30 沢山の宝物
結婚した翌朝、私はジルヴェスターの腕の中で目覚めた。
「寝てる時までイケメンって……ずるい」
スッと通った高い鼻に、影ができるほど長い睫毛。凛々しい眉毛に柔らかい唇。
朝日に照らされて輝くブロンドの長い髪は、サラサラだ。
「なんでこんなにすべすべなのよ?」
私は毛穴の無い美しい肌をまじまじと見つめ、ツンツンと指で頬を軽くつついた。
「ぎゃあっ!」
いきなり腕を引っ張られて、ぐるんと世界が反転した。いつの間にか私はベッドを背にしている。
「おはよう、アン。朝から積極的だな」
「ジ、ジルヴェスター!起きていたの?」
「そりゃ……愛する妻からのお誘いに応えないなんて男が廃るからな。それにジルヴェスターじゃない。ジルだろ?」
そうだ、そうだった。昨夜、結婚したのだから愛称で呼ぶべきだ!とジルヴェスター……いや、ジルが強く言い張ったのだった。
「さ、さ、誘ってなんかない」
夜でもまだ恥ずかしいのに、朝の明るい内から色っぽい彼を見るのにはまだ慣れていない。
「恥ずかしがらなくていい」
そのまま彼から熱烈なキスの嵐を受けた。流されちゃだめだと思うのに、気持ち良すぎでとろんとしてきてしまう。
「アンは可愛いな」
「……私はこういうことに慣れてないんだから手加減して」
昔から色んな女性にモテてきた彼とは経験値が違う。
私が真っ赤になってそう言うと、ジルは眉を顰めて不思議そうな顔をした。
「私が慣れているわけがないだろう。アンが初めての恋人なのに」
「初めて……?」
まさかそんなことってある?いくら女嫌いと言っても二十五歳の健全な男だ。
それもただの二十五歳ではなく、この国の美女という美女から好意を向けられていた男だ。
「当たり前だろ?私は女全般が大嫌いで、エスコートすら嫌だったのに。アンは知っているだろう?」
「それはそうだけど」
それはそうだけど、まさかお互い初めてだったとは。
「余裕そうに見えたから」
「昔から手先は器用なんだ。それにアンを目の前にしたら、本能的にどう愛したらいいかわかった」
ジルは私の髪を撫でながら、微笑んだ。
「そういうものなの?」
私が驚くと、彼は少し気まずそうにポリポリと頬を指でかいた。
「ん?」
「……嘘だ。本当はデニスに一から十まで聞いた」
ジルは小声でそう呟いた。恥ずかしいのか、口元を腕で隠して視線を逸らした。
完璧そうな彼も、知らないことは親友に聞くしかなかったらしい。
「デニス様に……?ふふっ……そうなんだ」
このクールな男がどんな顔でこんなことを教わったのか。想像すると面白くなってきた。
そういえば彼はデニス様と飲むと深夜遅くまで帰ってこない日があった。その日にまさかこんな話をしていたなんて。
「笑うんじゃない」
彼がムスッとした顔で、私の頭をコツンと軽く叩いた。
「でもアンが私の初めてで良かった。今までは愛する人と抱き合うことが、こんなに気持ち良くて幸せなのだと知らなかった」
「私も貴方が初めてで良かった……です」
「愛してる」
女性嫌いの冷徹なジルが、まさかこんなに私を溺愛するようになるなんて。初めて出逢った時には到底思えなかった。
私は命を守るための契約結婚。
彼は女避けのための契約結婚。
全く愛のない結婚の予定だったのに、私達は本当の愛を知って心から結ばれた。
「アンがここに来てくれて、私は孤独ではなくなったんだ。本当に感謝してる。これからも君を傷付ける全てのものから私が守る」
そう言ってくれて嬉しかった。でも、私は守ってもらうばかりでは嫌だ。
「ありがとう。なら、私も貴方を守るわ。一人で頑張りすぎないで。私が傍にいることを忘れないで」
「……アン」
「私達二人ならどんなことでも乗り越えられる」
「ああ、そうだな。アン、私と出逢ってくれてありがとう」
ジルは目を細めて、嬉しそうに微笑んだ。その顔が今まで見た彼の中で一番美しい顔だった。
♢♢♢
「こら!シュバルツを追いかけ回さない!!あなた達のせいで疲れてしまってるじゃないの」
「だってお母様!シュバルツったら足が早いんだよ!」
「そうなの!二人がかりじゃないと捕まえられないのよ」
私にそっくりの八歳の息子アルフォンスとジルにそっくりな六歳の娘ユリアーナが、私に必死に言い訳をしている。
「もう!シュバルツおいで。いつもごめんね」
「ワフッ……」
力なくヘロヘロと私の傍に寄って来たシュバルツを、よしよしと撫でて回復させる。
私の聖獣の回復能力はいまだに健在だ。陛下は異世界人の私に『聖獣の治癒士』というこの国唯一の肩書きを作り、この国でジルに相応しい立場にしてくださった。
なので私は定期的に王宮に行き、疲れた聖獣を癒す役を担っている。
そしてもちろん、週に何度かは騎士団にも顔を出しジルや他のみんなの書類仕事が捗るようにお手伝いをしている。
――だってジルに早く帰って来て欲しいから。
やっていることは彼のためのようであって、実は私のためだ。
公爵家の妻としてはかなり破天荒な感じだが、ジルに『そのままでいい』と言ってもらえた。
私に対する甘い態度を見て、優しくなった彼に近付いて側室の座を虎視眈々と狙う御令嬢方は後を絶たなかったが……ジルは私以外の女性には相変わらず冷徹なままだった。
近付きたくても碌に話すこともできないので、今はもうそんなことを企む御令嬢はいなくなった。
この悪戯っ子な子ども達はジルの遺伝で魔力持ちだ。しかもなかなか強力で、シュバルツの追いかけっこも魔力を駆使したものだ。
ただの遊びならシュバルツがこんなに疲れるはずがない。
「あーっ!シュバルツばっかりずるい!!」
シュバルツを撫でていると、ほぼ二人同時に子ども達が騒ぎ出した。
「僕もお膝の上に乗りたい」
「私もお母様に撫でて欲しいわ」
子ども達もシュバルツも私にまとわりついている。
「奥様は相変わらず大人気ですね」
使用人達はくすくす、と笑いながらその様子を見つめていた。
「悪いがアンは私の物だ」
背後からいきなり声がしたと思ったら、アルフォンスとユリアーナがぽいぽいっと私から優しく引き離された。
「シュバルツ、留守を守ってくれて感謝する。裏でゆっくり休んでくれ」
戻れと言った瞬間、シュバルツはしゅっと姿を消した。
「ジル!お帰りなさい」
「アン、ただいま。逢いたかった」
陛下に付いて一週間の遠征に行っていた彼は、私の唇にちゅっとキスをして強く抱き締めた。
そして、子ども達の頬にもキスをした。
「お父様、お帰りなさい!」
二人は嬉しそうにそう言った後、すぐにむっと不機嫌さを滲ませた。
「お父様はお母様を独占してずるい」
「私達のお母様よ」
彼はそう言った二人の頭をぐりぐりと撫で、フッと笑った。
「馬鹿を言うな。アンはお前達の親の前に私の妻だ。お前達もそのうち一番大事な人に巡り会える」
大人気ないジルは私をひょいと抱えて「アルフォンス、ユリアーナ!明日は私と一日中遊ぶぞ。だから今日は体力を残しておきなさい」と言って部屋の中に入っていく。
「お父様本当に!?遊んでくれるの!?」
「お父様一日中お休みなのっ!!」
二人の大興奮した声が聞こえてくるのを笑いながらスルーして、ラルフとニーナに「子ども達を頼む」とお願いした。
ジルは毎日とても忙しいが、二人の子をとても可愛がってくれている。
しかし……それ以上に何年経っても私を恥ずかしいくらい可愛がってくれている。
ジルは一直線に寝室に向かい、優しく私をベッドに下ろした。
「もう、強引ね」
「そりゃ強引にもなるさ。一週間分アンが足りないからな」
三十歳半ばになって、より一層魅力的な男性になったジルはどんどん色気が増えている気がして困る。
ちなみに、肉体美もキープ……いや、進化している。私にいつまでも惚れていて欲しい、と彼は普段の訓練とは別に筋トレを続けてくれているらしい。
「もう一人いてもいいな」
「え?」
「宝物はどれだけ増えてもいいだろ?私は仕事から帰って来た時に、賑やかなのが嬉しいんだ」
ジルは私と結婚するまでは一人孤独に生きてきた。この広い屋敷に家族が一人もいない寂しさは、私には想像もできない程辛いものだっただろう。
――彼に温かい家族を作ってあげたい。
すでに賑やかすぎる我が家だが、もっと騒がしくても良いかもしれない。ここには助けてくれる頼れる使用人達もたくさんいるのだから。
「アン、愛してる」
結局彼はこの日一日中私を離してくれず、会えなかった一週間を取り戻すようにひたすら愛された。
次の日……私は起き上がれず、庭でジルと楽しそうに遊ぶ子ども達を部屋から眺めるだけになってしまった。
騎士というのは体力お化けだわ。ほとんど寝ていないはずなのに、なんであんなに元気で艶々しているのかわからない。
「お母様ーっ!!」
下から私を呼ぶ声が聞こえてきて、私は窓を開けて手を振った。ジルも私を見つけ、嬉しそうに手をあげている。
ああ、幸せだな。とても平凡で平和な時間だが、こんな日がずっと続いて欲しいと思う。
私はもう少し体力が回復したら、彼や子ども達の大好きな『カツサンド』を作ろう……なんて考えていた。
何度も若くして命を落としていた『過去の私』はもういない。愛する最強の旦那様が救ってくれたのだから。
それからしばらくして……私が妊娠していることがわかった。私達にまた宝物が増える。
私は殺されたくない一心で、好みじゃない冷徹イケメン騎士と結婚することに決めた。
出逢った頃はまさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。
嫌いだった相手が最愛の人になるなんて。人生は何が起きるかわからないから面白い。
「アン、ありがとう」
彼に子どもができたことを報告すると、目を潤ませて心から喜んでくれた。
「私も嬉しいわ」
バルト公爵家はどんどんと人数が増え、最終的には五人の子どもができた。
陛下には『仲が良すぎだろ』と言われ、私は恥ずかしい思いをしたがジルは『愛していますから』と当たり前のように答えていた。
パチーニャ王国一強い騎士のジルヴェスターが負けるのは、妻のアンナだけ。
そんな噂が世間に出回るくらい、彼は結婚して何年経っても愛妻家だった。
つまりは、私がこの国一強いらしい。
「あながち間違いではない」
なんてジルが笑うので、私は彼の腕をぎゅっと軽くつねった。
「痛い、痛い。やはりアンが最強だ」
嬉しそうに大袈裟に痛がるそぶりを見せながら、彼は微笑むので私はじろっと睨んだ。
「怒った顔も可愛い」
「……馬鹿」
「私は一生アンには勝てない。悔しいが、恋愛は惚れた方が負けらしいからな」
そんなことを言っている彼を見ながら、それならばジルに惚れている私も負けだと思ったが……心の中にその台詞を留めた。
END
最後までお読みいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけた方は、評価していただけると嬉しいです★★★★★




