記憶
漸と維翔が出会ったのは、まだ幼い頃だった。
最初に映った維翔の姿は、水面に映る幼い維翔だ。
それを、己で見ていた時の光景であったようだった。
だが、実際には維翔は、己の姿ではなく、水の中を見つめていたのだ。
「!」
維翔は、いきなり飛び込んだ。
何事かと思っていると、ぐんぐんその視界の中に幼い子供が見えて、その子は溺れているのか水中でもがいていた。
よく見ると、その回りには別の幼い龍が戯れていた。
どうやら、水に沈めて遊んでいるようだった。
《何をしておる!》
念の声が響く。
幼い龍達はびくりと肩を震わせて、こちらを見た。
そして維翔をみとめると、慌てて逃げ出した。
《維翔だ!逃げろ!》
やはり龍なので物凄い速さで水面へと飛び出して飛んで行く。
維翔は、溺れた子供を片手で掴むと、水の外へと連れ出して地面へ放り出した。
ゲホゲホと水を吐きながらもがく相手を見下ろしながら、維翔は黙っていた。
相手は、言った。
「主も…龍であろう。」相手は、よく見るとあの漸と同じ髪の色、瞳の色だった。「なぜに助けた。」
維翔は、答えた。
「別に主に恨みなどないから。」
維翔は、答えた。
恐らく漸であろう幼子は、怪訝な顔をしたが、言った。
「我はガク。犬神の中で一番に力を持つ男の、子ぞ。だからあれらは殺そうとしておった。なのに主は恨みはないと?」
維翔は、頷いた。
「だから主が何をしたのだ。我は別に物を取られた覚えもないし、殺す意味が分からぬわ。犬神の中で一番に力を持つ男がなんぞ?その子だからと将来脅威になると?」維翔は、フフンと笑った。「脅威になったらその時殺す。我が負けるはずなどないからの。あれらは弱いゆえこのようなことをするのだ。愚かよ。集落へ戻ったら殺しておいてやるわ。」
今とは価値観が違うとはいえ、子供が簡単に同族を殺すと口にするのか。
維月はショックを受けたが、他の神達は真剣に見ている。
維月はため息をついて、先を見続けた。
それから、漸の前世であるガクは、よく維翔に会いに行っていた。
維翔は今の価値観では理解できないぐらい残虐な側面を持っていたし、短気でよく神を殺した。
小さな頃から誰より気が大きく生まれていて、それでも誰も文句など言わなかった。
父親さえも、維翔を殴った時に殺されたらしく、とっくに居なかった。
その父親も、維翔がかなり小さな赤子の頃に手を出したので、気で一気に消されたのだ。
なのでそれから維翔は、赤子であるのに誰の手も借りずに生きて来た。
その必要がなかったのだ。
あの日、ガクを沈めていた幼い龍達は、その言葉通りに集落に帰ってから全て殺されたらしい。
後にガクに当然のように語っていたので、それを知った。
…子供ですら殺し合うような時代だったのね。
維月は、悲しくなりながらそれを見ていた。
ガクと維翔は、共に略奪などを繰り返しながら生きていた。
言っていた通り、ガクは維翔を助けていたし、維翔もガクには短気に気を放ったりはしなかった。
途中、鳥のエンゴウが加わるようになり、ガクとエンゴウは気が合うようで、よく酒を飲みながら楽しげに話して歌を歌ったりしていた。
維翔はそれを前で見ながら酒を飲むだけだったが、三人で居ると楽しげだった。
楽器もなく、この頃の歌は何か間延びした感じの、今では理解できないものだったが、それでも楽しげだった。
そうやって育った三人は、お互いに一番の力を持つ神として、同族には恐れられ、他には避けられた。
龍も鳥も犬も、皆あちこちに集落を形成していてその集落ごとに争っていたが、豊かなこの三人の集落は大きくてよく狙われた。
お互いの危機には駆け付けて戦っていたが、維翔がある日突然、言い出した。
「…毎日奪うばかりでおもしろうない。生み出す神に出会っての。そこでは内でいろいろ育てたり作ったりしておるので、着る物も良い形にしておる。我もあれが良いのではと考えておるのだ。」
ガクは、頷いた。
「そうか、どこぞ?今から制圧しに参るか。」
維翔は、ガクを睨んだ。
「何を聞いておったのよ。奪うのには飽きた。こんなことは続かぬ。我も生み出す方法を知り、部下にさせたいと考えておる。そうしたら奪わず生きていける。」
エンゴウが言った。
「…そんな落ち着いた土地などないぞ。どうせ他が奪いに参る。」
維翔は、頷いた。
そして、手を軽く上げた。
「…戦う時に防御の膜を張れるだろう。これを大きくして、全てを包むのだ。結界ぞ。さすれば中は守られる。大きな気を持つ我らにしかできぬだろう?そして、我は今から龍を束ねる。石造りの宮を建て、そこに住んで皆を守るのだ。一族全ての王となるのよ。我は龍の他の集落を回って、我に従わぬものは殺す。従うものは守ってやる。そうやって広い土地を治めて参る。平和な世というものを、作りたいと思うてな。」
ガクが、眉を寄せて言った。
「…あの女か?珍しく殺さず何回も通っておるという。」
維翔は、苦笑した。
「主にも分かる。あれと生まれて来る子を守りたいのだ。あれらに我のような殺伐とした中で生かしとうない。全てを平穏に治めて、必ず一族を束ねてみせる。主らはどうする?」
エンゴウが、渋い顔をした。
「…面倒なことであるぞ?かなりの数の鳥を殺す必要があるし。あれらは我に従うかの。集落の長は恐らく抵抗しようしのう。」
ガクは、しかししばらく考えていたが、ポンと膝を打った。
「…いや、おもしろいぞ。」エンゴウが驚いた顔をする。ガクは続けた。「我も宮というのを建てる。そのためにはあれらに言う事を聞かせねばならぬしなあ。面倒だがどうせ暇だしやるわ。何ぞ、主にはできぬのか?一族一の腕前だとか言うておったが、偽りか。」
エンゴウは、ムッとした顔をした。
「何を?だったら我の方が先にあれらを統一してみせるわ!誰が一番先に宮を建てるが競争ぞ。我は南西を広く治めるつもりであるが、主はどこぞ、維翔?」
維翔は、答えた。
「我は東。今居る集落の近くの滝の上に広い平地があるので、そこを中心に広げて参るわ。」
ガクは、頷いた。
「島の中心辺りだの。では我は今少し南東にしよう。」と、維翔を見て笑った。「面白そうよ。やろうと思うたら俄然やる気が出て参った。主にはいつも敵わぬから、せめてエンゴウより先に宮を建てて見せるぞ!」
エンゴウは、怒って立ち上がった。
「何を?!こちらのセリフぞ!」
そうして、三人はそれぞれの領地となる場所へと戻って行った。
そこからしばらく、三人が揃って会うことが無くなった。
維翔は、後に神世最古の宮として名を馳せる龍の宮を、言った通りの場所に立ち上げた。
維翔がその気になれば、龍の制圧など一瞬のことであった。
維翔が交渉に行くと、あっさりと陥落する龍が続出して全てが維翔の支配下に下って行ったからなのだが、最後の一人に手こずって、それにより誰より愛した出海を亡くした。
子は無事に生まれたようだったが、維翔はそれから、暗く沈んだ様子になった。
そもそもが、維翔がこうして宮を建てて一族を束ねたのは、出海と子のためだったのだ。
ガクも続いて宮を建ち上げたが、常険しい顔をしている維翔に掛ける言葉もなかった。
エンゴウも、ガクの次に宮を建てて一族をまとめたが、同じように維翔には、なかなか会いに行けぬようになっていた。
しばらくして、あちこちにそれぞれの種族の宮が立ち上がり出した頃、維翔からの呼び掛けで、王と名乗りを上げた者達が、一堂に集まる機会があった。
その時、宮を建てるまでに力を持っていたのは龍、犬、鳥、獅子、白虎ぐらいだった。
他にもちらほらと王となろうと戦を繰り返している土地もあったが、基本的にこの五つの宮の結界内、領地内には全く諍いはなく、一族は平和な中で繁栄して増えて行った。
五つの宮は、まだ並び立っていて、維翔を警戒していた。
だが、維翔はこの島という土地の他にも土地はあり、そこに神が居て島を狙って来るやもしれぬので、その時に一枚岩でなければやられてしまうぞと皆を諭して、何とか時々は、集まって話すだけはすることになった。
それでも、時々小競り合いがあった。
宮同士、どちらが豊かだの、どちらが優秀だのと常に張り合うような状況だったからだ。
皆が皆、己が上にと行きたがる。
ガクは、ただ楽に楽しく生きたいだけだと、よく維翔に言って苦笑されていた。
そんな時に、あの事件が起こったのだ。