手で顔を覆った。


「とんでもないことを…っ! 私、やっぱり、あなたに血を…っ、このままじゃ、あなた天国に…」

「ミリアは、どうしてそこまでして僕を天に昇らせたいの?」


 はっ、とミリアが顔を上げる。


 その顔は、さっき見たよりもはっきりと動揺を映していた。


「なに、え、なんで、そんな———私、そんなことまで、言ったの…?」

「僕にはよく分からないよ。言われたのは、このままじゃ僕を天国に連れていけないってことだけ。でも、ミリアが翼を折り続ける原因はそれだったんだって思っただけ」

「………」


 ミリアの顔は青ざめていた。


 悲しませるつもりなんてなかった。でも———


「僕も教えて欲しい。なんでミリアがそんなことを考えていたのか」

「………」

「知ったうえで、僕はミリアを天に送りたい。死んでほしくないよ」


 ミリアと僕の視線が交わる。やがて目の前の瞳が輪郭を崩して、わっと泣き出してしまった。


 僕は泣き止むまで待つしか出来なくて、ミリアの背中をそっと撫でる。


 そこにはもう服では隠しきれないほど、大きく育った翼の膨らみがあった。




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