二日目の夜
そのまま、皆で風呂から出て元居た広間へ戻ったが、焔はそこに居なかった。
漸も、やることがあると早々に部屋に戻ったので、結局しばらく酒を酌み交わしてから、皆は妃を連れて部屋へと引き揚げた。
維心は、維月と共に戻って来たが、そこで一応、焔の事を話しておこうと口を開いた。
「…焔の件であるがの。」維月が顔を上げる。維心は続けた。「前世の、いびり殺された気の弱い妃に、阿木が似ておるようで。一目で側に置きたいと思うたらしいのだ。あの、トラウマになった出来事のやつぞ。」
維月は、目を丸くした。
「まあ…では、秋津の役をしたからとかではないのですか。」
維心は、頷いた。
「その通りよ。ゆえにな、我も強う言えぬで。あれは恐らくその妃を愛しておったのだ。居らぬようになってからそれに気付いたようで、その後悔からあんな風に女を不審に思うようになってしもうておった。阿木は龍だが、あれにはもう煌が居る事だし、子さえなさねば良いかと我は思うておって。とりあえず、阿木次第であるから、時を掛けて文でも書いてはどうかと申した。ゆえに戻って来なかったのだ。」
維月は、そうだったのかと袖で口を押さえた。
トラウマの妃に似ていたのなら、焔の反応も分かる。
阿木は確かに、どこかの王妃でもおかしくないほど美しく気品があるのだ。
「…困りましたわね。そうなると私も反対はできませぬが、それでも阿木の気持ちもございます。維心様が仰るように、阿木の心を時を掛けてほぐしてくださるのならば、私も否とは申しませぬわ。性急に娶るとは、申されずにということですわね?」
維心は、何度も頷いた。
「その通りぞ。そこは釘を刺しておるから案じる事はない。桜の事もあるゆえ案じるやもしれぬが、あれはそもそも臣下のような心地でおったようだしの。妃にしたいなど、初めてのことではないか。ゆえ、無碍にもできぬ。」
維月は、仕方なく頷いた。
「はい。それはその通りかと。婚姻に至った経緯が経緯でありましたし、そこはもう申しませぬが、阿木に飽きたからとか、無いと約してくださらぬことには。あの子はまだ若いですし、案じられますの。娘のように思うておりましたから。」
維心は、何度も頷いた。
「分かっておる。なので、しばらくは大目にみてくれぬか。文のやり取りぐらいはさせてやって欲しいのよ。」
維月は、苦笑した。
維心は王なのだから、命じたら済むのだが維月をきちんと納得させようとしてくれるのだ。
なので、頷いた。
「はい。強引なことをせぬと約してくださるのなら、よろしいですわ。黙って見守ることに致します。」
維心は、ホッと頷いた。
「そうか。良かったことよ、安堵したわ。」と、維月の肩を抱いた。「時に維月よ、此度の遊びのためによう励んでくれたのだの。様々な小道具などにも力を入れておって、なかなかに楽しめたわ。」
維月は、微笑んだ。
「そう仰ってくださると報われますわ。皆様に真剣に励んで頂こうとよくよく考えて準備を致しましたの。誠に維心様には能力が高くていらっしゃるから。信じて凝った細工をした甲斐がありましたこと。笙や秋津の部屋のことに関しても、参加者から調べたいと言うてくださらぬことには、こちらから提示はできぬようになっておりまして。炎嘉様とも上手く連携されていて、見ていてさすがに維心様だと誇らしく思うておりました。」
維月はフフフと笑って維心に抱き付く。
維心は、苦笑した。
「あれぐらいはの。最初は戸惑ったが、あんな感じなのだな。犯人を引いてしもうておったら、面倒だったなとは思うた。我は犯罪者になったことはないからの。志心も、犯罪者の心地がよう分かったとか言うておったし。」
維月は、頷いた。
「はい。誠にそれはそうですわ。あの面々の中で、隠し通すのは難しいですものね。でも維心様なら、上手くおやりになるかと思いますけれど。」
維心は、また苦笑した。
「どうであろうな。ま、明日は別の遊びが良い。何やら確かにおもしろかったのだがの、遊んでおるという感覚ではなかったわ。炎嘉が次席の瀬那で良かった。あやつとなら何でも何とかなるものぞ。」
維月は、微笑んで頷いた。
確かに二人は、何をしてもお互いに上手く回す気がするのだ。
二人は笑い合って、そうして寝室に移っても今日のゲームの話をしながら、いつしか眠りについたのだった。
次の日の朝、ゆっくりと侍女達が淹れてくれた茶を飲んでいると、維月が呼んでいた、阿木が入って来て頭を下げた。
「王妃様。お呼びでしょうか。」
維月は、頷いた。
「ええ、聞きたいことがあって。王からお聞きしましたけれど、焔様から御文が参っておりませぬか?」
阿木は、驚いた顔をしたが、頷いた。
「はい、王妃様。あの…でも、お誘いになるとか、そのような内容ではありませぬで。昨日の労いの御文を戴きました後、お返事をお書きして、その後何度かやり取りを致しました。ですが、特に…。」
焔様は、本気なのだわ。
維月は、それを聞いて思った。
王なのだから、最初から上から目線で娶りたいとか何とか言って、こんな別の宮の、しかも離宮に滞在しているのだから忍び放題だというのに、そんな性急な事をしていない。
つまりは、阿木の心が欲しいと思っていると維月には見えた。
なので、頷いた。
「そう。あの方は大変に明るく快活で身分など気にしない裏表のない神であられて。あなたも、構える事無くお返事差し上げたら良いかと思いますよ。只今は妃も居られぬので、お気軽に御文をお書きになられておるのだと思いますし。」
阿木は、微笑んで頷いた。
「はい。大変に美しく、王妃様が仰ったようなご性質が垣間見える大らかで明るいお手でありました。我も、学ぶことが多いので楽しくやり取りをさせていただきました。」
維月は、頷いた。
「良い事ですわ。ならば良いの。務めに戻って良いわよ。」
阿木は、頭を下げた。
「はい。御前失礼致します。」
阿木は、そこを出て行く。
その背を見送ってから、維心は言った。
「…焔は上手くやっておるようよ。」
維月は、頷く。
「はい。今の話を聞いて、焔様のお心の誠を知った心地ですわ。龍の宮ならいざ知らず、ここに滞在しておるのですから強引に忍ぶのに絶好の機会でありますのに、それをなさろうとしておられませぬ。焔様は、阿木の身ではなく、心が欲しいとお思いなのですわ。」
維心は、そう判断するのだなと頷いた。
「そうか。ならば良かった。焔も、本気になれば気遣いもできるという事であるの。」
つまりは、これまでは全く本気でなかったという事だ。
焔の心には、前世から他の女神が居たのだろう。
それに、本神すら気付いて居なかったのだから、回りが気付かなくても仕方がない。
そう思うと、焔はとても一途な神のような気がして来た。
「…とはいえ…阿木は、その死んだ妃ではありませぬから。そこは、焔様には分かっておいていただかねばなりませぬわ。似ておるのは見た目だけだったとか、そんな風で返すと仰るようなことが無いように、維心様も目を光らせておいてくださいませ。私も見ておりますけれど。」
維心は、頷いた。
「分かった。ならばそのように。」と、話題を変えようと言った。「…そろそろ、広間に参るか。皆も出て来ておるのではないかの。皆が揃わねば、本日の遊びもできぬと待っておるやもしれぬぞ。」
確か、今日は蒼が持ってきた双六をやるのだとか昨夜言っていた気がする。
維月は、待たせてはいけないと、頷いた。
「はい、維心様。参りましょう。」
そうして、二人は皆が待つだろう広間へ向けて、歩いて行ったのだった。




