1話
10話完結。書き終わり済み。毎日投稿予定。
薪がパチパチと音を鳴らし、赤白く爆ぜているのを見ていると、ふと視界に降ってきたものがあって僕は空を見上げた。
「そっか、今日なんだ」
天から降ってくるものは白い羽。曇り空の向こうから、雪のように降ってくる。
1枚がひらりと舞い、僕の手のうえに収まった。柔らかく、汚れ1つない白。綺麗なもので、いつ見ても変わり映えはない。
ふぅと息を吹いて手放す。地面に堕ちて、まるで幻だったかのようにそれは消えた。
善い行いをして徳を積んだひとには翼が生え、天の国に導かれる。
自分の力では天へと昇れない。今日みたいに祝福の羽が降ってくる日に呼ばれ、ゆっくり天へ昇っていく。
今日も町のどこかで誰かが天国へ昇っていくんだろう。それが誰かは知らないけど、きっと盛大に祝福されているに違いない。
僕にはあんまり関係ないけど。
地面に視線を下ろし、洗濯物を乾かす為の焚火を火かき棒で掻きまわす。
炎のうえで数枚の羽が舞う。火の上で踊るようにふわふわと浮かび、やがて風もないのに舞い上がって、焚火から逸れたところで地に堕ちる。
そしていつものように、それは消えた。
乾いた洗濯物を抱え、町はずれの丘から家に帰る。町唯一の教会の奥が、僕たちの住処だ。
「あ、ジョゼフ!」
「ただいま、ミリア」
家に入る前、教会内の側廊を通り過ぎようとしたところで修道服を着た一番上の姉さんに呼び止められる。気のせいか、ちょっと声に不機嫌が混じっている。
ミリアは側廊脇に置いてあった編み籠を捕まえると、ズカズカ歩いてきて僕の手から洗濯物を奪っていく。
「そんな適当に持って! あーあー、皺になっちゃうじゃない」
「大丈夫だよ。しまう時にきちんと畳めば」
「修道服の皺は目立つの!」
「服の皺なんて誰も気にしないと思うけど」
「それはズボラなあなただけ!」
どうやら洗濯物の運び方に文句があったらしい。ミリアは自分の修道服だけではなく、服を片っ端から奪って行っては手元で畳んで籠に収めていく。
「それと家以外ではシスター、もしくはシスターミリアと呼ぶ!」
「分かったよ、シスター」
「よろしい。それじゃあ後、しまうのはよろしく」
「はーい」
適当に返事をして、側廊の戸を開ける。ちょっとした中庭を抜けて隣接されている建物は孤児院。
一番上はミリアの19歳、下はまだチビの2歳まで。延べ13人が暮らす、僕たちの家だ。
「さてと」
タンスは孤児院に2つしかない。男子部屋と女子部屋に1つずつ。
そしてその中でも段ごとにスペースが分けられている。適当に入れては誰それのシャツがどこかに行っただので怒られる。
男と女、どっちから片づけるかというと男物からの方が色々と気が楽で、いつも通り男子部屋から入る。
「ほーれ、高い高ーい!」
「きゃっきゃ、きゃっきゃ!」
「おー、喜んでる喜んでる!」
部屋に入ると途端に騒がしい。孤児院に新しくやってきた2歳のチビ―――名前は確か、ノセ。それが二番目の兄さんの手によって宙を飛んでいた。
「次! 次は俺がやる!」
「わたしも高い高いしたい!」
その周りに他の兄弟姉妹が群がる。新しい弟が出来て皆はしゃいでいる。
ひとの為になること、ひとが喜ぶことをするのは“善き行い”とされている。チビが宙を1つ飛べば、天からの覚えも1つ良くなるという方式だ。
まあ、そんな簡単なものじゃないかもしれないけれど。僕はその様子を横目にタンスへ洗濯物をしまい始める。
皺にならない程度に適当に。ミリアが綺麗に畳んでくれたおかげでいつも以上に適当に入れても、いつも以上に綺麗に収まってくれる。
「よーし、全員ノセと遊んであげられたな―――あ、おいジョゼフ!」
と、片づけ終わって部屋を出ようとしたところをヨシュアに呼び止められる。
「ジョゼフ、お前もノセと遊んだらどうだ?」
「ありがとう、ヨシュア。でも僕はいいよ」
言って、僕は抱えた籠の底を叩く。
「まだ途中だからさ。僕の分もノセと遊んでくれると嬉しい」
「そうか、分かった。呼び止めて悪かったな」
そう言ってヨシュアは爽やかに笑った。他の兄弟も再びチビとの遊びに興じ始める。
僕たちには親がいない。ほとんど、翼が生えて天に昇っていった。
父親、母親ともに天へ昇った後の子供は親戚に預けられる。だけど運悪く近い親戚が全員天に昇ってしまっていた場合は一番近くの孤児院に預けられる。
大体普通のひとは30~40歳くらいで翼が生え、天に昇る。それでいうとノセ、2歳のチビである彼の両親は随分早くに天国へ導かれてしまったらしい。
天に昇ることは大変めでたいことだ。ただ、さすがに子供がこれほどに小さいと天に昇って再会しても互いに親子だとは分かるまい。
“神様もせめてもう少しだけ待ってあげられなかったのかねぇ”なんて近所の声も聞こえた。彼は憐れまれる対象だった。
だからだろう。彼が来てから孤児院への寄付が増えた。食べ物や服、新品のオムツ、お金も少々。
そしてそれは一過性のものではないだろう。多分、成人するまで彼が生活に不自由することはない。
洗濯物を抱えて女子部屋の扉の前に立つ。一応ノックして返事を待つ。
「どうぞ」
その声を待ってから僕は戸を開けた。男子部屋とは違ってそこは静かだった。
ノックに応えてくれた彼女以外誰もいない。僕はさっさと部屋を横切り、タンスの前に陣取った。
「ねえ、ジョゼフ」
「ん?」
部屋の奥、窓際のベッドの方から、か細く彼女が声をかけてくる。3番目の姉―――といっても僕とは3か月違いで同い年。
先月誕生日を迎えて15歳になったマリがベッドで横になりながら、青白い顔をこっちに向けていた。
「今日、羽、降ってた、よね?」
「そうだね」
「誰が、昇ったか、知ってる?」
「ううん、知らない」
一言ずつ、息を切らして細切れにしゃべる彼女の声は掠れて聞こえにくい。隣の部屋で騒いでいる兄弟の声の方が聞こえやすいくらいだ。
「そっか、誰か、知らない、けれど……」
“羨ましいな…”、と小さく呟いたのが聞こえてくる。たまたま隣の部屋の喧騒が止んだタイミングだった。それきりマリは黙ってしまう。
聞こえなかったふりをして僕は黙々と洗濯物を片付ける。
マリがやってきたのは3年前。やっぱり彼女も両親や親戚みんなが天に昇ってしまって孤児院に来た。
その時から彼女は病を患っていた。少しでも運動すると胸が痛み、倒れてしまう病気だ。
彼女もチビと同じく孤児院の内外から大きく憐れみを持たれていた。寄付が多く入り、兄弟姉妹こぞって世話をした。
だけどそれも彼女が来て1年くらい経って変わってしまった。その頃は孤児院を出て教会まで祈りを捧げていた彼女が、ある日突然血を吐いた。
血は教会に来ていた女性にかかってしまった。その日、教会は見たこともないくらいの大騒ぎになってしまった。
他人の血は不浄なもの。身の清めなく血で汚れることは禁忌。その禁忌を破ると天へ昇れなくなる。
すぐにマリは部屋へ戻された。そして教会では血を浴びたひとが狂ったような表情と声で懺悔を繰り返していた。
その女性をなだめる神父様やミリア姉さん達。みんなの顔に焦りの表情が表れていた。外に出かけていた僕が帰ってきて見たのはそんな光景。その女性は絶望に顔を歪めながら、身を清めるべく連れ去られて行った。
そして慌ただしい雰囲気の中、言葉の端々で事の顛末を悟った僕は、ベッドに運ばれたマリのことが気になった。
女子部屋に入ると部屋の窓から明るい陽射しが入ってきていた。その柔らかい陽射しに照らされて、真っ青な顔のマリが目に入る。
あとのことはよく覚えていない。痛い、苦しいと小さく悲鳴を上げ続ける彼女の手をずっと握っていたら、いつの間にか夜になっていた。
その日以来、マリは孤児院の外に出ることを禁じられた。兄弟たちも不用意にマリに近づかなくなった。
いつ血を吐くかもしれないひとの傍にいたくないらしい。ちなみにあの日血を浴びたひとは30代後半、未だ天には昇れていないらしい。
洗濯物の片づけを終えて、窓際にあるマリのベッドのふちに腰掛ける。
太陽と薬と埃の匂いが混じった、独特な空気が鼻をくすぐる。マリがちょっと驚いたような顔をしてこっちを見ていた。
「どうしたの?」
「ん、ちょっと部屋が騒がしくてね。うるさいのよりマリの隣がいいやって」
「そう、なんだ」
驚いた顔をしたまま隣の部屋の方を見て、あぁと得心がいったような顔を浮かべる。
「子供、赤ちゃん? みんな、楽しそう、だね」
「うん、騒いでるよ。誰が一番喜ばせてあげられるか、誰の顔を一番に覚えてもらえるか、みんな躍起になってる」
「楽しそう」
ふっとマリは小さく笑った。彼女が口を開けて笑ったところを僕は見たことがない。
「マリ、今日の調子はどう? 昨日つらそうだったじゃない?」
「わりと、いい。今日は―――」
そこでマリは数回呼吸を挟む。あまり長いこと話していると胸が苦しくなるそうで、一旦胸を落ち着けている。
「―――お薬、効いてるみたい」
そして吐き出すように一気にしゃべった。ベッドの隣、小机のうえには水差しとコップ、そして手のひらサイズのガラス瓶。
中には粉状の薬が入っている。それを小指につけて舐め、水で流し込む。そうするとマリの症状は幾分かマシになる。
「そっか。それはよかった」
薬には効く日と効かない日があった。効かない日にはもっと飲めばいいじゃないかと素人考えが浮かぶけど、それはお医者様に禁じられている。接種しすぎると体に悪いらしい。
それと健康なひとが飲むのも危ないらしい。一回好奇心で手を伸ばした僕の手を、マリに止められたことがある。
マリの傍にいることを決めたわけだけど、あまり長いこと話すとマリの体に障る。僕は持ってきていた粘土を取り出し、こねくり回す。マリは僕の手元を見たり、窓の外を見たりで暇をつぶす。
いろんな発想を浮かべては形にしてみて、粘土以外で作ったらどんなことが出来るだろうかと想像する。
たまにマリにどうかと聞いてみる。僕が考えた発想の根幹は口にしない。大体は首をかしげられるだけだけど、たまに僕の発想を言い当ててきたり、思いもよらなかったことを言われたりする。
楽しい時間かと問われれば微妙なところだ。多分、外で気ままにひとりでいた方が気楽で自由で楽しいかもしれない。だけどつい理由をつけて来てしまう。
彼女は病に侵されている。ひとの為に何かが出来る身体ではない。
だから彼女が天に昇ることは難しい。徳を積むよりも先に死んでしまう。
そうなると彼女の望みは決して叶わない。それを知っている僕が抱えているのは何となくの同情心と、ちょっとばかりの共感。
『お父さんとお母さんに、会いたいよ…』
血を吐いたあの日、嗚咽混じりに彼女がこぼした願いは、今でも僕の心にモヤを作っている。