縁談
それを、聞いていた者が居た。
十六夜だった。
臣下の恋愛話など普段なら放置して聞き流していた十六夜だったが、こればかりは放置しておくわけにも行かず、夕方ふらふらになって会合から戻って来た蒼に、月から話し掛けた。
《蒼。漸が来てたのは知ってるか。》
蒼は、疲れ切った様子で頷く。
「知ってるよ。挨拶はもういいって言ってあるから直接学校に行ったんじゃないか。でもすぐに帰ったって嘉韻から聞いてるけど。」
十六夜は、頷いたようだった。
《すぐ帰ったのは用が済んだからだ。その用ってのが、松に会う事だったんでぇ。》
蒼は、顔をしかめた。
「は?ま、常に松に会いには来るけどな。でもいつも教育の事について話すのが目的で、松に言い寄るとか全く無いって松本神も言ってたんだけど。」
十六夜は、言った。
《…それがな。今日はさ、ちょっと違ったんでぇ。というのも、あいつはな、松が自分に言い寄って来るのを、待ってたらしいんだよ。》
蒼は、仰天した顔をした。
言い寄るって?!
「え、松が?!他のはぐれの神出身の神だったらあり得るかもしれないけど、松はないだろう。」
十六夜は、渋い声音で言った。
《違う。問題はそこじゃねぇ。あいつが松が言い寄って来るのを待ってたってのが問題なの。聞いてると、あいつを拒絶する女なんかいなかったから、自分が気に入ったら近寄って行けば向こうから言い寄って来たらしいんだけどよ、松はいくら通って話してても、全く言い寄って来ないから遂に焦れて自分の子供を産む気はないかって聞いてたんだっての。》
蒼は、目を見開いて空を見上げた。
「え、じゃあ婚姻の申し込みって事か?!」
十六夜の声は、イライラと言った。
《だから違う。松は、漸の価値観を知ってるし一時の相手は無理だって断ってた。そういう仲になるなら一生仕えて行きたいって。そしたら、松の事は長く一緒に居られそうだって答えるだけで、漸は未来永劫とは答えられなかった。松からしたら、婚姻の申し込みだったら受けたかもしれないって答えてたよ。確かにあれだけ価値観が違ったらヤバイよな。松が言う事は間違ってないとオレも思う。漸も、そこまで言われて一生とは約束出来ねぇみてぇで、あっさり引き下がって帰った。だから良いんだけどよ、一応こんなことがあったってお前も知っといた方がいいと思って。》
蒼は、額に手を置いた。
漸はやはり無理やりとか考えてはいない。
そういうことは悪とする宮で生きて来たので、相手が否なら否だとあっさり退く。
普通の神の王なら、部屋で二人きりなんだから簡単に略奪しただろうからだ。
それでもこちらは略奪婚が合法で、そうなっても誰も責めたりしないのを知っているのにあっさり帰った。
やはり漸は、そこは信頼できる性質のようだ。
とはいえ、面倒くさい事になりそうだった。
「…まあ、無理やりとかないのはそれで本当だったと分かったけど…松を気に入ってるのは確かなんだよな。何しろ、かなり長い事通って来てたもんな。」
十六夜の声は頷いた。
《そうなんでぇ。三日に明けず通って来てて、それでも松が何も言って来ないから焦れてって事みたいだったけど…やっぱりなあ、漸が良い奴なのは分かったんだけど、婚姻って形が無いのはなあ…こっちの女神には、キツイと思う。何しろ飽きたら捨てるってことだろ?それが罪でも無いわけだ。嫌でも歳取るのに、いつもダンナがあちこち脇見するかもしれねぇって思いながら付き合うのって、オレでも嫌だ。》
蒼は、ため息をついて頷いた。
「そうだよな。それだけの覚悟ってのが要るんだよな、婚姻ってさ。オレも、これまでの妃達はみんな、死ぬまで面倒見ようと思って娶ったし。瑤姫だけは、今でも心残りなぐらい。」
瑤姫は、維心の前世の妹で蒼の最初の妃だったが、自分から里へと帰ると言って、月の宮を出て行ってしまったのだ。
維心には宮へ帰る事を許されず、結局龍西の砦に滞在してそこで亡くなった。
穏やかな最期だったとはいえ、蒼は最後まで一緒に居られなかったことを、未だに悔いていた。
《あれは仕方がねぇ。あっちがここに居られないって言ったんだからな。だが、漸の事は注意して見ておいた方がいいぞ。蒼も正月には会うんだろ?》
蒼は、頷いた。
「うん。まああっちが何か言って来ない限りはこっちは何も言わないよ。十六夜が聞いてたとかも知らないだろうし。漸は引き下がったんだからね。それでも娶るとかなったらまた心配しなきゃだから話題にはしない。」
十六夜は、頷いたようだった。
《そうだな。それがいい。あいつも覚悟がないとこっちの女神は勝手が違うのを身をもって知っただろうしさ。今度言って来たら多分、分かってて言ってるんだろうし。それでどうだ?》
蒼は、頷いた。
「できたら言って来ないで欲しいけどな。ややこしいから。維心様にもちょっと相談しとこう。いきなり聞いたら対処に困るだろうと思うし…結局最後は維心様に聞く事になるんだし。」
十六夜の声は、同情的になった。
《あいつも大変だよなあ。ま、後は任せる。オレは報告だけしとく。》
蒼は頷いたが、また面倒が起きそうで、疲れた体にムチ打って、早速維心宛に文を書いたのだった。
維心は、夕方を過ぎてから月の宮から届いた文を見て、眉を寄せて額を押えた。
維月が、隣りで維心を見上げて、言った。
「…蒼は何か面倒でも申して参りましたか?」
維心は、長く息を吐きながら文を維月の前へと差し出した。
「…漸が、松に己の子を産むつもりは無いかと申し出たらしい。」
維月は、目を丸くして蒼からの文へと視線を落とした。
…確かに、十六夜がそれを聞いたと書いてある。
「…松殿の心地は分かりますわ。今は望んでくださっておったとしても、先までは約せぬと仰るのなら身を任せようとは思いませぬから。そも、あちらは合意が無ければ手を付けないと決まっておるとて、気に入ったとかですぐにそういう仲になるような環境で、気持ちがどこまであるのかを推し量ることができないのです。こちらの王が望んでくださるほどの、重さが無いといえばそうなりますの。」
維心は、頷いた。
「そうであろうな。女から見て先の確約もないのに子を産んで欲しいとは乱暴な話よ。とはいえ、漸はそれでも略奪には掛からぬこちらの神には無い良識を持っておる。望んでおる女が、目の前に居る上できる環境であるのに、それをせぬだけの堪え性はこちらの王には無いからの。どちらが良いとか、我には分からぬ。」
維月は、それには渋々ながら頷いた。
「はい。それは私もそのように。漸様の事は、価値観が合うと思うておりましたので良かったのですけれど、やはりこうなって来ると無責任なような気も致します。とはいえ、こちらの王の価値観も…確かに終生世話はしてくださいますが、それを相手が望んでいなくてもというのが私には無体なことだと思うてしまいます。私は維心様を愛してお傍に居りますので幸福ですが、そうでないのに己にそんな無体な事をした恨めしい相手に生涯縛られるなんて、身の毛もよだちますわ。恨まずに居れという方が無理なことでありますから。」
維心は、困ったように維月を見た。
「まあ、確かにそうなのだがの。我だって、主を愛する以前は女の気持ちなど考えた事も無かったのだ。そして、王達はまさか己が想われぬことがあるとは思うてもない。己のものにして囲ってしもうたらそれで満足しておる者が多いのだ。とはいえ、主と我が婚姻して数百年、主の考えを我が尊重しておるゆえ、少しずつ意識も変わって来ておる。なので簡単には娶らぬようになっておるであろう?その弊害として、下位の宮々が皇女の嫁ぎ先が無くなって宮の財政が立ち行かぬようになって来て、今回、大幅な見直しをせねばならぬようになった。婚姻という制度で、他を支えるという役割ができぬようになったからぞ。世の中も変わって行っている…漸が神世に戻って来て、また変わって来るのやもしれぬの。」
維月は、頷いた。
維心と結婚して数百年、前世今生を来たが、確かに世の中は変わって来た。
世を治めている維心が、女の権利を守ろうとする維月一人を守っている事もあって、段々に世間の考えも、そちらへと流れて来ている。
遂には古くから女が嫁ぐ事で宮を支えるという維月から見ての悪習が減り、序列の再編などということが起こるまでになった。
時間はかかったが、徐々に変化は起きているのだ。
そこへ漸が加わることで、世の中がどう変わって行くのか、維心にも維月にも想像もつかなかったが、しかし自分達が共に居るという事実は、これから先も変わらないのだと信じていた。




