未来を知る者
天黎が言った通り、しばらくして侍女の声がした。
「聡子様、お越しでございます。」
蒼は、答えた。
「入るが良い。」
すると、扉が開いて、頭を下げる侍女の前を歩いて、聡子がやって来た。
その姿は、上位の王の妃達と同じく綺麗に着付けられていて、高位の女だと分かる。
とはいえ、ここに居る王達の他に、聡子が天黎に嫁いだ事実を知る者は聡子の両親しか居ない。
皆、月の宮の縁者に嫁いだと思っているのだ。
聡子は、頭を下げた。
「蒼様。お呼びだとか。」
蒼は、頷いた。
「いいよ、いつもは蒼と呼ぶじゃないか。皆話したいと言うので…来てもらったんだ。無理はしてないか?」
天黎を説き伏せたのではないかと、蒼は思ったのだ。
聡子は微笑んだ。
「まあ。あの方はそこまで分からず屋ではありませぬのよ。地の件で案じておるのを部屋で聞いておって、行って参るかとあちらから申してくださいました。そんな心配はせぬで良いのですよ、蒼。」
まるで母のような話し方だ。
炎嘉が、言った。
「久しいの、聡子。我が話したいと無理を申したのだ。ならば主は、やはりこの異変について知っておるのだな。」
聡子は、頷いた。
「はい。なにぶん未来のことは申せない立場でありますので、詳しくはお話できませぬが、人のことは案じる必要はない、とだけ申しておきますわ。あれらは賢しく育ちました。こちらが気を付けて見ておれば、少々のことは問題ありませぬ。もちろん、中には無謀な人も居りますのでこの限りではありませぬが、ほとんどは弁えて行動致しますから。心穏やかにこの正月をお過ごしくださいませ。」
ならば大層な事にはならぬのか。
皆は、それを聞いてホッとした。
維心は、言った。
「ならば、地の揺れのことはもう聞くまいぞ。して?炎嘉は何を話したかったのだ。」
炎嘉は、戸惑う顔をした。
「何を、とて…。何やら母にでも会いに参った心地であって、特にこれをとはないのだが。」と、聡子を見た。「我は、心を安定させられておるだろうか。」
聡子は、フフと笑った。
「それはご自分が一番ご存知でありましょう。未来はお話できませぬから。しかしながら、良い方向へ向かわれておりますわ。」と、焔を見た。「焔様も。これで過去に対するわだかまりは無くなりましょう。」
焔は、ハッと顔を上げた。
そして、言った。
「そうか、知っておるな。これは必然か。我は阿木を娶れるか?」
聡子は、微笑んだ。
「何度も申しますが、未来はお話しできませぬ。ただ、あなた様の心の内にある某かのことは、これで気付かれたということ。これよりは前世にこだわる事無く生きられましょう。」
肝心な事は聞かせてくれないと焔は眉を寄せたが、維心にはわかった。
何より焔にとって、そんな目先の事よりこれからの事が重要で、それが阿木を娶る娶らないに関わらず、気付いたことにより良くなるのだと聡子は言いたいのだ。
漸が、言った。
「これが何やら大きな存在の妃という奴か?」
そうか、漸は知らない。
途中からなら知っているだろうが、詳しくは知らないのだ。
「…例の騒動の只中で、これが未来を詠む人であった事が分かったからの。かなり先まで知っておるが、しかし言えぬし漏れてはならぬから、天黎に嫁いでその管理下に居るのだ。」
維心が答えた。
漸は、頷いた。
「大まかには聞いておったが、面と向かって会うのは初めてぞ。主は、我が出て参るのも知っておったのか。」
聡子は、頷いた。
「はい。とはいえ、いくらか未来は変わっておりますので。」
漸は、真剣な表情になったかと思うと、身を乗り出した。
「我は?我は価値観が変わるのか。松を娶って後悔はせぬか。婚姻制度を受け入れて良いのか。我が眷属達は混乱するのではないかと恐れておるのよ。王の我がこちらに準ずる決まりを飲むということは、あれらにも同じく飲めということになる。決めかねておるのよ。」
そうか、漸一人の事ではないのだ。
皆は、気付いた。
その制度を飲むということは、他の犬神達にも同じ立場を強いる事になるのだ。
聡子は、じっと漸を見ていたが、言った。
「…それは、漸様自身がお決めになること。何もあなた様一人が誰か一人に決めたとて、それがそのまま皆の価値観にはなりませぬ。元より同じように一人に一人と決めて生きておる眷属も居りますでしょう。他の犬神も、こちらの誰かと繋がりたければ飲まねばならぬのは同じこと。領地全体の決まりまで、急いで変える必要はありませぬ。あなた様がどうしたいのか、あなた様がお決めになるのですよ。しかしながら…松の幸福がどこにあるのか、そちらも考える必要がありまする。それこそが相手を愛するということでなのですよ。一人よがりな好意は愛情とは申しませぬ。無理に繋がる事が死罪である宮の王であられるのですから、そこはお分かりでありましょうけど。」
それには、他の王が神妙な顔をした。
略奪してまで欲しい、愛していると考えるこちらを、暗に批判しているように聴こえたのだ。
とはいえ、こちらも無理に婚姻に到るようなことは、ここのところ上位の中では聞かなかった。
それでも、未だ略奪は合法だったが。
「…分かった。」漸は、答えた。「相手の心地も考える事にする。」
聡子は、微笑んで頷く。
志心が、言った。
「…我は未だに誰かを愛する事はできぬが、誰かを娶る未来はあるのだろうか。」
聡子は、苦笑した。
「…未来が変わり、本来我はあなた様に嫁ぐはずでありました。」志心は、驚いた顔をする。聡子は続けた。「とはいえ、子はできぬでありましたし、それでも幸福に生きたようですわ。ですが、それはあなた様の愛情ではなく思いやりでありました。あなた様は我を愛していなかった。なので、誰か他をとお考えになるのが一番かと。我にこだわらぬ方がよろしいので申しました。歴史は元に戻ろうとするので、あなた様は我が気になるのではありませぬか?それは愛情ではありませぬから、また迷われてはと案じておりますわ。」
志心は、己の心を見透かされたのか、顔を赤くした。
「…見通しておったか。」
聡子は、頷いた。
「それは気のせいだとお教えしておかねば、後に障りになるからと。」
炎嘉は、驚いた顔で志心を見た。
「え、主もか?」
志心も、驚いた顔をした。
「ということは、主も?」
炎嘉は、苦笑した。
「何やら気になるのでな。」と、炎嘉を見た。「ならば我もか。」
聡子は、頷く。
「はい。炎嘉様は我に母を見ておられるようで、それは妃に対する愛情とは違いますわ。勘違いだとお知りにならぬと、出逢う者にも出逢いませぬから、お話ししておかねばと思うておりました。お二人共に、我が心の内を理解しておるように思うて勘違いなさっておいでです。そうではないのですよ。我のことを、愛してはおりませぬし、これからも愛する事はありませぬ。母だと思うて、行き詰まった時にお話しに来られるのは一向に構いませぬから、正しい道にお進みくださいませ。」
だから、炎嘉は聡子と話したかったのか。
維心は、やっと理解した。
だが、天黎の妃となっている聡子を娶りたいとは言えない。
そもそもが聡子を黄泉にやらないためには、それしかなかったから天黎の元にいるのだ。
聡子は、そんな炎嘉と、志心の心を気取っていたのだ。
天黎も知っていて、だからこそ話すのを許したのだろうと思われた。
ということは、聡子と天黎が言いたかった事が伝えられたということなので、聡子が帰される可能性がある。
維心は、慌てて言った。
「聡子。」聡子は、維心を見た。維心は急いで続けた。「我も、話を聞いておきたいと思うておった。我は己の心は決まっておるし、分かっておるつもりぞ。維月を愛して来たし、これからもそうだと思うておるが、それが揺るぐ事があるのか。」
聡子は、それを聞いて驚いたような顔をしたが、フフと笑った。
「まあ、何を申されておるのやら。あなた様は、誰が何と言おうとも維月を愛しておりまする。これまで、離縁だと仰って離れておった時ですら、あなた様は維月を心から愛していた。だからこそ、苦しんでいた時期もありました。ですが、その揺るがぬ事実が維月自身も変えて参り、今では維月は男性としてあなた様以外を愛することは無いのではないかというほどあなた様を愛しておりまする。あの子の気持ちを惹き付けて固定化させた執念は、我も驚くほどですわ。何しろあの子はその今の意識として生まれ出た始めから、十六夜だけを愛して生きておったのですから。十六夜とあなた様を愛して苦しんだ時も、十六夜への愛情だけは揺るぎませんでしたのに、結局十六夜は気ままであるから、男性として愛するには難しくなって参って、あなた様が残った結果でありますわ。今も、あの子の心には十六夜が居りますが、それは男女という垣根を越えた部分でのことで、形が変わっておりますの。詠んでおった我でも驚く執念だと、あなた様には感服しておりました次第。今さら、誰が割り込もうとも無理でありますわ。ご案じなさいますな。あなた様がお聞きになりたいのは、そういうことでございましょう?ご自分のお心など、とっくにご存知であるのですわ。あなた様が我に問うたのは、己の心ではなく維月の心でありましょう。」
維心は、今の一言で気取られたのかと思ったが、思えば聡子は、自分達の全てを見ていて知っているのだ。
維心が何を考えて言ったのか、全てお見通しなのだろう。
炎嘉は、苦笑した。
「だから言うたではないか。見ておって知っておるから、遠回しに聞いてもバレるのだ。直接聞いた方が良いぞ?とはいえ…」と、聡子を見た。「誰を愛するようになるのか、それとも時期すら教えてはもらえぬか。」
聡子は、微笑んで首を振った。
「それは、我が今申すことではありませぬ。未来の事でありますので。」と、宙を見た。「そろそろ、戻らねばなりませぬわ。お話しすべきことは、お話し致しましたから。」
やはり、炎嘉と志心の誤解を解いておかなければと思うたから出て来たのか。
維心は、思った。
天黎が、言った。
《…それまでぞ。主らはとかく未来を聞きたがるからの。あの時はどうだったとか、そんな事なら聡子も話せるが未来まではならぬ。そも、未来は変わるのよ。今も、聡子が知る同じ未来ではない。しかし、流れは戻ろうとするゆえ、同じ事が起こって参るが主らの判断もまた、流れの中で変わって参る。これ以上はならぬ。》
聡子は、頭を下げた。
「では、御前失礼致しまする。また、何か過去の事でお話になりたい事がありましたらお会いすることもございましょうから。」
炎嘉は、頷いた。
「名残惜しいが、しようがない。また、二人で話せる時に参るわ。」
志心も、頷く。
「行き詰ったらの。母だと思う事にする。主は若いがの。」
聡子は微笑んで頷くと、そこを出て行った。
残された者達は、何やら不思議な心地がしたのだった。




