対面
楢は、部屋へと入って行き、こちらを見て立っている姉の姿を確かに見た。
楢は、その姿に懐かしさと、あの頃よりも大人びて美しくなった姉に驚いたのとで声を出せずにいると、姉は、微笑んで、頭を下げた。
楢は、そんな松の姿にハッとして、慌てて言った。
「お姉様、そのような!我に頭をお下げになる必要などないのです。」
松は、笑顔で顔を上げると、気の遠くなるほど懐かしい声で、言った。
「序列二番目の王に嫁がれたのですから。我は侍女の身でありますのに、お目通りをお許しくださるとは樹伊様にはお心の大きな王であられること。」
楢は、涙を堪え切れずに流した。
そして、下を向いてそれを必死に隠そうとしながら、答えた。
「…誠に我が王におかれましては大変にお気遣いくださる寛大な王であられて。こちらの事情もご存知で、我を月の宮に連れて来てやりたいと、嫁いだ時から申してくださっておりました。我は…ただ、あの宮を出られるのならと邪な気持ちで嫁いでおりましたのに。大変に感謝しております。」
松は、頷いた。
「蒼様からいくらかお聞きしておりますわ。楢様、ご立派におなりに。」と、胸から出した懐紙を渡した。「さあ、そのように。時が惜しいですわ、こちらにお座りになって。」
楢は、その懐紙を受け取って、姉を見た。
姉は、変わらず美しく懐かしい香りがした。
「お姉様…!!」
楢は、幼い頃のようにいきなり松に抱きついた。
松は、驚いた顔をしたが、すぐに楢を優しく抱き締めると、頭を撫でた。
「まあ、大人におなりになったと思うたところですのに。まるで幼い頃に戻られたようですこと。」
松は、そのまま側の長椅子に楢を促して座った。
楢は、言った。
「お姉様、我は何も知らずに…お姉様がおつらい想いをなさっておいででしたのに…何もできませんでした。知った後は、ただ、父を恨んで…宮を出たいと、そればかりで。」
松は、苦笑した。
「あなたはご存知なくて当然だったのです。宮を上げて我の事を隠しておりましたから。ですが、子が生まれて育つにつれて、あの子が不憫で…月に、助けを求めてしまいました。十六夜様は我の声を聞いてくださった。そして、蒼様が救い出してくださいました。こちらで親子、何不自由なく暮らしておりますわ。ご案じなさいますな。」
それでも、皇女であった姉は、臣下の着物を着ていてもそれは淑やかに美しかった。
その品の良さは、着物では隠しきれていない。
楢は、言った。
「それでも、お姉様は皇女であられるのに。樹伊様は、お姉様の面倒も見てくださると仰っております。お子も、宮へ引き取っても良いと。我の姉として、宮で過ごせばとお話がありましたの。お子も軍神として樹伊様にお仕えするのをお許しくださるのだとか。もう、侍女として立ち働かなくても良いのです。」
松は、それを聞いて驚いた顔をしたが、首を振った。
「我は、こちらで蒼様にお仕えして幸福ですわ。子の比呂も友もできて、毎日励んでおるのです。それに、先ほどは侍女と申し上げましたが、我はただいまは教師のお役を与えられておって…侍女ではないのですよ。」
今度は楢が驚いた顔をした。
「え、教師ですか?」
松は、頷いた。
「はい。こちらには、多くの人世からの帰還者が居ります。それらに神世の事を教える役ですの。此度は長く表に出て来られておらなんだ、犬神様のお手伝いにも役に立ちました。なので毎日が楽しく、誰かに面倒を見られて過ごすのとは違う充実した生活を送っておりますわ。なので、我のことはお心おきなく。我は今、とても幸福ですの。」
楢は、そんな世界があるのかと驚いたが、姉は幸福なのだという。
また共に過ごす事ができたらと思っていたが、姉がやっと見つけた幸福を奪いたくはない。
「…お姉様がそうおっしゃるのなら。」と、楢は姉の袖を縋るように掴んだ。「ですが、これからはお互いに行き来してこうしてお話しください。樹伊様は一向に構わぬと仰ってくださいます。我は、お姉様と失った時間を取り戻したいのですわ。琵琶も…また御指南頂きたいのです。」
松は、フフと笑うと、楢を抱き締めた。
「仕方のないお子だこと。よろしいわ、では王がお許しになる時だけ、ね。」
その言い様が、幼い頃の姉を思わせて、楢は松に抱きついた。
「お姉様…!お会いしたかった…!」
そう言って子供のようにさめざめと泣く楢を、松は抱き締めてウンウンと取り留めのない話に耳を傾けて時を過ごしたのだった。
その頃、阿木は維心から促されて焔と直接話すことにした。
本来、男性と二人きりで会うなど父の許可もなくあり得ないのだが、頻繁に来る使者に維心がイライラしているのは伝わって来ていたし、何より父の慎吾が王のご機嫌が悪いと困るようだからだ。
慎吾は、王は無理にとは仰っていないが、どうやら焔様との婚姻をお考えらしい、と阿木に話して来ていた。
阿木は、最上位の宮の王が龍を娶るのかと驚いたが、しかし王の間で話がついているのなら、それを拒む選択肢は阿木にはない。
なので、覚悟はしていた。
維月は、決して無理にとは言わぬからと言ってくれる。
維月の発言力は知っていたし、恐らく言葉の通りなのだろうが、それでも己が仕える王の意向に従わないなどあり得ない。
阿木は、なので焔と庭を歩くことになったのだ。
焔は、思っていたほど粗野でも何でもなく、良く見ると美しい王だった。
普段から、維月についてあちこちの宴の席で、裏から見ていたのだが、品が良く落ち着いた様なのは志心で、白い髪に青い瞳で美しく、阿木はよく見とれていた。
場を穏やかに流そうと会話を振るのも絶妙で、いつしか阿木は、志心ばかりを見ていた。
だが、相手は最上位の王であり、自分は龍で娶られるなどあり得ない。
なので、憧れる気持ちで眺めていたのだ。
対して焔は、いつも酒を過ごしては宴の席でも構わずに大の字を書いて寝ていたり、あまり品のない印象だった。
だが、普段は凛々しく炎嘉と並んで華やかで、見ていて幸せになるのは確かだ。
とはいえ、志心とは真逆の印象で、恋い焦がれるには程遠かった。
そんな焔が、あの遊びを境に頻繁に文をくれるので、驚いてはいた。
父から聞くまで、まさか娶りたいとか、そんなことは考えてもいなかったのだ。
焔は、何やら難しい顔をして阿木の手を取り隣を歩いている。
阿木は、何か話した方が良いのかしら、と、チラと焔を見上げた。
焔は、それに気付いてびくりと肩を震わせる。
文ではあれほど饒舌なのに、どうしたのかしらと阿木は不思議に思って声を掛けることにした。
「…あの…御文を、ありがとうございます。焔様には、大変に美しいお手であられて、お返しするのもおこがましいのではと恥ずかしく思うておりました。」
焔は、派手にブンブンと首を振った。
「何を申す。主こそその歳であの文字を書けるとは大したものよ。」
また、沈黙。
阿木は、こうして会うことに何の意味があるのだろう、そもそも本当に我を娶りたいとお思いなのかしらと焔の様子に内心首を傾げた。
何しろ、自分は龍なのだ。
焔には皇子が居るので関係ないということらしいが、婚姻とはそもそも子を成す事が大前提の王族が、本当にそれで良いのかと思うのもある。
阿木がだんまりの焔に困っていると、焔はいきなり思い切ったように阿木の手を握り締めると、向かい合った。
阿木は、何事かと身を固くしたが、焔は言った。
「阿木、我は、前世を覚えておって。主があまりにも、前世悲劇的に亡くした妃に、そっくりなのだ。なので…維心に無理を申して、主とこうして接して我に嫁ぐ気持ちになってもらえるように、話す事を許してもらった。」
阿木は、あまりにも直球なので、目を丸くして焔を見上げていたが、答えないわけにはいかないので言った。
「あの…そうでありましたか。ですが、我は龍で…。幼い頃から、龍以外に嫁ぐ未来は考えた事もありませんでした。まして、王であられるのに焔様には我など娶ると面倒が起こるのではありませぬか?」
焔は、首を振った。
「確かに、主は龍であるし始めはどうしたら良いのかと思うた。だが、我にはもう皇子が居るし、龍であっても傍に置きたいと思うたのだ。」
阿木は、想定していた事だったので、構える事無く答えた。
「我は…生涯龍でございますので、我が子がもし産まれても龍であり、龍王様を己の王とお仕えする気持ちは変わりませぬ。我が王が、お命じになりますのなら、仰せのままに。」
これは、龍であれば皆が答える常套句だった。
龍は生涯龍であって己の子も龍となるので、生涯を誰に嫁いでも、龍王を王と仰いで生きる事しかできない。
なので、龍王もどこに居ようとも己の眷属の龍の事には責任があるし、何かあれば口出しもする。
他の王に嫁いでも、なので龍とは嫁いだ先の王を、己の王とはできないのだ。
なので、恐らくは阿木も、もしも焔に嫁いだとしても、他の妃とは違って王とは呼ばずに、維月のように名で呼ぶことになるのだろう。
焔もそれは分かっていたのだが、いざ阿木からその言葉を聞くと複雑な心地になって、う、と言葉に詰まった。
阿木の王はあくまでも維心で、焔は夫でしかないのだ。
そこが、これまでの女とは決定的に違った。
つまり、仮に龍と鷲が争う事になれば、阿木は焔の妃でありながら、龍である維心に従うのだ。
なぜなら、己の王だからだ。
わかっていたはずなのに、焔はそれに違和感を覚えた。
「…そうであるな。主の王はあくまでも龍王であり、我ではないのだの。分かりきっておったのに、だからこそ龍を娶るとは敷居が高いと言われておるのに。」
阿木は、困ったように言った。
「はい…。」
そうなると、それからは言葉が出て来なくて、焔は仕方なく阿木を伴って、宮の方へと戻って行ったのだった。




