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2話

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 陽が傾き始めた頃、マリが目を閉じて寝息を立て始めたのでそっと部屋を後にする。粘土はすっかり乾いてしまったので、ハンカチに包んでポケットの中にしまっておく。


 今日の僕の仕事はまだ終わっていない。教会の前の掃除、中の掃除。まあ両方とも適当にやればすぐに終わる。


 箒を掃き、雑巾で乾拭きして、窓を拭いて、はい終わり。早く終わるコツは作業を姉さん(ミリア)に見つからないこと。


 今日は運よくミリアが出かけている間に終わらせることが出来た。特にやりたいことがあるわけでもないけど、効率的行動のおかげで得られた時間というのは有難みが違う。


 掃除道具を片付けてから、部屋に戻っても兄弟たちの騒ぎに巻き込まれるだけなのでふらりと教会の外に出る。


「あ、ジョゼフ! あなた掃除は終わったの?!」

「終わったよー!」


 と、ちょうど帰ってきたミリアに声を掛けられる。やましいことは何もないが、細かいところを見られて掃除のやり直しを命じられては面倒なので逃げる。


 後ろからなおも何か言われた気がするけど気にしない。


 僕は自由だ。






 町を抜けて、外れの丘に来た。町を一望出来て、遠くの山と見渡す限りの空が見える。


 そこに腰を下ろして、井戸で濡らしてきた粘土を取り出す。粘り気を復活させたそれを適当に弄りながら遠くを見渡す。


 何かを考えているようで、何も考えていない。手の中で生まれる形は一期一会であって、頭の奥に記憶として残すけど意識には留めておかない。


 “考えてばかりで、なんだ? 自分は”と頭の右の方から声が聞こえる。だけど緩やかな思考と粘土弄りの指は止まらない。


 瞼が半分閉じかかる。意識が指先と思考の奥底に集中し始める。


 粘土をこねる指にかかる反動の圧。伸ばす際に感じる摩擦のざらつき。千切ろうとする際の抵抗と呆気なく訪れる幕切れ。


 意図的な動作と不規則性から生まれるそれらを叩き潰して新しく生み出す何かの礎になる。


 そうして漫然と考えるのは色んなこと。過去のこと、今のこと、未来のこと。その中で言うと若干、過去のことがウエイトを占めている気がする。


 何がしたい。どうしたらいい。どうすべきか。そんなことを考えているのは全て過去の経験があるからであって。


 結局何の成果にも結論にも至らない。ふと集中が途切れたタイミングで思い至り、粘土をハンカチに包んでからポケットにしまって、腰を上げる。


 そのまま歩いてしばらく。町はずれにある墓地までやってきた。町の誰も寄り付かないし、隣接している小屋も中身は空っぽで用途不明だ。


 ここには天に昇る前に死んでしまった人たちがまとめて埋められている。僕が見下ろしている地面の下には、父さんと母さんの他何人かのひとが埋められている。


 “死”という概念は忌避されている。天に昇れば永く天国での安寧が約束されているのに対し、死ねば何もない。天に昇ったひと達との再会も果たせない。


 だからこそ、幼い頃の僕は天へ昇ることをむしろ拒絶した。天に昇っても母さんと父さんがいないのであれば意味がない。そう言って当時の孤児院の兄や姉達をよく困らせたものだ。


 今はそこまでの意思はない。昇れるんならそれでもいいんじゃない? 死んでも父さんや母さんに会えるわけでもないし、昇らせてくれるんなら超ラッキー。それくらいだ。


 積極的に徳を積もうとは思わない。それよりは楽しかったり楽だと思えることに時間を費やしていきたい。叱られると時間が減るから、祈りや善行もほどほどにする。


 そんな感じです。父さん、母さん。







「どこ行ってたの?」


 夕暮れ時。しばらく外で時間をつぶした後、孤児院に帰って早々居間でミリアに問いただされる。


 逃げるように遊びに行っていたのを思い出す。だけど最低限やることはやった自覚はあるので悪びれない。


「父さんと母さんのところ」

「ふ~ん」


 間延びした返事のくせに、目がちょっと不機嫌そうに吊り目のまま。何かし忘れたことでもあったかと思い返す。


「―――そっか」


 そうして心当たりが見つからないまま時間が過ぎ、やがてミリアは吊り目をほぐした。


「ねえジョゼフ。今時間いい?」

「どうしたの、シスター?」

「ここではミリアでいいって」


 あえて間違えて呼んでみるとまた吊り目になった。


 そうして孤児院と教会の間にある庭に連れていかれる。


「あれ、部屋じゃないんだ」

「そう。他の弟妹たちの前ではちょっとね」


 ん、あれ、なんだか不穏だ。


 ミリアは庭のベンチに座る。僕も隣に腰を下ろした。


「もしかして説教?」

「心当たりあるの?」

「ない、とは言い切れないな」


 そうして探るようにミリアの顔を見て、次の言葉を決めた。


「だけど、そこまで深刻な顔をさせるほどのものはないよ」

「私、そんな顔してる?」

「うん」

「……そう」


 そう言ってミリアは顔を一回手で覆った。


「ジョゼフ、あのね、私―――翼が生え始めたの」

「……ん?」


 奇妙な話で思わず首を傾げてしまった。


 翼が生え始めたということは、天使になるということだ。


 つまり、次に祝福の羽が降る日に天へ昇ることが確約されているということ。大変めでたい話のはずだった。


「え、良いことじゃない。どうしてそんな顔してるのさ」

「私、まだ天使になりたくない」

「えぇ~…?」


 天使になりたくないだなんて、聞いたこともない。


「死にたいってこと?」

「ジョゼフ、聞き違えないで。私は“まだ”天使になりたくないって言ったの」

「あんまり変わらない気がするけど」

「変わるの。私には、まだここでやらなくちゃいけないことがある」


 気楽に聞けたのはここまでで、ミリアが凄く真面目な顔を続けていることに気づいた。


 ミリアの目が、まっすぐ僕のことを見ている。思わず喉を鳴らしてしまって、僕は慎重に言葉を選んだ。


「―――やらなくちゃいけないことって、何?」

「それはヒミツ」

「あらら」


 肩すかしを食らって思わずベンチの上でつんのめってしまった。


「どうしたの?」

「いや、話の流れからして僕にその『やりたいこと』の手伝いをしてもらいたいのかと思って。天使になるまでもう時間もないでしょ?」


 羽が降るのはだいたい2か月に1回。次の機会が巡って天に昇ったら、ミリアはもう地上に戻ってこられない。


 善きミリアの為に行うことは善行になる。そうでなくてもミリアは大切な姉だ。


 僕は昇れないかもしれないしね。今のうちに恩を返しておいた方がいいと思った。


 だけど、ミリアは首を振る。


「やらなくちゃいけないことは、次に羽が降るまでには絶対できないことなの」

「そうなの?」

「そうなの。だから私は、まだ天使になっちゃいけない」


 強く言い切るミリアの話を聞いて、なんだかおかしな話だと僕は思った。


 だって、天使になれるってのに全然ミリアは嬉しそうじゃない。その『やらなくちゃいけないこと』っていうのも、きっと楽しいことじゃないんだろう。


 ミリアは真面目な顔をしたきり笑わない。そんな顔をしたまま僕の方に向き直る。


「それでジョゼフにお願いしたいことがあって」

「ん。なんだ、やっぱり手伝って欲しいことあったんだ」

「そうじゃない———けど、そう。ついてきて」


 そう言ってミリアはベンチから立ち上がって、孤児院じゃなくて教会の方へ歩いていく。


 ついて歩く。教会の奥の方へ進んで地下へ降りる。そして扉が2つ並んでいるところまで来た。


 何をするのか分からないまま、一方の扉を開けたミリアが中で手招きしたので続いて入る。


 懺悔室だった。それも告白する側の告解部屋で、ミリアと2人で入るとどうしても狭かった。


「なに、なんでここ?」

「いいから。説明は後でするから、まずはあっち向いて目を瞑ってて」

「なんで?」

「いいから! いいって言うまで目を瞑ってて! 絶対こっちを見ないでよ!」


 捲し立てられ、ぐるりと壁側に向き直させられて、僕は言われた通りに目を閉じた。


 背中の方から衣擦れの音が聞こえてくる。何が起こっているのか、意味は分からないけど事象は悟れた。


 どう考えても脱いでいる。服を。ミリアが。僕の真後ろで。


 ———なんで?


「……いいよ。目を開けて、こっちを見ても」


 言われた通りに振り返ってミリアを見た。


 脱いでいた。服を。ミリアが。僕の目の前で、背中を向けて。


 眼前に綺麗な肌色がある。そこに小さく白い異物が混ざっている。


 小指よりも細い翼が、背中の真ん中よりちょっと上らへんに一対生えていた。そこに白い羽が数枚ずつ付いている。


 そしてその背中の向こう側、脱いだ服を身体の前側にぎゅっと押し当てて、ひざまずき台に膝を付けて身体を縮こませているミリアがいた。


 顔だけがこっちを向いている。その顔は真っ赤だった。当たり前か。当たり前か? 当たり前か。だって上半身裸だもん。


 ———だから、なんで?


「つ、つばさ……」


 そして声が震えている。唇も震えている。よく見たら背中も震えている。肌寒いってわけでもないだろう。狭い部屋に2人で入って、汗がじんわり出るほどに蒸し暑い。


「つ、つばさ……?」


 聞き返した僕の声も震えていた。後ずさって、壁にこつんと靴が当たる。


 狭くて逃げ場がない。どっちの? なんの?


 何もかもがよく分からないまま僅かに時間が過ぎて、やがてミリアは唇をぎゅっと結んだあと、意を決したようにそれを言った。


「翼を、折って欲しいの」





「―――あ、おぉ……」


 もはや何がなんだか分からず、僕は意味不明な返事しか出来なかった。





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