波
…人は無事なのか。
維心は、引いていく波を結界から頭の片隅に見ながら、居間で座り込んでいた。
維心でさえも、立っていられないほどの揺れだった。
それは五分以上続き、やっと収まって来た時には居間の調度はあちこち倒れてソファも位置が変わってしまっていた。
維心は、立ち上がって言った。
「義心!」
義心が、一瞬にして窓の外に浮いた。
「王!」と、窓から入って来て膝をついた。「会合の宮北は縛りが崩されて完全に落ちました。本宮は無事でございます。炎嘉様の領地端から伸びた東の亀裂は二回目の揺れで完全に開いて関様の領地を分断して伸びております。」
維心は、眉を寄せた。
「…関の宮は無事か。」
義心は、頷いた。
「は。寸前で真横を抜ける形で割れて止まりました。」
維心は、ホッと肩の力を抜いた。
「領地内の被害を調べよ。波が引いておるからかなりの大きさの波が戻って参るぞ。海岸線は恐らく浸かる。人の避難状況は?」
義心は頷いた。
「は。海岸線には誰一人残っておりませぬ。ただ、避難塔を越える高さの波が戻ればまずいことに。多くの人がそこに残っておりますので。」
後は、波だけ。
「余震に備えて被害を確認せよ。我は海岸線へ行く。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そうして、義心はすぐに飛び去った。
維心は、急いで自分も海岸線へ向けて飛んで行った。
結界から見ていたが、潮は完全に引いていて、遠く砂浜が続く状態になっている。
龍達はその潮に乗って、海中を遥か先まで行っているらしく、そこには誰も居なかった。
そこへ、炎嘉がやって来た。
「維心!まずいことになった。ここまで引いたのは初めて見る。何メートルの高さになるのか想像もつかぬ!」
維心は、頷いた。
「わかっておる。かなり大きな揺れであったし、二度目が激し過ぎた。」と、じっと沖を見つめた。「…来る。段々に高くなりながら迫って参る。我が軍神達が中を泳ぎ回って力を逃そうと引っ張っておるが、どこまでできるものか。六万の龍が今、あの中に居る。」
白い波が一直線に伸びて、こちらへ迫っていた。
この距離をあの量で戻って来るので、浅瀬になるほど波は高くなって来る。
しかし、龍と月の力で波の動きは緩慢で、自然現象とはちがう、おかしな動きをしていた。
「我も行く。」と、維心は龍身になった。《主はとにかく己の領地内を何とかせよ。波は任せよ。》
炎嘉は、歯ぎしりした。
何もできない…鳥は水に対しては無力だった。
「…頼んだぞ。」
炎嘉は、そう言いおくと、すぐに踵を返した。
維心は、一気に飛んで波の中へと飛び込んで行った。
海中では、龍達が必死に動き回って何とか波を緩やかに戻そうと抗っていた。
…引き戻される…!
維心は、かなりの波の抵抗に驚いた。
水の中で溺れたことなどなかった維心だったが、まるで溺れているようにどうにもならない強い力が岸へ向かおうと押して来る。
そんな中で、軍神達はお互いの体が絡まりそうになりながら、波と戦っていた。
《王!》
明蓮の声がする。
皆の動きで泡立つ水の中で、維心はよく見えない明蓮の方を見た。
《…我でも押し返すのは至難の業ぞ。だが、少しでも到達した時の波の高さを調整せねば、このままでは恐らく50メートルにはなる。海岸線の人の町は全滅ぞ。せめて10メートル…避難塔が飲まれるのだけは阻止せねばならぬ。》
明蓮は、頷いたようだった。
《は!》
所々で気を失って流されるばかりの仲間を、別の軍神が引き上げて連れて行くのが見えた。
水の中は、地獄のようだった。
その頃、関の宮は大騒ぎだった。
宮の真横に亀裂が開いて、揺れが収まってから確認すると、まるで宮は断崖絶壁の上に建っているかのような形になってしまっている。
まさに間一髪で大きな被害を出さずに済んだのだ。
「…他の被害は?」
清が答えた。
「は。宮の東が崩れて気で縛り付けて参りました。西は地下牢の半分と共に亀裂と共に落ちましたが、半分は残っておる状態で。牢番達は咄嗟に飛び上がり巻き込まれてはおりませぬ。ですが…渡様の牢が。」
関は、眉を寄せた。
奥に籠めていたのが不運だったか。
「…崩れたか。」
清は、頷いた。
「は。今亀裂に落ちた瓦礫を確認させておりますが、まだ発見されておりませぬ。」
これも運命か。
関は、頷いた。
「引き続き探させよ。人の町の被害を調べて参れ。」
清は、頭を下げた。
「は!」
そうして、清は出て行った。
関は、もう父のことは忘れ、あちこちから来る報告へと意識を集中させたのだった。
地震が起こる前、騒がしい宮の中に何があったのかと渡は牢の格子に取り付いて、牢番に叫んだ。
「なんぞ?!何を騒いでおる!」
牢番は、元は王の渡なので無視するわけにも行かず、答えた。
「…地が大きく揺れるのでございます。ただいまは宮を上げて備えておる最中。龍の宮から本日昼だと告知が。」
地震?!
だとしたら、地下のここでは飛ぶこともできずに、崩れたら瓦礫の下敷きになる。
牢番は階段の近くに居るので、その時飛べば何とか逃れるだろう。
だが、自分は?
渡は、自分の運命に気付いて、気の拘束が掛かっている格子をガンガンと揺らした。
「ならばこんな所で居たら、下敷きになるではないか!出せ!我を殺すつもりか!」
牢番は、顔をしかめて答えた。
「王からは何のご命令もありませぬ。お出しすることはできませぬ。」
我を見殺しにするつもりか。
渡は、叫んだ。
「出せ!出さぬか関!こんなことなら王座を降りたりせなんだのに!あやつが隠居して楽に過ごせとか申すから譲ったのに、恩を仇で返しおって!」
その時、ゴゴゴゴと地中深くから何かの力が上がって来るのを感じた。
牢番は、急いで階段の方へと飛び、そこで不安げに身を縮める。
…地震が起こる。
渡は、半狂乱になった。
「出せ!出せと言うのに…!」
その時、感じたこともないほど大きな揺れが始まった。
「うわあああ!」
あちこちから、重い物が落ちて来ている音が響いている。
恐らく宮のどこかが崩れているのだろう。
渡は、頭を抱えて床に伏せた。
だが、それは、しばらくして収まった。
「…終わったか。」
渡は呟くように言った。
牢番は、階段の上を見た。
「…確認して参ります。」
渡はそれを止めた。
「待て!」渡は言った。「関にここから出せと伝えよ!余震が来たらあちこち弱っておるのに崩れるやも知れぬぞ。主とて我が居る限りここに居らねばならぬ。同じ運命ぞ。」
牢番は、迷うような顔をした。
しかし、頷いた。
「そのようにお伝え致します。」
牢番が、答えて階段の上へと足を向けた時、また地中から力がせり上がって来るのを感じた。
…まさか…?!
牢番も、困惑したようにあちこちを所在なく見回す。
渡は、叫んだ。
「…来る!こちらの方が大きいぞ!」
宮が、まるで何かの手に掴まれて振り回されるかのように揺れ始めた。
立っているどころか、座ることすらできない揺れだ。
渡は狭い場所で浮いて、揺れによって体が石壁に打ち付けられるのを防いだ。
牢番は、階段途中だったのでそこに座り込んだようだが、揺れが激しいので右に左に振られて壁で肩や頭を打ち付けている。
「飛べ!浮くのだ、足を付けておってはならぬ!」
渡の声に、牢番は朦朧とした意識の中で浮き上がった。
その時、牢の石壁がバリバリと音を立てたかと思うと、牢番の目の前の床から奥が一気に下へと崩れ落ちた。
「…渡様!」
牢番は、思わず叫ぶ。
「うおおおおお!」
渡は、成す術なく石と共に地の底へと落ち始めた。
「渡様ー!」
牢番は、せめてと牢の格子の、鍵になる気の戒めを解除する気を放った。
しかし、渡はそのまま石と共に、開いた大きな亀裂の中へと落ちて行ったのだった。




