父親
漸は、炎嘉が言う事をいちいち頷いて聞いて、言った。
「…そうか。妃は滅多に他の臣下の目に晒さぬのだな。他の輩が手を出すことは絶対に許されないので、見えない場所に囲うと。」
炎嘉は、頷いた。
「その通りよ。まあ、主の所は略奪に来る奴はおらぬし、妃と通じる男もおらぬだろうが、松が同意したらまずいのだろう?こちらは同意していても妃と通じたらどちらも死罪だがの。」
漸は、顔をしかめた。
「まあ、王であろうと女の同意なく手を出す事はできぬから。だが、主らと違うのは同時に二人は相手にできぬのだ。一応、通う間はお互いに一人ずつ。お役御免となったらそれを告げてもう通じることはない。一度にあちこちではややこしいことにもなるからの。そこだけは決められておるのよ。つまり、仮に我の相手の女が我と繋がっておるのに他とも関係を持つのは罪なのだ。それも処罰の対象よ。」
箔炎が、眉を寄せた。
「待て、ということは主は松を娶ると他を娶ることはできないと?」
漸は、頷いた。
「その通りよ。松と繋がっておる間は他とは関係は持てない。そういう決まりであるからの。誰の子だと大概面倒なことになるゆえ、その昔取り決めたことなのだ。いちいち全部誰の子だと見ておったら時がないわ。臣下が別れた後の子が誰の子なのかを、我は判断しておるのよ。」
確かに全てを判じていたらやっていられないだろう。
ならば、悩むのも道理だ。
簡単には決められないはずだからだ。
「…何やら理解して参った。主が終生面倒を見るのがなぜにそれほど悩むのかと思うたが、確かに軽々しく決めるのは難しいことよな。」
漸は、頷いた。
「主らのように複数同時に娶る事ができるのならとりあえず試すかとはなるが、我の所のような決まりがあると、王が破るわけには行かぬからな。だが、もう決めたのだ。我は松を娶る。お互いに無理ならば、話し合って婚姻を解消もできるしな。もちろん今は、最後まで共にと思うておるよ。」
志心は、感心したように言った。
「誠に主には驚かされる。そうか、一人に一人と。まるで人世のようぞ。とはいえ、人世には婚姻制度があるゆえ、似て非なるものではあるがな。」
維心が、頷いた。
「まあ、我は維月さえ居たら良いから。他に必要ないし漸の心地は共感できようほどに。して?渡よな。節分には我が宮で催しがあって、そこに皆来るが、その時に話すか。」
漸は、頷いた。
「そうしようと思う。よう考えたらもう婚姻を約しておるし、ここに会いに来たらいいしの。待つ事にする。碧黎はどうよ?維月は戻ったか。」
維心は、頷いた。
「戻った。とはいえ、碧黎の心地を楽にしてきただけで、手伝えはしないようであったがな。任せるしかない…後は、我が雨を止めて地上を乾かしておくしかない。しばらくは人も大変であろうが、土砂の下敷きになるよりはマシぞ。後の大雨が気になるが、地震で揺れるよりは被害は少なかろうからな。」
焔が頷いた。
「地震の時に湿気ておったらあちこち崩れて大変なことになる。ここはしばし堪えて、今ある水で何とかしてもらうよりないわ。我の所は山ばかりであるし、案じられるのよ。それでなくとも崩れるだろう箇所は多いからの。少し岩を落として、人に警戒させておく。あれらは賢しいゆえ、岩が落ちた箇所には入らぬし、側に住んでおったら備えるのだ。問題ない箇所から崩して警告しておく。」
皆は、頷きあった。
何やら、地の底が細かく振動しているのを感じる。
ジリジリとその時が近付いているのだけは、分かった。
次の日の朝、蒼は松を呼び出す事にした。
いろいろ面倒は先に済ませておきたいし、客の王達ももう慣れているので、蒼が居なくても少しくらい勝手に過ごしてくれるだろう。
松を待っていると、十六夜の声が言った。
《蒼、早いな。》
蒼は、空を見上げた。
「十六夜。降りて来ないんだな。維月が来てるのに。」
十六夜は笑った。
《毎日月から話してるし、今さら顔見てもな。それより、多分漸は大丈夫だぞ。昨日の夜話してるのを聞いてたが、あいつんとこは同時に複数に通っちゃならねぇんだってさ。だから、松と決めたら松だけで、だからこそ漸は悩んでたみてぇだ。》
蒼は、え、と驚いた顔をした。
「そうなの?知らなかった、犬神の宮徳本に追加しなきゃ。ってことは、漸は王なのに一人を守って行く覚悟をしたってことなのか。」
十六夜は頷いたようだった。
《そうみてぇだ。だから心配要らねぇなって思ってさ。こっちの王よりよっぽど信頼できるじゃねぇか。こっちは複数いけるから、みんな軽い気持ちで結婚するけどさ。》
蒼は、神妙な顔をした。
「だね。だったらそんなに心配しなくていいかな。自由恋愛ってどんなものかと思ってたけど、あっちの男の方がよっぽど良いかも知れないなあ。オレも娘が今居たら、犬神が良いかもと思ったかも。」
十六夜は答えた。
《だが、決めてくれるかどうか分からねぇぞ?よっぽど気に入らねぇと無理だ。漸は、松なら助けになるしってんで決めたみてぇだが、なかなかそこまで覚悟はできねぇだろう。何しろ、お互い寿命が長いしよぉ。人は百年だけど、神は千年出しな。》
「多分漸はもっとあるよ。」蒼は、ため息をついた。「なら、後は松の覚悟かな。まあ、模範的な皇女だし問題ないと思うけどな。他に目移りとかしないだろうから。問題は比呂だよ。」
十六夜は言った。
《それはもう答えが出てるみたいだけどな。》と、何かに気付いた様子だ。《お。松が来たぞ。じゃあな。》
いつも一方的な十六夜に文句を言おうとしたが、侍女の声が言った。
「王。松殿が参られました。」
蒼は、喉まで出ていた言葉を飲み込んで、言った。
「入るが良い。」
扉が開くと、そこには松が頭を下げて待っていた。
「松。漸から聞いた。入るが良い。」
松は、頭を上げた。
「蒼様にはお時間をお取り致しまして申し訳ございませぬ。」
蒼は、首を振った。
「良い。それより、気持ちは固まったのか?」
松は、頷いた。
「はい。父が何と申すのかは分かりませぬが、我は漸様にお仕えしようと思うております。」
蒼は、頷いた。
「漸ならば、決めたというのなら信頼できる。なぜなら、オレも今十六夜から聞いたのだが、漸の宮では一人に一人で、主が妃となれば主だけを守るよりない決まりがあるらしいのだ。なので、あれがそうとわかって決めたのだから、主にとりあれは良い夫になろう。」
松は、驚いた顔をした。
つまりは、漸はたった一人の妃として娶る事を、あの時決めてくれたということなのだ。
何も知らずに、悩んでいたりして漸の覚悟を知らずにいた、己が口惜しかった。
「…誠に…漸様にはそこまで思うてくださっておるなど知りもせず。王は複数娶るものだと思うてしまっておりました。ならば、より一層ご期待に沿えるように励みたいと思いましてございます。」
蒼は、頷いた。
漸が本気であるのは、松に伝わったようだ。
蒼は、言った。
「では、比呂のことだな。あれはついて参ると?」
松は、言いにくそうに言った。
「それが…あの子はこちらでお仕えするのが幸福であると申しておりまして。我の婚姻には賛成してくれておりますが、こちらへ残ると申します。身は大きくなりましたが、子供なところがございますし、我としては案じるところもあるのですが、あの子はもう子供ではないと申して…。」
蒼は、微笑んだ。
比呂が、最近ぐんぐん大きくなっていて、楽しそうにしているのは知っていた。
なので、頷いた。
「ならば、オレが面倒を見るゆえ主は案じずでも良い。気になるならこちらに里帰りして参って、様子を見ると良いのだ。そうだの…渡のことは漸が何とかするとか言っていたが、主もあんな扱いをされた父親に頭を下げるのは抵抗もあるだろう。ここを里とできるように、ここから嫁いではどうか?」
松は、驚いた顔をした。
「え、我が月の宮から?」
最上位の宮だ。
ここを里にするということは、こちらの誰かの縁者でなければならないが、蒼の娘とするにはあまりにも身分差がある。
松の戸惑う顔に、察して蒼は苦笑した。
「そうだな…オレの子にするにはやはり月の眷属でややこしいから、ちょっと考えるよ。後はこちらで話し合うので、主は漸に嫁ぐと決めたのならそれだけを考えていれば良い。渡の皇女として嫁がぬで良いのだな?」
松は、首を振った。
「もとよりあちらも我の事など居なかったものにしたいのだと思いまする。では…王。どうぞよろしくお願いいたします。」
蒼は頷いて、これはまた話し合って来ないといけないなと、去って行く松の背を見送ったのだった。




