婚姻
その少し前、維心は炎嘉の部屋に到着し、焔の話を聞いていた。
阿木は、どうやら志心を見つめていたらしい。
確かに、侍女達からの人気は志心が一番に高いと維月から聞いた事はあった。
恐らく、その例に漏れず阿木も志心が慕わしく移るのだろう。
とはいえ、阿木は龍なので、娶られるとかそういった雰囲気ではないだろうと思われた。
憧れのようなものなのだろう。
だが、志心が好みならば焔はあり得ない。
焔も、それを見て憑き物が落ちたような心地になったのだと言う。
「…それだけではないのだ。」焔は、酒を飲みながら言った。「あれは我に嫁いでも一生維心が己の王だと申した。分かっていたことであったが、本神の口からそれを聞くと、何やらモヤモヤして。つまりは、夫である我は、鷲族の王であるのにあやつの王ではない。唯一妃だけが我に仕えておらぬのかと思うと、急に虚しく感じての。龍はどこまで行っても龍。分かっておったしだからこそ皆が良い顔をしなかったのに、我は何を思うてあそこまで取り憑かれたように娶りたいと意固地になっておったのかと、冷静になってしもうて。そうなるともう、苦労してまで娶る意味はとか、考えてしもうてな。そこへ志心に行き合ったゆえ、駄目だなと思うた。目が覚めて良かったことよ。」
炎嘉が、頷いた。
「それが良い。また娶ってから違和感がなんだと言い出したら、維月も絡むし維心も苦言を呈するしかないし、面倒になっておったところよ。そも、主は最上位の中の第5位の王であるしの。龍、しかも臣下の娘を娶るとなると、身分が違うゆえ誰かの養子にでもせねばならぬし大騒ぎであった。これで良かったのよ。」
箔炎も、頷く。
「その通りよ。本来そのままであれば侍女として上げてその実妃とかいう、めんどくさい対応になるゆえ養子の話になったろう。維心は神世での地位が高過ぎての後の面倒を考えて養子にはできぬし、では誰の養子かと大騒ぎぞ。我は安堵しておる。」
維心は、ふと言った。
「…そういえば、行き合ったというので思い出したが、ここへ来る前に中央の回廊で漸と松に行き合っての。」
志心が、驚いた顔をした。
「漸?まさか主に話し掛けて来たのではないのだろうの。我と主では勝手が違おうが。大丈夫だったのか。」
維心は、頷いた。
「我も漸なら話し掛けて来るだろうと一瞬躊躇ったが、我が避けるわけには行くまいが。仕方なくそのまま歩いておったら、松が気取って漸に急いで説明し、無事に通り過ぎる事ができた。誠に松は、ようできた娘よ。渡もなぜにあれほどできた娘を…まあ、対面を考えるやつであるしな。わからいでもないが。」
炎嘉が、ため息をついた。
「松の恥と申すより己の恥であるからな。娘一人も守れぬのかと嘲笑われるのを恐れたのだろう。とはいえ、神世は松がまだ宮に居ると思うておるし、漸が娶るとしても事実は公表せねば良いのだ。渡さえ皇女だと認めたら良いだけの事。侍女のなりをしておってもあれだけ品良く美しいのだから、何かあったとは誰も思わぬだろうて。むしろ知らぬのだから他の宮の王なら引く手数多であろう。」
箔炎が、頷いた。
「楢が先に嫁いだので不思議に思うておる奴も居るらしいし、渡も事が露見するぐらいなら、誰か娶って欲しいとは思うておるはずぞ。とはいえ、隠して娶らせるのは心も重いだろうし、まさか月の宮に引き取られておるなど誰も思いもせぬだろうからな。そろそろ困っておるようにも思う。」
維心は、ため息をついた。
「何にせよ、漸が覚悟できるかどうかぞ。婚姻というものを知らぬできたのだから、躊躇うのも道理。まだ…、」
そこまで言った時、控えの間の扉がバン!と開いた。
何事かと皆が振り返ると、そこには漸が立っていた。
「婚姻することにした!」
皆が呆然としているのに構わず、漸は宣言してズカズカと入って来た。
炎嘉が、ハッと我に返った。
「…何と申した?もう松と話したのか?」
漸は、頷いて椅子にどっかりと座った。
「あれが側で我にいろいろ終生教えてくれるのなら、我も困らぬからぞ。これは犬神のためにも良い縁なのだ。我は松を娶るぞ!」
すっかりやる気の漸に、志心が困惑した顔で言った。
「それは良いが、そんなにあっさり決めて良いのか。あれほど悩んでおったのに、いったい何があったのよ。」
漸は、答えた。
「さっき、維心と回廊で会って。我はこやつがそんなに地位が高いとか、滅多に下位の者と口を利かぬとか知らぬし対応も知らぬ。会えば話すのが普通だと思うたが、松が身分が違い過ぎるので役目の時以外では話せぬと申して。そんな細かいことまで分かると思うか。」
細かい事とはもう、皆慣れていて思ってもなかったが、漸から見たらそうなのだろう。
皆が何も言わないので、漸は続けた。
「我にはいちいち側で教えてくれる者が必要なのだ。ゆえにあやつが慕わしいし、終生世話して後悔はないと思うた。ゆえに、もう蒼にも話して参った。」
もう?!
皆は仰天して漸を見る目を見開く。
維心は、言った。
「それは、松も同意したからであろうな?でなければまた維月がうるさいのだが。」
維月の心配か。
皆が呆れて我に返った。
漸は、答えた。
「松は、いろいろ片付いたら良いと申した。あれの父と話せば良いのだろう?」
炎嘉が、肩の力を抜いた。
「…そうか、分かった。松が同意しておるのなら、後は渡と関ぞ。今の王はあれの兄の関であるから、あれに主から松を娶りたいと申し出たら良い。主は今最上位の第三位であるし、あちらにしたら金星ぞ。断る理由はないだろうし…とはいえ、何と申すかの。」
志心が、頷く。
「地位が高過ぎるとしり込みするやもな。何しろ、松が襲われた事を知らぬと思うておるから。知らぬで嫁がせて後で知られたら廃宮問題と考えるだろう。」
漸は、言った。
「全部知っておると書状に書けば良いか?」
箔炎が、慌てて首を振った。
「ならぬ、書に残るような事をするでない。そこは直接話した方が良い。節分にでも話したらどうか?皆が集まるゆえ、ちょっと呼び出して。」
漸は、顔をしかめた。
「節分?一月も先ではないか。我はすぐに娶りたい。」
あっちもこっちも何をせっかちな。
皆は思ったが、黙って聞いていた焔が言った。
「…気持ちは分かるが、時は開けた方が良い。」他ならぬ焔から、そんな話が出たので皆が驚く。焔は続けた。「我は今、身につまされておるから言うのよ。宮も妃を娶る仕様になっておらぬのだろうが。まずはその準備をしながら、文でもやり取りして考えよ。どうせ、碧黎があんな様子で落ち着いて話せるのは地震の後であろうしな。とりあえず、待て。その方が良い。」
漸は、急に冷静になったようで焔を見た。
「そういえば、主はあの龍を娶らぬのか?何やら落ち着いておるの。」
焔は、盛大にため息をついた。
「現実が見えたのよ。我は娶らぬ。とりあえず主は、とにかく落ち着け。我だから言えることぞ。」
漸は、あれほどうるさかった焔がそんなことを言うので、冷静になったようだ。
肩の力を抜いて、言った。
「…分かった。急いても良くないということはの。では、婚姻のことであるが。主らに詳しく聞かねばならぬ。今焔も言うたように、宮の仕様を変えねばならぬだろう。どうしたら良い?奥宮は、確かにあるが、上位の臣下なら居間まで入り放題なのだ。それではならぬか?」
そこからか。
皆はため息をついたが、誰も口を開かないので、仕方なく炎嘉が、辛抱強くこちらの奥宮のことを話して聞かせたのだった。




