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重い空気

隣りではそんなこんなで重苦しい雰囲気になっていたが、妃達の方はというと、キャッキャと楽しく笑いながら珍しい乳白色の湯に浸かって話していた。

「誠に良い湯でありますこと。」綾が、笑って言った。「月の宮の湯もとろりとして良い心地でありましたけれど、こちらもまた珍しいですわね。我は初めてですわ。」

維月が、頷いた。

「我は昔、兄の十六夜と共に参った事がございますの。良い心地ですわね。」

楢は、浴衣を着ないで風呂に入るという経験が全くなかったらしく、とても恥ずかしそうにしていたが、綾が透明の湯でも皆様でこのように開放的に入るのですよと小声で言って、誰も気にしていないのを見て、気にするのをやめた。

そもそも、女同士だし何も恥ずかしがる必要などないのだ。

それに、そんなに気にしなくても、この湯の中に沈むと何も見えなくなる。

なので、今では楽し気にしていた。

「誠に、浴衣が貼り付いて面倒だったのだと、こうして入って思いますわ。」楢が、笑いながら言った。「こんなに開放的な心地になるなんて。風呂が好きになりそうですわ。」

維月も、微笑んで頷いた。

「誠に。我など常浴衣を着て風呂に入る事など無いのですわ。侍女達に助けてもらわず一人で入るので。風呂ぐらいは、落ち着いて入りたいと思いましてございます。」

確かに一人でも入れる。

楢は、思って頷いた。

いつも侍女がついて来るのが普通だと思っていたのでそうしていたが、思えば一人で余裕で風呂ぐらいは入れるのだ。

「…誠に。我も宮へ帰ったら、一人で入ると申しましょうかしら。」

楢が言うと、綾は頷いた。

「そうなさいませ。我も月の宮でこうして入ってから、宮では一人で入るのですわ。毎日一日の終わりに新しい心地になりますの。やはり、常誰かに見られておる我らでも、一人になる時間は必要ですわ。」

楢は、頷いた。

皆のために皇女らしく、そして今は王妃らしくと振る舞っていたが、自分もこうして気を抜く瞬間が欲しい。

楽し気に気を遣う事無く話ながら笑い合う皆を見ていて、楢はここへ連れて来てくれた、樹伊に感謝をしたのだった。


一方、隣りから楽し気な笑い声がして、皆沈黙していたのが、ハッとそちらを見た。

炎嘉が、言った。

「…あちらは楽し気よな。」と、ため息をついた。「…主が言うは当然のことぞ、漸。だがの、誰もが未来永劫自分の心地を確約などできぬもの。そんなことを律儀に考えておったら、婚姻などできぬわ。だが、お互いに分かり合って長く続けて行こうと努力はするし、維心のように、前前世前世今生と、ずっと維月だけを愛している奇特なヤツも居る。今の心が誠であるなら良いではないか。結局はそこなのだ。今の心の誠が重要であって、それからはそれから考えるが良い。主が言うように、松は確かに品のある美しい女ぞ。それがああして臣として蒼に仕えておるのだから、他の男も気軽に声を掛けるという事にもなる。かすめ取られたら耐えられぬだろうが。」

漸は、炎嘉をむっつりと見た。

「…主はなぜ松を知っておる。主が言うように、あれは臣として仕えておるのに。」

炎嘉は、ため息をついた。

「だから、松が皇女であった時に渡の所で見た事があるからぞ。蒼の宮へも何度も行っておるし、あれが侍女として働いておった頃から見ておるわ。ちなみに主がそっくりだと申した樹伊の妃の楢は、松の妹なのだ。似ておって当然なのよ。」

あれは妹か。

漸は、やっと合点がいった。

つくづく自分は、こちらの王達やその関りを、何も知らないのだ。

「…ならば楢は松の事をよう知っておるか。話を聞きたいもの。」

それには、志心が言った。

「漸、今も申したように他の男の妃となっておる女に、軽々しく話すなどできぬのよ。知っておって何度も面識があり、挨拶なども交わしておるような仲ならば良いが…例えば、昔から知っておる維心の妃の維月などは我らも気軽に話しかけるが、それでも気を遣う。婚姻とは、そういうものなのだ。その女に対する権利を持つ事になるゆえ、夫が否と申したら見ることすら許されぬし、だからこそ、婚姻して囲い込んで世話をして責任を持つのだ。」

漸は、そこまでやるのか、と驚いた。

確かに、話しているうちに親し気になったと思ったら、別の男に乗り換えるような女を何度も見て来たし、それが日常的だった。

特に気にも留めていなかったが、漸は自分の価値観の崩壊を感じていた。

「そうか…分かった。ならば、やはり松本神に聞くのが良いのだの。」と、息をついた。「…考えてみるわ。確かに今だと申すなら、今は誰にも取られとうないし…主ら言うところの、婚姻関係とやらになった方が、我にとり良い事の方が多いような気がする。他の女には、これほどに関心も湧かなかったし、松が常傍に居ても鬱陶しいと感じる事もないだろうと思う。」

じっと黙っていた翠明が、言った。

「…そろそろ茹って参ったのだが。出ぬか?」

言われてみたら暑い。

維心が、立ち上がった。

「出ようぞ。隣りから妃の声も聴こえぬようになっておるし。あやつらも出て支度をしておるのやもしれぬしな。戻ろうぞ。」

皆は頷いて、立ち上がった。

疲れが取れるというより、何やらモヤモヤが残る入浴となってしまった。


脱衣所から出て来ると、外で待っているはずの妃の侍女達が居ないので、恐らく今頃は脱衣所で着替えているのだろうと思われた。

妃達の支度に時間が掛かるのは分かっている事だったので、焔が言った。

「待つとか申すなよ?部屋へ戻って蒼が持って来た冷えたビールでも飲もうぞ。犯人捜しは明日だと言うし、ならば楽でもやらぬか。」

漸が、不思議そうな顔をした。

「ビールとは何ぞ?」

炎嘉が、言った。

「麦から醸造する人世の酒でな。炭酸で黄金色で泡が立つのだが、なかなかに旨いのよ。蒼の所でしか作っておらぬので、要る時は蒼に言うて持って来てもらう。此度は、言わぬでも持って来てくれたのだがの。」

旭が、頷いた。

「早う参ろうぞ。喉が渇いてならぬからの。蒼殿が、あれは風呂の後が旨いとか申すしまだ口をつけておらぬのだ。妃はまだまだ時が掛かるわ。さ、参ろう。」

旭が、さっさと歩き出す。

炎嘉が、維心を小突いた。

「そら、維月はまだ出て来ぬだろうぞ。早う参ろう。」

維心は、ブスッとした顔で炎嘉を見た。

「別に我は待とうと言うておらぬではないか。我だって待つのは否ぞ。戻ってあちらで待つ。」

翠明が、さっさと横を歩いて行きながら言った。

「どうせあれらは話しておって遅うなるわ。ささ、参ろう。ビールぞビール。」

漸は、歩き出しながら言った。

「主もか。それはそんなに旨いのか?」

焔が、前から振り返って言った。

「喉が渇いておる時には格別なのだ。しかも術でよう冷えておるしの。主も絶対気に入るぞ。」

漸は、明るい顔になって足取りが早くなった。

「誠か。珍しい物は試してみたい。」

蒼が、笑って言った。

「酒の肴もあるぞ。月の宮はいろいろ変わったものがあってな。正月はお節料理というのがあるのだ。それを持って来ているので。」

漸は、ウンウンと素直に頷いた。

「ほほう。月の宮は人世のようなことをするのだの。お節料理というのは聞いたことがあるぞ。我の領地の中の人が年末になると大騒ぎして、そのようなものを作って正月に食しておる。気になっておったのよ、彩りが綺麗であるし、どんな味がするのかとの。あれらが我らに供えるのは、酒やら野菜やら生米やらで、加工しておらぬからなあ。」

確かにそれが人から神への供え物のオーダナリティーな物だからだ。

蒼は、笑った。

「材料をもらわないとこちらも人が加工した物だと受け取りづらいではないか。宮で作ったものであるから、安心して食べてくれたら良い。見た目だけでなく味もいいぞ。」

漸は、来た時とはうって代わって明るい顔で頷いた。

「楽しみぞ。」

少し、出会った頃の明るさを取り戻して来たように見える漸に、蒼はホッとした。

今の風呂での会話で、松の事に関して考えが固まって来たのだろうなと、気の色から感じていたのだった。

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