月の宮へ
とりあえず、旅立つ支度は整い、旭も本宮に帰って準備をして、そうしてその日は終わった。
維心が部屋に帰ると、維月は何とかまとめた厨子の山に囲まれて座っていて、維心を恨めしげに見た。
維心は、先に言った。
「焔には言うたぞ。まさか阿木を龍の宮へ帰すとか言わぬだろうの。」
維月は、ため息をついた。
「そこまで意地悪くはありませぬ。月の宮には私の侍女が多いので、全員帰すつもりでおりましたが、阿木は残すことにしました。阿木にも遠回しに事情は説明しましたわ。他の侍女達は己らが非番になるので阿木に同情したような顔をしておりましたけれど、仕方がありませぬから。焔様には、困った方ですこと。」
維心は、ホッとして頷いた。
「あれには気の毒だが、焔は本気であれを娶ろうと思うておるようであるからの。とりあえず、慎吾を呼んで話はした。あれも驚いておったが、無理にとは考えておらぬからと申したので少し安堵したようよ。皆が居る場であったし、焔がそれから必死に不幸にはせぬからとか、急いて無理に娶る事はないからとか慎吾に訴えておったが、慎吾は複雑そうだったわ。」
維月は、隣り座る維心の手を握って、頷いた。
「さもありましょう。最上位の王からのお話でありますし、宮を跨いで嫁ぐなど、龍であったら稀なことでありますし。考えてもおらなんだでしょう。とはいえ、あの子なら、維明か将維の妃にでもなれると思うておりましたから、焔様とは残念な心地です。」
維月から見たらそうだったのだ。
維心は、苦笑した。
「確かに維明に叔父上の記憶がなければそれも考えられたが、あれは無理だろう。もう、維明の後は維斗の子の維知だろうと我は諦めておるよ。」
維月は、頬を膨らませた。
「それでも、慎吾だって維明の妃である方が余程嬉しかったでしょうに。子も成せぬ縁とは、気が重いのではないでしょうか。気が揉めますわ。焔様のご気性は存じておりますし、どこまで信じて良いものやら。」
確かにそうだが、焔の様子を見ると断るのも気が咎める。
維心は、維月をなだめた。
「そう申すな。此度は誠に心底娶りたいようぞ。とにかくは様子を見てやろうぞ。あれも主に詫びを申しておった。己から申すと言うたが、そこまでせずとも良いと我が申したのだ。ここは我の顔を立ててくれぬか。」
維月は、驚いた顔をした。
「え、私に詫びをですか?そのような…そこまで思うて申したのではありませぬのに。」と、ため息をついた。「…分かりましたわ。維心様がそこまで仰るのなら。結局は阿木が決めることでありますし、阿木から見ても、愛してくれない皇子の妃より、心から望んでくださる殿方に娶られる方が幸福でありましょうし。ただ、気まぐれであられてはと、そこだけを案じておりましたの。焔様次第でありますわ。」
確かにそうだ。
維心は頷いて、これ以上焔と阿木のことで、部外者の維月と維心で話し合うのも不毛な気がしたので、その日はそのまま休んで次の日に備えたのだった。
次の日、三日間世話になった旭の離宮を後にした。
こうして上空から見ると、それは美しい宮で風呂も良く、来た甲斐はあった。
また来たいと維月と話し合いながら、先頭を行く蒼の行列を追って、龍の行列は一路月の宮へと飛んだ。
後ろからは序列順に、炎嘉、漸、志心、箔炎と続くが、それが一筋の金色の帯のように、地上からは見えているだろう。
道中維心と維月は地上を眺めながら、その様子について話をした。
維心は気の乱れを見つけると、さっさと通りすがりに整えて行くので地上が整って行くのが見える。
これも神の役目なのだが、そこまで細かく自分の管轄以外を整える必要はない。だが、性なのか他の王達も同じようにあちこち気を配って整えながら飛んでいるのが遠く分かった。
…つくづく、人は神に生かされているのだわ。
維月は、それを見ながら思っていた。
途中、焔が自分の領地の山に登っている人が、迷って面倒になっているのを見つけたらしく、軍神をやって対応させたりしていたが、それ以外は難なく月の宮ヘ到着した。
焔が、やっと輿から降りて来て、言った。
「誠にこんな天気に登ろうとするからあんな目に合うのよ。」と、ぷりぷり怒って言った。「ま、命は助かった。あやつは度々見掛ける奴で、いつもは夏頃来ておったのになぜに今居るのよと焦ったわ。いつなり山頂の社に酒を担いで上がって参る信心深い奴でな。放置もできぬで。」
神は、見ているのだ。
維心は、苦笑した。
「冬の山も踏破してみたいと思うたのでにないのか。人は何事も上を目指すからの。」
焔は、フンと鼻を鳴らした。
「それで命を落としておったら意味はないわ。冬は人にとり、あの山は厄介なのだ。登れば登るほど天候が変わる。毎年何人かは命を落としておるからの。此度もあやつの他に居ったが…波長が合わぬ者はいくら我らでも見つけるのが遅れるからの。あの男は心根が良く、そも、山に登るのも我の社に参るためのようで、毎回願いもせず挨拶だけして帰るのだ。波長が他より近いので来たらすぐに気取るゆえ、此度は我も通りすがりに気取ったのだ。人も真に困った時に助けて欲しければ、我らに気取られるように正しく生きて己を磨けと言うのだ。ま、気取ったからと全て助けるわけではないが。それが宿命であるもの達も居るしな。歯がゆいが仕方がない。」
維心は、頷いた。
維心の領地にも山はあるが、そこまで険しい山でもないのにたまに遭難者が出ているようだ。
維心は基本的に人世のことには関与しないので、それらの事は知らないが、しかし社に願いに来てから登るもの達は、臣下が面倒を見ることもあった。
要は、人も心掛け次第だし、それが運命でなければ、神に見つけてもらえたら助かることもあるのだ。
とはいえ、災害となるとこうは行かなかった。
いくら神でも、手からこぼれ落ちるように助けられない人も出て来て、そんな時は心を痛めていた。
神は基本、皆を助けたいのだ。
だが、数が多すぎるとどうしようもないのだ。
「…しようがない。我らだってできることとできぬことがある。此度はとりあえず、その男は助かったのだから良しとしようぞ。」
そうして、全員が降りるのを待って蒼に案内されて、例の広間へと向かう道すがら、志心が言った。
「こちらへ戻って良かったものよ。なにやら気の乱れをあちこち感じて正して来たが、どうも地本体が不穏な気を発しておるような。碧黎は何か知らぬのか。」
維心は、歩きながら頷いた。
「気になるゆえ、我もあちこち気を配って飛んでおったが、確かに完全には収まらぬようよな。」
維月は、ハッとした。
そういえば、ここのところ陰の月で居て、地になっていなかった。
「我が陰の地になっておらなんだせいやもしれませぬ。」と、ふと目を伏せた。そして、目を上げた。「…只今は陰の地に。」
志心は、維月に言った。
「何か分かるか。」
維月は、じっと探った。
何やら、我慢しているような。
言い方は悪いが、人の頃にトイレに行きたいのを我慢していたような、そんな切迫した感じだった。
「…何かを必死に堪えておるような。」と、宙に言った。「お父様?何を堪えていらっしゃるのですか。」
すると、碧黎の声が応えた。
《分からぬか。地が移動しておって歪みが生じておってな。それをゆっくり逃そうとしておるが、じわじわずれて僅かに振動しておるのだ。気を抜いたら一気にずれる。そうなると地震になるが、此度は範囲が広いので必死にもなるわ。》
維心は、眉を寄せて言った。
「どの辺りよ?」
碧黎は、うるさそうに言った。
《海の中ぞ。人が申す東海のプレートの移動で一気にずれたら大地震になるゆえ、津波が起こる。なので話し掛けるでない。》
それだけ緊迫しているのだ。
翠明が言った。
「東海?!西の島も沿岸がヤバイのではないのか。」と、綾を見た。「帰らねば。一気にずれたら津波の被害を抑える必要がある。人がまずい。」
綾は、深刻な顔で頷く。
炎嘉も、慌てて踵を返した。
「我もぞ!南であるからまともであるわ。遊んでおる場合ではない。人は飛べぬからの。」
高彰も言った。
「東海ならうちなどまともであるわ。帰らねば。」
碧黎が、それこそ面倒そうに言った。
《聞いておらなんだか。我が抑えておるから向こう二月は何もないわ。だが、二月後には全部伸び切るので、上のプレートが下のプレートへ乗り上げるのでどうしても揺れるぞ。被害は最小限に抑えられるように励むが、こればかりは分からぬからの。対応は正月過ぎてからでも間に合うわ。それでなくともイライラしておるのにそんなことぐらい察せぬか。》
碧黎の機嫌が、すこぶる悪い。
維月が、慌てて言った。
「お父様、私もお手伝い致しますわ。少し休んでくださいませ、イライラなさっておっては手違いが生じるやもしれませぬし。」と、維心を見た。「維心様、しばしお側を離れるのをお許しくださいませ。」
維心は、事が事なので、頷いた。
「良い。何とか抑えて欲しい。」
維月は頷いて、その場で光になった。
《…主が来てもそう変わらぬが、では頼むわ。》
碧黎の声がする。
維月の光は、スーッと床の方へと流れて、消えて行った。
今は大丈夫だとは言うが、それでも正月気分は一瞬にして消えてしまったのだった。




