25 初恋
「アンナ、おはよう」
「……おはよう」
一睡もできぬまま迎えた朝。モーニングを食べるためにリビングへ行くと、爽やかに笑うジルヴェスターがすでに座っていた。
「体調はどうだ?」
「問題ないわ。元気よ」
「そうか。でも念のため後で医者に診てもらおう。君に何かあったら困る」
ジルヴェスターはいつからこんなに心配性になったのだろう。私は素直に「わかった」と頷いた。
ぐぅー……
昨日はスープしか飲んでいないので、私のお腹が鳴り出した。しかもジルヴェスターとバッチリ目が合っている。
――き、聞かれた!
あまりに恥ずかしくて、私は真っ赤になってお腹を押さえて下を向いた。
「……可愛いな」
ジルヴェスターはポツリとそう呟いた。聞き間違い……じゃないよね。私はさらに真っ赤になって、ガバリと顔を上げると彼は美しくニッコリと微笑んでいた。
「さあ、早く食べよう。アンナが起きたと知って、シェフ達が張り切って作っていた」
「……う、うん」
さっきの発言など何でもない事のように、彼は優雅に食べ始めた。私も最初こそ気にしていたものの、気を取り直して目の前の美味しそうなご飯に集中することにした。
「んー、美味しい。幸せ」
フカフカのパンに、カリカリのベーコン。とろっとろのスクランブルエッグに色とりどりの野菜のサラダ。かぼちゃのスープも濃厚で……紅茶も香り高くていい香り。
視線を感じて顔を上げると、ジルヴェスターは食事の手を止めて私をジッと見つめていた。
――やばい。私、マナー間違えた?
毎日の訓練の甲斐あって、最近は自然と身についたテーブルマナー。しっかりできているつもりだったが、何か変だっただろうか。ついパン頬張りすぎたかな……?
「アンナは本当に美味しそうに食べるな」
「だって……美味しいもの」
「それに、いつの間にかとても綺麗な所作になった。もの凄く努力してくれたんだな」
素直に褒められて、私は出逢ったばかりの彼にテーブルマナーができていないと嫌味を言われたことを思い出しくすりと笑った。
「あなたには『……十点だ。もちろん百点満点中のな』って嫌味言われたからね。悔しくて死ぬ程練習したわ」
十点だ、はジルヴェスターの冷たい声色をわざと真似てみせた。すると彼は気まずそうな顔をして、額に手を当て天を仰いだ。
「……私は最低だな」
「そうそう!あの当時のあなたは最低だったわ」
わざと冗談っぽくケラケラと笑って、揶揄ったが……彼から反撃の言葉はなかった。きっと「君のマナーが酷いから、事実を言ったまでだ」とかなんとか言われると思っていたのに拍子抜けだ。
「すまなかった」
「あ、謝らないでよ!調子……狂うじゃない……」
「アンナ、今更遅いかもしれないが色々やり直させてくれないか?」
やり直すって何をだろうか。意味がわからずキョトンとしたまま首を傾げた。彼はそんな私の目の前まで来て片膝をつき、手の甲にキスをした。
「私と結婚して欲しい。契約ではなく……本物の妻として」
「ほ、本物の妻?」
私は彼の言葉に驚いて目を見開いた。本物の妻って……それってまさか。
「離れてみてやっと気が付いた。アンナがいないと毎日がとてもつまらないんだ。食事も君がいないと味気ない。同じものを食べても、君がいたらなぜか美味しく感じる」
ジルヴェスターは眉を下げて、穏やかに笑った。
「こんな気持ちは生まれて初めてなんだ。これが恋なんだと気が付いた」
「ジルヴェスター……」
「私はアンナを愛している」
目を見開いたまま私は何も言えなかった。ジルヴェスターが……私を愛してる?まさかそんなことを言ってもらえるとは思っていなかった。
「もっと素敵な場所で言うべきだとわかっているが、アンナと久しぶりに一緒に食事をしたらなんだか気持ちが溢れて来てしまった。君が好きだ」
彼の深いブルーの瞳が真っ直ぐに私を見つめている。窓から光が差してとても綺麗だ。
「駄目だろうか?」
震える声を出し不安気に私を見上げる彼が、なんだか可愛らしく思えた。
「駄目じゃない……けど」
「アンナ」
「私もジルヴェスターのことが……す、好き……です」
自覚したばかりの恋心をそのまま彼に伝えたが、生まれて初めての告白に緊張して吃ってしまった。しかし、ジルヴェスターはそんなことまるで気にも止めていないように私を強く抱き締めた。
「本当か?」
私は彼の胸の中でこくん、と頷いた。するとジルヴェスターは少しだけ身体を離して嬉しそうに笑った。
「ああ、なんて幸せな日だ」
彼の顔が近付いて来て、私の頬を大きな手が包み込んだ。
「アンナ、愛してる」
唇がピッタリと重なり、彼と私の距離は無くなった。ちゃんとしたキスをするのは初めてのはずなのに、何故かジルヴェスターとそうするのがとても自然なことに思えた。
初めは軽く触れるだけ……そして二回目は少しだけ長く、三回目は角度を変えて深く口付けをされた。彼からは大人の色気が出ていて、私は頭がくらくらした。
最後のキスは、恋愛初心者の私には完全にキャパオーバー。息ができないし、苦しくて恥ずかしくてギュッと彼のシャツを握りしめた。
――食べられちゃいそう。
胸がドキドキしすぎて、おかしくなってしまいそうだ。もうやめてくれると思ったのに私がシャツを握ったのをどう勘違いしたのか、彼はさらにわたしの腰を抱き寄せた。
「可愛い」
「……っ!」
蕩けるような熱っぽい表情でこちらを見つめ、声にならない声をあげた私をくすりと笑った後……逃さないと言わんばかりにまた唇に深く吸い付いた。ジルヴェスターはまだまだ離してくれる気がないらしい。
「んっ……」
あまりの激しい刺激に耐えきれず、目が潤んでくる。もう限界だ……と思ったその時……。
「旦那様、そういうことは二人きりの場所でしてくださいませ」
ふう、とため息をついたニーナの声が聞こえてきて私は我に返り……思い切りジルヴェスターを突き飛ばした。
「きゃあ!」
「痛っ……!」
「邪魔をして申し訳ありませんが私達にも仕事の段取りがありますから、いい加減お皿下げさせてくださいませ。それに旦那様……このような場所でそのような事をするのは、アンナ様にも失礼ですよ」
――そうだった。ここはリビングだった!!
その事実に気が付くと、ここで何をしていたのかと死ぬ程恥ずかしくなった。
沢山の使用人達にしっかりとキスシーンを見られていたはずだ。てゆーか……今までみんな見てみぬふりしてくれてたということ!?
「ジルヴェスターの馬鹿っ!」
「え?」
十八歳の恋愛初心者の女子高生にこれは耐えきれない。私は恥ずかし過ぎて、そのまま部屋に閉じこもった。自分だって雰囲気に流されて夢中になってしまったので非があるとわかっているが……八つ当たりしないと心が保てないくらい動揺していた。
「アンナ、すまなかった。つい……その……嬉しくなってやり過ぎた」
「ゔうっ」
「悪かった。謝るから扉を開けてくれ」
ドンドンドンと強く扉を叩き続ける彼に根負けし、鍵を開けた。
「アンナっ!」
ジルヴェスターは俯く私を抱き締めて、甘えるように頬をすりすりと擦り付けた。
「あんな場所でキスをしてすまなかった」
「は、恥ずかしい」
「これからは誰も居ないところでしかしないと約束する」
「しばらくキスは禁……」
禁止だ、と言いかけた口を塞ぐように彼にちゅっとキスをされた。
「……っ!?」
何故このタイミングで!?この男は全然反省していないようだ。
「人前ではしない。だが二人きりの時は遠慮するつもりはない」
彼は私の唇を長い指でそっとなぞり、色っぽく微笑んだ。
「愛してる」
そのままソファーに優しく押し倒されて、唇が腫れてしまうのではないかという程キスを繰り返した。
「んっ……ふっ……」
どうしてジルヴェスターのキスはこんなに熱くて気持ちがいいのだろうか。他の人を知らないので、比べることはできないけれど。
ちゅっちゅと部屋に響く音を聞きながら、いつの間にか私も彼のキスに応えられているらしい……と安心した。
「ずっと一緒にいて欲しい」
結局私達は暗くなるまで二人っきりで過ごし、部屋から一歩も出る事はなかった。
私達は夜になってやっと部屋から出た。余裕でいつも通りな表情のジルヴェスターの隣で、恥ずかしくて俯く私を使用人のみんなは優しい目で見つめてくれた。
そしてディナーはお祝いだ!と使用人達も交えて大宴会が開かれることになった。
「旦那様が素直になってくださってよかった」
「アンナ様、本当にありがとうございます!これでバルト家も安泰です」
「だいたい好きなのに、気付くのが遅いんですよね」
今夜は無礼講だとばかりに皆が口々に文句を言っているがジルヴェスターは少し気まずそうな顔で黙って聞いている。
「旦那様、アンナ様!おめでとうございます!!」
最後にケーキが出てきて……みんな嬉しそうに笑い、パチパチと拍手を送ってくれた。
「ありがとう。これも皆のおかげだ。これからも私とアンナを支えて欲しい」
ジルヴェスターがそう伝えると、わーわーと喜びの声と共にうっうっと感動して泣き出す者も出てきた。
「私達、幸せだね」
「ああ」
その日は夜が明けるまでバルト公爵家の灯りが消える事はなかった。
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