17 脅しの手紙
「ジルが親友の婚約者を奪った?」
女嫌いの彼がそんなことをするだろうか?しかし……もしかしたらそのことが原因で、今まで結婚しなかった可能性もあるかもしれない。
この手紙をわざわざ私に送ってきた意図は何なのだろうか。ジルへの嫌がらせ?バルト家ではなく騎士団宛の手紙に紛れさせる辺りに悪意を感じる。
バルト家の手紙は基本的に執事のラルフが検閲してから、ジルに渡される。そもそも差出人のない手紙など開けることすらないかもしれない。
「気にしないでおこう」
私は手紙を机の中に隠した。破って捨てようかと思ったが、何かの証拠になる可能性があるかもと思いやめた。
しかし、その翌日も翌々日も同じような手紙が机に置かれていた。
『ジルヴェスターの婚約者も同罪だ』
『死にたくなければ今すぐバルト家を離れろ』
これは誰かに相談すべきだろうか?しかし、悪戯かもしれないのに心配をかけるのもよくないだろう。それに私には、行きも帰りもバルト家の護衛が付いてくれている。危険が及ぶ可能性は低い。
ジルが帰ってきたら……とりあえず報告をしてみよう。
「アンナ様、すみません。入口付近で小火騒ぎがあったらしくて……馬車を裏口に回してまいります」
「ええ、わかったわ。いつもありがとう」
護衛達にお礼を言って一瞬だけ一人になった瞬間「危ないっ!」と大きな声が聞こえ、誰かに身体を包まれたまま地面に倒れこんだ。
後ろでガシャーンと大きな音が鳴る。窓ガラスが粉々に砕け散っている。
「な……な……なに……?」
私は恐怖でガタガタと身体が震えて声が出ない。そして助けてくれた人物を見てさらに驚いた。
「お怪我はありませんか?間に合って良かった」
頭から血を流しながら私の頬を撫でているのは、ケントだった。なんでこの男が私を助けるの?
「大丈夫ですか!?血が……」
「これくらいなんて事はありませんよ。しかし、まるでアンナ様の命を狙ったような犯行だ。何か心当たりはありますか?」
心当たりといえばあの手紙だが、ジルにも関わる事なので安易に口には出せない。
今回の手紙には関係ないかもしれないが、私を狙っているという点ではケントもその一人なのだから。
怪我までして助けてくれたのに疑うべきではないのかもしれないが、彼の自作自演の可能性も捨てきれない。
大きな音がしたからか、騎士団の皆が沢山集まって来た。
「どうした?一体何があったのだ」
ザワザワ騒がしい皆をかき分けて、現れたジルは討伐に行ったままの格好だった。きっとさっき王宮に戻ったばかりなのだろう。
彼は倒れているのが私だと気が付いて、慌てて駆け寄って来た。
「アンナっ……!」
愛称で呼ぶのも忘れて、アンナと呼ばれたことに彼の動揺を感じた。
「大丈夫か?怪我はないか?これは一体何があったんだ」
大きな声で畳み掛けるように質問されるが、私はどう答えたらいいかわからず上手く声を出せなかった。
彼は私がケントの腕の中にいることに一瞬眉を顰めたが、すぐに冷静な顔に戻った。
「……アンを助けてくれたこと、感謝する。この礼は必ずしよう。後は私が全て引き受ける」
そう言って私の身体を引き寄せたジルをケントは恐ろしい顔でギロリと睨みつけ、近くに落ちていたカードを拾って彼に見せた。
「全てあなたのせいですよ。彼女に何かあったら僕は許しませんから」
見せられたカードの内容を読んで、彼は目を大きく見開いた。
カードには『ジルヴェスターの傍にいれば不幸になる』と書かれていた。
「これは……」
「守れないなら今すぐ手放して下さい」
ケントの恐ろしい圧のある声が聞こえて、驚いて身体が強張った。
「安心してください。あなたが居なくても、僕が守りますから。アンナ様、愛していますよ」
さっきのが嘘のように私には甘く優しい声で、そう言った。わざとジルにも聞こえるように言った事がわかる。
「あなたには彼女を任せられません」
ケントはそのままその場を後にしたが、彼の怪我を見て王宮勤めの女性達が悲鳴をあげている。そして手当てをするようにと、彼の周囲に色んな人が群がっているのが見えた。
「……」
「……」
喧嘩していたこともあり、お互い無言の気まずい空気が流れた。どうしよう。
「……家に送る。本当に怪我はないんだな?」
「うん」
「すまなかった」
ジルはそれだけポツリと呟き、私を横抱きにして馬車に乗せそのままバルト家に帰って来た。そのまま自室のベッドに下ろされ、やっとジルは重い口を開いた。
「私がいない間に変わったことは?」
「執務室に毎日変な手紙が届いていたわ。その……あなたのことが……書かれていて……読んでいい思いはしないような内容だけど」
「私のことを気にかける必要はない。どんな内容だったか隠さずに伝えてくれ」
私は戸惑いながらも届いた三通の手紙の内容をジルに正直に伝えた。彼は苦しそうな顔でグッと唇を噛み締めていた。
「すまない。襲われたのは私のせいだ。犯人は必ず見つけ出すから安心してくれ」
「え?」
「君をこちらの事情に巻き込んで……悪かった。婚約破棄してくれ。こちらの我儘なのだから、もちろん生活に困らないように慰謝料を出す。護衛もつける」
ジルは私から目を逸らして、淡々とそう告げた。何言ってるの?この人。
「こ、婚約破棄って本気なの?」
「ああ」
「こんな嫌がらせ気にすることないわよ。だってあなたがこんな酷いことする人には思えないもの」
私がジルの両腕を掴んでそう伝えると、彼はくっくっく……と笑い出した。
「君は私の何を知ってる?何も知らないだろう。これは全部本当のことだ。私はこの手紙の通り最低な人間だ」
「本当なのだとしたら、理由があったんでしょう?」
ジルは口は悪いが実は優しいことを知っている。親友を陥れて婚約者を奪ってやろうなんて思うはずがない。むしろ、本当に好きだったとしても黙って身を引きそうなタイプだ。
「……事実が全てだ」
彼はそれだけポツリと呟いて、私に背を向けた。そして「準備が整うまで家から出ないでくれ」と言って部屋から出て行った。
いつの間にかシュバルツを呼んだようで、戸惑っている私を慰めるように彼は私に近付いてすりすりと甘え出した。
「どうしたらいいのかな」
私はシュバルツを抱きしめ、もふもふの中に顔を埋めた。とっても癒されるが、先ほどのジルの苦しそうな顔が頭から離れない。
いつでも自信満々で、強気な彼があんな表情をするなんて。なんだか胸がズキズキ、もやもやする。するとノック音がなり、返事をすると心配そうな顔のニーナが私の部屋に入って来た。
「アンナ様、襲われたとお聞きして驚きました。本当に大丈夫なのですか?」
「ええ、平気よ」
「それに……旦那様が……アンナ様と婚約を破棄すると……おっしゃられていて……うっ、うっ……」
ニーナは私の前で泣き出してしまった。どうやら彼は本気のようで、使用人達にも婚約破棄を告げたらしい。
「うん、そう言われたわ」
「どうして……どうしてそんな。旦那様は何も悪くありませんのに」
「ねえ、ジルに昔何があったの?親友って誰?女性を毛嫌いするのに関係があるの?」
私がそう質問すると、ニーナは深く俯いてしまった。
「ニーナ、いけませんよ。主人のプライベートを勝手に喋るなど使用人として有るまじき行為です」
ラルフがそう言いながら、私の部屋に入って来た。
「わかっています。でも……っ!」
「辞めたいのですか?」
「……」
二人の会話を聞いて、私はしてはいけない質問をしたのだと慌てた。
「ニーナ、なにも言わないで。ごめんなさい、私なにも分かってなくって。そうよね、言えるわけないわ」
謝った私をラルフは、じっと見つめた。そしてふぅ、と大きな息を吐いた。
「アンナ様、これから話すのは私の独り言です」
「え?」
「独り言が聞こえてしまった場合は仕方ありません」
ラルフは私をチラリと見て、ニヤリと口角を上げた。
――なるほど。そういうことか。
賢いラルフの考えそうなことだ。今から言うことはたまたま聞こえた体にして欲しいという意味だろう。
「旦那様には騎士団の同期で、とても仲良くされている方がいらっしゃいました。名前はデニス•グレーデン様。爵位は子爵家の次男で……正直に言えば旦那様とは家柄が釣り合いませんが、剣がとても強くすぐにお二人は仲良くなられました」
ラルフは少し哀しそうな顔をして、淡々と語り始めた。




