6 初めてのお出かけ
私はワンピースに着替えて、ジルヴェスターのいる庭に出た。シュバルツがすぐに私に気がついて「ワォーン」と鳴きながら駆け寄ってきた。
「ふふ、久しぶり。シュバルツは相変わらず格好良いね」
シュバルツの背中を撫でてやると、体を擦り寄せてさらに甘えてきた。
「ワフッ、ワフッ!!」
「ふふっ、シュバルツは甘えん坊ね」
私は抱き締めながら、さらにガシガシと撫でてあげた。するとシュバルツ越しにジルヴェスターと目が合った。
「おはよう。邪魔してごめん」
「……もう終わろうと思っていたところだ」
「そ、そう」
昨日のことがあるので、なんとなく気まずい。やっぱりこんなところ来るんじゃなかった。
二人とも無言なので、シュバルツの尻尾がブンブン振っている音だけが聞こえている。
「……足はもう大丈夫なのか?」
「痛いけど、とりあえず全部手当てしてもらったから。普通に歩くのは大丈夫」
「なら、今日は出掛けるぞ」
――出掛ける?誰と誰が……何処に?
「出掛けるって私と?あなたと一緒に出掛けるってこと?私は今日レッスンあるから無理だよ」
「今日は休みだ。その怪我した足でダンスなどできるか。朝食を食べてすぐに出るぞ」
彼はプイッと私に背を向けて、家に戻って行った。シュバルツと共に庭に取り残された私は、いきなりのお誘いに戸惑っていた。
それからは何事もなかったかのようにいつも通り淡々と朝食を食べ終わった。それからジルヴェスターが「これからアンナと出掛ける」と言ったことに使用人達が慌て出した。
「アンナ様、準備を致しましょう。さあ、早く自室に戻ってくださいませ」
ニーナは興奮したように、私を引っ張って部屋に戻して急いでお洒落をさせた。
「何処へ行くか知らないけど、別に着替えなくてもこれでいいんじゃない?」
今の私はワンピースを着ているが、ジルヴェスターが用意してくれた最高級品で素敵なものだ。
「だめです。旦那様とお出掛けですよ!それには初めてのデートに気合を入れない女性なんてあり得ませんからね」
「デ、デート!?違うわよ!!」
私はブンブンと左右に首を大きく振って、否定した。
「ふふふ、楽しんで来てくださいませ」
ニーナは意味ありげにニコニコと微笑んで、私をジルヴェスターの前に連れて行った。
「……行くぞ」
「はい」
今日はどうやらシュバルツではなく、馬車で移動するらしい。乗る時に、ジルヴェスターは当たり前のようにエスコートをしてくれた。
――日本人だからこういうの照れるわね。
日本の男性はエスコートなんてしない人がほとんどだ。だから、彼の手に触れるのも結構恥ずかしい。
そのまま馬車に揺られること数十分……ジルヴェスターは相変わらず無言なので、あえて私から話をしてみることにした。
「シュバルツはあなたが命じないと出てこないの?」
「ああ。呼べばいつでも出てくるし、いつでも消える」
彼は話しかけた私をチラリと見て、またすぐに窓の外に視線を戻した。まあ、返事を返してくれるだけましと思おう。
「そうなんだ。良かったらたまにシュバルツと遊ばせてよ。もふもふしてるの癒されるから」
「別に……構わん。シュバルツも何故か君のことが好きらしい。命令していないのに、自分から寄っていくなど初めてのことだ」
「私とシュバルツはラブラブだからね」
「らぶらぶ……とは何だ?」
ふふっ、この無表情な男が『ラブラブ』って言ってるのちょっと面白いわね。
「相思相愛?みたいな」
「……」
それっきりまたジルヴェスターは難しい顔をして黙ってしまった。どうやら彼は自分の大事なシュバルツと私が仲がいいのが気に食わないらしい。
「着いたぞ」
ジルヴェスターに促されて外に出ると、そこは活気のある街だった。
「うわぁ、すごい人!賑やかだね」
私はこの世界の街に初めて来た。転生してからはバルト家に慣れることと勉強で忙しかったので、外に出ようなんて思えなかったからだ。
外に出なくても綺麗なお庭があるし、必要な服や物は揃っている上に美味しい食事も作ってもらえるから家にいて困ることがなかったんだけど。
私がキョロキョロと周りを見渡していると、街中から「キャーーッ!」と黄色い悲鳴が聞こえてきた。
「まあ、ジルヴェスター様よ」
「今日も素敵ね。街に来られるなんて珍しいわ」
「女性と来られるなんて珍しい。どなたかしら!?」
若い女性達から一瞬で注目を浴びている。私は驚いたが、ジルヴェスターは無表情のまま何の反応もしなかった。
うわぁ……確かにこれは大変だわ。毎回出掛ける度にこんな視線や声を向けられたら、女性を嫌いになるのも納得だ。
「行くぞ。ここは煩い」
手を差し出されたので、無視するわけにもいかずエスコートを受ける。スタスタと歩いて行くジルヴェスターに遅れないように必死に早歩きをした。
彼と歩いていると、女性達から嫉妬と羨望の眼差しを向けられるので心地が悪い。
ジルヴェスターは迷うことなくある店の中に入って行った。ここは……靴屋さん?
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
丁寧にお辞儀をする年配の店長さんに「彼女の靴を何足か作りたい。今まで既製品を履かせていたので足を痛めさせてしまった」と淡々と説明をした。
「え?私の靴を作るの?」
てっきり自分の買い物なのかと思っていた私は驚いた。
「そうだ」
それからは足の隅々まで測定され、足を痛めた箇所もチェックをされた。
「なるほど、この部分が靴に当たるんですね。わかりました!ずっと履いていても痛くない世界で一つの靴を作らせていただきますので、任せてください」
店長さんに優しく微笑まれた。オーダーメイドの靴なんて初めてだ。ちょっと嬉しい。
「ジルヴェスター……ありがとう」
「いや、今まで気付かず悪かったな。もっと早く用意してやればよかった」
彼の優しさがなんだか落ち着かない。この前もそうだった。このソワソワした気持ちはなんなのだろうか?
「ダンスの練習用と、外出用……普段履きのもいるな。とりあえず五足くらい作るか」
「ええっ!?い、一足でいいわよ。オーダーメイドって高いんでしょ?」
「は?」
小声でそう伝えると、ジルヴェスターが不機嫌に眉を顰めた。すると店長さんは堪えきれないとばかりに「ははは」と笑い出した。
「いや、すみません。まさか坊ちゃんの懐を心配される御令嬢がいらっしゃるとは」
「……坊ちゃんはよせ」
ジルヴェスターは不機嫌な顔で店長さんをジロリと睨んだ。
「はは、失礼致しました。この店はバルト公爵家から代々ご贔屓にしていただいておりまして、昔からジルヴェスター様を存じ上げているものですからつい言ってしまいました」
「あなたも子どもな時があったのね!」
「……当たり前だろう」
彼は私を見て呆れたようにはあ、とため息をついた。
「あなたって幼い頃から可愛げがなさそうね」
「幼い時は天使と呼ばれていたが?」
「天使なのは顔だけね!中身は悪魔だわ」
「なんだと?」
店長さんは私達のしょうもない小競り合いを嬉しそうに優しい目で見つめて「アンナ様の靴、心を込めて作らせていただきます」と言ってくれた。
私はよくわからないので、結局ジルヴェスターが素材や色を全て決めてくれた。
「靴が出来上がるまでダンスのレッスンは中止だ」
「ええっ!?休んだら忘れちゃう」
「怪我が治ってからにしろ。忘れた分の練習は付き合ってやる。どうせ本番で相手をするのは私だからな」
なんでかわからないが、最近のジルヴェスターはやっぱり優しい。
「お前に足を踏まれたくないからな」
耳元で小声で囁かれた。低めに響くイケボにドキッとしてしまうが、言われたのは悪口だ。
真っ赤に染まった耳に気付かれないように、ギロッと彼を睨み付けた。
「そんな顔で見ても怖くないぞ」
意地の悪い笑顔に腹が立つ。……前言撤回!やっぱり全然優しくない。みんなこの顔に騙されているだけだ。
店長さんから数日かかるが、出来たら届けてくれると言われたのでお礼を言って外に出た。
「帰るぞ」
予想はしていたけれど、やっぱりもう帰るんだ。街をもっと見てみたかったが、ジルヴェスターはいるだけで目立つし騒がれてしまう。
女性嫌いの彼がここにいるのは辛いだろう。今度、ニーナにお願いしてゆっくり街に連れてきてもらった方がいいわね。
その時、美味しそうなケーキや焼き菓子が陳列されているカフェが見えた。
――うわ、可愛いお店。日本にあったら絶対SNSで拡散されてるわね。
私は年頃の女子高生らしく、可愛いものが好きだ。窓からつい中を見つめてしまった。
「……おい、勝手に止まるな」
「あ、ごめん」
少し前を歩いていたジルヴェスターが、後ろを振り返って私を待っていた。この人、私がついて来てるかどうかわかってるんだ。無関心だと思っていてのに。
「入りたいのか?」
そう聞かれて、さっきのカフェのことだと気が付いた。入りたいか、入りたくないかと言えば入りたい。
だけど、女性ばかりで混み合っている店内は彼からしたら地獄だろう。私は左右に首を振った。
「ううん、大丈夫。帰ろう」
ジルヴェスターはジッと私を見つめたが何も言わず「はぐれたら面倒だ。ちゃんと付いて来い」とぶっきらぼうに告げ、私の手を取って馬車まで連れて行ってくれた。