8 舞踏会
会場に入ると、私達に一気に視線が集まる。そして周りの御令嬢達からは「キャーーッ」という悲鳴が上がっている。
「ええっ!あのジルヴェスター様が、ご親戚でない女性を連れていらっしゃるわ!?」
「婚約者ができたという噂は本当だったのね」
「あの方……異国の方じゃなくて?」
「ジルヴェスター様のお相手なんて羨ましい」
「一体誰なの?あの女許せないわ」
こそこそと話しているつもりかもしれないが、しっかりと聞こえている。いや、聞こえるように言っているのかもしれない。
うわー……女って怖いわね。私への嫉妬や恨みがましい視線がビシバシと伝わって来て、背筋がゾッと寒くなる。
「俺の傍を離れるな。ケント以外にも君を狙う奴等は沢山いるからな。女の方が怖いぞ」
そうでしょうね。今はまだ顔を知られていないケントより、このジルヴェスターに惚れている御令嬢方の方が恐ろしい。
「そうする。死にたくないし」
私がギュッとジルヴェスターの腕を強く掴むと、彼は意外にも優しく微笑んでくれた。
「ふっ、いつもそのくらい素直でいろ」
私の耳元に顔を寄せて、小さな声で囁いた。ジルヴェスターの声は少し低めで良く響く。現代的に言うとイケボというやつだ。
「キャーーッ」
黄色い声が聞こえて、周りを見ると真っ赤に顔を染めてポーッとジルヴェスターを見つめている御令嬢方が沢山いた。ああ、なるほど。彼はあえて私と近付いて親しいふりをしているらしい。
――なかなかの演技派ね。
私もなんかした方がいいのかな?なんて思っていると会場にワルツが流れ始めた。これはダンスをするという合図だ。私はこの国に来るまでは、ワルツだかフォックストロットだかよくわからなかったがさすがに毎日やっていると慣れてきた。
私は体育の授業でヒップホップダンスくらいしかしたことがなかった。こんな社交ダンス的なものを自分がやることになるとは……
「練習通りにしたら大丈夫だ。フォローするから」
「わ、わかったわ」
普段は意地悪な男だが、こんな時のジルヴェスターはものすごく頼りになることがわかる。だってこの人がダンスで失敗しているところなんて想像できないから。
私は人生でこんなに注目されたことはない。ジルヴェスターは常にこの視線を浴びているのかと思うと、少し可哀想だなと思った。
「愛するアン、君の最初の一曲を踊る栄誉をどうか私にくれないだろうか?」
彼は私に微笑みながら、わざと大きめの声を出した。そして右手を腰の後ろに回し、左手を私に差し出して片膝をついた。
「まさか、あのジルヴェスター様が……!」
「嫌っ!嘘だって言って」
「でも素敵ね。まるで王子様だわ」
なるほど、これは周りへのアピールってわけね。彼が私を好きという設定でないといけないからだ。
「喜んでお受け致しますわ」
私は勉強した貴族らしい言葉遣いを使い、右手を出して左手でドレスの裾を持って軽く膝を折った。
ちゃ……ちゃんとできたはず。だってこれは何百回と練習したもの。ジルヴェスターは目を細めて微笑み私の腰に手を回した。
うゔっ、ダンスには必要なことだとわかっていても異性とこんなにくっ付くのはやはり緊張してしまう。
「よくできたな。いい子だ」
耳元でまるで子どもを甘やかすように褒めるので、私は唇を尖らせた。
「これくらい当たり前でしょ?馬鹿にしないで」
「気を抜くな。笑顔を作れ、笑顔を」
ジルヴェスターにギロリと睨まれて、私はニッコリと作り笑顔で応えた。彼も上手に嘘の笑顔を作っている。
「始まるぞ」
始まる前は不安だったけれど、結果としてはすごく楽しく踊れた。ジルヴェスターに身体を素直に預けたら、信じられないくらいくるくるとステップを踏むことができたのだ。
――何これ、楽しい!
練習の時も先生から『リードは男性がしてくれます。ジルヴェスター様はとてもダンスがお上手ですから大丈夫ですよ』と言われていたが本当だった。
もう曲が終わるというタイミングで、私は後ろにいた派手なドレスの御令嬢に足を引っ掛けられた。この人は、ダンスが始まってからずっと私を睨みつけていた女性だ。
――この子わざと!だめ、こけるっ!!
こんな場所でこけたらジルヴェスターに恥をかかせてしまう。せっかくあんなに練習したのに……と思いながらぐらりと身体が傾いた。
くすり、と嫌な笑い声が聞こえる。なんて嫌な女なのだろうか。そういう女ばかりだからジルヴェスターが女性不信になるのよ。
こける、と身体を強張らせたが……いつまで経っても痛みはやってこなかった。かわりにふわり、とジルヴェスターに抱き止められた。
「アン、大丈夫か?」
そう言って、彼は愛おしそうに私の髪を撫でおでこにちゅっとキスをした。私は恥ずかしくで、茹で蛸のように真っ赤になってしまった。
「だ……大丈夫デス。ゴメンナサイ」
ジルヴェスターは、後ろを向いて恐ろしい笑顔を作った。これは口元だけ笑っているが、絶対に怒っている顔だ。
「カロリーネ嬢、私のアンはまだダンスに慣れていないから足がからまったようだ。申し訳ない」
「い、いえ……」
彼の圧に怖気付いて、カロリーネと呼ばれた御令嬢はキョロキョロと気不味そうに視線を彷徨わせている。
「でも良かった。もしあなたがアンにわざと足を引っ掛けたのであれば私は許せなかったかもしれません」
御令嬢達はサーっと青ざめて震えている。彼女のダンスの相手も不穏な空気を察知して、あっという間に姿を消していた。
「ジ、ジル!そんなわけないでしょう。私がご迷惑をおかけしたのよ」
慣れない愛称をわざと使って、なんとかこの場をおさめるように話を持っていった。この女に腹が立つが、大事にはしたくない。
「……すまない。愛する君のことになると、私はどうしても視野が狭くなってしまうようだ」
私を抱き寄せ、すりっと頬を寄せた。その瞬間、また周囲から「キャーキャー」と声が上がる。私に意地悪をしてきた御令嬢は、悔しそうに唇を噛み締めていた。
「失礼するよ」
そのまま私達はダンスフロアを去って人が少ない場所に移動した。はぁ、一曲踊るだけでぐったりだ。こんなことで私はジルヴェスターの婚約者役が務まるのだろうか。
「……あなた、碌でもない女に好かれているわね」
「あんな奴等ばかりだ。だが丁度いい。これでいい見せしめになった。今後あからさまに君に何かする奴はいないだろう」
彼は口を歪ませて意地悪く笑った。この男はやっぱり腹黒い。
「計画通りってわけね」
「君が我慢してくれて良かったよ。いつ怒鳴りだすかと内心冷や冷やしていた」
「失礼ね。私が怒るのはあなたにだけよ」
私がジロリと睨んだが、ジルヴェスターは何食わぬ顔をしていた。
「おや?愛しのアンはピリピリしているな。腹が減ったのか?これでも食べなさい」
彼は皿にひょいひょいと美味しそうな料理を取り、私に「あーん」と言って料理を差し出した。何が愛しのアンよ!
「やめてよ」
「仲の良いアピールだ」
そう言われては、しょうがない。彼は演技の割に本当に楽しそうに見える。
「美味しい!きっと大好きなジルが食べさせてくれたから余計に美味しいのね」
私はそれをぱくりと食べ、ニッコリと微笑んだ。
「……もっと食べろ」
それからは何度も何度も口に料理を運ばれた。これではラブラブカップルと言うより、餌付けされてる雛だ。
「自分で食べられるわ!」
小声で抗議しフォークとお皿を奪い取って、むしゃむしゃと食べ出した。あー……美味しい。ついつい頬が緩んでしまう。
「君は本当に美味そうに食べるな」
「美味しいもの」
「……品はないけどな」
「悪かったわね!」
そんなことを言いながらいがみ合っていると、くすくすと笑いながら近付いてくる人がいた。やばい……誰かに見られてしまった。
「ジルヴェスター、随分楽しそうじゃないか。なぜ私に愛する婚約者を紹介してくれないのかな?」
そこには豪華な衣装を着た男が立っていた。後ろには二人も護衛が付いている。この人はきっと偉い人だ。
「……陛下。なぜこのような場所に」
陛下って王様ってこと?まさかこの人がパチーニャ王国の王様なの!?
「お前が挨拶に来ないから仕方ないだろう」
ふふっと笑い、陛下と呼ばれる男は私の前に立って顔を覗き込んだ。ジロジロと品定めをするようにじっくりと見られて、なんだか居心地が悪い。
「……」
私が緊張して息を止めていると、彼は私の髪をひと掬いしてちゅっと口付けた。ひいいっ……!この人、いきなり何するのよ。
「確かアンナ嬢と言ったかな?私はパチーニャ国王だ。ほお……なんとも言えぬエキゾチックな美しさだ。ジルヴェスターなどやめて、第五妃になって私の子を産まないか?」
にっこりと笑ってとんでもないことを言い出す男に呆気に取られて、私はフリーズしてしまった。