2 恐ろしい男
「私は大石杏奈……に、日本の女子高生デス」
私は緊張から片言になってしまったが、この状況で声が出ただけでも褒めて欲しいものだ。
「オーイシアンナ?変な名だな。ニホンという国も知らぬ……異国人が何の目的でこの国へ来た?」
人の名前を変だなんて失礼にも程がある。だけど今はそんなことを言っている場合ではない。
「目が覚めて気が付いたらここにいました」
「嘘をつくならもう少しまともな嘘をつけ」
剣をさらにグッと押し込まれて「ひぃっ」と小さな悲鳴をあげた。
「う、嘘じゃありません!本当です」
恐ろしい男は私をじっと睨みつけた後、持っていた剣を離してくれた。はぁ、よかった。
「不審な点は多いが……偽りの目ではないな」
剣を納めて私の正面に回って来た恐ろしい男は、中世ヨーロッパの騎士のような格好をしていた。そして驚くほど綺麗な顔をしている。程よく引き締まった身体にサラサラの長いブロンド髪。深い海のような濃いブルーの瞳。
日本にいたら絶対にキャーキャーと騒がれるレベルの男前だ。だけど私の胸は全くキュンとしない。
――これ、コスプレじゃないわよね?
さっきの黒いワンコは男の近くで大人しくしていた。どうやらこの男の飼い犬らしい。
「シュバルツをどうやって服従させた?」
「シュバルツ?」
私が首を傾げるとあのワンコが「ワフッ!」と鳴き声をあげた。
「あなたシュバルツって言うのね。格好良い名前だね」
私がしゃがんでそう言うと、シュバルツは私の胸に飛びついてぶんぶんと嬉しそうに尻尾を振っている。
「……それはどういう能力だ」
「能力って大袈裟ね。ただ犬に好かれてるだけでしょう?」
「シュバルツが犬だと?ふざけるな。どこからどう見ても狼の聖獣だろう」
「あなた狼なの!?ごめんね、犬として扱ってた」
「ウオーンッ!」
シュバルツを撫でると立派な遠吠えを聞かせてくれた。おお、迫力がある……狼だからか。それにしても一体せいじゅーとは何だろうか?
「せいじゅーって何?私はシュバルツが走ってきたから止めただけ」
「……聖獣を知らずに手懐けたのか?何者だお前」
「だからただの女子高生だってば」
「ジョシコウセーとはなんだ?」
どうしよう……お互いの話が通じなさすぎて困る。本当に私は転生してしまったみたいだ。
「学生ってこと」
「学生?お前はまだ未成年なのか」
「今年成人する年齢だわ」
日本では十八歳から成人になる。私はまだ高校生で、大人の感覚はまだないので全然実感はないけれど。
「……まあ、いい。取調べは後だ。存在が怪しい以上このまま放置するわけにはいかない」
男はチッ、と面倒くさそうに舌打ちをした。この男が女神の言う『強い男』なのだろうか?それならば最悪だ。こんな性悪そうなイケメンではなく、私好みのガタイの良い心優しい男性のところに何故転生させてくれなかったのだろう。
「変な動きをしたら即殺す。私は女だって容赦しないことを覚えておけ」
私はそれを聞いて、ひいっ……と小さな悲鳴をあげて青ざめた。うわ、これは本気の目だ。怖すぎる。
「それにしても……そのはしたない服はどうにかならんのか」
目の前の男はチラリと私を見て、心底嫌そうに大きなため息をついた。
「はしたない服?」
私は今高校の制服を着ている。スカートは膝上だが、別に至って普通の格好だ。
「これは女子高生はみんな着ている学校指定の制服よ!どこがはしたないのよ」
「……女が外で素足を出すなどあり得ない。そんなものを無理矢理見せられて不愉快だ。隠しておけ」
男はマントを脱いで、私に投げつけた。ぴちぴちの女子高生の生足を……不愉快ですって!?無理矢理見せるなですって!?
「これは私の国の服よ!文化の違いでしょ?」
「文化の違いを否定するつもりはないが、この国に来た以上はこの国のルールに従うのが当たり前だと思うが?」
ゔっ、男の言うことは正論なのでなにも言えなくなった。
「それは……そうかもしれないけど」
「男に襲われてもいいなら勝手にしろ」
ギロっと睨みつけられて、私は大人しくマントを身体に巻きつけた。今の私はてるてる坊主みたいな格好になっている。この上なくダサい……。まあ、知り合いもいないので別にいいけれど。
「行くぞ」
男は米俵を持つように肩に私を担いだ。いきなりのことで驚いて「ぎゃあ!」と声をあげてしまった。
「ちょっと!変なところ触らないでよ」
太ももの辺りを乱暴に持たれて、恥ずかしい。それにマントがなかったら絶対にパンツ見えてるわよ!
「……黙っていろ。舌を噛むぞ」
不機嫌な声の後に「シュバルツ!」と叫んだ途端に、みるみるうちに大きくなった。
――信じられない。
私が驚いてポカンとしていると、男は私を担いだまま大きくなったシュバルツの背中に乗り……そしてそのまま猛スピードで走り出した。
――怖い怖い怖い怖いっ!
なにこれ。めちゃくちゃ怖いではないか。あまりのスピードに私は必死に背中にしがみついた。
「着いたぞ」
城のような大きな家の門の前でポイっと雑に降ろされたが、あまりの怖さに私はへなへなと地面にしゃがみ込んでしまった。
「こ、腰が抜けて動けないわ。こ、怖かった……」
「お前は手がかかるな」
男は大きなため息をついて、とても嫌そうに私をまた肩に担ぎ上げた。迷惑をかけている身なので文句は言えないが、もう少しましな持ち方があるでしょうが!一応女の子なんですけど!!
玄関の扉が開いた瞬間、メイド達が一斉に「おかえりなさいませ、旦那様」と頭を下げた。
――うわ、この人って本物のお金持ちだ。
私は沢山の人にこの姿を見られて、死ぬほど恥ずかしい。
「おかえりなさいませ」
穏やかで優しそうな執事服を着た男性が近づいて来て、ゆっくりと頭を下げた。
「ああ、帰った」
「……旦那様、こちらのお美しい御令嬢はどなたでいらっしゃいますか?」
「美しい?それはこいつのことか?」
男は眉を顰めて後ろを向き、担いでいる私の顔をチラリと見た。こいつは本当に失礼な男だ。私はあっかんベーっと舌を出して威嚇をした。
「……これのどこが美しいんだ。品性のカケラもない」
真顔で淡々とそう言われて、私はさらに腹が立ってきた。誰が品性のカケラもないですって!?
「くっくっ……いや、失礼致しました。旦那様にこのような態度を取られる女性がこの世にいらっしゃることが意外で、少々驚いてしまいました」
執事は一瞬だけ堪えきれないというように小さな笑い声をあげたが、すぐに表情を引き締め直した。
「確かに変わった女ではあるな。こいつはアンナだ。森の中で拾った。色々と話を聞きたいことがあるが……とりあえず着替えさせてくれ。母上のが合わなければ、街で取り寄せろ」
「かしこまりました。アンナ様、私は旦那様の専属執事のラルフと申します。よろしくお願い致します」
「ど、どうも。初めましてラルフさん、私は大石杏奈です。こんなところからすみません……」
私は担がれたまま恭しく頭を下げる執事に挨拶をする羽目になった。
「私は使用人ですから、敬称は不要です。ラルフとお呼びください」
それから客間に連れて行かれ、ソファーに雑に下ろされた。男は「着替えたらリビングに来い」と言い、そのまま部屋を出て行った。
「私、侍女のニーナと申します。旦那様が女性をお連れになるなんて初めてのことで、大変嬉しゅうございますわ」
ニーナさんはお母さんくらいの年齢で、何故かニコニコととっても嬉しそうにしている。
「……大石杏奈です」
「アンナ様、よろしくお願い致します。着ておられたお洋服は洗濯しておきますので、脱いでくださいませ。お外に出られていたので、着替える前にお風呂に入りましょう」
あっという間に浴室に連れて行かれて「一人で入れる」と言い張ったが「私の仕事ですから」と笑顔で押し切られて頭の先から爪先までピカピカに洗われた。
「きゃあ!は、恥ずかしいですから大丈夫です」
「うふふ、アンナ様はお美しいですから何も恥ずかしいことなどございませんわ」
抵抗虚しく、今日初めて会ったニーナに自分の全てを見られてしまった。私は恥ずかしくて身体中真っ赤に染まっていた。
「綺麗なお髪ですわね。こんなに美しい青みがかった見事な黒髪は初めて見ます」
「私の国では黒は当たり前の色よ」
「まあ、ご謙遜を」
謙遜ではなく本当のことだ。日本人の大半は黒髪なのだから。私の癖のない真っ直ぐな髪も特に珍しいものでもない。
それからお化粧をされ髪をセットされた。せっかくお風呂に入ったのにお化粧するなんて変じゃない?家の中なんてスッピンでいいでしょう。
しかしその後がまた地獄で……ニーナさんにギリギリとコルセットを締められて、私は潰れたような変な声を出した。
「ぐぇっ、く……苦しいです!」
「アンナ様、美しさは我慢ですわ。このコルセットはまだ楽なものです」
なんで私がこんな苦しい思いをして、美しくならねばならないのか?
「大奥様のドレスはピッタリでしたね。よくお似合いですわ」
ニーナさんが姿見の前に私を連れて行ってくれた。豪華な細身のドレスを身に纏った私は、まるで別人のようだった。
化粧をした顔は大人びており、コルセットのおかげで身体のメリハリが出てスタイルも良く見える。苦しいけど、苦しいけど、苦しいけど!!つい三回言ってしまうほどには苦しいが、美しさという点においては効果的みたいだ。
「化けたわね。ニーナさんのおかげだわ」
「アンナ様の元が良いのですわ。私もラルフと同じで使用人ですから、ニーナと呼び捨てでお呼びくださいませ」
「じゃあ私のこともアンナって呼んでください」
そう伝えると、ニーナは少し驚いたような顔をして静かに首を振った。
「旦那様の大切なお客様を呼び捨てになんてできませんわ」
「大丈夫よ、あの男は全然私のことを大切になんて思っていないから」
そう伝えると、ニーナは「そんなことはございません」と微笑んだ。いやいや、そんなことあるから。
とりあえず、着替えたのでリビングに行くともうあの男はその場にいた。
「……少しはまともな姿になったな」
そう言った男は私に近付いてきて、頬に手を当てキスができてしまうくらいに顔をぐっと寄せた。
「こっちを見ろ」
この行為になんの意味があるというのだろうか?あまりに整った顔が近くにあるのは、なんだかそわそわしてしまう。綺麗な瞳は吸い込まれそうなほど美しいし、白い肌は毛穴なんてないくらいつるつるだ。顔の作りならそのへんの女性よりもよっぽど美しい。
「いい加減、もう離してよ!」
私は男の胸をドンっと押して、無理矢理距離を取った。
「お前、いいな」
突き飛ばした私を見て、男は何か企んでいるようにニッと怪しく口角をあげた。