21 誘拐
「ずっとずっと逢いたかったです」
なんでここに私が居るのがわかったの?それよりいつの間に来た?後ろには護衛以外は居なかったはずだ。
「ケント……様……」
バルト公爵家の護衛達が彼の後ろで倒れているのが見えた。僅かに動いているので、死んでいないことはわかる。
私は恐ろしくて血の気が引いたが、なるべくなんでもない風を取り繕った。
「でも困りますね。勝手なことをされては」
ケントは私に近付き、そっと頬を撫でた。その手を払い除けたいのに、身体が上手く動かない。
「二人が揃うと面倒だから、せっかく邪魔なアイツを遠ざけたのに。でもまあいい。あの男はもう田舎の伯爵家の養子になったんだ。今更戻ってくるはずもないでしょうからね」
ケントはくっくっく、と笑っている。邪魔なアイツを遠ざけた……?まさか、デニス様のこと?この男の仕業だったということ!?
「あなたが仕組んだの!?」
ギロリとケントを睨みつけたが、彼はニコリと微笑んでいる。
「ああ、アンナは怒った顔も美しいですね」
この男は相変わらず頭がおかしい。私が怒っていても、頬を染めてうっとりとこちらを見つめている。
「でも仕組んだなんて人聞きが悪いです。僕はパトリツィアに言っただけですよ……『ジルヴェスター様はあなたに気があるようですよ』ってね」
「……最低っ!デニス様からの手紙が届かなかったのもあんたの仕業ね!!」
「あの男も馬鹿ですよね。届かない手紙を書き続けて。許してくれって何度も書いてあるから、僕笑っちゃいましたよ」
私はケントの頬を思いっきり平手打ちをした。人生で初めて人を叩いたので、手のひらがジンジンと痛い。
「痛いな……でもまあ、あなたがくれる痛みならこれも快感ですけどね」
「……っ!」
彼は自分の頬を嬉しそうに撫でながら、そんな気持ち悪い発言をした。
「ガルル……ッ!」
シュバルツは私のそばに寄り添いながら牙を剥き出しにして、威嚇を続けている。
「邪魔だ。アンナは僕のものです」
急にケントの目が赤く染まり「ドゥンケル」と何かを呼びかけた。
「吠えるしかない能のない狼を始末しろ」
そう言った途端に真っ白な大きな蛇が目の前に現れた。これは……聖獣!?ケントにはカラスのナハトがいるはずだ。まさか彼は二匹も仕えさせているというの?
「ガウッ……!」
シュバルツは噛みつこうと襲いかかるが、ドゥンケルはシュルシュルと上手く逃げ回っている。そしてシュバルツに器用に絡みつき身体を締め上げ始めた。
「グルッ……ウゥ……」
シュバルツは暴れ回っているが、段々と苦しげな鳴き声に変わっている。
「やめて……もうこんな酷いこともうやめて!!」
きっと私が触れたらシュバルツは力が回復するはずだ。シュバルツの方に駆け寄ろうとした時、後ろからケントに強く引っ張られた。
「こいつがいたら都合が悪いんですよ。優しいアンナは見るのが辛いだろうから……おやすみなさい」
トン、と首を強く叩かれ目の前がぐにゃぐにゃに歪んだ。
「……っ!」
――気持ちが悪い。吐きそうだ。
私は床に倒れる寸前にケントにぎゅっと抱き止められた。
「アンナ……愛しています」
「やっと僕だけのもの」
「永遠に一緒にいましょうね」
倒れたら駄目だ……そう思うのに私は完全に気を失った。
ジルヴェスター、助けて……。
♢♢♢
目を覚ますとそこは真っ暗だった。ガタガタと揺れているので、何かに乗せられて移動していることだけはわかる。これは馬車……だろうか?
口には猿轡をされているので、叫ぶことはできない。足も手も拘束されている。しっかりと結ばれた縄は私の力では切れそうにない。
なんか……海の香りがする。そういえばザーザーと波のような音も聞こえる気がする。
――まさか、パチーニャ王国を出るつもり!?
これから船に乗せられる可能性が出てきた。さすがにこのまま国を出るようなことがあれば、二度と見つけてもらえない気がする。
――ジルヴェスターは仲直りできたかな?
こんな自分がピンチの場面なのに、考えるのは彼のことばかりなのが不思議だった。彼がどうなったかを見届けることなく、死ぬのは嫌だ。それにいくら好きでもない仮初の婚約者とはいえ、私が死んでしまえば彼はまた自分を責めてしまうだろう。
どんなに口が悪くても、彼は本当は優しい人間なのだから。
――絶対死ねない。なにか……考えなければ。
私は体当たりして、ドンドンと壁に身体を打ちつけた。痛いがそんなことを言っている場合ではない。
しばらくすると揺れが止まり、急に扉が開いた。外も暗いが、ケントは小さなランプを持っていた。その僅かな光さえ眩しく感じる。
「アンナ、身体を打ちつけたら綺麗な肌が傷つくから駄目ですよ」
ケントは心配そうな顔をしながら、ぶつかった反動で床に倒れた私をそっと抱き起こした。
「もう少しだけ待ってくださいね。海に出たら、素敵な部屋で一緒に過ごせますから」
やっぱり船に乗せる気なんだ!?それに一緒の部屋だなんて冗談じゃない。どうにかして時間稼ぎをしないと。
「んーっ、んーっ……!」
「アンナ、苦しいんですか?可哀想に。外して差し上げましょう。でもわかっていますね?もし騒いだら命の保証はしません。僕はあなたが傍にいるなら、最悪生きてなくてもいいんですから」
彼は満面の笑みでそんな恐ろしい発言をしながら、口の拘束を解いてくれた。ここは従順な振りをすべきだろう。叫べば命はない。
「喉が……こほっ……こほ。乾いて……苦し……」
私はわざと咳き込み涙を浮かべた。するとケントは慌てて水を持ってきてくれた。
「ほら、水ですよ。ゆっくり飲んでください」
「あり……がとうござ……ます」
私はこくこく、と差し出された水をゆっくり飲んだ。変な味はしないので、薬などおかしな物は入ってなさそうだ。
「ちゃんと飲めましたね。もし飲めなかったら口移しで飲ませてあげようと思っていたのに……ふふ」
水で濡れた私の唇を彼は丁寧にハンカチで拭いながら、そんなとんでもない発言をした。私のファーストキスをこんな男に奪われてたまるものか!
「わ、私……一度も口付けをしたことないんです。だから初めてのキスはとてもロマンチックなものに憧れているの」
私は恥ずかしそうに目を伏せて、わざとソワソワしながらそう伝えた。今の私は女優だ!と心の中で言い聞かせて、必死に演技を続ける。
「ああ、なんて清らかで美しいのか……」
ケントはうっとりと私を見つめた後、ガバリと強く抱きしめた。
「やはり僕の妻はアンナしかいません。身も心も穢れがなくて魔力も申し分ないですから」
ケントが私の頬や髪にちゅっちゅとキスをするのが気持ちが悪く、ゾッと背筋が凍るがここは我慢だ。跳ね除ければ命はないかもしれないのだから。
「あの忌まわしい男に、君の初めてを奪われなくて良かった」
彼はご機嫌なまま何度も私の唇を指でなぞっている。
「僕が最高のファーストキスをしてあげるからね」
色っぽくパチンとウィンクをされた。ゔっ……ケントは相変わらず勘違い気障野郎だわ。
「た……たのしみにして……ます……」
笑顔は引き攣りまくっているが、なんとかそう言う事ができた。これで貞操の危機はなんとか免れた。しかし一時的なので……またすぐピンチだけれど。
「あんな揺さぶりで、アンナをすぐ手放すなんてあいつは本当に馬鹿な男だ。婚約破棄してくれて良かった。これで名実共に君は僕だけのものです」
どうして私達が婚約破棄すると知っているの?それを知っているのはジルヴェスター、バルト家の使用人……そしてデニス様達だけだ。
「婚約破棄のこと……どうしてご存知で?」
「ああ。僕のナハトが全て教えてくれたんですよ。アンナがデニスに話していたでしょう?ジルヴェスターに婚約破棄されたと」
「……え?」
「ナハトと僕は感覚を共有できるんです。ナハトが見たもの、聞いたものは僕も見える。便利でしょう?」
なるほど。その力を使って彼は色んな情報を手に入れていたのか。
「この国はもう終わりです。そうなれば僕が新しい王になって、君は王妃になれる。ふふ、楽しみですね」
なんですって!?ケントが新しい王とはどういう意味なのか。
「今頃、陛下は死んでるでしょう。きっと忌々しいジルヴェスターもね」
そんなこと……信じられない。一体王宮で今何が起こっているというの?ニヤリと笑ったケントの顔が不気味すぎて、私はガタガタと身体が震えて止まらなかった。




