こんな中で
そんなわけで地上は緊張感があったが、今この時は何もないので王達はおっとりとしていた。
地上の人口は、一時期神でも全てを賄うのは無理ではないかと言うほど増えたのだが、その後様々な要因でなだらかに減り、ポールシフトの時に一気に減って今では十数億人だった。
神が人口操作をするかというと、する。
何より全てが幸福に生きるのを見守り、時に手助けするのが神であり、皆が飢えて苦しむことなどあってはならないからだ。
黄泉に留めてなるべく戻らないようにと画策し、一時期転生が滞る時もあった。
本来神にはそこは手を出せない分野だったが、天黎が神の願いを聞いてやっていたのだと思われた。
今では人も成長し、皆が幸福に飢えることなく生きるだけの食料の供給はできていた。
ちなみに神は、植物や海の生き物は提供しても、動物を食物として人に準備しているわけではない。
肉食を止めたら、少しぐらい人口が増えても賄えたのに、というのが神達の言い分だった。
とはいえ、人が幸福なのが大前提なので、無理にそれを留めることもしない。
あくまでも人の自主性に任せていた。
その上で、皆が幸福にと動くのが神達なのだった。
維月は、つくづく何も知らずに生きていたなあと今、思う。
皆、生かされている事実に気付けば、きっともっと幸福に生きる事ができるのだ。
そんなことを思いながら、碧黎も気持ちが落ち着いたようなので、維月は月の宮の維心の対に戻って来た。
維心は、維月が戻ったのを見て嬉しそうな顔をした。
「維月!碧黎は落ち着いたか?」
維月は、急いで差し出された維心の手を取りに歩きながら、頷いた。
「はい。気持ちの問題でしたので、とりあえず穏やかになっていただこうと。地上はまだ予断を許さぬ状況ですが、なんとか。」
維心は、維月の手を握って頷いた。
「そうか。ならば良かった。」
維月は、維心と共に椅子へと座ってキョロキョロと回りを見回した。
「…あら?阿木の気配がありませぬわね。私が居ないので待っておらずで良いのですけど、あの子はどこへ?」
維心は、ため息をついた。
「それがの。とりあえず今、楢と松が対面しておって、漸が終わるのを隣りの部屋で待っておる。で、焔は何とか留まって文を送っておったのだが…あまりにも頻繁に文が来るので、うるそうなって我がもう、いっそ話して参れと阿木に言うたのだ。なので、今頃庭ではないかの。」
え、会ってるの?!
維月は、見ようと思えば見えたのに、十六夜と碧黎ばかりに気を取られて全くそちらは見ていなかったと慌てた。
窓を見ると、そろそろ日も暮れて来ようとしている。
いくらなんでも本日娶るとかないだろうが、焔が強引に部屋に連れて行ったりしたらどうしよう。
維月は、落ち着きなく言った。
「まあ…見ておりませんでしたわ。焔様にはあのご性質ですし案じられますこと…もう時刻も時刻でありますし…。」
ちょっと目を離した隙に。
維月が眉を寄せるのに、維心は自分が言ったことなので、慌てて言った。
「焔は、目に付かぬように気を付けると言うておったし、つまりは噂になってはと気遣っておるのだと思うぞ。問題ない、あやつは娶るつもりならもっと大っぴらに動いて回りから固めようとするはずであるし。我も重々言うたゆえ。案じるでない。」
維月は、ため息をついた。
「はい。私には見えますので、少し見ておきますわ。強引な様を見たら割って入りますゆえ。地であるのでいつなり声は掛けられますので。」
維心は頷いたが、維月が気を悪くしたのではと不安げだ。
維月は、維心も気になったが、焔と阿木を見て視界を地のものに変えたのだった。
一方、その少し前、楢は松に対面しようと回廊を歩いていた。
樹伊に言われて、松が居るという部屋へと向かったのだ。
楢は、姉の事情を両親からは聞かされていなかった。
だが、他ならぬ松本神から、それは聞いていたのだ。
いきなりにまだ楢が成人していない頃に、松が行方不明になり、軍神達が探し回るのを涙を流しながら祈りつつ待っていた。
そして、見つかったと聞いて嬉しくてすぐにでも会いたいと思ったが、その日から、楢は松に会わせてはもらえなくなった。
結界外で、無惨な姿になっていたので、これからも姿は現さない、それが松の願いなのだと聞かされて、楢は衝撃を受けた。
姉は、一体どんな目にあったのだろう。
楢は、姉とはいえまだ成人前の松のことを、それは案じた。
だが、それから松のことは宮の誰もが口にすることはなくなり、侍女や母に聞いても口を閉ざすばかりで楢にはどうしようもなかった。
代わりに、楢の監視の目が厳しくなった。
誰かに拐われでもしたら大変だと言われたが、あれは警護ではなく監視だ。
そんな中で、姉に行われていた厳しい妃教育が、今度は楢に集中することになった。
父は、宮のためにもどうあっても高位の宮に嫁がせたいようだった。
そんな中でも、楢は姉と、何とかして繋がろうと文を遣わせたりした。
しかし、父から命じられて侍女達がそれを松に手渡すことは、遂になかった。
そんな中で、ある日突然、月に話し掛けられた。
《お前が楢か。》
楢は、ハッと顔を上げて窓の外の空を見上げた。
もう、休もうと奥へ入ったところだった。
「はい、我が楢でございます。あなた様は、月?」
相手は答えた。
《そう、オレは陽の月の十六夜だ。お前の姉の松は、これから息子と一緒に月の宮へ来る。お前に伝えて欲しいってさ。松はこれから月の宮の侍女になるから、月の宮へ向けて文を書けば届くようになる。表向きは、蒼の妃の杏奈宛てに書け。蒼がそうしたら良いって言ってる。そうしたら父親にバレねぇだろう。こっちから杏奈がお前に文を書くから。それの返事のふりをして送ればいい。》
楢は、混乱した。
お姉様が、月の宮へ…?!侍女…?!
それに、息子って…?!
「お、お姉様が?!息子とは?我は、何も知らされておりませず…。」
十六夜の声は言った。
《だろうな。松も言ってたよ。まあ、父親に監禁されてたからな。助けてやっただけだ。後は、松、本神に聞け。文だぞ?じゃあな、知らせたぞ。》
そうして、十六夜の声は消えた。
楢は、半信半疑だったが、数日後に月の宮の王妃である杏奈から文が届き、ご事情は聞いておるので、遠慮なく姉上に文を、と書いてくれてあった。
楢は、好意に甘えて松に文を書いた。
ずっと案じていたこと、どんな姿になっても会いたいこと、また琵琶を共に弾きたいこと…。
何しろ父は、琵琶すら松を思わせると弾かせてはくれないのだ。
松からは、すぐに杏奈名義で返事がやって来た。
松が、どんなに愚かな事をしたのか、そのせいでどうなったのか、そして、ここ数年どんな扱いを受けていたのか、詳細に書かれてあった。
何一つ知らされていなかった楢は、涙に暮れた。
大変な時に、何の力にもなってあげられなかった己が口惜しかったのだ。
十六夜には、心の底から感謝した。
そんな姉を、ここから救い出してくれたのだ。
楢は、松と文を取り交わしながら、早くここから出たい、と願った。
つらい想いをした姉を厄介者だと疎み、閉じ込めて赤子と共に隠蔽しようとしていた。
姉は、あれほどに美しく淑やかで、快活で優秀であったのに、妃として他の宮にやれない立場になると、手のひらを返したように残酷な扱いをしたのだ。
なので、樹伊との縁談が舞い込んだ時には、二つ返事で承諾した。
ここ以外なら、どこでも良かったのだ。
楢が承諾しなくても、恐らく父は話を押し進めただろう。
もう、あんな父など顔も見たくはなかった。
そして、嫁いだ先では、あの宮から救い出してくれたのだからと、帰されては大変なので一生懸命仕えた。
幸い、樹伊は若くて大変に気遣いのある王だ。
地位も高く、父の影響は全くない。
前の妃との子も、愛らしくて元々子供好きでもあったし、苦にならなかった。
そして今、長い間会えなかった姉に会わせてくれると言う。
楢は、たどり着いた部屋の前で、期待に胸を膨らませて侍女達が口上を述べるのを待った。
「楢様、お越しでございます。」
扉は、開かれた。




